天布嶺市一の観光名所である「琴吹湖」沿いに建設された水族館――その地下には、世間に公表されていないゲーム会社「SOLO」の本社がある。
まるで秘密基地のような造りになっているその場所には、同じ会社で働いている社員ですら大半の者が踏み入れたことのない大広間のような部屋があった。
VRMMORPG【
そこにはSOLOにとって最重要機密情報が詰め込まれている、かのVRゲームの根幹に当たるシステムが収められていた。
この部屋に入ることができるのは社長の皇ソロを始め、彼が信頼を置いている数人の社員だけだ。
体育館ほどの広さのあるその管制室には、通常のネットワークシステムであればある筈の電子機器が一切存在していない。
部屋にあるのは電子機器ではなく、全高1.5メートルほどの石柱だった。
数は全部で「13」本。そしてその石柱の先端部には、同数の「オーブ」が浮かんでいた。
オーブ――色鮮やかな水晶玉のようなそれは、推進力もなく独りでに浮遊しながら淡い光を放っている。
色はそれぞれ青、赤、白、黒と、一つずつ異なった色彩を帯びている。
この部屋を照らす灯かりもまた電灯や照明の類ではなく、13個のオーブが放つ美しい光によって満たされていた。
「HKO」の根幹を為す管制システム――この世界にとって全くの未知であるその技術は、とても科学とは思えない幻想的な姿である。
音もなくこの部屋に踏み入った人物が感心深げな声を漏らすと、その光景を前に移動する足を止めた。
しかし気を取り直すように動きだした彼の姿は、庶民的なパーカーやジーンズというこの場所に不釣り合いなラフな装いをしており、その頭はフードを目深に被って顔の上半分を隠していた。
背丈は石柱よりも僅かに高い程度であり、その体格は中学生程度の少年のように窺える。
そんな彼は石柱に浮かぶ13個のオーブを前にして、その内の一つ――オーブの中で最も暗い輝きを放っている、漆黒のオーブに手をかざした。
「動くなッ!」
――瞬間、静寂な部屋に張りのある女性の声が響く。
フードの裏で変わらずポーカーフェイスを浮かべる彼は手早く漆黒のオーブを掴んで引っ張り上げると、その場からバックステップを踏むように一歩後退した。
直後、先ほどまで彼が立っていた場所を弾丸よりも速いスピードで何かが通過していく。
彼の動体視力はそれが自分に対する「攻撃」であり、「光の矢」であることを認識していた。
その攻撃が放たれた方向に目をやれば、そこには彼が想定していた通り、リクルートスーツを纏った褐色の女性が「弓」を抱えながら佇んでいた。
矢の風圧に靡く銀色の長髪から、この地球上のどの人種にもない「尖った耳」が露わになる。
ダークエルフ――女性の種族の名をそう呼ぶことを、彼は知っていた。
「何者だ? どうやってここへ入り込んだ?」
ダークエルフの女性が、鬼をも殺す眼光で睨みながら彼に問い掛ける。
問いながらもその手は弓矢の二射目を穿つ態勢を取っており、彼女が「侵入者」に対して何の容赦も無く殺しに掛かっている様子が窺える。
それも当然の反応であろう。
何故ならば彼はこの部屋に
そんな不審な輩を見逃すほどSOLOのセキュリティーは甘くなく、ダークエルフの女性もまた甘い性格ではなかった。
「リライブ・クロノクル」
「っ……貴様、私の名を」
リライブ――侵入者の彼が女性の名を呼ぶと、弓を引く彼女の目が僅かに見開かれた。
そしてその隙に、侵入者はサーカスの如く一気に跳躍して彼女の元へと飛び掛かっていく。
左手には石柱から抜き取った漆黒のオーブを抱えており、右手にはどこからともなく抜き放った鉄パイプのような棍棒を携えている。
侵入者はその棍を彼女に向かって、横薙ぎに振り払った。
飛び掛かる侵入者の速度が予測を大きく上回っていたのか、棍の間合いから逃れられなかったリライブはその手に持つ弓を盾として扱い、彼の一閃を防御する。
しかし体格に反して彼の繰り出した一撃は重く、防御に成功してもなお弾き飛ばされるように彼女の身体は押し出されていった。
「ちっ! 待て!」
その瞬間に生じた、僅か一瞬の間である。
彼女が攻撃に怯んだ隙を見逃すことなく、侵入者でありオーブ泥棒でもある彼はその足元に「魔法陣」を展開していく。
転移魔法――地球の人間ではあり得ない「魔法」の発動に驚くリライブを置いて、彼はHKOの管制室及び「SOLO」の本社から立ち去っていった。
――その魔法の発動を感知し、紅色の少女が動く。
背中から紅蓮の翼を広げ、少女――紅井クレナは満月の輝く暗闇の夜空に飛翔した。
彼女は今しがたSOLOの本社から転移してきたフードの侵入者の姿を視界に映すと、その後を全速力で追い掛けていく。
彼もまた、クレナと同じく鳥のように飛行能力を有しているようだ。転移魔法を使ったことと言い、間違いなくこの地球の存在とは思えなかった。
数々の異常現象に怪訝とした表情を浮かべながらも、クレナは彼を油断ならないアンノウンと定める。
「……今度はアカイクレナですか」
「お前は……フォストルディアの人間か?」
満月が水面に映し出された琴吹湖の上空を、同等の速さで疾走していく二人の影。
併走するように距離を詰めながら、クレナが敵の姿を睨む。
「それを盗み出して、何をする気だ?」
「返してもらっただけです。元々これは、我らが神の所有物なので」
「神だと?」
意外にもクレナの問い掛けに応じた彼が、それに……と続けて言う。
「オーブの数が十二個でも、あのような戯れに扱う程度なら問題ないでしょう」
――瞬間、一条の閃光が走った。
「問題なくはないな」
スーツ姿にマントを纏ったドラキュラのような恰好をした青年が、その手に物々しいライフルを携えながら迫ってくる。
今しがた夜空を照らした閃光は、彼の構えるライフルの銃口から放たれたものだった。
再びその銃口を構えて侵入者に向ける青年に、クレナが声を荒げて吐き捨てた。
「っ、下がれ魔王! お前の助けなんているか!」
誰が、貴様なんかに、と。
反吐が出るとでも言うように不快な目で睨むクレナの横で、フードの侵入者が冷淡に青年の名を呟く。
「来ましたか、魔王ソロ」
「何者だ? それは僕にとって大切な物なんだ。勝手に持っていかれては困る」
「それはこちらの台詞です」
青年――ソロは訝しむような目でサングラス越しに彼を睨む。
突然本社に現れ、管制室から重要な品を盗んで逃走した侵入者。
その真意を探るように見据えるソロに向かって、彼は左手に抱えた漆黒のオーブを輝かせながら飛行速度を増していった。
「これは破壊神フォストの力が封じられたオーブ。本来ならば、我々の手元にあるべき物です」
「君は……魔族か?」
「魔族なら、殺す!」
表情が読み取れない角度から放たれた彼の言葉に、ソロが視線を鋭くし、クレナが炎の剣を振り上げながら急迫していく。
彼女の紅の瞳は、既に相手の姿を葬るべき敵として捉えていた。
「消えろ!」
「…………」
疾風の如き詰め寄り、剣の間合いに入る。
侵入者が僅かに目を細めると、片手に構えた棍を自らの前に繰り出し、縦一文字に振り下ろしたクレナの剣を根の先端部で切り払うように防いでみせた。
しかし直後、畳み掛けるように振り上げた彼女の右足が彼の胴部を密着状態から蹴り飛ばし、体勢を崩させた。
「落ちろ」
そこへ、間髪を容れずにソロのライフルが閃光を放つ。
侵入者は逆さ向きの体勢になりながら小刻みに身を翻すと、その射撃を紙一重の差で擦り抜けるように避けていった。
「ノーコンが、雑魚は下がっていろ!」
そんな彼の射撃を元から当てにしていないとでも言うように、クレナが果敢に侵入者を追撃して斬り掛かっていく。
静かに唸るソロの前で、侵入者は雲を突き破りながら急上昇し、彼女の剣を空振りにせしめた。
「……勇者と魔王が二人掛かりは、流石に分が悪いか」
フードに隠された顔で、侵入者が僅かな苛立ちを浮かべながら呟く。
そんな彼は自身の下から立て続けに襲い掛かってくる銃撃の嵐を切り払いながら空中で静止し、その足元に光の魔法陣を展開した。
「転移魔法か……」
「させるか!」
一瞬にしてこの場から離脱する為の、彼の転移魔法である。
その発動を歴戦の勘から見抜くと、クレナが紅の翼を広げながら雲の海を蒸発させ、その勢いのまま強引に接近していく。
転移魔法で離脱する前に、一撃で仕留める。
そのつもりで切り込んでいったクレナの突進は、しかし彼の背後から突如として出現した巨大な物体によって惜しくも中断させられた。
「サーペント、時間稼ぎを頼みます」
「何っ……?」
サーペント――彼がそう呼んだそれは、竜の如く巨大な白蛇だった。
彼によって呼び出された大蛇の大きさは全長二十メートルをゆうに超しており、白く輝く鱗は月の光を反射させて神々しく煌いている。
自由自在な飛行能力を持つ白蛇は、空を泳ぐような動きでクレナへと襲い掛かっていった。
「これは、使い魔じゃない……守護霊だと……?」
こちらの身体を一飲みにしようと襲い掛かる大蛇の牙を炎の剣で捌きながら、クレナは敵の巨体に見合う怪力によって両腕を痺れさせる。
ちらりと横目を向ければソロもまた大蛇が振り回す尻尾に足止めを喰らっている様子である、転移魔法によって離脱しようとする敵を狙い撃てずにいた。
……元から当てにはしていないが。当てにはしていないが、「使えない奴め」とクレナは毒づいた。
「安心なさい、勇者クレナ」
そんなクレナの姿を見下ろしながら、夜空に浮かぶ満月の下で彼は嗤う。
「我々に、貴方の邪魔をする気はありません」
「何だと……?」
満月に照らし出されながら、潮風に吹かれて彼のフードが大きくめくれ上がる。
初めて曝け出された彼の素顔を見て、クレナは大蛇の牙を抑えながら驚愕に目を見開いた。
「貴様、その顔は……っ」
――瞬間、大蛇の姿が朧のように掻き消える。
同時に大蛇を召喚した彼の姿も、この場から消え去っていた。
敵に、転移魔法の発動を許してしまったのである。
今度は丁寧にも転移後の気配まで遮断されており、クレナとソロの知覚領域を持ってしてもこれ以上の捜索は不可能だった。
「破壊神のオーブを取られたか……迂闊だったね」
まんまと、泥棒にしてやられたということだ。
溜め息混じりにそう呟いた皇ソロが、スーツの上に纏ったマントをなびかせながらクレナへと近寄った。
「僕達のことを、知っている様子だったが……彼はどんな顔をしていた?」
SOLOの本社に侵入し、リライブ・クロノクルの守りすら抜けて重要な機密を奪取していった謎めいた侵入者。
魔法を使いこなし、強力な大蛇を使役し、さらにはソロとクレナの素性を知っているような発言を口漏らしていた存在。
ともなれば、あれがただのコソ泥である筈もない。
サングラスの裏で怪訝な眼差しを向けるソロの言葉に、クレナは右手に携えていた炎の剣を消失させながら静かに応じた。
「……クリスだ……」
その名前に、ソロから息を呑む気配が漂う。
彼にとっても、アカイクレナにとっても、その人物の名前には関わり深いものがあったのだ。
「クリス・テンペスト……ヘブンズナイツのあの女の顔に、似ていた」
「……そうか」
かつて黒崎ソロが魔王ソロとなる前、平和な世を創るために結成した神巫女の騎士団ヘブンズナイツ。
その一員に、クレナと同い年ぐらいの若い対魔師がいた。
金色の瞳と緑色の髪を持つ彼女の名は、クリス・テンペスト。
「HKO」では10の騎士「エクス」の元となった人物である。
そんな彼女はかつてのクレナやソロ、そしてシライシユウシの――仲間だった。
「双葉志亜さんには」
「黙っていろ」
「……そうだな」
彼女には、今回のことは話すべきではないだろう。
クレナの意見にソロが同意を返したが、胸中は穏やかではなかった。
嫌な予感がする。
平和である筈のこの世界にまで、何かが起ころうとしているような。
穏やかではない何かが、この現実世界に起きようとしていた。
久しぶりの投稿ですがフィアが出てなくて申し訳。
次回からゲームに戻ります。