トリプルヘッド・ツイスター・ジョーズ。
フィア達の乗る客船の前に現れたのは、読んで字のごとく、三つの首を持ったサメ型のモンスターだった。
風属性魔法を操り、海面に竜巻を発生させながら自分自身もその竜巻に乗って飛行し、同じく竜巻に乗せた自身の眷属と共に空中或いは海上の獲物を捕食するという奇怪な生態を持つ。
それは、フィアの持つユウシの記憶には存在しないモンスターだった。
しかし、志亜自身には昔家族と一緒に観に行ったB級パニック映画の中で、似たような怪物の姿を見た記憶があった。
そんなユウシの記憶とは別の既視感を受けてフィアが呆然と佇んでいると、横から現れた紅の女性――へリアルがいかにも機嫌の悪そうな顔で解説してくれた。
「……コラボモンスター、と言う奴らしい」
「コラボ?」
「あるB級サメ映画を見たあの男がそれを気に入り、デザインの協力を頼んだそうです」
別々の会社が協力して執り行うコラボレーション企画。オンラインゲームの世界において、それは別段珍しくもないだろう。
今フィア達の乗る船が直面しているサメ型モンスターとの遭遇もまた、この「HKO」における特殊な「コラボイベント」の一種であった。
「アレは、そう言う男です。何から何まであの世界を再現しているわけじゃないし、奴の言った言葉も、どこまで誠実なのかわからない」
世界観を壊しているわけではないが、唐突に現れた映画のモンスターの姿にへリアルは不服そうな様子だ。
このような一面を見ると、確かにこの「HKO」というゲームに裏があるとは思い難くなる。
その遊び心は人々にもたらす娯楽として成り立ってはいるが、製作者の皇ソロが言っていた「かつてのことをこの世界に知らしめたかった」という製作理由からはやや逸脱しているように思えた。
「……うん、でも……」
ただ、フィアはそれを不愉快に感じることはなかった。
竜巻に乗って海面から上昇し、甲板上に乗り込んでくる数多のサメ型モンスター。現実のサメよりも遥かに巨大で獰猛なそれに応戦する他のプレイヤー達の姿を見ていると、フィア自身にはこのコラボイベントに悪い気はしなかったのである。
「くらえ! 木の棒アタック!!」
「ぎゃあああゴースト化したあああ!?」
「こっちはメタル化したぞ!」
「……サメってなんだっけ?」
「ええい、爆薬はまだか!?」
他のプレイヤーの皆が――親友のレイカを含めて、多くの者達がこのイベントを楽しんでいたから。
「……みんな、楽しそう。フィアは、そういう楽しいも、いいと思う」
だから、たとえゲームを製作した主旨から外れていたとしても、フィアはそれを疎むことはなかった。
ソロという男が何を企んでいるのであれ、皆が楽しんでいるのならそれでいいとじゃないかと――それが、フィア自身の考えだったのだ。
そんなフィアの言葉を受けて、へリアルが俯きながら呟く。
「私は……」
「?」
「……いえ、何でもないです」
言い淀んだ後、顔を上げたへリアルはフィアの背中に担がれていた一本の槍を抜き取り、サメ型モンスターの群れへと向かっていく。
さも当然のように自然な動作で自身の武器を拝借していった彼女の後ろ姿を、フィアは首を傾げながら見据えた。
「へリアル?」
「すみませんが武器を借ります。今の私は、少し機嫌が悪いので」
言葉は冷静だが、その声には僅かに棘があった。
怒っている、というよりも苛立っているという様子である。その苛立ちはフィアに向けられたものではないが、釈然としない彼女の心情はフィアの心にも伝わってきた。
「へリアルは、コラボが嫌い?」
「……好きではない。他所の世界から異物を引っ張ってくる行為には、碌な思い出がないからな」
「あ……」
その言葉を聞いて、フィアは初めて彼女の苛立ちの理由を理解した。
彼女がコラボを嫌うのは、重ねているからだ。
こじつけのような苛立ちであったが、かの召喚魔法に似ているそれが今の彼女を感傷的な気持ちにさせているのだろう。
へリアルの心中を察したフィアは、思わず彼女の腰に飛びついてその動きを制した。
「へリアル、だめ」
「……っ、ユウシ?」
「やつあたりは、やめて」
今の彼女にはゲームを楽しむ気持ちは一切無く、ただやつあたりの為にモンスターを殲滅しようとしていた。
そんな彼女の姿が痛ましく、フィアには見ていられなかったのだ。
「……ズルい人だ。貴方は」
フィアの懇願を受けたへリアルは一瞬だけハッとした表情を浮かべると、呆れ笑うように頬を緩めた。
ルアリス大陸からフィクス大陸へ向かう航海の旅は、現実世界であれば数日掛けて行われるものであろう。
しかしゲームである以上、航海日数をリアル基準で行えばプレイヤーを飽きさせてしまう可能性が高い。
それ故にこの「HKO」における航海時間はものの数十分程度で済むようになっているのだが、その間、船上ではここでしか発生しない特別なイベントやクエストがあった。
その一つが、今しがた船を襲ったサメ型モンスター強襲イベント「シャーク・ウェーブ」と呼ばれるものである。
サメ型モンスターの王「トリプルヘッド・ツイスター・ジョーズ」が発生させる竜巻に乗って飛行してきた数多のサメ達が船に乗り込み、乗客達を襲う。
プレイヤー達はこれを撃退してNPCの乗客を守ることに成功すれば、報酬としてスキルポイントやアイテム、装備などを取得することが出来、このイベントを目当てに周回するプレイヤーも多いお得なイベントでもあった。
今回の航海にてそのイベントと遭遇したフィア達もまた、サメモンスター達の撃退に動いた。
身につけた新スキルを早速試したがっていたレイカは嬉々としてトリプルヘッド・ツイスター・ジョーズへと挑み掛かり、ペンちゃんは「アイツはなんか調子乗って真っ先にやられそうだから」と彼女の援護に回っている。
へリアルもまた前線に出て、甲板に乗り込んできたサメ型モンスター達を足蹴にしながらフィアの武器である「シルバースピア」を振るっていた。
やつあたりはやめてと言ったフィアの言葉が効いているのか、その攻撃や撃破ペースなどはまだ自重していたものであったが、被弾一つ無く単身でサメモンスター達に立ち回る紅の姿は非常に目立ち、その美貌も相まってか乗り合わせていた他のプレイヤー達の視線を釘付けにしていた。
そしてフィアはと言うと、今はそんな彼女らから離れ、船内の大広間に避難しているロナ・ルディアスやNPC乗客達に同行していた。
「キシャアアアアッ!!」
「あらあら、こんなところにもサメさんが……フィア様、あれは何というモンスターなのですか?」
「ん……えっと、《オクト・シャーク。異界サメ種。水属性。異界から現れたサメの頭とタコの足が合体したモンスター。木の棒や爆発物が弱点》と、書いてあります」
「それはまた面妖な……自然発生した生き物なのでしょうか? 西の海には、名状しがたいモンスターがたくさんいますね」
ロナから訊ねられた問いに、フィアは手に広げた「フォストルディア・強者の記録書」を読み上げ、この場に現れた敵モンスターの名前を答える。
このような初見のモンスターとの対峙には、ボボから貰ったこの書物が重宝していた。
しかし胆が座っていると言うべきか、突如船を襲ったこの「シャーク・ウェーブ」に対してロナは落ち着いていた。
比較して他のNPC乗客達は現実の人間と同じようにパニック状態に陥っていることから、彼女だけが特別なのだろうとフィアは察する。
「姫!」
水の無い場所だろうと関係なく、B級ホラー映画さながらに壁を突き破りながら、大口を開けてロナの前に飛び出してきた5m級のオクト・シャークを相手に、横から割り込んできたマキリスが一振りの剣を一閃し、敵の身を袈裟斬りに切り裂く。
「デルタ・プロージョン!」
続け様に魔法を発動し、マキリスが腕を振り上げた瞬間、オクト・シャークのいた場所が小規模の爆発に包み込まれた。
万人向けに作られたゲーム故にスプラッタな光景にはならず、マキリスの攻撃を受けたオクト・シャークは血液も臓物も撒き散らすことなく光の粉となって消滅していく。
マントをはためかせながら、姫を守る騎士の如く悠然と佇むマキリスに対して、姫は労いながらも「遅いですよ」と一言叱責する。
「申し訳ありません。しかしこのシャーク・ウェーブの規模は、予想以上に大きいようです」
「避難場所を変えますか?」
「いえ、姫様はここでお待ちください。下手に移動しては、奴らの餌食になる確率が上がるだけです」
「それもそうですね。では私はここで待っているので、貴方は慎ましく撃退しなさい」
「御意」
今フィア達が居る場所は、船の中にある大広間の隅である。
本来であればパーティー会場や食堂に使われていたのであろうその広いスペースは、今はサメ達からの避難場所として扱われており、乗客の多くがプレイヤー達や船長の指示に従ってここに集まっていた。
ゲーム的なイベントとして言えば、海から上がってきたサメの群れがここに侵入してくるまでに撃退するのがプレイヤー達のクリア条件であり、本来課されるべき使命なのだろう。
そんなプレイヤー達と同様に、ロナの命令を受けたマキリスが広間を再び離れると、勇猛果敢にサメの群れへと向かっていく。
それに対してプレイヤーでありながら、NPCであるロナ達と一緒になって避難しているフィアの心には、これでいいのだろうかと自分の行動に迷う気持ちがあった。
「貴方は他の皆さんのように、武器を持っていないのですね」
「……うん、へリアルが持っていったから」
「そうですか。その方は、貴方を戦わせたくなかったのかもしれませんね」
唯一の武器であるシルバースピアをヘリアルに持っていかれた今のフィアには、モンスターと戦う為の武器が無い。
手持ちに武器が無い上に魔法も使えないフィアでは、端的に言って戦闘の役には立たなかった。
尤も仮に今武器を持っていたとしても、戦闘の役に立つスキルを持っていないフィアでは西の海のモンスターにダメージを与えることは難しいだろう。
その点で言えば武器を承諾無しに借りていったヘリアルの行動は、寧ろフィアをデスペナルティの危険から遠ざける為の行動に思えた。
そんな彼女のある意味押しつけがましい、わかりにくい善意に――フィアは気づいていた。
「うん……へリアルは、フィアを戦わせないようにした……」
彼女にとって自分は足手まといになっているのだろうかと、今更ながらにプレイヤー・フィアの立場を考えてしまう。
フィアはこのゲームを純粋に楽しみたいと思っているが、それはモンスターと戦いたいというわけではない。
もちろん今回のように戦う理由があるのならフィアとて武器を振るうつもりだったが、ゲームの中であろうと無用な戦いは避けたい気持ちがあった。
しかしそのプレイスタイルは、間違いだったのだろうかと……フィアはヘリアルから遠回しに戦いから遠ざけられた事実に対し、自身を省みる。
リージアから心配そうな目で見られていることに気づかず、うんうんと唸るように考え込んでいるフィアの姿に苦笑しながら、ロナがただ一言問い掛けた。
「武器を使うことだけが、戦いではないでしょう?」
「え……」
それはフィアにとって、神巫女から告げられた天啓のような言葉だった。
ロナは船内を見回し、サメ達の襲撃に怯える船内の乗客達の様子を窺う。
彼女の言いたいことは誰にでも出来る、人間として尊く在るべきもう一つの戦い方だった。
「たとえばそこに、泣いている子供がいたとしたら……」
「っ!」
彼女に習って周囲を見回したフィアが、次に移した行動は早かった。
ここはゲームの世界だが、NPCの行動は現実と変わらないほどリアルだ。
恐怖に怯える人々の中には不安で泣いている幼子の姿もあり、その子の姿を見つけたフィアは居ても立っても居られずに駆け出していたのだ。
「早いですね。私よりも早く、助けにいきましたか」
それも立派な戦いですよ、と……ロナが呟きながら、感心の声を漏らす。
しかしこの時のフィアはその言葉を聞いておらず、ただ泣いている幼子のことだけを考えていた。
襲われるのは、怖い。
怖いは、苦しい。
苦しいは、悲しい。
悲しいは、辛いから、涙を流す。
そんな思考を浮かべながら、フィアは一人涙を流している幼子の元へ赴き、声を掛けた。
「大丈夫……大丈夫だよ」
「……っ、っ……」
「みんなも一緒だから……泣かないで、みんなを応援しよう」
「……うん……」
「貴方は強い子……いい子だね」
親元とはぐれたのかもしれない。
一人で泣いていた幼子の手を握ると、フィアは最大限の誠意を持って励ましの声を掛ける。
しばらくそうして言い聞かせていると、次第に落ち着いてきた幼子が泣き止んだ顔を上げてフィアの目を見つめる。
しかしその矢先に、再び船内が震動した。
「キシャアアアア!!」
「っ!」
天井に吊るされたシャンデリア。その影から這い出てくるように、漆黒のサメ型モンスターが現れたのである。
現実のサメではあり得ない咆哮と、コウモリのような翼をはためかせて空中を泳ぐその姿が、否が応にもサメとは似て非なる
その怪物の白い眼光に見下ろされると、幼子が再び恐怖に怯え、フィアの胸にしがみつく。
そんな幼子の背中をポンポンとあやすように叩きながら、フィアは言い放った。
「おねえちゃん……?」
「大丈夫、怖くないよ」
フィアは怪物の姿を前に、真っ向から対峙する。
そして、覚悟を決めた目で見据えて言った。
「お願い……ここから、出ていって」
青い風が吹き抜け、その場を包み込む。
フィアは自身が持つHEATスキル、「蒼の領域」を発動したのである。
戦闘力を持たない今のフィアにこの状況を収める方法は、これ以外に思いつかなかった。
背中から天使の如き二枚の白い翼が生やしたフィアが、青い光を放ちながら自身を中心にその領域を広げていく。
そしてそれは目の前のサメモンスターを取り込み、お互いの生命を――心をつないだ。
――来るべきサメとの対話が始まる。