生命の泉。
そこは種族も弱肉強食も関係なく、多種多様な生き物達がお互いを害することなく共存している平和な領域だ。
泉の周りに広がる花畑では巨大なドラゴンを始め、ペガサスやユニコーンと言った幻獣種のモンスターが足を休めていたり、ゴブリンやスライムなど、様々な生き物が穏やかな時を過ごしている。
泉の中では先日フィアが招待したエンシェントウミガラスの親子が優雅に泳いでいる姿が見え、その変わらない優しい世界にフィアは目を細めた。
そんなフィアの後ろで驚嘆しながら目を見開いているのは、レイカとペンちゃんである。
「おお……ここがフィアの言っていた花畑か」
「なんだか、私達が場違いに感じますね」
今回初めてこの場を訪れた彼女らは、フィアから聞かされていた以上に穏やかな光景を目にして感動に浸っている様子だった。
二人ともこの場所を気に入ってくれたことをフィアも喜ばしく思うが、へリアルだけはこの場に足を踏み入れても特に感慨に浸る様子もなく、ただ真っ直ぐに泉の前――モンスター達に囲まれている青い影に対して視線を向けていた。
「あっ!」
へリアルの視線を追ったフィアが、そこにいる人物の姿に気づき驚きの声を漏らす。
硬直も束の間、フィアは一目散にその場所へ向けて駆け出していた。
「フィフス? フィフス……!」
青い髪の少女、フィフス。
淡い光を放つ可憐な少女がぐったりとした様子で座り込んでいる様子は、以前と比べて明らかに異常な状態に見えた。
「……やあ、フィアちゃん。久しぶりだね」
近くまで来てようやくフィアの来訪に気づいたように、フィフスが顔を上げる。
穏やかに挨拶を交わそうと彼女は笑顔を浮かべているが、その表情からは隠し切れない疲労の色が見えた。
そんなフィフスの纏う白銀の鎧に目をやれば胸の一部分が痛々しく抉れており、彼女はその部位に手を当てながら魔法で治療しているようだった。
「どうしたの……? フィフス、怪我した……?」
一目見ればわかるほどに、酷いダメージを受けている状態である。
その姿を目にしたフィアは、焦燥に駆られた思いで彼女へ詰め寄る。
ユウシの亡き妹とやはり同じ姿をしているフィフスは、そんなフィアを安心させるように柔和な表情を浮かべた。
「ちょっとヘマしちゃってね……大丈夫、大した傷じゃないよ。ちょっと休んでいれば、このぐらいすぐに治るから」
「フィフス……」
「ふふ、心配してくれてありがとう」
この世界に存在する「ヘブンズナイツ」の一員であるフィフス。
そのヘブンズナイツ自体、ソロがあの世界で結成した自らの騎士団を再現していたものだとすれば、彼女が誰をモデルにしているのかはもはや語るまでもないだろう。
今のフィアはその関係をわかっている。しかし、別人だとわかっていながらも同一人物として見てしまいそうになるほどに彼女の姿は似ていた。
キズナと同じように――痛みでさえ、気丈な笑みで覆い隠そうとする姿を、フィアは周りのモンスター達と共に寄り添いながら見つめた。
「あの方が、フィフスというヘブンズナイツですか。フィアさんほどではないですが、子供みたいですわね」
「ああ、これはまた凄い美少女だな」
遅れてこちらに近づいてきたレイカとペンちゃんが、フィフスの姿を見て思い思いの感想を呟く。
その後ろではへリアルが呆れたように溜め息を吐きながら、一同に聴こえない声で口漏らしていた。
「……よくもまあ、こうも似せたもんだ」
そんな彼女らの存在に気づいたフィフスが、心配そうに顔を寄せてくるユニコーンやドラゴン達の口元を撫でながらフィアに訊ねた。
「えっと……そこの人達は、フィアちゃんのお仲間さんかな?」
「うん、みんな、フィアの友達。紹介する」
この生命の泉に初めて訪れた三人に対してだが、フィフスの目に警戒はない。
聡い彼女は、皆がこの場所に危害を与えるような者達でないことを一目見て理解したのだろう。フィアに同行する仲間がいることを喜ぶように、彼女は笑っていた。
そんなフィフスの反応こそ、フィアにとっては嬉しいものである。
フィアはパーティを組むことになった一同のことを手短に紹介した後、皆でこの場所を訪れた理由を語った。
その目的を語り終えると、フィフスは合点がいったように頷き、フィアの肩に乗るリージアの頭をわしゃわしゃとくすぐりながら言った。
「ふむふむ、そっか。ヘブンズナイツの試練を受ける為に、私に会いに来たんだね」
「フィアは、フィフスがここに来ているのを感じた……」
「感じたの? ならそれは、多分この子の能力じゃないかな?」
「えっ?」
ヘブンズナイツの誰に会いに行くべきかレイカ達が話していた時、フィアの頭にはふと何か――言葉では言い表せない直感が走った。それは虫の知らせに近い、何となくと表現した感覚だった。
そんな第六感的な感覚が、フィフスがこの場所に戻って来たことを教えてくれたが為に、フィアは彼女の存在に気づいたのだ。
しかしフィフスから明かされたその感覚の正体は、フィアが気づいていなかったものだった。
フィアは首を傾げながら、カーバンクルの姿を見やる。
「リージアの、能力?」
「リージアって名付けたんだね。うん、ゴールデンカーバンクルには不思議な感知能力があってね。それで私の状態に気づいたその子が、フィアちゃんに教えてくれたんだと思うよ」
「そうだったんだ……リージア、ありがとう。すごいね」
「チチッ」
あの時、フィアの頭に働いた妙な直感は、リージアによってもたらされたものだったのだ。
フィアは今まで気づかなかったことを恥じながらリージアを労い、彼女のつぶらな瞳と向き合って感謝の言葉を述べる。見つめ返すリージアは心なしか得意げな顔をしているように見えた。
そんな一人と一匹を見て「良いコンビだね」と呟いたフィフスが微笑ましげな表情を浮かべた後、今度は真面目な顔をしてレイカの方へと振り向いた。
「それで、試練を受けたいのは貴方?」
「ええ。フィアさんには大きな借りを作ってしまいましたが、私にはどうしても早いうちにHEATを手に入れなければならない理由があるので」
フィアから事情を聞いたことで、フィフスは既に自らが果たすべき役目を察している様子である。
そしてこの四人のうち唯一「HEAT」スキルを持っていない彼女が、単刀直入に自らの言葉で申し込んだ。
「このレイカ、是が非でも貴方の試練をお受けしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「フィアちゃんの仲間だもんね。試練はヘブンズナイツの役目だし、私としても構わないけど……」
HEATスキルの入手に必要な、ヘブンズナイツの祝福。
そして、その祝福を受ける為に果たすべき試練。
それは多くの
しかし、レイカの申し出を受けて悩むように考え込んだフィフスは、レイカの後ろ――やや離れた位置に立っている紅の女性を見て、僅かに目を見開いた。
「あら? 貴方は……」
「………………」
「……なるほど、そういうことかぁ」
何かに気づいたような反応を見せたフィフスに対して、紅の女性――へリアルが視線だけくれて無言の圧力を返す。
その様子を見て事情を察したようにフィフスが呟くと、再びレイカの方へ向き直って言い放った。
「いいよ。ヘブンズナイツ5の騎士、フィフスがレイカさんに試練を与えます。HEATが欲しいっていうことは、達成の報酬は私からの祝福でいいんだよね?」
「ええ、それでお願いします」
快く、彼女はレイカの申し出を受け入れてくれた。
しかしフィフスは腕を組んで考え込むと、再び困ったように目尻を落とした。
「うーん、どんな試練にしようかな? 貴方達四人が協力したら、並大抵の試練は簡単にこなしちゃうと思うし」
「私は厳しめで構いませんよ。そっちの方が燃えるので」
難しすぎても駄目、簡単すぎても駄目だと試練の内容を真面目に考えるフィフスに、あっけらかんと言い返すレイカ。
彼女らしい勇ましい言葉を受けたフィフスは、目を丸くして問い掛けた。
「……いいの? 一つ、本当に厳しいのを思いついちゃったんだけど」
「構いません。どんと来なさい」
あまり気乗りしないと言いたげだが、彼女ならばやってくれるのではないかという期待。そんな二色の感情を映した瞳でレイカの表情を窺うフィフスに対して、レイカは尚も言い切ってみせた。
この私に二言はない、と。
どんな試練であろうと鮮やかに成し遂げることを誓う彼女を見て、フィアは改めて尊敬の念を抱いた。
「なら、私から貴方にクエストを与えます。それを達成することが、このフィフスが与える生命の騎士の試練とします」
レイカの表情と言葉から覚悟の程を読み取ったフィフスが、試練の開始を宣言する。
その瞬間、フィア達四人のウインドウ画面がおもむろに展開され、情報開示が行われた。
《パーティメンバー・レイカがクエスト「フィクス大陸の異変調査」を受注しました》
今、レイカがフィフスから一つのクエストを受けたのだ。
一同が広がったウインドウ画面をタッチすると、その内容が詳細に映し出されていった。
「これは……」
「クエストの内容は、西の大陸……フィクス大陸の調査になるね。えっと、誰か地図を持ってないかな?」
「私が持っていますわ」
ウインドウ画面に全てを任せることはせず、フィフスが自らの言葉で説明を始める。
レイカから受け取った地図――魔法で作られた電子マップのようなそれを受け取ると、彼女は妙に慣れた手つきでそれを扱い、目標地点に×印を付けてマーキングしていった。
「場所は、ここらへんかな」
そこは、フィア達が今までに冒険してきた地域から遠く離れた場所だった。
具体的には、海を渡って大きく西へ行ったところに当たる。
位置関係を把握しただけでも想像以上の遠出になりそうなことにフィアが驚けば、レイカはそうこなくてはと楽しそうに笑みを浮かべる。
そんな彼女らの前で、フィフスが語った。
「最近、この辺りの場所から強い瘴気を感じるの。何か、禍々しい力が蠢いている感じがして……しかも私達ヘブンズナイツが中に入れないように、厄介な結界が張られているの」
神妙な表情で語る彼女の手は、自身が身に纏っている鎧の破損部に当てられている。
苦々しく眉をしかめる彼女の表情からは、隠しきれない悔しさが滲み出ていた。
「それでも無理やり入ろうとしたら、弾き飛ばされてこの有様だよ。だけどヘブンズナイツじゃない人――冒険者なら結界の中に入れるみたいだから、そこの調査を貴方にお願いしたいの」
フィフスがこうして疲弊しているのも、彼女の言う場所で受けた結界のダメージが原因だったのだ。
世界を守護するヘブンズナイツの侵入を許さない場所――その時点で、彼女が指し示した場所には大きな厄が潜んでいることが窺えた。
その危険性を彼女も想定しているのか、クエストの内容に調査以上のことは求めなかった。
「もちろん、調査はみんなでやっていいよ。中の情報をある程度まで見つけて、私に教えてくれたら試練達成ということで。何かこう、これって感じの情報を三つぐらい調べてもらえたら十分だから」
「随分アバウトなのですね……ですがわかりました。ここを調べれば良いのですね」
フィフスが印を付けた地図の場所は遠く離れた西の大陸、「フィクス大陸」の一角に当たる。
その大陸の名は以前ペンちゃんからも話に聞いていたが、ユウシの記憶を取り戻した今のフィアにはより馴染んでしまうものだった。
「頼んでおいてなんだけど、気をつけてね。この辺りには魔王の手下や危険なモンスターも多いから」
「望むところだと言わせてもらいましょう。どの道、西の大陸には行く予定がありましたしね」
イベントカードの条件に記載されていた「聖地ルディア」への到達もまた、「原典」をなぞっているのだとすればこのフィクス大陸へ赴く必要がある道のりだ。
フィフスの試練は予想よりも遠出になってしまったが、この際一石二鳥だとレイカは自らの一存でこのクエストを快諾した。
しかし、おそらくフィクス大陸には、かの召喚師の国をモデルにした場所があるであろうことも想像に難くない。
そのことを思うと、どうしてもフィアの心には震える思いがあった。
「大丈夫です、ユウシ」
ふと、リージアが乗っていない側の肩に手を置かれる。
それはフィアの心情を察して置かれた、へリアルの手だった。
「私がいますから」
彼女なりに元気づけるような言葉を受けて、フィアは自分も大丈夫だからと礼を返した。
「では、行きましょうか」
「あ、ごめんね、ちょっと待ってくれないかな?」
「? なんですか?」
ヘブンズナイツのフィフスからクエストという名の試練を受けたことで、レイカは早速目的地に向けて移動しようとする。
フィアの意思一つでこの「生命の泉」からは自由に行き来することができるのだが、この場を離れようとする一同をフィフスが呼び止めた。
振り向いたフィアに、フィフスが言う。
「フィアちゃんに約束のお礼をしたいから」
「約束?」
「ほら、苦しんでいる子を保護してくれたら、お礼するよって」
「……あ」
最初会った時に、フィフスが言っていたことだ。
絶滅に瀕した可哀想な目に遭っている子達を、旅のついででも構わないからこの場所に案内してあげてほしいと。
その頼み通り、フィアはエンシェントウミガラス親子とボボをここへ連れてきた。ならば礼をするのは確かに道理かもしれない。
「フィアは、お礼は大丈夫と言った」
「私がしたいの。いいことをしてもらったらきちんと返すのが、騎士の流儀だからね」
フィアとしては彼らをここへ連れてきたのはフィフスの頼みもあったが、他でもなく自分がそうしたかったからという自己満足的な部分も大きい。それ故に彼女から礼を受け取ることに抵抗があったが、彼女の性格は人畜無害な見た目とは裏腹にぐいぐいと押しの強いものだった。
「ということで、貴方に祝福を与えます」
「……っ、あ……」
《フィアはスキルポイントを200P獲得しました。
フィアの習得スキルリストが更新されました》
半ば押し付けられるような形で、フィアの身体が淡く輝き、どこからともなくファンファーレが鳴り響く。
そして続けざまにフィフスが「えいっ」と右手を振りかざすと、へリアルを除く一同の身体までも同じ輝きを放ち、ウインドウ画面に映し出されていくテキストが怒涛の勢いで流れていった。
《フィアはスキルポイント800Pを獲得しました。
フィアの習得スキルリストが更新されました。
レイカはスキルポイント800Pを獲得しました。
レイカの習得スキルリストが更新されました。
ペンちゃんはスキルポイント800Pを獲得しました。
ペンちゃんの習得スキルリストが更新されました》
「こっちは、幻魔アンドレアルフスの魂を救ってくれたことへのお礼だね。かの幻魔を救済してくれた皆さんには、本当に感謝しています。ルディアに代わってお礼を言わせてください」
立ち上がったフィフスが、改まった態度で一礼すると、フィア達に向かって感謝の意を伝える。
それに対して呆気に取られるばかりだったのは、フィアを含めた二人と一羽の方だった。
「は、800ポイント……!? このSPはちょっと多すぎやしませんかねフィフス様!」
「随分と大盤振る舞いですね……なんて気前のいい」
「……そう、かな? だけど幻魔アンドレアルフス・ネクロスは、本当なら私が浄化しなくちゃいけない相手だったと思うから。ちょっと依怙贔屓しちゃったかもしれないけど、他のみんなには内緒だよ?」
今しがた彼女から受け取ったスキルポイントが破格な量であることは、プレイ歴の浅いフィアにもわかることだ。
それを感謝の証として惜しみなく振る舞い、茶目っ気を見せながら笑う彼女の姿を見て、フィアは改めて彼女がどういう存在であるかを理解した。
「フィフスは、天使?」
「んー、種族的には天使みたいなものかもね。だけど私から見たら、フィアちゃんの方がよっぽど天使だよ」
「たしかに」
背中から展開した四枚もの純白の翼――今は傷ついているそれを心なしか寂しげに広げながら、フィフスがフィアに言い放ち、ペンちゃんがさも当然とばかりに同意する。
そんなこと……とフィアが否定の言葉を返そうとした瞬間、フィフスがフィアの身体を包み込みように抱きしめてきた。
「ん……」
「悪いけどフィアちゃん、ちょっとだけぎゅっとさせてくれないかな? 私にもわからないけど、なんだかそうしたい気分なんだ」
「……うん、いいよ、フィフス」
フィアより一回りだけ大きいフィフスに抱擁されながら、フィアは慈しむようにその背中を撫でる。
彼女が突然このようなことをしてきたのか――その理由はもしかしたら、ヘブンズナイツとして活動していく中で人恋しさを感じていたのかもしれない。
それが、疲弊した今になって隠し切れず、思わずと言った具合に……と、フィアはそう解釈していた。
――キズナも、そうだったのだ。
苦しい時でも悲しい時でも微笑んで誤魔化していたあの子は、ユウシが兄としてこうしてあげると途端に我慢していたものが溢れるように涙を流していた。
反対に、ユウシが憎しみに囚われ、自分を見失いそうになった時は彼女がこうして抱き締め、意識を取り戻させてくれた。
その時のことを――もう帰ることはできない時を思いながら、フィアはかつての妹と同じ姿を彼女に見た。
「……守るさ」
思わず零れてしまった声は、はたして誰が放った言葉だったのか――当人がそれを自覚することは、まだなかった。