東條ルキ――おさげ髪の青眼少女は自身の名を勿体ぶることなく紹介すると、志亜に対して営業スマイルとはまた別の柔和な笑みを浮かべる。
志亜もまた同様に自己紹介し、穏やかな挨拶を交わした。
彼女に対して、志亜はおよそ会ったばかりとは思えないような妙な親しみやすさを感じていた。それは先ほど自身があのゲームで共に冒険をしたフレンドの名で呼んでしまったことに起因しているのだろう。
「あの……もしかしてルキさんは、ペンちゃん?」
「な、何のことかな? 麗しのコウテイペンギンに中の人などいないさ!」
「……志亜の勘違い? ごめんなさい、ルキさん……」
大して根拠があったわけではない。
ただその雰囲気や声が、どことなくあの優しいペンギンに似ているような気がしただけという、実にふわふわした感覚だ。
知らぬ者が聞けば意味のわからない問いに対して、当然のように否定の言葉を返すルキに志亜はおかしな質問をしてしまったことを謝罪した。
しかし、そんな二人の会話にクレナが颯爽と割り込んできた。
「いや、あっている。そいつは何故かペンギンの着ぐるみを着てゲームをプレイしている、HKOユーザーの一人だ」
「!?!? クレナ! 貴様ァー!!」
「流石ですね、ユウシ。一目で見抜くとは」
何の躊躇いも無く彼女の正体を明かしてみせたクレナに、ルキは額に青筋を浮かべて怒鳴りつけた。
……衝動的に訊ねてしまった質問だが、ゲームのことをいきなり詮索したのは明らかなマナー違反であろう。
寧ろ自身の正体を自分から堂々と告白しているレベルにわかりやすい反応を見せたルキの姿を見て、志亜は心から申し訳ない気持ちになった。
誰にだって、知られたくない秘密はある。そのことで深々と頭を下げた志亜は、せめてものフォローとして彼女に言い放った。
「志亜は志亜、フィアはフィア。ペンちゃんはペンちゃん。ルキさんはルキさんだから……志亜は気にしないよ?」
ゲームでの自分と現実世界での自分。そこに明確な線引きをする者もいるのだろうが、志亜は仮にルキがペンちゃんだろうと邪な思惑を抱くことはない。
それは、正直な気持ちだった。
「ただ志亜は、貴方に会えて嬉しい。こっちでも……志亜と、フレンドになってくれますか?」
志亜が訊ねたのは、思ったからだ。ゲームで自分に良くしてくれて、一緒にいて楽しかった彼女とは、これからも良い関係を築いていきたいと。
昔の志亜であれば、あり得なかった積極性であろう。
この時、志亜は初めて、友人を作る為に自分から歩み寄ったのだ。
そんな志亜の言葉に、ルキはクレナを睨んでいた凄まじい迫力が嘘のように沈静化し、呆けた顔で志亜の目を見つめていた。
「……天使やんけ。そらクレナもレズになるわ」
「私は同性愛者じゃない」
何故か怪しい関西弁で呟くルキに、クレナが溜め息をつく。
クレナの冷静なツッコミを無視しながら、ルキは満面の笑みで応えた。
「もちろんだよ、志亜! しかし河川敷で会った時は驚いたよ。まさか本当にフィア……アバターとリアルが同じ姿なんて思わなかったから」
潔く自分がプレイヤー・ペンちゃんであることを認めた瞬間である。それほどまでに、彼女にとって志亜の言葉は甘美だったのだと思える。
「ん……意外?」
「意外って言うか、なんて言うかこう……こっちの願望通りだったことにまずビビった」
「志亜も、ペンちゃんが美人さんで驚いてる」
「はは、こやつめ」
ゲームでの気さくさをそのままに、素の彼女はペンちゃんの時と同じ態度で志亜に接して和んでいる。
何分ゲームではコウテイペンギンの姿である為に、現実世界での見た目の印象は大幅に変わっているが、やはりどことなく面影があるような気がした。
存外、世間は狭いようだ。
ペンちゃんが目の前の少女であり、クレナとも親交を持っていたことを知り、志亜はその関係性を感慨深く思った。
「ルキさんとクレナも、友達?」
「んー、友達……ってのはどうなんだろうな? クレナ」
ユウシが記憶している限り、クレナの性格はお世辞にも社交的とは言い難い。
ユウシの魂を持つ志亜だからこそ彼女はこうして心を開いているが、基本的には気難しい人間だと言っていいだろう。そんな彼女と仲が良い友人と言うと、志亜はペンちゃんのことを度外視しても興味深い存在だった。
そんな彼女らの関係に対して質問してみると、ルキがまたしても答えづらそうな顔を浮かべ、クレナがそんな彼女の代わりとばかりに口を開いた。
「ルキは召喚勇者の先輩だ」
「えっ……」
それは、全くもって予想外な答えだった。
召喚勇者の先輩、その言葉を聞いただけで、ユウシの記憶が蘇った今の志亜には彼女の立場を悟ってしまった。
フィクス帝国では定期的に行われていた強制的な異世界召喚。それはユウシ達の代以前にも行われていたことであり、彼女はその先代勇者の一人だと言うのだ。
年齢的には随分若く見えるが、もしかしたら彼女は、あの黒崎ソロが巻き込まれた代の勇者なのかもしれない。
一種の爆弾のような情報が惜しみなく投下された時、ルキは再び血相を変えてクレナに掴みかかった。
「おおい!? 何言ってんだあんた!」
「大丈夫だ。ユウシ……志亜も、私と似たような立場だから」
「なっ……どういうことだ?」
一触即発の雰囲気になったが、彼女が志亜の素性を明かすとルキは冷静さを取り戻す。
しかしそこから先の話は志亜自身すえつい先刻知ったばかりの情報であり、慎重な話題である為にクレナは志亜の許可を窺った。
「彼女に話していいですか、ユウシ」
「いいよ」
その窺いに、志亜は二つ返事で快諾した。
志亜としては相手のデリケートな情報を自分だけ一方的に知るのは悪いことだと思っていたし、彼女とはこれから先友達付き合いをしていくのなら話さなければならないことだと思っていたからである。
もちろん、ペンちゃんを通して彼女が優しい人間だと信じているのも大きな理由だ。
クレナもまた、そう思ったからこそあえて堂々と明かしたのだろう……と志亜は思う。
そしてだからこそ、志亜はそこまで気にかけてくれる彼女の気持ちが嬉しくなった。
「……? 何故、嬉しそうに」
「クレナにも信頼できる人がいることが、嬉しい」
「……っ、そういう関係でもないのだが、まあいいか」
クレナにとって特別な存在であるユウシの存在。
それを自分から語ろうとする相手もまた、特別な存在なのだろうと志亜は察する。
少なくとも、彼女が心の底から東條ルキという人間のことを信用していなければ明かす必要はなかった話だった。
今の彼女にもそういった、自分で言うところの麗花のような存在がいることが志亜には嬉しかったのだ。
そうして、クレナはルキに語った。
かつて、シライシユウシという勇者がいたことを。
そのユウシがこの世界に生まれ変わり、双葉志亜としてここにいることを。
志亜が先刻その真実を思い出し、クレナもまた彼の存在がここにあることを知ったこと。
二人が再び巡り会い、共にいることを誓ったことをクレナは簡潔に語った。
それらのことを一通り語り終えた頃には、ルキの目には涙が浮かんでおり、彼女はそれをエプロンの裾で拭っていた。
「……そういう、ことが……っ」
――感涙である。
そんなルキの反応に志亜が慌てふためき、クレナが口を開いた。
「……何故泣く」
「泣くよ! 前世で死に別れた恋人同士がやっと会えたなんて……私、こういうのに弱いんだよっ!」
確かにそのような言い方をすれば、今の志亜とクレナの出会いはあまりにもドラマチックであろう。
非業の最期を遂げた二人の魂が、今この世界で再び巡り会えたのだ。
それはまさしく運命的で、愛の奇跡という表現が当てはまってしまう状況だった。
「良かったなぁ志亜! 本当に……!」
「う、うん……ペンちゃん……ルキさんは、喜んでいる?」
「喜ぶに決まっているだろう! ……やっとわかったよ、君のことがなんとなく放っておけないと思ったのは、そういうことだったんだな……」
「気持ち悪く、ない? 志亜のこと……」
「そんなこと言う奴がいたら、私がぶっ凍らせてやる」
志亜としては自身のことを明かすことに少なからず不安もあったが、彼女からは特に気にした様子も見受けられない。驚くほどの理解の良さだった。
クレナはそれをある程度予測した上で話したのだろうか。クレナは志亜の事情を知っても至って友好的に接する彼女を見て、安心したように息を吐いた。
「寧ろコイツの方が気持ち悪い。ユウ……志亜に対して妙に優しすぎる」
「それはあれだ。この子は私の中の母性的な何かをかき立てるのだよ。仮に前世が野郎だろうと知ったことじゃないわ」
「ユウシ、この女は危険です! この女は貴方の母親になろうとしている!」
「クレナ、錯乱しちゃ駄目っ」
「……結構愉快な奴だったんだな、あんた」
「何が?」
「別に~……おっ、もう時間過ぎてる」
「サボり過ぎだ」
「あんたらにクレープ運んだ時にはもうほとんど終わってたからセーフ」
話し込んでいる間に、どうやら彼女のバイトの時間は過ぎていたらしい。時計を見てそれに気づいたルキは軽く伸びをしながら身体の疲れをほぐすように肩を回すと、洋菓子屋のバックルームに戻ろうとする中で志亜達に言った。
「あんたら、今から水族館を回るなら私も邪魔していいか?」
何の構えも無い、気安い言葉だった。面倒な性格をしている志亜としては、憧れを抱くほどスマートな態度だ。
そんな彼女の申し出に、志亜は当然の思いで応えた。
「もちろん、志亜はルキさんと一緒にペンギンを見たい」
「ほほう! ここのことはクレナよりもずっと詳しいからな、お姉さんがおすすめのコースを案内してやろう! あと解説とか色々する!」
「ペンギンオタクめ……」
ゲームでもあのようなアバターをしていたのだ。こちらでも彼女のペンギン愛は並大抵のものではないらしく、志亜の口からペンギンの名が出てきた瞬間、彼女は青い瞳を輝かせながら嬉々として応じてくれた。
ちょっと待っていろと言い残すと、ウキウキと小躍りしながらバックルームへ歩いていく姿は容姿と相まって妙に優雅であり、そんな彼女の姿に見惚れたのか洋菓子屋の客足はより多くなっている始末である。
少なくとも、看板娘としての役割は十二分に果たしているようだった。
まあ、機嫌が良いことは悪いことではない。
クレナとしては少々調子に乗り過ぎではないかと呆れる思いもあったが、あのような彼女だからこそ
何だかんだで、それだけの信頼を彼女には置いているのだ。
自分達と似たような過去を持つルキならば、志亜のことを知っても余計なことを考えることはないだろうと。
尤も、今ここで早々に対面することになったのは想定外だったが。
椅子の背もたれに寄り掛かりながら、クレナはようやく一心地ついた思いでバナナクレープに手を付ける。志亜の境遇を明かした時は内心どうなることかと気を張りつめていたクレナだが、何より志亜自身が新しい友人が出来たことを喜んでくれたことが、クレナには嬉しかった。
しかし、嬉しそうな彼女にそんな安らぎを感じていた矢先だった。
クレナはこの水族館にいた「注意すべき存在」の気配を初めて感じ取り、大きく目を見開いた。
「……!」
「ん……クレナ?」
そんなクレナの異変に、志亜が小首を傾げる。
そしてその志亜の目もまた、クレナの座る席の後方に立っている
「……浮かれていたな、私は。あの人達がいたことに気づかなかったなんて」
完全に浮かれていた――故に監視の目を離していた。
これさえも皇ソロに仕組まれたことだと考えてしまうのは、疑い過ぎだろうか。
しかしそう考えてしまうほどに、そのタイミングはあまりにも良過ぎたのだ。
クレナは席を立って後方へ振り返ると、志亜の映す視線の先にいる二人の姿を見据える。
そこには――いた。
フードコートの一角で、注文を待って並び立っている少年と少女が。
二人ともクレナがよく知る彼らより若い為かまだあどけない姿をしているが、紛れも無く「同じ人物」である。
この平和な世界で仲睦まじく談笑している兄妹の姿が、クレナと志亜のいるこの場所にあったのだ。
「ユウシと……キズナ……?」
茫然とした表情で、志亜が震える。
何の因果であろうか。この時代を生きる二人もまた、
自分であり、自分ではない少年白石勇志。
そんな彼に対して、一点の曇りもない満面の笑みを浮かべている少女白石絆。彼女が今兄に対して浮かべている眩しい笑顔は、かつてのユウシがずっと取り戻そうと命を懸けてきた大切な宝物だった。
――前世で願ってやまなかった幸せな光景が、そこにあったのだ。
それを
だが――
「……大丈夫だよ、クレナ」
「ユウシ……」
志亜もまた、笑顔で二人の姿を見守っていた。
慈母のように穏やかで優しい慈しみの笑みだ。
それはクレナを安心させる為に作られた表情ではなく、心から幸せに思っていることが読み取れる本物の笑顔だった。
この世界では同性である筈なのに、思わず心魅かれてしまう。その顔は、かつてアカイクレナが命を懸けて取り戻そうとしていた青年の姿でもあった。
「……いいんですか?」
「うん、いいの」
この世界での自分達と、会いに行かなくてもいいのだろうか。気を利かせたつもりでそう訊ねたクレナの言葉に、志亜は静かに首を振った。
今はいい――ここにいることがわかったから、それでいいのだと。
もう志亜は、自分を見失うことはない。
皆と一緒に死ねなかったこと。
償いも出来なかったこと。
生まれ変わったこと。
生きていること。
そして、人並みの幸せを求めようとしている自分を。
矛盾だらけで身勝手な自分だからこそ、志亜は言えた。
「志亜は……志亜だから」
それが、志亜が今の人生で導き出したたった一つの答えだった。
(そうだよね、
――今はさようなら……だけど、忘れない。貴方がいた証が、志亜だから。
その問い掛けに自分の中の「彼」がゆっくりと頷くのを感じながら、志亜は自らの瞳に映る幸せそうな兄妹に祝福を贈った。
水族館の地下深く――「SOLO」の社長室の中で、青年皇ソロが一服する。
普段は滅多なことではタバコを吸わないようにしているのだが、この時ばかりは吸わずにはいられなかった。
彼が今抱いている感情は、純真無垢な乙女の心を誑かした悪いおじさん――自分自身に対する自己嫌悪的なものだった。
「ユウシの器が、あそこまでかわいい子になっていたとはね……」
いっそ彼女が紅井クレナのようにかつての彼と同じ人格を持っているのであれば気も楽だったのだろうが、どうにも先刻あった少女にはその様子が見られなかった。
彼女は自身の存在を志亜は志亜、ユウシはユウシとはっきりと分別していたのだ。
まるで別人のような人格を持っていて、それでいて、自分と同じぐらい深い闇を心に抱えている。
そんな彼女のことを考えながら煙を吹かしていた彼の後ろで、
「うそつき」
抑揚のないその声を受けて少女の存在に気づいたソロが、内心慌ててタバコを灰皿に詰めると、彼女の側へとゆっくりと振り向く。
雪のような白い髪を踝付近まで伸ばした、可憐な少女がそこに立っていた。
「嘘は嘘でもね、優しい嘘というものがあるんだ。それもまた、人の優しさの一つだよ」
「? うそなのに、優しい? うそつきは優しい? 優しい人間?」
「そういうわけでもないんだけどね……真実を包み隠さず伝えることは、時に悪いことにもなるってことさ」
「本当を知ったら、シアは悲しむ? 悲しいは、苦しい?」
先刻双葉志亜達と話していた時には、この部屋にいなかった少女である。
彼女は表情の変化に乏しいながらも、ソロの言葉に興味津々と言った様子で耳を傾けてきた。
「少なくとも、今の時点では危ういだろうさ。前世のことをある程度思い出しただけで、あそこまでいっぱいいっぱいになっていたんだ。あれ以上の情報を与えたら、流石の
「むむむ……」
彼女の言葉に弁明するようにソロが語ると、白い少女は表情一つ変えないながらも右往左往した反応を見せる。
……こうして見ると、少し頭の弱い女子中学生にしか見えないのだから不思議なものだ。
目の前の少女に対して不敬ながらそう感じてしまったソロは、心なしか残念そうに言葉を紡ぐ彼女に苦笑を浮かべて応じた。
「……難しい、感情。人間は、難しい生き物」
「本当にね。人間のことを全部わかってる人間だって、そうはいないものさ。この世界に完全な正しさなんてないことは、こうして僕達を生まれ変わらせた以上貴方にもおわかりの筈です」
哲学的なことを語る自分にソロは我ながら似合っていないなと苦笑するが、その言葉を真に受けて頭を抱えながらうーうーと唸り続けている少女に対し、相応の敬意と畏怖を払っているのもまた確かだった。
そんなソロは少女の名を――この世界には存在しない身でありながら、この世界の形成に誰よりも深く関わっている存在の名を呼んだ。
「そうでしょう? 生命の神フィアルシア」
ソロが神の名を呼び、神は伏せていた頭を上げる。
――神と呼ばれた少女の顔は、
【第2章 Endless Masquerade】Fin.
NEXT【第3章 Crimson Heat】
これにて二章終了です。
この後志亜やクレナ以外の視点で、彼女らに振り回される周りの人達みたいな話をいくつか出すつもりです。