天阜嶺
その一角でテーブルを囲みながら、志亜とクレナが向かい合って腰掛けていた。
食事を取りながらもペンギンが遊泳している水槽を眺めることの出来るこの場所は、
そんな志亜は、まるでファンサービスというものを熟知しているかのように観光客の前で優雅に泳ぐコウテイペンギンの姿に目を映した後、自身の手に持つ一枚のカードへと視線を落とした。
「えんどれす、ますかれーど……」
そのカードに書かれた「ルディア文字」を読み取ると、志亜は少々呂律の回っていない声で読み上げる。
この世界にはない異世界、フォストルディアにおける公用語でテキストが書き綴られているそのカードには、それぞれに黒と白の仮面をつけた鎧の騎士が槍と剣で鍔迫り合いをしているイラストが描き込まれていた。
一見すればそれは、何かのトレーディングカードのように見えるだろう。
背景ではまるで世界の終末のような天変地異が巻き起こっており、思わず目を引き込まれてしまう禍々しさだった。
《エンドレス・マスカレード
たとえ世界が終焉を迎えようとも、彼らの仮面舞踏会は終わらない》
ルディア文字で書き綴られていたカードのテキストには、そんな言葉が意味されていた。
そのような一文をすらすらと苦も無く翻訳出来てしまうことが、今の志亜の心にシライシユウシがいることの何よりの証であろう。
エンドレス・マスカレード……終わりなき
「……どうせ、深い意味はありませんよ」
そんな志亜の様子を見かねたのか、ストローを通したイチゴジュースを手元に置いたクレナが言う。
ややぶっきらぼうな物言いであったが、それが彼女なりに励ましてくれているのだということが志亜にはわかる。
「それはあのゲームで使う為のカードであって、ユウシへのメッセージでも何でもないです。アレのやることに、深く考える必要はありません」
「クレナ……うん、ありがとう」
彼女の言葉に礼を言い、志亜は何となくの気持ちでカードの表面を撫でる。
そしてつい先刻、地下にあるSOLOの本社の一室でソロから聞いた話を思い出した。
『これを君に』
『えっ……?』
志亜の用件が済み、社長室から出ようとした時、別れ際のソロがそう言ってこのカードを手渡してきたのである。
「HKO」と同じく「SOLO」が製作を手掛けているVRカードゲーム、「T&S」にも似た造形のカードは、彼が言うには「HKO」で使う為の「イベントカード」というものらしかった。
「HKO」を起動する為のゲームハード、VRギアには通常のプレイではあまり使われない挿入口がある。
ゲームを起動する前にその挿入口へ専用のカードを挿入することによって、「HKO」内で特殊なイベントを発生させることができるのだと彼は言っていた。
『どうかお友達と一緒にプレイしてほしい。君の他に、三人までは一緒に楽しむことが出来るよ』
今回の件で志亜にトラウマを引き起こし、脳波を乱してしまったことのお詫び、という
「HKO」の真実を知った今、志亜にはあのゲームをやめる理由は無く、寧ろ前よりも気持ち良くプレイすることが出来るような気がしている。
そんな矢先に受けた彼からの優遇措置には気後れする部分があったものだが、「今回の件の口止め料としてどうか頼む」と頭を下げられては受け取らないわけにもいかなかったのだ。
確かに客観的に考えれば、志亜が特殊な人間だからと言って自社の製品で利用者に心理的な外傷を与えたことに違いはない。大人の事情を鑑みればこの程度の対応では不足にもほどがあるとクレナはここぞとばかりにソロに言い咎めていたが、志亜には彼ら「SOLO」を糾弾する気はなかったし、これからも楽しいゲームを作ってほしいと思っていた。
そんな経緯を経て受け取ったカードを懐に収め、志亜はフードコートの洋菓子屋で買ったイチゴジュースを一口喉に通す。
自分が思っていた以上に、大分疲れていたのだろう。喉から染み込んでくる甘ったるさが、今の志亜にはいつも以上に味わい深く感じた。
糖分を摂取したことで思考が落ち着いてきた志亜は、目の前の少女紅井クレナの様子を見てふと思う。
話している時の彼女の呂律が、随分と饒舌になっているのだ。
「クレナ、喋り方が最初と違う」
「……? ああ、そう言えば……翻訳魔法も使っていないのに」
志亜とどことなく似ていたたどたどしい喋り方だった筈が、今は何の問題も無くスラスラと話せている。
その事実を志亜に指摘されて、彼女自身も今気づいたように眉をひそめた。
そして、何かを思い出すように語る。
「……魂の定着か」
「え?」
「いえ……これはアレが言っていたことなんですが」
彼女が毛嫌いしている魔王ソロ――皇ソロの弁である。
いわく以前のクレナや今の志亜の言葉がたどたどしく、上手く呂律が回らないのは、前世から記憶を受け継いだ者特有の症状なのだという。
それには前世の魂が完全に定着していないことが起因しており、思考と肉体が完全に一致していない故に、思ったことを上手く言葉にするのが難しくなっているのだそうだ。
尤もそれは訓練をすればどうにでも治すことは出来るようだが、クレナの場合は志亜との対面が完治への切っ掛けになったらしい。
「アレの言ったことが正しければ、私はユウシがそこにいることを知って、この魂が完全に定着したことになる。だとするのなら、それは……アカイクレナにとって、ユウシは自分自身の半身みたいな存在だからではないでしょうか?」
僅かに頬を赤く染めながら、クレナは志亜の顔を見て語る。
アカイクレナにとって、ユウシの存在は半身だった。なるほど確かにそれならば自分自身の肉体がようやく揃ったことになり、その魂が定着するのも道理――道理? 少し疑問に感じながらも、志亜は彼女の想いを聞いて納得してしまう。
理屈では不可思議でも、感情では納得出来てしまうのだ。
それほどまでに彼女、アカイクレナは彼のことを愛していたのだろう。
「……大好きだったんだね」
前世の「彼」にも、やはり希望はあったのだと今ならわかる。
志亜はこの十五年で恋をしたことは無いが、彼女の純粋な好意を受ける彼のことを自分事のように照れくさく感じた。
「貴方がそこにいることを知った時、私はこの世界で初めて本当の安心を感じたんです。オーディスを倒した時にもなかった……本当に、全てが終わったんだなという安らかな気持ちを」
「オーディス、倒した?」
「はい……私がアカイクレナの記憶を――魂を受け継いだ時、真っ先に行ったのは異世界召喚の根絶です」
そして、クレナは語った。
自分が前世の記憶を受け継いだのは今から一年前のことで、志亜とは違ってかつての「力」も受け継いでいた彼女が選び、行った活動のことを。
「それから召喚魔法に狙われていたこの時代の貴方を助けたり、色々あってあの世界に行ったり……フィクス帝国と戦って、オーディスを討ちました」
「っ……戦ったの?」
「ええ。白石勇志と絆のことだけは、もうどこへだって行かせたくなかったから」
「………………」
彼女は……彼女はまだ、戦っていたのだ。
誰も知らない世界で、大好きだった人達の為に。
この世界が前世より前の時代であることを知って、二度とあの歴史を繰り返させない為に武器を取った。
そして、彼女はこの時代の勇者達の未来を切り開いたのだと知り――志亜は思わず立ち上がり、涙に潤んだ目で彼女を見つめた。
「ずっと、守っててくれたんだね……」
記憶を失い、苦しんでいただけの志亜とは違って、彼女は自分の意志で戦い、彼らの為に行動に移した。
それを無鉄砲で野蛮なことだと責めることはしない。
なんて危険なことを……と彼女の身を案じる気持ちはもちろんある。また彼女を戦いに駆り立ててしまったのかという激しい無力感も。
だが何よりも、彼女に伝えたいことはそれらとは別の気持ちだった。
その時、志亜と志亜の中にいるユウシの言葉は完全に一致する。
「ありがとう、クレナ。みんなの居場所を、守ってくれて」
ただ一言に万感の思いを込めて、志亜は感謝の気持ちを伝える。
何の力も持たない今の自分では出来ないことを、彼女はその手でやってくれたのだ。
たとえその手がこの人生でも血に染まっているのだとしても……自分だけは慈しみ、握りたいと思う。
自分だけは彼女の味方でありたいと――彼女の前で優しいユウシでありたいと、志亜は思った。
そんな思いで志亜が微笑みかけると、一瞬呆けた顔をしたクレナが天を仰ぎながら目を閉じる。
しばし感慨に浸るように沈黙を置くと、彼女は心なしか涙ぐんだ声で呟いた。
「……この為、だったんですね。私がこの世界に来た意味は」
そして、再び視線を合わせてクレナが笑う。
まるで憑き物が落ちたように、張りつめたものが解けた清々しい表情だった。
そんな彼女の表情に見惚れるユウシの感情を心に抱きながら、その心に溺れてしまうのは駄目だと感じた志亜は一つ、クレナに対して物を申した。
「敬語」
「え?」
「志亜は、志亜。だから……敬語は、しなくていいよ」
それは、譲れない線引きだった。
自分が前世のままのシライシユウシであるならば、ここで彼女を抱きしめてキスの一つでもしていたのかもしれない。
しかし、今の自分はどこまでいっても双葉志亜なのだ。
彼女にユウシと呼ばれることは一向に構わないが、彼女とは双葉志亜としてこれから付き合っていきたいというのが志亜の紛れもない本心だった。
そんな志亜の珍しい主張に、クレナは自分でもどうすればいいのかわからないと言いたげな苦い笑みを浮かべる。
「難しい、な……姿形も人格も全く違うのに、知ってしまうとどうしても貴方の姿がチラついてしまう」
それはきっと、彼女にしかわからない視点であろうから志亜に矯正することはできない。
だが否定的でないだけで、志亜にはそれで十分だった。
「まあ、努力はしてみるよ。よろしく頼む、
「……っ、うん!」
ユウシと志亜を同一に思いながらも、志亜の頼みを聞いてくれた。
そんな彼女の強さ。かつてユウシが惹かれた熱情に嬉しくなり、志亜はぱあっと満面の笑みを浮かべて頷いた。
――大切な人と、またわかりあえたのだ。
初めて友人が出来た日と同様に、その日は志亜にとって最高の一日となった。
そんな、フードコートの中で一際異彩な空気を漂わせている二人のテーブルの前で、所在なさげに佇んでいる少女がいた。
「うわあ……なんかすごいもん見ちゃったぞ。これ入っていい? お姉さん注文持ってきたんだけどすごく入りづらい」
洋菓子屋の店員の制服を身に纏っている少女の手には二人分のクレープが乗せられたトレイが抱えられており、今しがた二人の元へ運ばれようとしていたのがわかる。
しかしその姿には、何やら二人の少女が放つ怪しい雰囲気に気後れし、困惑している様子が見て取れた。
キマシタカ? キマシタワ……と、何やら解読不能の呪文をブツブツと呟く彼女の存在にようやく気づいたのか、紅の少女クレナが深く溜め息をつく。
「……何をやっている、ルキ」
「バイト」
クレナはバイトだと言う彼女と顔見知りだったようだ。
どんな人なのだろうかと失礼ながら志亜が顔を覗き込んでみると、その店員は以前生物部のボランティア活動で出会った少女と同じ人物であることがわかった。
「貴方は、この間も、クレナといた?」
「おう、君はフィ……志亜ちゃんだったね。いや、すまんね。コイツが人と仲睦まじそうにしているところなんて初めて見たから、ビビッて注文渡しそびれた。ほら、バナナクレープ二丁お持ちしました」
「ん、ありがとうペンちゃん……あれ?」
サファイアのように青い瞳を持つ、おさげ髪の可憐な少女。
クレナに劣らず妖精のような容姿をしている彼女は、ペンギンのプリントがあしらわれた制服を着ている装いが妙に似合っており、志亜は何故かそんな彼女の姿に不思議な既視感を感じた。
今、自分は何と呼んだのだろう? 自分自身で己の言葉を振り返る志亜に、少女はどこか引きつった笑みで言い放つ。
「ハハハ、何を言っているんだい? いくらここがペンギン水族館と言っても、私はペンギンではないよ。私はコイツのクラスメイトであり、通りすがりの美女だ」
「はあ……」
「オイコラ、なんだその溜め息は」
「ややこしい奴が来た」
二人のやり取りを冷めた目で流し見しながら、クレナは彼女から受け取ったバナナクレープを齧る。
しかしそんなクレナに対し、少女は何故か胸を張り、勝ち誇ったように笑った。
「ふっ」
「……なんだ?」
ひっそりと、耳打ちするように彼女は言った。
「ロリコンのレズとかやべーなあんた」
「は?」
火の玉のような一撃だった。
この場において今一つ空気を読むことが出来なかった少女の言葉は、しかし客観的な意見としてはこれ以上なく的確なものであり――その事実に初めて気づいたクレナは、彼女の頭に無言の拳骨をくれてやった。
照れ隠しなどではない。ただ、お前は黙っていろという抗議の拳骨である。理不尽だった。
おおう……と全く効いていないであろうに頭を押さえながらオーバーリアクションでうずくまる少女に、志亜が心配そうにわたわたと駆け寄る。
そして、クレナがもう一度溜め息をついた。
彼女なりの――平和な時間の到来である。
因みに志亜の言葉がたどたどしいのは魂の定着とは関係ないです(∩´∀`)∩
次の次辺りからようやくタイトルの展開に持っていけそうです。
団長リスペクトで連載再開した本作ですが、一番モデルにしてるのは新機動戦記だったりするここだけの話。