魔王ソロ――本名は黒崎ソロ。欧米の血を引く彼は元々はれっきとした人間であり、ユウシ達と同じ日本人だった。
そんな彼の人生は、幼少時代から苦難に覆われた闇の深い人生だった。
幼くして母親を病気で亡くし、父子家庭で過ごしていた幼少時代。他の子供達とは違うハーフであることも相まり、幼年時代のソロは心無いいじめの標的となって孤独な日々を送っていた。
――そんな時に出会ったのが、シライシユウシという少年である。
ユウシだけはいじめを受けていた彼のことを見て見ぬふりをすることなく、その正義感からいじめの主犯に一人で立ち向かい、ソロのことを庇ってくれた。
彼だけはソロのことを差別することもなければ、その境遇から腫れ物することもなく――至って自然体で接してくれて、純粋に心を通わせ合いながら、いつしか親友と呼べる関係になっていた。
「……貴方はユウシにとって、初めてできた友達だった」
「僕にとってのユウシもそうだ。キズナちゃんも合わせて、三人でたくさん遊んだね」
本当に、仲良かったよ……そう言って、ソロは遠い昔のことを懐かしむように笑った。
しかしその笑みは二度と戻れない過去だと割り切っている上の、儚い感情によるものだった。
八歳までの幼年時代――それが、黒崎ソロが普通の人間で居られた幸せな時間だった。
「だけどそんな日々は、父の転勤の都合で引っ越すことになり終わってしまった。友達だった僕らは、名残惜しみながら別れた」
「離れ離れになった……その後、だった?」
「ああ、その後だった」
ユウシの記憶を取り戻した今の志亜は、かつての世界でソロが辿った人生を知っている。
その知識をお互いに擦り合わせていくように、ソロはかつての自身の身に起こった激動の出来事を語っていった。
「君達と別れてすぐだった。当時の僕はゼン・オーディスの召喚魔法に巻き込まれ、異世界フォストルディアへと強制召喚された」
「……貴方も、元々はユウシと同じだった」
「同じ……というには微妙なところでもあるけどね。何せ、召喚された当時の僕はまだ八歳で、いくらなんでも幼すぎた」
ソロもまたユウシ達と同じく、ゼン・オーディスによって異世界召喚された人間であり、ユウシ達より前に召喚された人間だったのだ。
最終的にはユウシが復讐者となって刺し違えた召喚師、ゼン・オーディス――その姿と名前を完全に思い出した志亜は、ユウシの心が今もなお彼に対する憎悪を抱いていることを知覚していた。
――憎い、は悲しいけど……志亜も、あの人は怖い。
そんなゼン・オーディスと、彼を筆頭にした召喚師の大国「フィクス帝国」の存在は、ユウシ達に幾度となく苦しみを与え続けていた。
そして、後に「魔王」となる黒崎ソロもまた、かの帝国に人生を狂わされた人間の一人だった。
「あの時の彼にとって、その時の僕は本来召喚する予定の人間ではなく、ルキ……本命の勇者にくっついてきただけのおまけに過ぎなかった。だから本来ある筈の勇者の資質も持っていなかったし、勇者以上にぞんざいに扱われたものだよ」
勇者の資質――それは異世界召喚された地球人にのみ発現する「
ユウシの場合は人の死を己の力に変える「死の力」、キズナであれば人の命を癒す「生命の力」、クレナであればあらゆる穢れを浄化する「浄化の炎」という異能が発現するように、勇者の資質を持つ者は個人の特性に応じた能力を得ることが出来る。
しかし八歳の幼さで召喚された当時のソロは肉体的に未熟すぎたこともあってか、本来の召喚勇者達のように「C.HEAT」が発現することはなかった。
それは、今となっては幸運だったのかもしれない。そう続けて、ソロは当時のことを語る。
「そんな僕は一緒に召喚された勇者達とは違って、戦場ではなく帝国の研究室に送られた。連中の実験でモルモット扱いされていたあの日々は、今でも時々フラッシュバックするよ……ああ、ごめんね志亜さん。気持ち悪い話だったね」
「ソロ……」
「まあ、戦場にぶち込まれなかっただけマシな待遇だったのかもしれないけどね」
召喚者が人として扱われないことは、フィクス帝国では頻繁にある話だ。
帝国の召喚師というものは、召喚された者に対して絶対的な命令権を持っている。
その力に支配されていた幼いソロは、かつてのユウシ達が戦奴隷として戦いを強制されたように、彼らの実験動物として非人道的な扱いをされていたのだ。
それも、前世ではユウシが聞いたことのある話だった。故に志亜は驚くことはなかったが……彼の身を案じて泣き出しそうな目をしながら、彼女はソロの顔を窺った。
そんな志亜の様子を見て、隣のクレナが無言の圧力を掛けながらソロのサングラスを睨む。彼女の方は「お前なにユウシを曇らせているんだ」と――ソロの語る自身の過去に対して同情どころか批難の眼差しを浴びせていた。
対照的な少女の視線を注がれたソロは苦笑を浮かべながら、意図して明るい調子の声で続けた。
「そのあたりの自分語りは、今するようなことじゃなかったか。まあ、それから僕は十歳になるまでフィクス帝国で二年間モルモット生活をしていたんだけど、ある日テンさん……良心的な帝国兵との出会いや色々な偶然が重なって、僕は帝国から脱走することができたんだ」
――我ながら、波乱万丈の少年期だったとソロが振り返る。
「脱走した僕は追手から必死に逃げ回って……やがて力尽きて行き倒れたところを、親切なゴリラに拾われた」
「ゼクス・ゴリダルマン」
「ふふ……今聞いても名前通りの男だった。彼に拾われた僕は、三年間森の中で一緒に生活することになった。
僕はそのゴリラ――ゼクスさんから、フォストルディアで生きていくための術を教わった。そして十三歳ぐらいになったある日、僕の身体の中で、召喚直後にはなかった勇者の資質が目覚めたんだ」
帝国から脱走し、モルモット生活から脱却してから三年後、少年ソロは覚醒した。
勇者の資質が目覚め、彼にも「C.HEAT」が発現したのだ。
前世の彼が異世界で扱っていた万能に近い異能の名を思い出し、志亜が呟く。
「創造の力……」
「そう、「創造の力」――この力が及ぶ限り、あらゆる物質を創り出すことのできる「C.HEAT」能力。それが、覚醒してしまったんだ」
ある日突然芽生えた、超常の力。
彼に発現したそれは、数ある召喚勇者達の中でも際立って絶大な力を持つ異能だった。
その力が覚醒したことで、彼は異世界でも生きていくだけの力を手に入れることが出来たと言えよう。
万能に近い力があれば、その先の人生も楽に過ごせたと思う者もいるかもしれない。
――しかし彼にとって力の覚醒は、彼の人生をより狂わせる不幸の一つに過ぎなかった。
「……その力が、狙われた」
「ああ、帝国に隷属していない野良の勇者なんて、周りが放っておくわけがないからね。覚醒早々、帝国の追手どころか僕の存在に気づいた魔王軍から、当時の魔王「バアル」が直々に出向いてきて、いの一番に潰されてしまったよ」
「……っ……」
RPGのようにはいかないね。そう呟いて、ソロは苦笑する。
まさにゲームであれば、初めて町から出た主人公が開幕早々にラスボスの特攻を受けたようなものである。
いかに強力なポテンシャルを秘めた能力を手に入れたとは言え、当時のソロは実戦経験もなく相手は当代最強の力を持つ魔王。
少年ソロに勝ち目などある筈も無く、彼は取り返しのつかない敗北を喫することとなった。
「魔王バアルに負けた僕は彼に連れ去られ、記憶をいじられて、洗脳されて……いつしか彼の部下である恐怖の「黒騎士」として、バアルに仕えさせられていた」
「……ひどい、こと」
画面が暗くなってセーブ前に戻されるのは、ゲームの中だけの話だ。
現実で魔王に敗北した彼を待ち受けていたのは、ある意味ではその場で殺される以上の地獄だったのだろう。
「バアルか……」
当時の魔王バアルに洗脳された彼は、魔王軍の一員として人類軍と戦い、多くの命を奪っていった。
バアルにとって都合の良い道具として。その扱いは、かつてのユウシ達がフィクス帝国から受けていたものと何ら変わりはなかった。
しかし当時のことを語るソロの顔は、暗い過去を語る割にはどこか晴れ晴れとしたものだった。
――彼の人生は、そこで終わったわけではないからだ。
「でも、そんな僕の洗脳を解き、救ってくれた巫女がいた」
寧ろそこからソロの本当の人生が始まったのだと、振り返りながらソロが語る。
そしてその転機となった人物の名を、志亜が一人の少女の姿を浮かべながら言い放った。
「ロラ・ルディアス……あの人、だね」
「ああ、僕がこの命に代えても守らなければならなかったヒト――ロラとの出会いだ。彼女との出会いで、誰かの都合で振り回されるだけだった人生は何もかも変わった」
感謝と、愛情――その多大な二つの感情を込めるように、ソロは自身の愛する者の名を呼んだ。
ロラ・ルディアスとは「HKO」に出てきたロナ・ルディアスの元となった人物である。
その人格は時に博愛的で特に苛烈で、フォストルディアの中で唯一無二の輝きを放っていた女性だった。
彼女はソロにとって誰よりも大切な人物であり、ユウシ達にとっても特別な存在だった。
「ロラはあの腐り切った世界を変えようとしていた。人間も魔族も関係なく、誰もが血を流すことのない世界を目指して、対話の為に世界中を旅回っていた」
魔王バアルに仕える黒騎士として、ソロは神に仕える巫女ロラ・ルディアスと出会った。
しかしソロに掛けられたバアルの洗脳に気づいたロラは、彼の心を聖なる力によって浄化し、呪縛から解き放ってみせたのだ。
――その時から、望まずして魔に堕ちていた黒騎士ソロは人間である黒崎ソロに戻り、自分自身の存在を取り戻したのである。
そして、彼女の優しさに救われたソロは彼女の眩しい姿に亡き母親の面影を見出し、己の意志で思ったのだ。
「ロラに洗脳を解かれた僕は、彼女の平和に対する思いを知り……そんな彼女の力になりたいと思った。世界のことなんかは正直どうでもいいと思っていたけど、彼女を守る騎士になりたいと思ったんだ」
「ソロは……ロラ様のことが大好きだった」
「ああ、愛していたさ。彼女は荒んでいた僕の心を癒してくれた。何より生い立ち上、前世の僕は母性に飢えまくっていたからね。無性の愛で優しくしてくれた彼女に惹かれるのは、必然だったと思うよ」
それが、ソロが十六歳になった頃の話である。
そしてその年代は、丁度ユウシ達が次代の勇者としてオーディスによって異世界召喚された時でもあった。
かつて親友だった彼らが同じ世界に召喚された――そうなれば、やがて訪れる再会もまた必然だったのかもしれない。
「……僕が君達と再会したのは、彼女と一緒に旅をしていた時だったね。魔王軍と戦っている君達を見て、僕は我が目を疑ったよ。君達兄妹まで召喚されていたなんて、夢にも思わなかったから」
「ユウシ達も驚いた……でも、貴方に救われた」
「ああ……フォストルディアで再会した君達がオーディスに隷属の魔法を掛けられ、無理矢理戦わされていることを知った時……僕は君達を助けたいと思った。君達と過ごした時間は僕にとって、元の世界で唯一幸せな思い出だったから。元の世界に帰りたい気持ちは、父さんには悪いけどすっかり無くしていた僕だけど……君達だけは、何としてでも助けたかった」
彼らが再会したのは、お互いの年齢が十八歳になった頃のことだ。
ユウシ達の異世界召喚から二年が経ち、当初は十三人居た勇者達が五人まで数を減らした時代である。
フィクス帝国の命令を受けて、満身創痍な身体で魔王バアル城に乗り込んだ五人は全滅の窮地に陥り――ソロとロラが救援に駆けつけたのが、彼の勇者達との関係の始まりだった。
そしてそこで、ソロとユウシは異世界にて十年ぶりの再会を果たしたのである。
「ユウシ達は、貴方に救われた。貴方の創造した薬の力で、ユウシ達にかけられていた呪いが解けた」
「ロラのおかげさ。ロラはフィクス帝国による召喚勇者の扱いを、ずっと変えたいと思っていた。薬が完成するまで時間が掛かりすぎて、間に合わなかった人もたくさんいたけど……彼女のおかげで解呪薬ができて、君達をオーディスから解き放つことができた」
「……私が唯一、お前に感謝していることだな」
それは、ソロやロラ関連の記憶をほぼ取り戻したことによって、志亜の中で初めて明らかになった真実の一つである。
志亜は前世の自分が復讐者としてオーディスに挑むことが出来たのは、限界まで高まった「死の力」の覚醒によって彼から受けた隷属の呪いを断ち切ったからだと思っていたが、それは正確な記憶ではなかったのだ。
正しくは「あの時点では、既に呪いが解けていた」。
思い出した真実の記憶を確かめるように、志亜は当時のユウシと同じ気持ちになって言い放った。
「……貴方に呪いを解いてもらったユウシ達は、貴方達と一緒に行くことにした」
「ああ、僕が誘ったんだよね。僕達と一緒に来いって」
「うん……そして、最初にキズナが言った。「ロラ様のお手伝いをさせてください」って。ユウシも、貴方に協力したいと言った」
「……二人がそうするならと、私――アカイクレナも続いた。シドウとアオキの二人も、同じ気持ちだった」
「あの時……初めて自分の意志で戦うことができたこと……ユウシもみんな、感謝していた」
「そうか。今となってはあの時の君達の判断がいいことだったのか、悪いことだったのかはわからないけど……僕も親友の君が一緒に来てくれることを、喜んだことを覚えているよ」
その時のことは、おそらく異世界フォストルディアにおけるソロとユウシのハイライトである。
かつて親友だった二人の道は、ロラ・ルディアスという巫女が抱いた世界平和という「優しい願い」を叶える為に――共に助け合う同志として手を取り合い、かけがえのない存在になったのだ。
そうしてソロは、彼ら召喚勇者組を交え、神巫女を守る為の騎士団を結成した。
「それが、僕達「ヘブンズナイツ」の始まりだったね」
いずれも、記憶を取り戻す前の志亜が忘れ果てていた出来事である。
生前のユウシが大切にしていた存在は、同期に召喚された同胞の勇者達と――もう一つ、彼にとって大切な居場所があったのだ。
それこそが、この世界でソロが生み出したゲームの世界――それが名を冠している、天上の騎士団だった。
「そう……ロラの願いを叶える為に、僕は神巫女の騎士団「ヘブンズナイツ」を作った。だが……」
「……うん」
「ユウシ……大丈夫ですか?」
「だい、じょうぶ……」
「私が守ります。忌々しい記憶からも、私が」
ヘブンズナイツとは、かつてのユウシの人生を語る上でも外すことはできない存在だった。
故にここまで語られた時点で、志亜はソロがあのゲーム【
――しかし。
その記憶に深く踏み込むことは、今の志亜にも恐ろしいことだった。
そんな志亜の、怯えるように震えた手を、横から添えられたクレナの両手がそっと包み込んでくれた。