道中で見かけたコウモリ型モンスターの群れを刺激しないように通り抜けながら、フィアは順調に奥地へと進んでいく。
前回レイカ達と訪れた洞窟とは違い、既に何度もの人間が通っているからであろう。道は余裕を持って進めるほど広く、天然洞窟としては随分と歩きやすいものだった。
しかし一本道だった前回とは違い、歩いていく中で分かれ道に突き当たることがしばしばあった。フィアの入った洞窟内は少々入り組んだ作りになっているようで、事前情報もなく入れば迷子になるかもわからなかった。
その点、受付嬢から事前に洞窟内の見取り図を渡されていたフィアは恵まれていたと言えよう。
分かれ道に突き当たった際には立ち止まって見取り図に目を通すことで、フィアは目的地まで迷うことなく歩き進むことが出来た。
「ここ?」
氷月花はだいたいこの辺りに咲いているよ――と、丁寧に直筆のチェックが付けられたポイントに到達すると、そこには目に見えて道中と違う景色が広がっていた。
岩肌に覆われた無骨な空間の一部に、緑色の草木が生い茂っている場所があったのである。
その近くには地底湖に繋がっているのであろう小さな川が流れており、魚や魚のようなモンスター達がバシャバシャと水面から跳びはねていた。
最も大きな特徴としては、仮にフィアがランタンを結着していなかったとしても周りを見渡すには十分なほど、この辺りだけ明るい光に満ちていたことだろう。
「明るい……?」
ランタンのものではない、天然の光。その光源は今は立ち去ったモンスター、幻獣メアルガのものではない。
草木の一部分から眩い光を放っている花々……各所に咲いている金色の花が、イルミネーションのように洞窟を照らしていたのだ。
「あれが、氷月花?」
普通の花とは明らかに違う。ここに至るまでの道程では見たことがないその花が、今回の採取目標である「氷月花」なのかと判断するフィアだが……一人呟いたその言葉は、不意に聴こえてきた女性の声によって否定される。
「いいえ、あれは月光花という花です」
それは、一度だけ聴いた覚えのある声色だった。
フィアが声の聴こえた方向へと振り向くと、そこには大きめの青いローブを身に纏う一人の女性の姿があった。堂々と素顔を見せたくないのだろうか、目深にフードを被った姿は少々怪しげな装いである。
しかしフードの隙間から見える紺碧の瞳は水のように澄んでおり、顔立ちは一目で美人だとわかる端麗さだった。
隠そうとしても尚隠し切れていない。言葉では表現し難いなにか滲み出る神秘性のようなものを、フィアは女性の姿に感じていた。
「氷月花をお探しでしたら、川の近くを調べてみてはどうでしょう。この洞窟では水辺に分布しているようですから」
「? ありがとう、ございます」
「どういたしまして」
彼女のくれた親切なアドバイスを素直に受け取り、フィアは礼を言う。物腰柔らかな女性はそんなフィアの様子を微笑ましげな視線で眺めながら、端正整った頬を弛緩させた。
そんな彼女の姿は、アルカーデの町で一度目にしたことがある。フィアがつい最近の記憶を辿ると、同じ記憶に残っている長身の男がこの場に姿を現した。
「姫様、一人で奥まで行かないでください。貴方の力は存じておりますが……おや? 君は」
「あ」
紫色の髪の青年――マキリス。
フィアの持つ「強者の記録書」について教えてくれた男が、青ローブの女性に尽き従うように現れたのである。
そんな彼と目が合うと、彼の方もフィアの姿に思わぬ再会だと驚いた。
「お知り合いですか、マキリス?」
「ええ。と言っても、アルカーデの町で私が一方的に話しかけただけですが」
「ああ、あの時の。マキリスは年下趣味なのですね」
「年齢で言えば、私以上の人間は存在しませんが」
「冗談です。貴方はつまらない男ですね」
「姫様……」
ほんの少し話しただけで、知人と呼べるほどの仲でもない。
しかしこうして再会することになった以上、奇妙な縁を感じざるを得なかった。
「また会ったね。名前は、確かフィアだったかな?」
「……うん。フィアはフィア」
フィアは彼に自らの名を名乗ったわけではないが、それを語れば一人称の時点で今更だろう。既に知っていた様子でこちらの名を確認する彼に対しても、フィアが引っ掛かりを覚えることはなかった。
「フィア、ですか……由来が気になる名前ですね」
しかしそんなフィアの名乗りに青ローブの女性は何を考えたのだろうか、フィアと青年のやり取りを何とも言えない関心げな目で覗き込んでいる。
紫色の髪の青年――マキリスは先に名乗ったフィアに対し、改めて自身の名を名乗ると、隣に立つ女性が前に出てそのフードを外した。
「私はマキリス。そして、この方は……」
「ロナ・ルディアスと申します。こんにちは、フィア様」
彼女が外したフードから露わになったのは、鳥の紋章が刻まれた紅の髪飾りが光る、美しい金髪だった。
「ん……こんにちは」
こんなところで素顔を晒して良かったのだろうか? 不思議と、フィアは彼女の姿を見た時にそう思ってしまった。
それほどまでに彼女の姿は神秘性に溢れていて、一目見ただけでやんごとなき身分であることが容易に察せられたのだ。
ロナ・ルディアス――何故だか聞いたことがあるような、だけど何かが違うような気がする――そんな彼女の行動に、マキリスが慌てたように呼び掛けた。
「ロナ様」
「ゴールデンカーバンクルが懐くほどの人です。他に誰か居るわけでもありませんし、心配要りませんよ」
「だとしても、せめて偽名を使うべきでは?」
「ルディアスの名を持つ私に嘘をつけと? できませんよ、そんなことは」
「貴方という人は……」
焦りの表情を見せるマキリスの声をどこ吹く風とばかりに受け止めながら、ロナは澄ました目でフィアに微笑む。
その笑顔をフィアは――知らない筈なのに、知っている気がした。
……きっと、彼女もそうなのだろう。まるでとっくの昔に失ったパズルのピースを見つけたかのように、彼女の姿を見た「彼」の記憶は鮮烈なまでに何かを訴えていた。
「ロラ……さま?」
彼女が何者なのかはわからない。
ただフィアは、気づけば彼女の名をそう呼んでいた。
「ロラではありません、ロナです。それはそうとフィア様、私達も氷月花を求めてここを訪れたのですが……知っていますか? 氷月花という植物には、調合次第ではあらゆる呪いを解呪できる成分が備わっているのだそうです」
「呪い?」
「尤も、この辺りではあまり必要ないかもしれませんね」
「……ルアリス大陸には、性悪な魔術師はいませんからね」
ロナとマキリス。見目麗しい二人が並ぶと、その立場はまるでどこかの国の姫君とお付きの騎士のように見える。しかしそんな二人もまた、フィアと同じく「氷月花」を求めてこの洞窟を訪れたようだ。
お互いの目的が同じであることから、話は初対面の者とは思えないほどスムーズに進んだ。
「せっかくですから、私と協力して探しませんか? 私はあの辺りを探します」
「フィアは、あそこ? わかった」
集会所の受付嬢も「氷月花」を見つけ出すには少々根気が要ると言っていたものだ。それならば一人で探すよりも二人で協力した方が効率的であるのは間違いなく、フィアはロナからの申し出を快く引き受けることにした。
「では行きましょう。マキリス、貴方は周りを警備していなさい」
「了解」
フィアとロナが採取に集中している間は、モンスターから襲撃されることがないようにマキリスが警護に当たってくれた。
尤もこの辺りにはモンスターの姿はなく、三人とリージアの他に居るのは精々が蝶やホタルのような小さな虫ぐらいなものだ。
それから探し回ること数分後、川辺を歩き回っていたリージアが何かを見つけたように鳴き声を上げると、ここ掘れワンワンとばかりにフィアを呼び出してきた。
「チチッ」
「ありがとう。リージアは、探し物上手」
フィアがリージアの立っている場所まで向かうと、岩陰に隠れた位置に三本もの花が咲いていることに気づいた。
目標物を見つけてくれた頼れるフレンドの頭を、フィアは労うようによしよしと撫で回す。
咲いていた三本の花はどれも透き通った花弁が氷細工のように透き通っており、月のような淡い輝きを放っていた。
受付嬢の言っていた特徴にも合致している。おそらく、これこそが「氷月花」なのだろう。
目標物を発見したことで、フィアは別の場所で捜索しているロナに報告してあげた。
「ロナさま、見つけた」
「早いですね、フィア様。それも、三本も一緒ですか」
「リージアが、見つけてくれた」
「あらあら、賢いのですね。ありがとう、リージアちゃん。貴方は私の騎士より利口です」
「姫様……」
これはまさしく「氷月花」だと、岩陰に咲いている三本の花を見たロナから確認が取れたことで、フィアは早速採取を始める。
採取の方法は至って簡単だ。目標物に触れて「採取」と唱える。そうすることで、採取が可能なアイテムは自動的にアイテムボックスに収納されるのだとペンちゃんから聞いていた。
「もらうね」
一本の花を丁寧に摘み取ったフィアは一方的ながらも感謝の気持ちを抱き、アイテムボックスへと収納していく。
あとはアルカーデに戻って集会所にこれを提出すれば、晴れて今回のクエストは完了となる。
新たな出会いはあったが、リージアのおかげでクエスト自体は簡単にこなせたと言えよう。
「フィアは、一つでいい。ロナ様、どうぞ」
「よろしいのですか? では、ありがたくいただきましょう」
残る二本をロナが遠慮なく採取すると、彼女はフィアの目を見てくすりと笑む。すると、フィアの頭に向かっておもむろに手を乗せて言い放った。
「この花を見つけていただいたお礼として、私から一つ褒美を与えましょう」
「え?」
呆気に取られたフィアの顔を紺碧の瞳に映すロナは、フィアが有無も言う隙も無く「何か」を行った。
瞬間、フィアの頭に乗せた彼女の右手が紅色の光を放ち、同時にどこからともなくファンファーレのようなBGMが鳴り響いた。
【習得スキルリストに「神巫女のお告げ」が加わりました】
そう書かれたウインドウ画面が自動的に点滅した後で、ロナがいたずらっぽい笑みを浮かべる。そんな彼女の行動を後ろから眺めていたマキリスは呆れたように溜め息をついていたが、当事者のフィアはただただ困惑するばかりだった。
「?」
「冒険者風に言えば、れあすきる?のようなものですね。それを今、貴方に習得できるようにしてあげました。必要な分の祝福を得るまではもう少し頑張らなければなりませんが、そのスキルはきっと、貴方の旅に役立つことでしょう」
この「HKO」においてプレイヤーが習得できるスキルは、全てプレイヤーの行動によって決定されていく。
もしやと思いフィアがウインドウ画面を操作し自身の習得できるスキルの候補リストを確認すると、そこには彼女の言う通り、初めて見るスキル情報があった。
【神巫女のお告げ(1000SP) ・・・創造神ルディアの神巫女ロナ・ルディアスからお告げを貰える】
因みに今のフィアが他に習得できるスキルには「薬剤調合」や「応急処置術」と言った回復系のものが多い。中には「
「ロナさまは……何者?」
創造神ルディアの神巫女、ロナ・ルディアス――スキルの説明文にそう書かれていた彼女の素性を見て、フィアは思わず問い掛けた。
その肩書も、その姿も、その名前も……やはりフィアの頭には引っ掛かり、記憶のどこかに残っている気がしたのだ。
「何者、と言われましても……読んで字のごとく、神に仕える巫女のようなものです」
――また会いましょう、フィア様。貴方の旅にルディアの導きがあらんことを。
優しげで温かい笑みを浮かべながら、彼女はそう言って付き人のマキリスを伴って立ち去っていく。
しかし、一人場に取り残されたフィアは、今度こそ考えずにはいられなかった。
……とうとう、受け入れてしまったのだ。
「神巫女ロラ・ルディアス……」
ロナ・ルディアスではなく、ロラ・ルディアス。彼女の素顔を見た時、この頭に浮かんできたのがその名前だった。
「知っている……気がする。大切な人だった、気がする……」
覚えている。
そう、覚えているのだ。名前までは忘れていたが……そんな人物が
――前世の自分が守れなかった者達の中に、世界を救おうとした優しい姫君が居たことを。
「フィアは……っ!」
頭が痛い――ゲームの世界のフィアが激しい頭痛を催しうずくまった次の瞬間、プレイヤー・フィアの意識はプツリと消え、現実世界の「双葉志亜」が目を覚ました。
強制ログアウトシステム――何らかのアクシデントによってプレイヤーの脳波が異常を来した場合、その者をゲームから自動的にログアウトさせる「VRギア」の安全機能である。
自室のベッドから上体を起こした志亜は頭に装着していたVRギアを外すと、その心に荒ぶる動揺を抑える為に深く息を吐き、俯きながら目を閉じる。
額は珍しく汗だくになっており、先ほどの志亜がよほど異常な精神状態であったことを物語っていた。
強制ログアウトシステムという運営側の優しい処置に、志亜は心から感謝した。
……あのままの状態でゲームの世界に居たら、きっと何をしていたかわからなかった。
志亜は今になって、自身の思考が発狂寸前まで陥っていたことに気づいたのである。
リージアを驚かせてしまったことは非常に申し訳ないが、あの子の為にもログアウトされて良かったと志亜は思う。
少なくとも今の志亜の心は、リージアが好む穏やかなものとはかけ離れていたから。
この時の志亜は、かつてないほどに焦っていたのだ。
「フィアは、フィアなのに……みんなのことを、思い出したがっている……っ」
キズナは……フィフス。
マキリスは……マキリス。
ロナさまは……ロラさま。
あのアスモデウスに、紅の騎士もそう。
彼女らとは、ゲームの中で会ったのが初めてではない。前世「彼」だった頃に、志亜は全員と会っていた。
麗花と出会って、家族から愛されて……ここに居る双葉志亜は前世の呪縛を断ち切ったと思っていた。
だがそれでも、ここまで見せつけられては志亜も耐えられなかった。
あれほどまで
「このゲームを作ったのは……誰?」
【
――会いたい。会って、話したい。このゲームを作った人と。
志亜の中に熱い思いが、願いが生まれた瞬間である。
あれほど楽しいゲームを作った者を、悪い人間だとは思えない。
しかし志亜はその真意を、製作者がどんな意図であのゲームを作り出したのか知りたかった。
「あいたい……みんなに、あいたい……」
……そう願う志亜の目から、理由のわからない涙が流れ落ちた。