――雪の町「アルカーデ」。
永遠雪原に入りしばらく先へ向かったところにあるその町は、プレイヤーが始まりの町ハーメラスを北上した場合には最初にたどり着くことになる人の町である。各所に白銀の雪が降り積もっている町中には、いかにも雪の町と言った美しい景色が広がっていた。
繁栄度で言えば可もなく不可もなしと言ったところか、道行く人々の数はハーメラスほどではなく、賑やかとも寂れているとも言えない穏やかな町並みだった。落ち着いた雰囲気がある、というのはフィアがこの町を見て最初に抱いた印象である。
「ん……」
多くの騒動が巻き起こった前回のプレイ後、フィアはボボの洞窟を抜けてからほどなくしてペンちゃんやレイカと共に、この町へたどり着いた。そんな三人もとい二人と一羽は、今はそれぞれ別行動をしている状態である。
お互いの行動方針が違うのだから、それも当然であろう。尤もフィアとしては前回のようにレイカから頼まれればいつでも彼女と行動を共にするつもりであり、ペンちゃんに対してもそれは同じだ。
しかし今のところは二人ともフィアに何かを頼む気はないらしく、手持ち無沙汰になったフィアは道の端にあるベンチへと腰を下ろしていた。
そんなフィアは今、自身の膝の上で寝ころんでリラックスしているリージアを撫でながら一冊の本を広げていた。
《フォストルディア・強者の記録書》
フィアが読んでいる本の表紙には、この世界の文字でそう記されている。それは、フィアが前回のプレイで入手した「魔導書」の一種だった。
本の中は大半の部分が白紙に覆われている。しかしフィアが表紙を開いた瞬間、全面が白紙に覆われていたページの一部にはじわじわと文字列が浮かび上がっていった。
《ゴールデンカーバンクル。カーバンクル種。地属性。
カーバンクル種において最も個体数の少ない希少種。力は弱いが警戒心が強く、争いを好まない性質も相まって目撃例は極端に少ない。しかし一部の個体には争いのない穏やかな場所を探し求めた結果、穏やかな人間の元へ自らテイムされにいくものもいるという》
《フィフス。天使種。光属性。ヘブンズナイツ。
先代ヘブンズナイツ・フュンフの没後、永らく空白になっていた5の騎士の座に就いた大天使の聖騎士。生命の力を司り、固有能力「フィフス・リジェネレイト」はあらゆる生命を蘇えらせるという》
《アンドレアルフス・ネクロス。幻魔種。風属性。バアル七十幻魔。
遥か昔の大戦で戦死した幻魔、アンドレアルフスの魂が霊体化した姿。亡霊の身でありながら生前の圧倒的な防御力、魔法耐性は健在であり、生半可な攻撃は一切受け付けない》
浮かび上がってきた文章と絵画は、いずれもフィアがこれまでに出会ったことのあるこのゲームのキャラクター達の情報だった。生命の泉で出会ったモンスター達やボボのことも同様に記録されており、フィアはこの魔道書における普通の本とは決定的に違う特徴を理解した。
フィアが何故この本を持っているかという理由であるが、前回のプレイでエンシェントウミガラス達を生命の泉へ移住させた礼として、ボボからクエスト報酬という形で授かったのである。
フィアがフィフスからのクエストとして絶滅危惧種のモンスター達を保護してほしいと頼まれていることを知って、彼が親切心から洞窟内の住処にあった宝箱を持ちだしたのだ。
実際、これから先希少生物を保護すると言っても、どの生物がそれに当たるのかすらわからなければ動くにも動けないところだろう。このゲームのモンスター達に関してはとことん無知なフィアにとって、この魔導書によって出会ったモンスターの情報がわかるようになったのはありがたいことだった。
尤も、中にはこれまで出会っていながら上手く記録されていない存在もある。
あの紅の騎士の情報などが、まさにそれであった。
《ア???リ?ル。??種。炎属性。???????。
――認識阻害魔法により記録不能――》
あの紅の騎士の情報に関してはこのようなページで記録されており、ほとんどまともなことはわかっていない。
尤も彼或いは彼女がプレイヤーではなくこのゲームのキャラクターの一人であることがわかっただけ、今は十分だろうとフィアは思っている。
ここに記録された情報が役に立つのは事実だが、フィアは相手のことを知る為に一番必要なのは、その者とちゃんと向かい合って話し合うことだと考えている。
もちろんこの本が旅の役に立つ参考書として有用であることに変わりはなく、これをくれたボボには多大な感謝を抱いていた。
そんな「強者の記録書」を読んで今まで出会ってきた者達の姿を眺めながら、フィアは心から思った感想を口漏らす。
「綺麗な、絵……」
フィアがこうして記録書を広げている理由には今まで出会ってきたモンスター達に希少生物は居なかったかという確認もあったが、単に文字列と共に浮かび上がってきたキャラクター達の絵画に目を奪われたのもある。
今膝の上に乗っているリージア、ゴールデンカーバンクルを含め、記録書に載っているキャラクター達の絵画はどれもが幻想的な美しさを持った神々しい姿に彩られていた。
そんな書面の上に、ポツポツと雫が落ちてくる。
それは、このアルカーデの町に降り出した小粒の白雪であった。
「雪……?」
雪が降り始めたことで記録書のページを閉じたフィアは、雲行きの怪しそうな空を見上げる。
冬のシーズンが訪れるにはまだまだ遠い現実世界では見られない雪が、振り仰いだフィアの額に一粒ずつ降り落ちてきた。
ふと、横合いから声を掛けられたのはその時だった。
「強者の記録書か……懐かしいものだな」
「?」
不意に聴こえてきた男の声に、膝上でまどろんでいたリージアが慌てて跳び上がってフィアの髪へと隠れていく。
そんな小動物の行動を微笑ましく眺めながらフィアがその声に振り向くと、視界に映ったのは紫色の長髪を束ねた若い青年の姿だった。
色白で端麗な顔立ちをしており、180センチ以上ある体格は足も長く、整ったスタイルをしている。
その姿からは一目見ただけで、どこか友人のレイカとも通じるものがある気品を感じられた。
「あなたは?」
見知らぬ男から突然声を掛けられたフィアだが、これと言って警戒心を抱くことはない。
もちろん礼儀として無視をするという選択肢は最初から頭になく、生真面目にもフィアは彼の目を見つめ返していた。
そんなフィアの姿を前に、青年は無駄に優雅な素振りで詫びながら、今しがた声を掛けた理由を語る。
「おっと、これは失礼。お嬢さんが珍しい魔導書を持っているのが気になってね」
過ぎ去りし過去を懐かしむような眼差しで、儚い笑みを浮かべた青年はフィアが手に持つ「強者の記録書」へと視線を注ぐ。
これを指して珍しいと語る口ぶりから察するに、ボボから貰ったこの本は、やはり簡単に手に入る代物ではなかったようだ。次にボボと会った時は、重ねて礼を言うことを心に誓った。
「やっぱり、珍しい物?」
「ああ、私も長年旅をしてきた身だが、この大陸でそれを目にしたのは初めてだね。ここより西の、フィクス大陸にある「聖地ルディア」にならば何冊かあったが……まあ、間違いなく希少な品だろう」
聖地ルディア――青年の口から出てきた聞き覚えが無い筈の言葉に、フィアの肩がほんの僅かだけピクリと跳ねる。
そんなフィアの反応に驚いたのか、髪に隠れていたリージアがちょこんと顔を出して外の様子を窺い、青年と目を合わせた。
すると、次に驚いたのは青年の方だった。
「おや、その使い魔はゴールデンカーバンクルかな? なるほど……どうやら君もまた、特別珍しい冒険者のようだ」
「この子は、使い魔違う。フィアのフレンド」
「そうか……てっきりモンスターマスターなのかと思ったが、それは失礼した」
臆病で警戒心の強いゴールデンカーバンクルが人間と共に居ることは、やはり珍しい光景なのだろうか。
フィアの肩に乗ったリージアの姿に驚きながら、青年は心なしか嬉しそうな目でフィアの顔を見つめていた。
「マキリス、何をしているのですか? 出発しますよ」
「もう発つのですか……了解しました、姫」
青年はしばしそのようにリージアとフィアの姿を微笑みながら見つめていたが、後ろから呼び掛けてきた同行者と思わしき女性の声に応じ、騎士然とした動作で一礼しながら踵を返す。
「邪魔をしたね、お嬢さん。これからも、良い旅を」
「あ……」
自身の名前も語らずフィアに話しかけた青年は、遠目に見える青ローブの女性の元へ早歩きで立ち去っていく。
そんな彼の姿を見送ったフィアは、何故かその心に、ある筈のない「既視感」を感じていた。
「まきりす……マキリス?」
顔も見えなかった女性が彼に掛けた、「マキリス」という名前。
それがあの青年のことを示す名前だとするのなら、フィアはこの時、不思議と引っ掛かりを覚えずにいられなかった。
――この感覚はおそらく、前世の「彼」に関係するのだろう。
そんな仮説が脳裏に掠めた瞬間、フィアは間髪を容れず、ブンブンと首を振り回し自らの推測を否定した。
「かんけいなんか、ない……」
意図せずしてこぼれ落ちた声は、自身に言い聞かせるような力の無い言葉だった。
キズナに似すぎているフィフスの存在と言い、無視するにはあまりにも根拠が強すぎる。だが、今ここで認めてしまえば最後、このゲームを楽しめなくなってしまうと思っている自分が居た。
大切な友人とプレイしているこのゲームに……フィアは自分自身の中で「フィアではない誰かの意志」を介在させたくなかったのである。
ただそんなフィアの思いとは関係なく、閉じていた筈の魔導書が独りでにページを開くと、そこに新たな文字列を浮かび上がらせていった。
《キメリウス。幻魔種。炎属性。バアル七十幻魔。
かつて魔王バアルに仕えていた侯爵位の悪魔。七十幻魔の中でも最強の剣技を誇り、礼節を重んじ愛に生きた騎士。大戦時には伝説の勇者との死闘の末敗れ、以後の消息は掴めていない》
出会ったキャラクター達のデータが自動的に記録される「フォストルディア・強者の記録書」。
それはまさにその機能の恐るべき本領が発揮された瞬間であったが、そこに記録されていたデータを目にしたフィアの反応は、何故かいつにも増して物憂げだった。
「たいせつな記憶だった……気がする。だけどフィアは、何も知らない……」
何もわからない。
フィアはフィアだと望んでいるのに、それに引っ掛かりを感じている自分が居る。
そのことがどうしてか、無性に悲しかった。
要はポ○モン図鑑だというのは根も葉もない解説。
俺はエタんねぇからよ……