――見える。
蒼い世界でフィアが目にしたのは、永きに渡って続いた戦いの歴史だった。
堕天使アスモデウスと5の騎士フュンフ。かつては双子の天使として生まれ、共に神ルディアに仕えていた筈の二人は、道を違え互いに敵同士の立場となった。
その戦いの決着を誰よりも近い場所で見届けた、一人の猿人が居た。
キングイエティのボボ――当時、イエティ族の王だった男である。
創造神ルディアの勢力として彼らイエティ族もまた、ヘブンズナイツと共にアスモデウス達バアル七十幻魔に挑んだ。そして彼は死闘の末、知ってしまった。
この混沌世界フォストルディアに隠された、恐るべき真実を――
「そこまでじゃ」
一声。
瞬間、蒼の世界に映し出されていたボボの記憶の世界が砕け散り、夢見心地だったフィアの視界が穏やかな花畑の景色へと切り変わる。
それと同時にフィアは全身から力が抜けていく虚脱感を催し、思わず尻餅をついた。そんなフィアの様子を心配してゴールデンカーバンクルのリージアが駆け寄ってきたが、フィアは心配無用と言いながら優しい友達の頭をそっと撫でた。
「HKO」にログインしたフィアが今居る場所は、「生命の泉」だ。
つい最近までヘブンズナイツ5の騎士フィフスが封印されていた場所であり、今現在まで絶滅寸前の希少生物を保護している場所でもある。
争いの無い理想の世界とも言うべき穏やかなこの花畑には今、プレイヤーのフィアとNPCのボボの姿があった。
フィアは先ほどまで、ボボの頼みを受けて先日フィアがこのゲームで身につけた不可思議な能力「蒼の領域」の検証を行っていたのだ。
アスモデウスの魂を救済し、浄化した力。
その本質を自身が受けることによって確かめたかったと言うボボは、毛むくじゃらの顎を撫でながらふむふむと思考を巡らせている。
そんな彼はフィアの「蒼の領域」の効果を理解すると、しばしの間を置いて口を開いた。
「意識の共有化とは……お主も中々、難儀な力をつけたものよのう」
「ひーとすきる、と、ペンちゃんは言っていた」
「うむ、「HEATスキル」じゃな。神の祝福から派生する、普通のスキルとは別の力じゃ」
アンドレアルフス・ネクロスと対峙した際、突如として身に着いたフィアの新たな力。
「蒼の領域」という名のついたそれは、ボボいわく「HEATスキル」という特別な能力らしく、フィアの開いたウィンドウ画面にも確かにそう記されていた。
その能力が意味するものを、知っていることを洗いざらい話すようにボボが語る。
「ヘブンズナイツに勇者候補と認められ、祝福を受けた者が一定の条件を満たした時、各々の性質に合った特殊な力を得る。何と言えば良いかのう……人それぞれに発現する、固有能力みたいなものじゃ」
「勇者候補? フィアが?」
「祝福を受けたとて、普通は上級職に至ってようやく発現するもんなんじゃがのう。フィフス様がお主のことを特別ご贔屓なさったのかはわからんが、お主の場合はちょいと特殊じゃな」
「フィアが、特殊?」
「……まあ、今までもそういう人間がおらんかったわけでもない。そう気にせんでもええじゃろう」
フィアがこれまでに取得した「異種対話」のように、通常のプレイで取得することの出来るスキルとは違うものだと言う。
フィアも後に知ることになるが、「HEATスキル」と呼ばれるその力は本来であればある程度先までプレイを進めた中級者以上のプレイヤーが身に着ける筈のものであった。
具体的にはこの東の大陸を苦も無く探索出来るようになったプレイヤーが、さらに強力なモンスターが闊歩する西の大陸へ赴こうとする辺りのタイミングで取得するものらしい。根も葉もない例えになるが、物語で言えば中盤に発生する強化イベントのようなものだ。
フィアの場合はフィフスと会ったことが切っ掛けだったのか、はてはアンドレアルフス・ネクロスと対峙したことが切っ掛けになったのかはわからない。しかしフィアは、知らず知らずのうちにその強化イベントを通常よりも早く先取りする形となったのである。
「まあ、一番特殊なのはお主が身につけた能力の中身なんじゃがのう。大抵の勇者候補が身に着けるHEATスキルなぞは、剣の威力を底上げしたりだとか、状態異常を無効にしたりだとかいう戦いに役立つ能力なんじゃがのう。お主のはどうにも、戦い向きではないように見える」
「うん……でも、優しい人が使えば、優しい力。……フィアにはもったいない力」
「うむ。だからこそ、お主に発現したのじゃな」
「?」
フィアの身に着けた「蒼の領域」――検証の結果わかったのは、その能力は「自分と相手の生命をつなぎ合わせ、互いの心を共有する」というものだった。
アンドレアルフス・ネクロスと対峙した時のように、夢見心地にフィアと対象を覆った不可思議な空間こそが、蒼の領域と言うのだろう。
空のような蒼い景色に包まれたその世界では武器を持ち込むことが出来ず、純粋な気持ちをお互いに曝け出すことが出来る。
その空間で相手の「優しさ」に触れることが出来た時、フィアはとても温かい気持ちに包まれたものだ。
しかしそれは誰もがそうというわけではなく、自分の心へ踏み込んでほしくない者にとっては迷惑極まりない力であろう。
正しく使えば相手のことを理解する優しい力になるが、使い方を間違えれば相手を傷つけてしまう。故に今後はなるべく使用を控えるようにと、フィアはこの力に思った。
ボボの話によれば「HEATスキル」とはヘブンズナイツから祝福を受けたプレイヤーが一定の条件を満たした時、各々の性質にあったものが発現するのなのだと言う。
相手のことを理解したいと思ったフィアがこのような力を身に着けたのもまた、決して偶然ではないのだろうとボボは語った。
「そんなこと……リージア? ふふ、ありがとう……」
元気づけるように手のひらに乗っかってきたリージアの背中を撫でることで、フィアは複雑な思いに絡みつかれた自身の心を癒していく。そんなフィアの姿にボボが目を細めると、彼はその巨体の腰を花畑の上に下ろし、泉の中を泳ぎまわる三羽のペンギン型モンスターの姿に視線を移して言った。
「お主の優しさには、わしもあの子達も救ってもらった。お主も今後は、自分の行動にもっと自信を持つと良い」
「……うん。ありがとう、ボボさん」
エンシェントウミガラス――それが、泉を泳いでいるペンギン型モンスターの名称である。
水面から顔を出している雌と思わしき個体の背中には、タマゴから生まれたばかりと思わしき一羽の雛が乗っており、その隣では寄り添うようにして雄の個体が並び泳いでいる。そして雌の背に乗った雛は、そんな親の背中ではしゃぎまわるように泉の周りをキョロキョロと見回しながらピヨピヨと鳴き声を上げていた。
ボボも彼らも、今はあの鍾乳洞を離れてこの場所に居た。
彼らの住処が移るに至った経緯を、フィアは幸せそうな鳥達の様子を微笑ましげに眺めながら回想した。
――時は、フィア達の前に紅の騎士が現れた瞬間まで遡る。
アンドレアルフスの魂を霊体化させた黒幕、死霊術師を踏み潰した紅の騎士はフィアの姿を一瞥した後、歩を進めてアスモデウスの祭壇へと向かっていく。
動き出した彼女の右手には、一本の短剣が携えられていた。
十字型の柄が金色と真紅の装飾に縁どられたその短剣を認めた途端、ボボが驚愕の声を上げる。
「あれは、炎獄魔剣ベリアル!?」
そこにあることが信じられないとでも言いたげな声に真っ先に反応したのは、紅の騎士の様子を緊張の面持ちで窺っていたレイカだった。
「なんですの、私の内なるパトスをくすぐるそのネーミングは?」
「……かつて存在していたバアル七十幻魔の一柱、「ベリアル」が扱っていた呪われた魔剣じゃ。剣が所有者と認めた者でなければ、手にした者は地獄の炎に包まれ、自らの身を滅ぼすと言われておった」
「なんと!」
「かつて勇者様達が扱っていた、「三種の神器」にも迫る業物じゃ。何故あんなものがあそこに……」
「呪われた魔剣」、「地獄の炎」というフレーズに対して無垢な瞳を輝かせている令嬢をさておき、怪訝な表情を浮かべたボボが前に出て紅の騎士に問い掛ける。
彼と騎士との体格差は歴然だ。しかし、紅の騎士から放たれる灼熱の炎のような威圧感は、その体格差を正反対にさえ感じさせるものだった。
そのような人物が、通りすがりの一般冒険者であろう筈が無い。それはおそらく、騎士の姿を目にした時からこの場に居る誰もが感じたことであろう。
「お主は何者じゃ? 何故その魔剣を持っておる? その姿は、ベリアル本人ではあるまい」
「…………」
炎獄魔剣ベリアルという名の短剣を携えた騎士は、警戒心を露わに威嚇するボボを前にしてもまるで動じた様子もなく堂々と佇んでいる。
彼の問いに答えることなく短剣のグリップを握りしめた紅の騎士は、その短い刀身から
「ほのおの、けん……?」
紅の騎士が携えていた短剣は、一瞬にして紅蓮を纏う炎の長剣へと変わったのだ。
短剣の刀身から眩い光を放ちながら伸び上がった紅の炎が、騎士の身の丈に及ぶ長さとなって長剣の刀身を形成する。
それこそが炎獄魔剣の名を表した本当の姿なのだろう。ペンちゃんの店に並んでいたものとは一目で次元が違うとわかる、美しい炎の剣の完成だった。
そして紅蓮が展開された剣の切っ先が僅かに揺れた瞬間、フィアは騎士が次に起こす行動を直感的に察し、気づけば声を張り上げていた。
「ボボさん、離れて!」
「っ……!?」
一閃。
紅の騎士が炎の剣を横薙ぎに振り払ったその瞬間、刀身から迸り出た紅蓮の閃光が一直線に解き放たれ、アスモデウスの祭壇を襲った。
一撃にして祭壇の外壁を吹き飛ばした光は、遺跡の全てを焼き尽くす紅蓮の炎となって広がっていき、巨大な祭壇全体を炎上させていった。
「あいつ、やりやがった……!」
「この炎は、あの時の……?」
紅の騎士が放った荒々しくも美しい紅蓮の炎に、ペンちゃんが焦り、レイカが雪原で見たものと同じだと瞬時に察する。
フィアの声に反応したことで紙一重で余波から逃れることが出来たボボが、ハッと息を呑んで炎に包まれた祭壇の姿を睨んだ。
「ひどい……」
「お主……なんてことを……!」
紅の騎士が放った一撃によって、遺跡は見るも無残な姿へと成り果てていた。
メラメラと立ち昇っていく黒煙がこれまでの戦いで崩壊した天井の穴を通って空に舞い上がれば、下では石造りの外壁が転がり落ちて瓦礫の山を積み上げていく。
そんな崩壊した祭壇の跡地――これまでに積み重ねてきた全てを焼き払った炎の中には、フィア達が見たことのない一人の青年が佇んでいた。
「随分と、派手に起こしてくれたものだ……」
呟いた声は、青年の口から出てきたものだ。
青年は自身の手のひらに視線を落としながら、その身体が思い通りに動くことを確認するようにじっくりと拳を握っては開いていく。
青年がおもむろに、クイッと人差し指を上に向ける。その瞬間、彼の周囲に渦巻いていた炎が彼の身体を避けるように掻き消え、フィア達の視界に青年の全貌がより露わになった。
「あれは……」
「誰ですか? 光と闇が合わさって最強に見える、あのイケメンは」
崩壊した遺跡の中から出てきた青年の姿は、あまりにも人間離れした美貌だった。
雪のような白い肌に、月のように輝く黄金色の長髪。190センチメートルほどの身長は一目で人外とわかるアンドレアルフスのそれと比べれば小さいが、人間としてみれば巨体に分類されるだろう。上半身裸の装いから見受けられるその身体つきは均整とれた引き締まった筋肉に覆われており、彼の美貌をこれ以上なく彩っていた。
その特徴まで見れば、彼の種族は人間に見えなくも無いだろう。しかし彼が人間とは違うと断定できる特徴が、桁外れの美貌以外にも剥き出しの背中から生えている「十枚の翼」にあった。
片翼は純白で、もう片翼は純黒。それぞれ天使と悪魔を彷彿させる二色の翼を左右に広げながら、美しき青年の青い視線は真紅の騎士へと移る。
そんな彼の姿を指して、重々しげにボボが言い放った。
「奴こそが祭壇に封印されていたバアル七十幻魔の一柱、堕天の幻魔アスモデウスじゃ」
「堕天? いかにもな姿をしていますけど、堕天使なのですか。素晴らしいデザインですね……」
「……とんでもないことになったのう、これは」
彼こそが封印されし幻魔、アスモデウスだったのだ。
彼の身から溢れ出るただならぬプレッシャーは、先に戦ったアンドレアルフス・ネクロスのそれとさえ比較にならなかった。
今挑み掛かれば自分達では一瞬でやられてしまうと……何か本能的な部分でそう感じながら、フィア達は圧迫された空気の中で彼と紅の騎士の対峙を見やる。
「外に出してもらった気分はどうだ?」
仮面の中からくぐもった声を放ったのは、紅の騎士だ。
中性的な声質に聴こえるその言葉には、彼のことを明確に嘲る意図が込められている。そんな騎士の言葉に柳眉をひそめながら、アスモデウスが問い掛けた。
「何者だ貴様? 魔王軍の者ではなかろう」
今しがたアスモデウスを封印から解き放った紅の騎士であるが、その口ぶりによれば彼の同志というわけではないようだった。
そんな二人が向かい合うこと数秒後、アスモデウスが騎士の姿を見つめている間にふと何かを察したように、小さく微笑を漏らした。
「……いや、その紅の炎は忘れる筈もない。ふっ、よもや貴様と、こんな形で再会するとはな」
「こっちで会うのは初めてだな、アスモデウス。紛い物とは言え、私との因縁も引き継がれているのだろう? 決着をつけようじゃないか」
「いいだろう。あの時は愚弟の横槍で有耶無耶になったからな。今度こそ貴様を叩き潰してやる」
アスモデウスが十枚の翼を軽く羽ばたかせると、その身体がふわりと宙に舞い上がる。
それと同時に、向かい合う紅の騎士の背中からも炎で構成された鳥のような翼が展開され、その姿は空中へと移った。
その最中、おもむろに下を向いたアスモデウスの青い眼光がフィアの目と重なる。そして一瞬だけ、彼の表情がほんの僅かに変わった。
「ふん……」
「あ」
フィアの姿を一瞥した後で、アスモデウスは同じ高度に上がった紅の騎士へと視線を返す。
そして、彼は不機嫌そうな声で騎士に提案した。
「場所を変えるぞ。ここは、俺達の戦場には狭すぎる」
「好きにしろ」
そう言ったアスモデウスは十枚の翼の羽ばたきからさらに高度を上げると、瞬く間に鍾乳洞を飛び出して白雪の舞う上空へと飛翔していった。
そんな彼を同じ速度で追い掛けながら、紅の騎士もまた飛んでいく。
「あの人……」
戦いの被害がこの鍾乳洞を巻き込むことを、アスモデウスは嫌ったのだろうか。彼の僅かな表情の変化を見逃さなかったフィアは首を傾げ、その真意を測りかねた。
正体不明の紅の騎士に、封印を解かれた幻魔アスモデウス。
飛行能力のある二人を追い掛ける術を持たない一同は、目まぐるしく変わる状況に対して途方に暮れるように空を見上げていた。
「何が何やら、ですねぇ……」
完全に崩壊し、瓦礫の山と化したアスモデウスの祭壇に元の面影はない。
その中に封じられていた幻魔アスモデウスは今や完全に解き放たれ、紅の騎士と共に空へと昇った。
自分達が置いてきぼりにされた状況の中でペンちゃんがボボに問い掛けるものの、彼もまた困惑を隠せない様子だった。
「どうするんだボボさん? アスモデウスとやらの封印解かれちゃったぞ」
「……すまぬな、わしもこの状況を測りかねておる。どうやら空ではあの者がアスモデウスと戦いを始めたようじゃが……奴が何者なのか、何故アスモデウスの封印を解いたのかさっぱりじゃ」
「プレイヤーにも見えませんでしたしね。騎士のような装い的に、あれもまたヘブンズナイツなのではないでしょうか?」
「しかし、それならば何故アスモデウスを……ヘブンズナイツにとっても、バアル七十幻魔の封印を解く理由はない筈じゃ」
フィア達の前に突如として現れ、祭壇を破壊したと思えば自らが封印を解いたアスモデウスに戦いを挑み、嵐のようにこの場を去っていった紅の騎士。
まるで自由になったアスモデウスと戦いたがっていたかのような騎士の行動は、一同にとって解せないものだった。
あの騎士がプレイヤーであるのならば、その行動の意味も自然と見えてくるのだが……とにもかくにも、紅の騎士に関しては情報が不足しすぎていた。
ただ、一つはっきりしているのはかの騎士の力が、今の自分達では到底及ばない領域にあるということだ。
上を見上げれば上空を超高速で飛び回りながらアスモデウスと切り結んでいる紅の騎士の姿があり、二人の戦闘から迸り出る力の余波は、この場に立っている一同の肌にもひしひしと伝わってくるものだった。
「うわっ、何ですかあれ……まるでバトル漫画の空中戦ではないですか!」
「楽しそうだなあんた」
「プレイヤーも、強くなればあのような戦いが出来るようになるのですよね?」
「……まあ、あれに近い動きが出来る奴は何人か知っているよ。スキル次第だな」
「燃えますわ! いい目標が出来ました!」
「お、おう」
幻魔アスモデウスも、紅の騎士も、ゲームを始めて間もないフィア達が出会うにはあまりにも時期尚早なNPCだと思われる。
しかしそんな二人がまさにファンタジーと言わんばかりの能力を駆使してぶつかり合っている光景は、レイカの瞳をキラキラと輝かせるものだった。
そんな彼女の楽しそうな姿を見ているとフィアの心も幸せな気持ちになるが……今のフィアには彼女のことよりも、祭壇を守るという目的を果たせず、瓦礫の山の前で途方に暮れている猿人の今後が気掛かりだった。
「ボボさん……」
彼のことが心配で足元まで近づいてはみたものの、掛ける言葉が見つからない。屈託した表情で彼の顔を見上げるフィアに気づいたのか、ボボが目を瞑り静かに嘆息した後、脱力した声で言い放った。
「よい……遅かれ早かれ、いつかはこんな日が来ると思っておった。アスモデウスのことは気になるが、奴ほどの存在ならば、すぐにヘブンズナイツが動く。最悪なことにはならんじゃろう……と思いたいが」
彼が何を思いながら、古の昔からアスモデウスの封印を守っていたのかはわからない。
しかし毛むくじゃらの仏頂面からは彼の気丈さと憂いを感じ、気休めの言葉すら掛けられない自分をフィアは情けなく思った。
しかし次にボボの口から出てきたのは、自身の今後のことや解き放たれたアスモデウスのことでもなく、この鍾乳洞に住んでいる弱きモンスター達のことだった。
「この場所も、随分と荒れてしまったのう……これでは、あの子達が住めなくなりそうじゃわい」
瓦礫の山から視線を外したボボの目が向かったのは、アンドレアルフス・ネクロスとの戦いから始まってこの鍾乳洞に刻み付けられた戦いの爪痕だった。
小さな村ほどの広さがあるとは言え、彼らの遺していった影響はそれほどまでに大きいものだったのだ。
特に地上へ続く天井の外壁は激しく損傷しており、太陽の光が射し込む穴の大きさは当初の数十倍以上にまで広がっていた。
「確かにあれだけ穴が大きくなると、この場所も地上からすぐに見つかるだろうな。そうなると血に飢えたプレイヤーがわんさかやって来て、モンスターを狩りに来るだろう」
「嫌な言い方をされますが、そういうゲームですからね? そこに珍しいモンスターが居れば、狩るのが当然でしょう」
「……そうだな。その通りだ」
今現在派手なエフェクトを散りばめながら上空で戦っている紅の騎士とアスモデウスの姿は、当然ながら他のプレイヤーの目にも留まっていることだろう。
そうなれば二人が出てきたこの鍾乳洞の存在が明るみになるのは時間の問題であり、多くのプレイヤー達が行き交えばその分力の無いモンスターは淘汰されていく。ボボやペンちゃんが気に掛けていたエンシェントウミガラス達も運が良ければ使い魔として生き延びることは出来るかもしれないが、基本的にはレイカの言う通り、プレイヤーにとってモンスターとは狩る存在なのだ。
フィアのようにあくまでもゲームに過ぎないこの世界で現実的な感傷を持ち込むのはきっと、プレイヤーとしてはナンセンスなのだろう。
しかし。
「……来る?」
それでもフィアは、救えるものは救いたかった。
NPCだろうとモンスターだろうと、困っている者を見過ごしたくなかったから。
それが自己満足の、自分勝手な愚かな偽善だとわかっていながらも、フィアは言った。
「フィフスが作った、優しい場所……ボボさん達も来る? みんな、一緒に」
絶滅に瀕した動物を見掛けたら、自分の判断で誘ってあげてほしい。ヘブンズナイツのフィフスからそう頼まれていたフィアであったが、この時のフィアは自分自身の意志で彼らを誘った。
フィアなりの、精一杯の善意である。
――そうしてフィフスの作り上げた楽園、「生命の泉」に新たな住民が加わることになったのが、前回のプレイで起こった最後の出来事だった。