蒼紅天使のマスカレード   作:GT(EW版)

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第2章 Endless Masquerade
エンカウント・紅の少女


 私立那楼学園高等学校には、「生物部」という部活動がある。

 活動内容は植物、動物問わず各種生物の研究であり、フィッシングや昆虫採集、バードウォッチングなどの野外活動も行っている。

 個人で採集してきた生物を飼育、観察することもまた活動の一つであり、生物室では大きめの水槽の中で多種の淡水魚が、ビニールハウスに包まれた庭園では色とりどりの花々がそれぞれ飼育されていた。

 そんな活動の中で各部員は各々の研究テーマを定め、各自調査研究を行っている。過去には部で行った研究が実を結び、学会で表彰された者も居るとのことだ。

 その生物部に、双葉志亜は所属していた。

 

 

「今日も……綺麗な、花」

 

 放課後。日の光に程よく満たされたビニールハウスに入室した志亜は、庭園に咲き乱れる真っ赤な薔薇畑を前に思わず目を細める。

 生物部が飼育している庭園の純粋な美しさは、入学間もない頃の志亜が入部を決めた理由の一つでもある。

 犬やリスを始め動物全般が好きな志亜だが、植物もまた同様に好んでいる。こうして美しい花々に囲まれていると、志亜は自然と穏やかな気持ちになった。

 

「双葉か?」

「ん……」

 

 一人ビニールハウスの中で漠然と花畑を眺めていると、そんな志亜の耳に耳当たりの良い男の声が聴こえてきた。

 自らを呼ぶその声に振り向くと、そこには志亜の前からこの庭園に居た一人の男子生徒の姿があった。

 

「青木先輩? こんにちは」

「こんにちは。あれ? 今日の当番、充じゃなくて双葉だったっけ?」

 

 鼻筋通った端正整った顔立ちをしているが、日焼けのない色白の肌と線の細い体つきは、どこか儚い印象を抱かせる。志亜の挨拶に人懐っこい笑顔で返した少年の名前は「青木翼」。志亜の所属する生物部の二年生だった。

 

「当番、違う。志亜は花を見に来ただけ、です」

「そうか、双葉も花が好きなんだな」

「先輩も、好き」

「うん……? ああ、俺も好きだよ。こうして綺麗な花を見ていると元気になるって言うか、パワーを貰えるよな」

「うん、志亜も、そう思います」

 

 生物部で管理しているこの庭園は、花への水やりも部員達が行う規則になっており、普段からローテーション式に当番が交代している。

 そして今日の水やり当番が誰かということは、今現在ジョウロを片手に持っている青木翼という少年自身が示していた。

 

「当番は、青木先輩?」

「うん。本当は充の番だったんだけど、交代してもらったんだ。俺は前回、サボっちゃったからね」

 

 ジョウロから霧状の水を振り撒きながら、翼が苦笑を浮かべる。

 その笑みに自嘲的な雰囲気を感じた志亜は、ここ最近の彼が体調不良により部室に顔を出せていないことに思い至り、その顔色を心配そうに覗き込んだ。

 

「今日は先輩、大丈夫……?」

 

 青木翼という少年は、儚い容貌から抱く印象通り身体が丈夫ではない。

 志亜もまた、彼の姿は体育の授業で怪我をしたクラスメイトを保健室へ連れていった際、ベッドで眠っている姿を何度か見かけたことがある。彼と親しい仲だと言う生物部の部長からは、授業も欠席がちで毎年出席日数が危ないとも聞いたことがある。

 病気は苦しい。苦しいは辛い……身体が小さくとも体調を崩すことは少ない方の志亜だが、それでも人より病弱な人間を気遣う気持ちを捨てたくはなかった。たとえそれが、あまり話したことのない先輩相手だとしてもだ。

 

「……うん、割と元気だよ。このぐらいなら、部活にも出れそうだね」

 

 志亜の問い掛けに対して、翼が薄く笑んだ表情で応える。

 「心配してくれてありがとうな」と続く言葉は、志亜を安心させるような穏やかな雰囲気に包まれていた。

 

「よかった……先輩が元気は、志亜も嬉しい」

 

 彼が今日の部活動に参加出来ると聞いて、志亜は心から喜びを感じる。

 表情筋は固く、その喜びを満面の笑みで表現することこそ出来なかったが、志亜なりに緊張を解いた表情を見て翼が目を細めた。

 

「双葉はいつも優しいなぁ。先輩としては情けないけど、そう言われると俺も嬉しくなる」

「志亜が、優しい?」

「ああ、美夏からも聞いているよ。いつも双葉の優しさには助けられてるって」

「……部長さんが?」

 

 優しい――そう言われた言葉に、志亜は首を傾げる。

 ただ自分は彼の身体の調子を心配していただけで、病気がちな彼の身体を健康に治したわけではない。何をしたわけでもなく優しいと言われるのは、志亜としては違う気がしたのだ。

 不思議そうに首を傾げて困惑する志亜の様子を微笑ましげに眺めると、翼が中身の水を使い切ったジョウロを所定の位置に置いた後、再び向き直る。

 

「さて、そろそろ時間になるし、部室に行くか」

「あ……はい」

 

 優しくなること――優しくなければ双葉志亜に生きる資格がないと思っていること。それは志亜自身が定めた己のルールでもあった。

 誰かに優しくすることで、その人が笑ってくれれば……志亜は初めて、自分自身を許せるような気がしたから。

 それを打算に満ちた優しさだと感じている故に、志亜は自分が本当に優しい人間だとは思っていない。

 ただ――

 

『貴方の気持ちは、醜いものなんかじゃないよ』

 

 前世の妹に酷似した少女、フィフスに言われた言葉が脳裏に過る。

 優しくない人間が優しくあろうとしていることは、決して醜い生き方ではない。彼女に言われたその言葉が、今の志亜には救いの一つになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 生物部の部室は校舎の一階、庭園から二分と経たず移動することが出来る距離に、「生物室」はあった。

 室内には部で飼育されているメダカや金魚と言った淡水魚達の水槽が各所にあり、小さなペットショップの一スペースのような光景が室内に広がっていた。

 そんな飼育コーナーを背景に、部員達は部室の真ん中で数台の机を突き合わせながら、部活動開始前の自由時間を楽しんでいた。

 

 カードゲームで。

 

 

「俺のターン、ドロー! 俺は手札から【転生トラック】を発動する!」

「なんですって!?」

 

 志亜と翼が生物室に入室した瞬間、二人の視界に真っ先に飛び込んできたのは、トレーディングカードゲームを楽しんでいる顔見知りの姿だった。

 

 一人は志亜のクラスメイトであり、無二の親友である城ケ崎麗花。

 

 そしてもう一人は超戦士的に跳ね上がった髪型をしている、先輩の男子生徒である。

 

 その他数人の部員達はそんな二人の様子を傍観しながら、和気藹々とした様子でゲームの流れを見守っていた。

 

「この瞬間、俺は転生トラックの効果により【ニートマン】を墓地へ送り、デッキから新たなキャラクターを召喚させる! 現れろ! 【転生勇者ハレムス】!」

 

 男子生徒がカードに書かれたテキストをやたら高いテンションで読み上げると、それまで机の上に浮かんでいた不潔そうな男が突如横合いから飛来してきたトラックに轢かれ、光の粉になって砕け散る。

 そして砕け散った男と入れ替わるように、カードの上に煌びやかな鎧を纏った美青年剣士が出現した。

 

 それらは全て、机の上に置かれたカードの絵から浮かんでいる立体映像である。

 

 

 「T(トリップ).A(アンド).S(ステータス)ノベルクリエイターズ」――それが、二人の行っているトレーディングカードゲームの名称だ。

 

 「Heavens(ヘブンズ) Knight(ナイト) Online(オンライン)」と同様の技術が使われているのが最大の特徴であり、同じゲーム会社が生み出した世界唯一の「VRカードゲーム」である。プレイヤーがカードから召喚させたキャラクターを戦わせ、お互いのライフポイントを削り合うこのゲームは、VRを駆使した臨場感を持って幅広い人気を博していた。

 因みに志亜も、小学生時代には何度か弟に頼まれて一緒に遊んだことがある。

 

「攻撃力10の雑魚ニートが、攻撃力350のイケメンに変わった!?」

里阿充(りあみつる)のエースキャラクター、ハレムス……激レアカードの一つだ……!」

「はあ〜……」

 

 楽しそうにカードゲームに没頭している二人を、周囲の部員達が合いの手を入れながら観戦しており、そんな彼らの様子を教卓に座る猫っ毛の女子生徒が呆れた目で眺めている。

 周囲の視線を物ともしない二人のゲームは、いよいよ佳境に差し掛かった。

 

「この瞬間、ハレムスの特殊能力が発動! デッキからヒロインカードを一枚選択し、この場に追加召喚する! 現れろ! 【奴隷美少女シーラ】!」

「出た! 里阿さんのハーレムコンボだ!」

「ヒロイン達の力を受けて、速攻能力を得たハレムスの攻撃力はさらに500まで上昇する! くらえ! ファンタスティック・セイバー!」

「きゃああああ!」

 

 見目麗しい複数の美少女キャラクターに囲まれた美少年の立体映像が、その手に携えた剣を一閃。瞬間、麗花のカードから映し出されていたカマキリ型のモンスターが真っ二つに斬り裂かれる。

 すると何故か麗花自身がダメージを受けたような悲鳴を上げ、立体映像の途絶えた机の上へと力なく突っ伏した。

 どうやら二人のカードゲームは、重力に逆らった髪型をしている男子生徒の勝利という形で決着がついたようだ。敗者となった麗花は自身のカードの束を懐に収めながら、う~っと屈辱を滲ませた表情で勝者の顔を睨んでいた。

 

「っ……私としたことが、油断しましたわ……っ」

「ふん、キラーマンティスデッキなどという古い環境カードでは、チャンプである俺には勝てん!」

「流石です、チャンプ!」

「すげぇよ、チャンプは……」

 

 勝者である男子生徒がふんぞり返り、尊大な口調で言い捨てる。城ケ崎麗花という名家の令嬢を相手に堂々とした物言いが出来る人物としては、彼もまたこの学園では数少ない人物だった。

 高校生らしからぬ逆立った髪型をしている彼の名前は里阿 充(りあ みつる)。青木翼と同じ二年生であり、生物部の副部長である。

 誇らしげな表情で席を立った彼の体格は、カードゲームをするには理想的なほど引き締まっており、180センチ以上あるモデル体型の長身は志亜の目からは自然と見上げる形になった。

 そんな彼の様子に苦笑を浮かべながら、同級生の青木翼が親しげに声を掛ける。

 

「充、お前ら部室でカードゲームやってるのか」

「なんだ青木か。今日は帰らなくていいのか?」

「ああ、今日は割と調子が良いんだ。大丈夫」

「ふん、そうか」

 

 翼の存在にようやく気づいたのか、彼の方へ振り向いた充の表情は一見不遜に見えたものの志亜の目にはそれとなく翼の体調を気遣っているようにも見えた。

 カードゲームマニアの高身長不良ヘアースタイル男と、花畑を好む病弱で儚げな美少年。まるでフィクションのようなわかりやすい個性を持っている二人であるが、彼らはお互いに仲の良い友人同士なのだと志亜は生物部の部長から聞いていた。

 その部長――先まで教卓に座りながら呆れた目でカードゲームを眺めていた女子生徒が、翼の姿を認めた途端大きく目を見開いて声を上げる。

 

「やあ、美夏。怖い顔だな」

「翼! あんたどこ行ってたのよ!?」

「あれ? 充から聞いてなかったのか? 水やり当番代わったんだよ、前回やってもらったから」

 

 バンッと勢い良く教卓を叩きながら立ち上がり、翼を問い詰める彼女の剣幕は、辺りで談笑していた他の部員達が思わず静まり返るほどの迫力だった。

 そんな彼女の言葉に、翼は申し訳なさそうに頭を掻きながら答える。

 真摯に反省の色が窺える彼の表情をしばし無言で見つめた後、彼女は深く溜め息をついた。

 

「あんたねぇ……また一人で倒れたらどうする気よ?」

「はは……まあ、庭には双葉も居たし。な?」

「志亜ちゃんはたまたま立ち寄っただけでしょうが!」

「ご、ごめん……何も言わずに庭に行ったのは悪かったよ」

「もう……っ」

 

 猫っ毛な髪質とやや目尻がつり上がった大きな目が特徴的な彼女の名前は、紫藤美夏(しどうみか)。二年生ながら、三年生の居ない生物部の部長を務めており、志亜も彼女には入部してからの一ヶ月間、幾度となく世話になっていた。

 そんな彼女もまた、翼の体調を気遣っていたのだ。なんでも翼は過去に体調を崩して部活動中に倒れたことがあるらしく、それ以来彼女は常々彼に単独行動させないよう校内では行動を共にしていた。

 私生活においても二人は家が隣同士でベランダを跨ぐ幼馴染という間柄で、同学年ながら昔から姉弟のような付き合いをしているとの話だ。

 そんな二人のことを初めて見た時「正統派のラブコメ来ましたわ」と興奮した様子ではしゃいでいたのが、志亜と共にこの生物部に入部した直後に漏らした城ヶ崎麗花の弁である。

 閑話休題。美夏はこうして彼の単独行動を厳しい口調で咎めているが、あくまでもそれは彼のことを気遣っているが故の優しさから来ている行動である。しかし、もしそのことで二人が仲違いするようなことがあれば、それはとても悲しいことだと志亜は思う。

 故に志亜は、出過ぎた真似と思いながらも彼女の前に出て口を挟むことにした。

 

「紫藤先輩……青木先輩を、怒らないでください」

「い、いや……怒ってるわけじゃないのよ? ありがとね志亜ちゃん、コイツと一緒に来てもらって。コイツったら、すぐ倒れるくせに一人でどっか行っちゃうのよ……」

「……面目ない」

 

 気の強さが窺える彼女の大きな目が、仲介に割り込んできた志亜を目にするなり困ったように泳ぎ、その覇気を無くす。

 手の掛かる弟の世話を押し付けてしまった姉のような表情を浮かべる彼女に、志亜はお礼を言われることは何もしていないと返す。

 実際、今日の翼は倒れそうな様子はなく、至って元気そうに見えた。庭園から部室までの道のりも大したものではなく、手間としては全く感じていなかった。

 

「志亜さん、貴方庭園に居たんですか。先に部室に行ったと思ってましたわ」

「ん……うん。花を、見ていた」

 

 授業が終わってからの間、志亜が翼と共に居たということを初めて知った麗花が意外そうな表情を浮かべたが、そこに居た理由がただ単に花が見たかったからということに、彼女は「いつものことか」と納得の顔をする。普段から志亜は、休み時間中にふらっと教室から抜けては、花の成長具合を観察していることがあるのだ。それは別段今に始まったことではなく、志亜からしてみればそんな自分よりも先に部室に向かっていた麗花が先輩とカードゲームをしていることの方が意外だった。

 

 双葉志亜と青木翼の二人が部室に到着したことで、今この場には生物部のメンバーが全員揃ったことになる。

 三年生は所属しておらず、二年生は部長の紫藤美夏に、副部長の里阿充。青木翼とその他男子生徒が二人。

 一年生には志亜と麗花、その他男子生徒が二人。

 男女比は6:3。この九人に顧問を加えたのが、那楼高校生物部の陣容だった。

 一同が部室に揃ったことで、教卓の前に立った部長の美夏が手を叩いて注目を集め、部員達に指示を送った。

 

「先生からは全員揃ったら始めていいって言われてるから、もう始めるわよ」

「うむ、今日はバードウォッチングをするのだったな!」

「残念だけど今日の活動は川のゴミ拾いよ。珍しい野鳥を見掛けたら観察してもいいけど、ある程度掃除を済ませてからね」

「この私にゴミ拾いをさせるとは……面白そうですね、やりましょう」

「先生は現地?」

「ええ、もう行ってるそうよ」

 

 主な部員が研究テーマを持って活動に取り組んでいる那楼高校生物部だが、一貫して「自然と寄り添う」ことが第一のテーマに掲げられている。

 自分達の生きている自然に対して敬意を払い、共存する生物達を尊重する気持ちを抱くこと。そのテーマは高校生活において取り組む部活動を決めかねていた入学当時の志亜にとって、この部に入部することを決めた一番の理由でもあった。

 単純に植物や動物が好きだから……というのもまた理由の一つだが、そんな気持ちで入部したこの生物部での活動は、意外と自分に合っていると志亜は感じていた。

 ……尤も昆虫の標本作りや解剖実験など、他の部員達が取り組んでいる活動には未だに手を出すことが出来なかったが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 那楼川。

 

 そこは読んで字のごとく、志亜達の住む那楼市に流れている大きな川である。

 その川は那楼学園の敷地から離れて数分程度歩いた距離に流れており、河川敷には野球やサッカー用のグラウンドが各所にあり、河原には釣りを楽しむ釣り人達や水遊びをする子供達の姿がちらほらと見えた。

 比較的綺麗な水質の川には住処としている魚達は勿論、その魚を食べに来た野鳥達が降り立ち、時々ではあるが珍しい野鳥の姿を目撃することが出来る。それを目的に生物観察を行うことも、生物部の活動には含まれていた。

 ごく稀にどこからか野生のアザラシが迷い込んできたという噂が流れることもあり、それが目当てで訪れる人々も何人か居た。

 そんな理由もあってか人通りがそれなりに多い川の周りには、心無い人々に放置された空き缶やビニール袋などのゴミの姿が散らばっていた。

 そういった廃棄物を片付け処分することが、今回の生物部の活動だった。

 日頃から生物の研究を行わせてもらっている感謝の気持ちとして、生物を育んでいる自然に恩返しをしようというのが活動テーマである。

 軍手とトング、ゴミ袋を携えながら那楼川の河原に降り立った志亜達生物部一同は、顧問の先生や部長の紫藤美夏の指示の下、活動に当たった。

 

「川辺での作業だから、原則として二人以上で行動すること。ここら辺は川も浅いし流れも遅いけど、ゴミや珍しい石があるからって川の中には近づきすぎないこと。わかった?」

「イエス部長!」

 

 主な指示は川辺の作業に対する危険意識についての植え付けであり、怪我や事故の発生を強く警戒したものだ。

 那楼高校には県内でも成績の良い生徒が集まっているが、小学生に言い聞かせるような指示をするなと侮ることなかれ。時に一歩間違えれば死に至る危険が待ち構えているのが、川という自然が持つ脅威なのだ。

 彼女の指示が持つ意味を、志亜は真剣な表情で読み取った。

 

 そうして、志亜達は那楼川のゴミ拾いを開始する。

 二人一組以上を原則とした今回の活動であったが、志亜と組んでくれたのはやはり城ケ崎麗花だった。

 この時志亜の目に意外に映ったのは、鼻歌混じりにゴミをトングに掴み、志亜の持つゴミ袋の中へ放り込んでいく彼女の姿である。

 

「あらあら、こんなところにも空き缶が」

「麗花、楽しそう。少し、意外」

「そうですか? まあこんな体験、普段は出来ませんからね。お父様からも、学生のうちにこういう経験をしておくよう仰せつかっておりますし」

 

 絵に描いたような名家の令嬢である彼女は、普段こういったボランティア活動を行うことはない。

 自宅の掃除ですら、使用人達の仕事として彼女自身が手を下すことはほとんどないのだ。

 そう言った事情があれば自分がこのような活動をすることに反発心を抱きそうなものだが、その辺りに関しては彼女は中々にポジティブな人間だった。

 普段経験することのないことを行った時、その経験はいつか自分の糧になる。そう信じている彼女はRPGの主人公が経験値を獲得していくような感覚で庶民じみた苦行を楽しんでおり、新鮮に感じている様子だった。

 

「その点で言えば、余計な気を遣われないこのクラブは割と居心地が良いですわね。……まあ、うちの執事は今この時でも、物陰からこそこそ見張っているようですけど」

「ふふ……」

 

 軍手をはめてトングでゴミを拾い上げていくドリルヘアーの姿は傍目からはややシュールに映るが、本人は特に気にしていない。

 そんな彼女がちらりと横目に映した方向には、岩陰に身を隠しながら彼女の様子を窺っている運転係兼執事の後頭部が見える。彼は城ケ崎家に雇われた護衛の身でもあり、今回のように麗花が野外活動を行う際には陰ながら見守ってくれていた。冷静に考えれば隠れる必要など無いのだが、彼も彼で常に自分が後ろに居ることでお嬢様に気を遣わせたくないとのことだ。

 そんな彼の姿にあえて気づかないふりをしながらゴミ拾いを進めていく友人の姿に、志亜は思わず微笑みを浮かべた。

 

「麗花は、優しい人。やっぱり、大好き」

 

 麗花が見た目に似合わずこうして積極的にゴミ拾いを行ってくれているのは、確かに人生経験の為もあるのだろうが根底には自然を愛する気持ちがあるからなのだろう。自分の執事に対してささやかな気遣いが出来るように、彼女は性根の部分から優しい人間だ。

 その優しさを近くで見てきた志亜は、彼女のような人間になりたいと心から思った。

 

「……貴方って、自分以外の人はみんな優しい人だと思ってそうですね」

「……?」

 

 麗花が志亜の言葉に対して何とも言えない表情を浮かべながら、呆れた口調で呟く。志亜には否定できない言葉だった。

 志亜は自分以外の誰かに対して、キラー・トマトの時のように理解出来ない人間だと思ったことはあっても、はっきりと「悪い人間」だと断定したことはない。

 自分以外の人間には誰にだって優しい心があり、良いところがある。そう信じているからこそ、自分もまた優しい人間になりたいと思ったのだ。

 

 

「麗花、そろそろ志亜が拾う」

「あら、では交代しますか」

 

 川を下りながらしばらくゴミ拾いを続けていくと、頃合いを見てゴミ袋を麗花に預け、今度は志亜がトングを持つ。

 数分置きにゴミ拾い係とゴミ袋係を交代する。特に誰かに決められたわけでもなく、自然と出来上がっていた作業の流れだった。

 普段の学校生活からもそうだが、麗花との行動は自然と呼吸が合う。中学二年生の頃に友人関係になったばかりの筈が、志亜にはまるで数十年来の仲のように感じていた。

 

 ――これが、双葉志亜の交友。「彼」ではない、前世とは何の関係もない大切なもの。

 

 双葉志亜が双葉志亜として生きていける、彼女の傍は居心地が良かった。

 双葉志亜を双葉志亜として受け入れてくれる、彼女の存在が温かかった。

 そんな友人達と現実生活で過ごしていく、この平穏な時間を志亜は愛していた。

 しかし、そこに新たな影が射し込んできたのは、その時だった。

 

「あ」

「志亜さん? どうかしました?」

 

 ゴミを拾い続けること数分後。川の向こう側まで架かっている「那楼大橋」の下まで移動した時、志亜はその光景を目に映し、トングを扱う手を止めた。

 

 橋の下――上空の日差しから身を隠すように、橋の陰になっている位置に一人の少女が座っていたのだ。

 

 他校の生徒なのであろう。真新しいセーラー服を身に纏った少女が、芝生の丘に座り込みながら河原を見下ろしている。

 体育座りの姿勢でスカートの腰を芝生につけている少女の膝上にはB5用紙ほどの大きさのスケッチブックが載せられており、その右手には一本の筆が握られていた。

 そんな少女の姿に、麗花が呟く。

 

「風景画でも描いているのでしょう。あの制服は確か、隣町の天阜嶺(てんふれい)高校でしたか……?」

 

 一目見れば、その様子はこの那楼川の風景をスケッチブックに描いているのだろうと窺うことが出来る。もしくは河原をちょこちょことうろついている、小鳥の姿を描いているのかもしれない。

 それは別段、不思議な光景というほどではない。

 しかし志亜は少女の姿を一目見た瞬間、その視線を外すことが出来なかった。

 彼女の描いている描画に対してではない。この時、志亜の心には少女の存在そのものに対して、表現することの出来ない感情が走ったのである。

 

「くれな……」

 

 ごく自然的に、志亜の口から声が漏れる。

 少女は、紅の髪をしていた。

 遠目に見た時は橋の陰に被さって暗くなっていたが、近づいてみれば少女の異色な髪色がはっきりと見える。

 同じくそれに気づいた麗花が、現実世界らしからぬその色に驚きの声を上げた。

 

「わっ、あの人の髪、凄い色をしていますね! まるでHKOのアバターみたいですわ……」

「くれない……あかい……?」

 

 赤みがかった、という段階ではなくまさしく真紅の髪だ。燃え盛る炎のようなその髪はセミロングの長さで肩まで真っ直ぐに下ろされており、華奢な身体つきを凄まじい存在感で覆っている。

 さらに近づいてみれば瞳の色までも赤いことがわかり、少女は凛とした双眸で河原を歩く小鳥達の姿を眺めていた。

 

「綺麗な人……」

「志亜さん?」

 

 存在自体が絵画のように思えてしまう少女の姿に、志亜は率直な感想を溢す。

 どんな宝石よりも研ぎ澄まされた美しい輝きを放っている、紅の少女。志亜はこれまで麗花を始めとして、女性に対して美人だと感じたことは何度もある。外見にしても、内面にしてもだ。しかしこの紅の少女の姿を目にした時、志亜の心に響いたのはそれらとは次元の違う不思議な感覚だった。

 顔立ちや姿だけではなく、彼女から感じる何もかもが美しいと感じる。志亜はたった今目にしたばかりである筈の彼女のことが――世界の誰よりも美しいと感じたのだ。

 

 無論、志亜は同性愛者ではない。しかし……何故だか紅の少女の存在が、この魂に響き渡るほど愛おしく感じるのだ。

 

 そんな無意識の仲、気づけば花に群がる蝶のように、志亜は彼女の元へと歩み寄っていた。

 

「あのっ」

 

 描画に没頭している彼女に対して、志亜は自分自身さえ用件がわからないまま話し掛ける。

 その行動全てが志亜にとって、誰の意志なのかもわからない衝動的なものだった。

 

「ん……?」

 

 そんな志亜の口から放たれたか細い呼び掛けの声に、紅の少女が気づきスケッチブックから顔を上げる。

 真紅の瞳が志亜の目と合わさった時、少女はほんの僅かに表情を変えた。

 

「……なに?」

「あっ……ぅぅ……」

「………………」

 

 初対面の人間から不意に声を掛けられた少女は、数拍の間を置いて志亜に用件を問い質す。

 感情が読み取れないその言葉を聞いてはっと我に返った志亜は、自らが声を掛けた手前どうすればいいのかわからず慌てふためいた。

 

 

 

 

 

 




クレナ「ライバル登場!」

レイカ「!?」

フィア「??」

 百合ん百合んな三角関係は別に始まりませんが、そんなこんなで第二幕の始まりです。
 追憶編のくだりがガッツリ絡んでいく話になるかと思います。一章後のHKOの状況なんかはまた後の回で明かしていきます。


あっ、最近なろうでも連載を始めました。色々とタイトルに悩みましたが、結局本作と同じタイトルでやることにします(露宣

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