まばゆい閃光が消え去った時、それまで激震に襲われていた鍾乳洞は嘘のように静まっていた。
静寂に包まれた世界の中で、ぽつりと現れた青白い光の繭が朧のように掻き消える。
そしてその中から出てきたのは、普段と何も変わらない姿のフィアとリージアだけだった。
「フィアさん、無事でしたか」
「アルフス……あいつはどうした? まさか、倒したのか……?」
フィアの背中に生えていた光の翼は今は無く、そこに居るのはレイカやペンちゃんの知る普段の彼女と変わりは無い。
彼女の無事に安堵する一方で、当然ながらこの場に居合わせた一同はこの状況を理解しかねていた。
何より、先ほどまで猛威を振るっていた幻魔アンドレアルフスの姿がどこにも無かったのだ。
もしやあの光の中でフィアが彼を討滅したのだろうかとペンちゃんが慌ただしく問い質したが、フィアは静かに首を横に振り、確信の篭った言葉で答えた。
「……あの人の戦いは、終わっていた」
「え?」
自分が終わらせたのではなく、始めから終わっていたのだと。
一連の騒動によってポッカリと空いてしまった鍾乳洞の天井穴から青空を見上げながら、慈しむようにフィアが語る。
そして彼女が語った「真実」に、一同の表情は驚きに見舞われた。
それは、フィアにとっても驚くべきことだった。
あの蒼い世界に入るまで彼の身から放たれるあまりの覇気に気づかなかったが、彼の心に触れて初めて知った事実である。
――アンドレアルフスは既に、この世から他界した存在だったのだと。
かつて環境汚染によって絶滅したクジャク型モンスター。その最後の生き残りだった彼は、偶々その場に居合わせた魔王バアルとの契約によって悪魔として生まれ変わり、幻魔アンドレアルフスとして魔王軍に加わることになる。
そんな彼は魔王と共に創造神ルディアとヘブンズナイツら地上の守護者達に挑み、大戦において獅子奮迅の働きで人類を苦しめた。
しかし彼は大戦末期にヘブンズナイツの一柱、2の騎士ツヴァイとの戦いに敗れ、志半ばでこの世から消滅することになった。アンドレアルフスの体験を夢見心地にあの蒼い世界で見ていたフィアは、その光景をおぼろげながらにも記憶していた。
つまり彼は数千年前の大戦で命を落とした身であり、この世に居ない筈の存在だったのだ。
「なるほど……やはり奴は、大戦で死んでおったのか」
「そう言えば、ハーメラスの図書館にもそれらしい文献がありましたね。「虹翼の幻魔の最期」だとかそういうのが」
そんなフィアの説明に対して得心が行ったように頷いたのが、実際の大戦経験者であるボボと図書館に入り浸り魔法の習得の傍らあらゆる書物を読み漁っていたレイカの二人だ。
しかしそれならば、先まで自分達の前に現れて圧倒的な力を見せていた敵は何者だったのか……誰もが浮かべた疑問に、フィアが答える。
「あの人は、幽霊になっても戦っていた。死んだこと、気づかないで……ずっと、戦っていた……」
「幽霊ですか。ファンタジーと言いますか、オカルトと言いますか」
あのアンドレアルフスは死後に浮かばれなかった彼の無念が霊体となった亡霊「アンドレアルフス・ネクロス」なのだということを、フィアはたどたどしく語る。
あれの本質は生きたモンスターではなく、端的に言えば幽霊に過ぎなかったのだ。
「なるほど……道理でこっちの攻撃が効かなかったわけだ」
「死して尚あの強さとは……魔王軍の幹部というのは、一筋縄ではいきませんわね」
正体が幽霊であるのならばこちらの攻撃が通じないのも道理であり、まともに戦っては始めから勝ち目の無い戦いだったのだ。その事実に「とんだクソゲーだ」と溜め息を吐いたのはペンちゃんである。これに勝つには戦いを始める前に彼が幽霊であるという真実を理解した上で、対アンデッド用の魔法なりスキルなりを磨いた上で相応に頭数を揃えたパーティでなければ攻略は不可能だったことだあろう。
しかしそれでは、その亡霊は今どこに行ったのか……ペンちゃんがフィアの顔を見上げながら、訊ねた。
「あいつの正体が亡霊だったとして……あいつは、どこに消えたんだ?」
「あの人は、成仏した。フィアが話したら、もう戦わなくていいって、わかってくれた」
「説得したのか?」
「うん……あの人は、優しい人だった」
少し嬉しそうに僅かに頬を緩めたフィアの口から返って来たのは、彼は無事天に召されたのだという報告だった。
生前の怨念が赴くままに戦いを続けていたアンドレアルフスはフィアの説得により自分が戦いを終えた亡霊であることを理解し、遥か昔からこの世界にはもう自分の復讐相手は居ないのだとわかってしまった。そして何よりも、彼の好きだった蒼い空が戻って来たことを理解したのだ。彼は思い出したのだ。そこが自分の、本当に帰るべき場所であることを。
彼が繰り返してきた戦いは決して無駄ではなかった。彼の行ってきた悪行さえよく頑張ったと労ったフィアは、もう誰とも戦わなくて良いのだと教えてあげたのだ。そんなフィアの抱擁を受けたアンドレアルフスは憑きものが払われたように、安らかな顔で空に昇っていったのである。
「天使か……」
「?」
「……いや、何でもない。凄いな、フィアは。正直、説得なんて発想は無かったよ」
「説得イベントって言うのは、普通はもっとフラグを立ててからやるものですからね」
武器を使うことだけが、戦いではない。武器を使わない戦いもあるのだと示すような解決方法は、精々御伽話だけの話だと思っていた。
あの時、フィアは何らかのスキルを発動したのであろうが……その件に関しては後で訊ねることにして、説得に及んだ行動自体は紛れも無い彼女自身の在り方だとペンちゃんは感じた。
うん、やっぱり天使じゃないか。
先ほどは何故か背中から光の翼を生やしていたフィアだが、ついに正体を表したかとペンちゃんは一羽納得する。
どう見ても敵意満々な敵を前に、こうも純粋な思いで説得に当たることなど早々出来ることではない。それも、バトル要素が目立つこのゲームの世界なら尚更だ。
アンドレアルフスの正体がわかり、フィアの説得によって彼が成仏したことを知った一同だが、それでめでたしめでたしとはいかず腑に落ちない表情を浮かべている者が一人居た。毛むくじゃらな顎を撫でながら、その思考を巡らせている雪男ボボである。
「しかし、いくらアンドレアルフスでも怨念だけであれほどの霊体を得ることは出来んじゃろう。それが出来るのなら、世界はもっと亡霊まみれの筈じゃ」
怨念――この世に彷徨った魂だけであれほどの力を見せたアンドレアルフス・ネクロスの存在に、ボボは首を捻る。いかに強大な力を持つアンドレアルフスと言えど、自分だけの力で死後も活動可能な霊体になることはあり得ない筈だと。
尤も、今やアンドレアルフスの魂は天に召され、真相を本人に直接聞くことは叶わなかった。
しかし、ふと、フィアは思案に耽るボボの後ろを横切った小さな影の姿を視界の端に捉えた。
「あ」
と、思わず声を上げるフィア。
「どうしましたフィアさん?」と、そんなフィアに釣られてレイカが同じ方向を向くと、彼女もまたその影に気づいた。
「あらあら、随分と可愛らしい」
その存在を目にした瞬間、レイカの頬が好戦的に弛緩する。その表情筋を乙女ゲームの悪役令嬢のように歪めながら、彼女は今しがた目にした小さな影を見下ろした。
「ピ……ピギギッ!」
二人に見つかった小さな影が、酷く狼狽えた様子で鳴き声を発する。
七十センチ程度の身長はコウテイペンギンであるペンちゃんよりも小さく、ホビットやエルフを彷彿させる尖った耳が特徴的である。しかしその腐りきって爛れ落ちている肌や不気味に輝く一つ目の眼光は、一目見て彼が人間ではないことがわかった。
その小さな身体を黒いローブに包んだ存在は見るからに怪しく、この状況でフィアの視界に入ってきたのは偶然ではないと察せられた。
そんな彼の姿を認めたボボが、一瞬にしてその正体を看破する。
「ふむ……あれは
「なるほど。ってことは、あいつがアルフス……アンドレアルフスの魂を霊体化させてた黒幕ってわけだな」
「格が違い過ぎて奴の魂を操ることまでは出来んかったようじゃがな。あれ自身は大した力は持っておらんが、放置は出来ん」
アンドレアルフスの魂に戦う力を与えた張本人が、ここに居たのである。
一つ目の小人――死霊術師の姿を疎ましく見下ろしたボボが、彼に向かってその大きな足を運んでいく。死霊を操って戦う死霊術師も、肝心なアンドレアルフスの死霊が成仏した今戦う力は持ち合わせていない。
アスモデウスの祭壇を狙い、この場所に混乱を呼び込んだ以上生かしておく理由は無い。そんな意図を持って死霊術師を踏み潰そうとしたボボの歩みを、フィアが立ち塞がり制止した。
「待って、ボボさん。フィアに任せて」
「お主……時には話し合いの通じん相手も居るのじゃぞ」
「……わかってる。でも、何も聞かないは、良くない」
アンドレアルフスの亡霊を使い、祭壇を狙った黒幕。
今目の前に居る死霊術師がそうなのだとしても、フィアは有無も言わせずに彼を討つことはしたくないし、させたくなかった。それが自己満足の偽善だということはわかっている。しかしそれでも、まずは話し合いから始めたかったのだ。
苦言を呈しながらもこちらの意を汲んで引き下がってくれたボボに感謝しながら、フィアは前に出て死霊術師と向き合う。
死霊術師の発する言語は人間の言葉ではない。しかし「異種対話」のスキルを持つ自分なら、彼と対話することが出来る筈だと思ったのだ。
「ギギッ……」
「どうして、あんなことしたの?」
ローブの下から冷たい汗を流しながら、フィアに見つめられた死霊術師は少しずつ後ずさる。
怯えたような目で睨み返してくる死霊術師の姿からは、「異種対話」のスキルを持ってしても思考を読み取ることは出来なかった。
「どうして?」
それでも、フィアは問い質す。
母親が悪いことを隠している子供に探りを入れるように、一秒たりとも目を逸らさず、フィアは死霊術師の目的を訊ねた。
そんなフィアの姿を見て、レイカが感心したように呟く。
「久しぶりに見ましたね。フィアさんが怒っている姿」
「え?」
フィア自身にその自覚は無かったが、この時のフィアは静かに怒りを感じていた。
キラー・トマトに対して感じたのは悲しみの方が大きかった。しかしアンドレアルフスの心に触れたフィアの心が抱いていたのは、死霊術師に対する真っ直ぐな嫌悪感だったのである。
「死んだ人を、どうして戦わせたの?」
アンドレアルフスは長い時を戦い続け、その役目を果たして命を失った筈の存在だった。
しかし彼の無念は死後も尚現世を漂い、その魂を拾い上げた死霊術師が彼を霊体化させ、再び戦う為の力を与えた。それが、アンドレアルフス・ネクロスの正体である。
わかっている。アンドレアルフスは利用されていたわけではなく、自ら望んで戦っていたことも。決してこの死霊術師に命令されて動いていたわけではないのだと。
だが……
「死んだ人を、どうして眠らせてあげなかったの?」
死者と交信出来る力があるのなら、どうして戦わせる前に労いの言葉一つ与えてやれなかったのかと――フィアは問い掛けた。
ここがゲームの世界であることさえ忘れて、フィアはその瞳にフィア自身ではない誰かの感情を乗せて訊ねた。
「こたえて」
尚も答えぬ死霊術師に対して、フィアは一歩ずつ詰め寄って顔を近づける。
そんなフィアに対して死霊術師が返したのは――攻撃だった。
解読不能の雄たけびを上げながら両腕を振り上げ、その手に禍々しいエネルギーを集束させる。
一瞬にして構築された魔力の弾が、無防備に近づいたフィアの身を襲うべくまばゆい閃光を放つ。
フィアはその攻撃に反応することが出来た。しかし、あえて何も動かなかった。
問い掛けに対する答えが攻撃なのなら、それが済めば今度こそ満足出来るのだろうかと……フィアはこの期に及んでも彼に刺激を与えぬよう、ゆっくりと口を動かし、訊いたのだ。
「これで、貴方は救われる?」
「ッ……!」
初めて、死霊術師のしわがれた表情に動揺のさざ波が走る。
そして次の瞬間――彼の構えた魔力の弾が手元から弾け飛んだ。
「――!」
鍾乳洞の天井――そこから飛来して来た紅の弾丸が彼の攻撃を打ち消したのだとフィアが認識した頃には、目の前に立っていた死霊術師の姿は無かった。
ただ目の前には、死霊術師だったものの姿がそこにあった。
上から飛来して来た紅の影に踏み潰され、倒れ伏した死霊術師の身体は噴き上がった紅蓮の炎に焼かれ、断末魔さえ上げられぬままこの世界から消えて無くなる。
ほんの一瞬の出来事である。
死霊術師の肉体を焼き払った炎の中には、一人の
頭部を覆うフルフェイスの仮面は、その素顔を隠蔽しており窺い知れない。
しかしその身を覆う真紅の鎧と、仮面の隙間から背中に掛けて下ろされた長い髪の毛だけは一目で窺うことが出来た。
「あれは……!」
レイカからは困惑が、ペンちゃんからは彼女の登場に息を吞む音が聴こえた。
フィアがその正体を人間――それも女性であると見抜くことが出来たのは、一目で男性とは違うとわかるしなやかな体つきからだ。
インナーの上に胸部腰部四肢に鎧を纏った露出の少ない装いをしているが、その体格は鎧の上からでもわかるほどに華奢だった。
「貴方は……?」
「…………」
紅蓮の炎の中で真紅の髪を靡かせながら佇む女性の姿を目に、フィアの口からは自然と彼女に対する問いかけの言葉が出てきた。
真紅の女性は何も答えなさい。
――しかしフィアの目を見つめる仮面の下で、ほんの少しだけ震えているように見えた。
【第1章 Heavens Knight Online】Fin.
NEXT【第2章 Endless Masquerade】
紅の騎士(その正体は謎に包まれている)登場。
これにて一章終了です。