蒼紅天使のマスカレード   作:GT(EW版)

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話数調整の為二話連続の追憶編。次回からフィアサイドに戻ります。


《紅の追憶4》止まらない転生者

 ルディア大聖堂の最深部――本来ならばロラ・ルディアスが創造神ルディアの神託を受け取る「神託の間」のさらに奥へ入った地下室には、聖なる力に覆われた「神器の間」があった。

 真紅の不死鳥の姿が描かれた広間の床の上には三つの台座が設置されており、その内の二台には二つの「神器」が収まっている。

 右端の台座に収まっているのは「聖槍バルディリス」――引き抜いた者に天上の騎士「神騎士」の称号を与える奇跡の槍だ。

 そして中央の台座に収まっているのは「聖剣ヴァレンティン」――引き抜いた者に希望の存在「神勇者」の称号をもたらす究極の剣だった。

 その傍ら、左端の台座にはかつて「聖杖サーフェイト」という杖が収まっていたが、その杖はロラ・ハーベストという少女が引き抜いて以降彼女が「神巫女」の称号を承った今、空席になっている。故に今現在この「神器の間」にある神器は聖槍と聖剣の二種のみであったが、二つ神器が放つ存在感は尚圧倒的だった。

 

 相応の身分でなければ入室することさえ許されていないその「神器の間」には今、聖剣ヴァレンティンが収まっている台座の前で拝むように片膝をついている一人の青年の姿があった。

 紫色の長髪を後頭部で一本に結んだ青年の名はマキリス・サーバエル。聖堂騎士団の副団長にして、やがては団長の座に就く男であるとクレナの未来知識にはそう記憶されていた。

 

「勇者よ……お導きください。かつて私に希望を教えてくれた、その光で……」

 

 部屋の前に立ちながら室内の様子を窺っているクレナの目に気づかぬまま、マキリスは台座に収まった聖剣ヴァレンティンに対して一心不乱に祈り続けている。

 遥か昔、創造神ルディアと戦いを繰り広げた邪神を滅ぼしたと伝えられている神勇者の剣は、それ自体が神の如く特別な存在なのだ。彼がその神器に対して並々ならぬ執着心を抱いていることもまた、クレナは未来知識から知っていた。

 

(この時代でも、同じか……)

 

 アカイクレナの辿った未来では、どんな手を使ったのやらマキリスはその剣を引き抜き神勇者の称号を手に入れた。

 そんな彼はクレナの前に現れて、覚悟を決めた目でこう言ったのだ。

 

『召喚勇者というまがい物ではなく、私という真の勇者が生まれた今、君達の役目は終わった。魔王軍もフィクス帝国も私が滅ぼす。だから君達は……君は何もせず、私の示す未来を見ているがいい』

 

 敵は全て自分が滅ぼす。だから君達はもう、戦わなくて良いのだと。

 魔王軍も人類軍も関係なく、目に映る全ての者に対して徹底的な武力介入を行っていく姿はどれほど頼もしく、痛々しく、虚しかったことか。

 こうして聖剣に祈る彼の姿を見ているだけで、クレナの脳裏には未来における彼の生き様と死に様、両方が映し出されてきた。

 

『愚民どもよ、聞け! 我が名はキメリウス! バアル七十幻魔の一柱にして、真の勇者となった者――聖剣ヴァレンティンの名の下に、世界に光をもたらす男だ!!』

 

 戦力差など構うものかとばかりに彼は世界を相手に反逆し、最後は志半ば魔王に敗れ息絶えていった彼――出来ることならば、未来で辿ったのと同じ末路にはしたくないとクレナは思った。

 未来のクレナは最後まで彼の想いに報いることはなかったが……それでもマキリス・サーバエルという男は、この世界で数少ない恩人なのだから。

 

 ……尤も、それ以上に今のクレナが執着しているのは怨敵であるゼン・オーディスの命、ただ一つだった。

 

 そんな、決戦前の一幕である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フィクス帝国の帝都「ドラボス」に聳える王城。その地下にある薄暗い大広間の中に、聖地ルディアの神巫女ロラ・ルディアスは幽閉されていた。

 太陽の如き紅色の法衣を纏った金髪の少女は、その大広間の中心で両手を組み、祈りを込めるような姿勢で座り込んでいる。周囲にはそんな少女を守るように、何人たりとも寄せ付けない透明で強固な防壁が張り巡らされていた。

 その姿はまさに聖女と呼ぶべき神秘的なものだったが、彼女のそれがせめてもの抵抗であることをゼン・オーディスは見抜いていた。

 

「オーディス様!」

「神巫女はいつからこうしている?」

「この封魔の間に入れてから、ずっとです……食事にも手を付けず、あのように眠り続けています」

「ふむ……」

 

 二日ぶりにオーディスがこの広間に入り、神巫女の見張りを任せていた衛兵達に訊ねると、彼らは緊張を隠せない表情を見せて応対する。

 そんな彼らの報告を聞きながらも、爬虫類めいたオーディスの目は防壁の中で死んだように眠っている神巫女の姿を分析していた。

 

「この「封魔の間」に居ながら自ら代謝を抑え、仮死状態になりながらもこの結界を維持しているのか……なるほど、これが創造神ルディアの神巫女。強かなものだ」

 

 数日前、王命の下にフィクス帝国から神巫女ロラ・ルディアスを攫ったオーディスは、彼女を王城に招き入れると主君である王と対面させた。

 王がロラに要求したのはやはり神巫女たる彼女のフィクス帝国への従属であったが、彼女は頑なにそれを拒み、それどころか「頭が高いぞ老いぼれ! 私を解放しなければ、やがて目覚める神の炎がこの国の全てを焼き尽くすことになる!」と凄んでいたほどであった。

 聖女の鑑と言えるほどの美しさと気品を併せ持った神巫女が放つ予想外の威圧感は、長年この国を治めてきた帝王にも劣らない苛烈さだった。これにはオーディスも驚き、十六の小娘とは思えない気丈な姿には敵ながら感心したものだ。

 通常であればそのような反抗的な人間は召喚獣や召喚勇者達のように隷属の魔法を掛けたり、拷問に掛けて心から圧し折りにいくのがこの国のやり方であるが、創造神ルディアという実体の掴めない存在が背後に居る彼女にはさしもの王も慎重だった。今の創造神に物理的な裁きを下せるだけの力が無いことはわかっているが、かのルディア教は世界にも浸透している宗教だ。

 フィクス帝国内では禁止されている宗教であるが、国民の中にも隠れた信徒の数は少なくないと聞く。

 それ故に神巫女を拉致した今回の件は未だ公にはされておらず、今のところは王宮内の内密の話にされている。

 彼女の持つ計り知れない影響力を鑑みたところ、今はまだ彼女をこの「封魔の間」という入室者の魔力を抑え込む部屋に幽閉するだけに留めており、オーディスもまた彼女に手荒なことは出来ないでいた。

 

「お目覚めください、ロラ様」

 

 一種の芸術品のような姿で眠っている彼女の元へ移動すると、オーディスはその右手に持った杖の先でコンッと彼女の周囲を覆う防壁――結界の壁を叩く。

 瞬間、叩いた箇所から亀裂が走り、彼女を守る結界は瞬く間に砕け散っていった。

 フィクス帝国の民が召喚魔法に長けているのと同じように、聖地ルディアの民は結界魔法に長けている。特にこの神巫女ロラ・ルディアスの張った結界の強度は非常に高く、術者の魔力を低下させるこの「封魔の間」でも打ち砕くことは困難な筈だった。

 その結界を事もなげに破ってみせたオーディスの入室に気づいた神巫女が、ゆっくりとその目蓋を開く。

 そして鈴を転がすような声で、神巫女ロラは言った。

 

「……ルディアの結界を破壊するその力……それは、貴方自身のものではありませんね?」

 

 祈りを込めるように組んでいた両手を解き、ロラは広間の中心から立ち上がってオーディスの目を見据える。

 水のように澄んだ紺碧の瞳は彼女よりも頭二つ高いオーディスの姿を間近に見ても臆することなく、周囲に誰一人味方の居ないこの状況の中でも勇ましく見えた。

 これほどの強い眼光を持っている者は、魔王軍の脅威に怯え切った帝都の一般人にはまず居ないだろう。そう思えるほどの眼差しは、オーディスにとって好印象だった。

 

「ええ、これも召喚魔法によって発展した我が国の力の一片。魔王軍の進撃に耐えながらも、我々は着々と力を付けているのですよ」

「愚劣なことを言いますね。その力は、貴方がたが拉致したチキュウの民から奪ったものでしょう」

「これは手厳しい」

 

 フィクス帝国では一年周期で大規模な召喚魔法により、チキュウという異世界から勇者を召喚する儀式が行われる。その中でも実際に魔王軍を倒しうるほど強力な能力を持つ者はほんの一握りだが、それ以外の「使えない」勇者達の存在も帝国では有効に活用されていた。

 このゼン・オーディスがいとも簡単に聖地ルディアに入り込むことが出来たのも、今しがた神巫女の結界を破ることが出来たのもその恩恵にある。

 

「チキュウの民には魔族や人類の張る結界を突破する力があると聞きます。故に、貴方がたの勇者召喚は二つの目的があって行われている」

 

 他国には知られていない筈のフィクス帝国の内情、それを看破した口ぶりで、ロラは言葉を続ける。

 

「一つはチキュウの民による魔王軍への進撃。チキュウの民ならば魔王領を覆っているあの結界を突破出来るから、貴方がたは彼らを勇者と称して戦いを強要させている」

「正解です。我らフォストルディアの民では、魔王軍の「魔結界」を突破することが出来ない。故に、チキュウの民という召喚勇者の存在は実に有効だった」

 

 暗黒の門を越えて魔界からやってきた魔王軍は、今や世界各地に闇の結界を張り巡らせている。

 その結界はフォストルディアの民の魔力を封じ、人々から戦う力を奪っていく恐ろしいものだ。

 この世界の人類がこうも魔王軍に圧されているのも、全てはその「魔結界」の力があるが故だ。この結界の前ではどんな強者でも思うように力を発揮することが出来ず、多くの戦士達が無駄死にしていった過去がある。

 

 そこで役に立ったのが、フィクス帝国によって召喚されたチキュウの民だ。

 

 どうにも魔王軍の「魔結界」はフォストルディアの民にのみ効果が働くらしく、異世界の人類であるチキュウの民には影響しなかったのだ。

 だからこそフィクス帝国の召喚師は彼らを召喚し、積極的に魔王領へと差し向けている。尤も結果はほとんどが勇者側の壊滅という残念な結果に終わっているが、チキュウがある限り使える駒は幾らでもあるというのが帝都側の認識だった。

 それに、呆気なく全滅した召喚勇者達の犠牲も無駄にはならない。その理由をオーディスが語る前に、ロラが言い放った。

 

「二つ……この国はそんなチキュウの民を解剖し、彼らの力を研究することで結界破りの魔道具を製作したと聞きます。貴方のその杖のように」

「おや、そこまで知っていましたか」

 

 オーディスが今持っている杖には、あらゆる結界を打ち破る効果を持った魔石が組み込まれている。その魔石は召喚勇者達のデータを基にして作られたものであり、召喚した勇者達の何人かを解剖に回したり、研究室に送ることによって先日完成に至ったものである。

 この魔道具が量産されれば魔王軍の「魔結界」を破り、人類が反撃に打って出ることも可能だろう。オーディスはあえて言わなかったが、聖地ルディアを襲ったのにはこの魔道具の性能実験を行う目的もあったのだ。

 そしてその目的は想定通りの形で達成され、帝国の作った結界破りの魔道具は聖地ルディアを覆う神の結界さえ破ることが出来るとわかった。帝国の手で魔王軍を破った暁には、多くの召喚勇者達の犠牲が無駄ではなかったという美談が後世に語り告げられるだろうとオーディスは想像していた。

 そんな彼の顔を、ロラが蔑みの目で見据える。

 

「この国を魔王軍から守っている結界も、過酷な戦いに耐えられなくなり、心を壊したチキュウの民の身体を媒体にしていると聞きます」

「チキュウの民と言えど、その性能には大きな個体差があります。我々がこれまでに召喚してきた勇者達は、残念ながら大半が能力を発揮することが出来ない無能でしたが、我々はそんな彼らさえ無駄にはしません。彼らというサンプルから得た貴重なデータを基に、今日に至るまで我が帝国は多くの魔道具を生み出してきました」

「貴方がたにとって、チキュウの民は帝国発展の為の生贄か?」

「この世界に召喚された時点で、彼らはチキュウの神から見捨てられているのです。その命を我らの為に役立てることは、寧ろ光栄なのではありませんか?」

 

 フィクス帝国にとって召喚勇者とは、扱いやすい人柱にもなれば有用な研究材料にもなる存在なのだ。召喚獣よりも強い力を持ちながらも、召喚獣よりも従えやすい。召喚自体が難しく手間が掛かるのが難点だが、彼らを召喚すればするほどフィクス帝国が発展を続けてきたことは既に歴史が証明していた。

 今はまだ、魔王軍に勝つことは出来ないだろう。しかしこうして着々と発展を続けていけばいつかその力関係は逆転すると帝国の民は読んでおり、オーディスもまたそう確信していた。

 

「クズ共め」

 

 そんなフィクス帝国の在り方を指して、神巫女ロラ・ルディアスが端麗な顔から盛大に毒を吐いた。

 彼女らの崇める創造神ルディアの教義には、「自分の世界は自分で守れ」やら「フォストルディアの民であることに誇りを持て」というものがある。神巫女として最も神に近い立場に就いている彼女としては、異世界の民を都合よく利用する帝国の在り方が受け入れられないのだろう。

 しかし悲しいかな、こうでもなければ人類に魔王軍に勝つ手が無いのが現実である。

 世界が滅亡するかしないかという情勢にあって、最も有効な手段を取らない方が馬鹿げている。それが、フィクス帝国側の認識だった。

 

「流石は神巫女様だ……ルディア様から聞いたのですか。我々のことをよく知っておられる。しかしもはや綺麗ごとでは救われないほど、この世界は追い詰められているのです」

「詭弁だな」

 

 フィクス帝国の内情を既に理解している彼女に対して、諭すようにオーディスが語る。

 チキュウの民を有効に扱わなかった国がどのような目に遭ったのかは、魔王軍に敗れ、むざむざと支配下に置かれてしまった事実がそれを証明している。

 いつの世も、人は環境に対応するべく進化を続けてきた。自分達の扱う召喚魔法もまた、魔王軍という凶悪な外敵に囲まれた過酷な環境に対応するべく人類が至った新しい進化に過ぎないとオーディスは考えていた。

 故にオーディスは自分達が利用してきたチキュウの民に対して何の罪悪感も抱いていないし、躊躇も無かった。

 

「ゼン・オーディス、お前は何が望みだ? ルディアの神託か? それとも私の持つ聖杖か?」

 

 そんなオーディスを紺碧の目で睨みながら、威勢よくロラが問い質す。

 力強い剣幕は神巫女として大切に扱われてきた姫君というよりも、数多の戦場を駆け抜けてきた女傑のようにさえ見える。

 

「言っておくが、私がお前に攫われてやったのはお前の力に屈服したからではない。お前の力と私の力が全力でぶつかれば、ルディアの地が持たないと思ったからに過ぎん」

 

 自身が敵国のど真ん中に幽閉されているこの状況にさえ何の悲壮感すら感じさせず、「攫われてやった」と上から目線で彼女は言い切る。

 まるでこの状況は全て自分の――神の手の中にあるのだと。

 その物言いからはどこか、自身と似たものをオーディスは感じていた。

 

「故に、ここでお前とぶつかり合うことに私は何の躊躇いも無い。お前達は私を攫って聖地ルディアを追い詰めたつもりになっているのだろうが、追い詰められているのはお前達の方だ」

 

 そう言って、ロラはその胸に手を当てて体内から一本の杖を引っ張り出す。

 一目見ただけでわかるほどの神聖さに溢れた美しい杖の名は、聖杖サーフェイト。聖地ルディア――このフォストルディアに伝わる伝説の神器の一つである。

 その担い手として選ばれた神巫女ロラ・ルディアスは、普段からその杖を自身の体内に封印している。彼女の意思一つで、聖杖はこのように彼女の武器として顕現するのだ。

 

「国の中枢に私を入れたことを……その血で後悔させてやろうか」

 

 杖の先端をオーディスに差し向けながら、勇ましい表情でロラが叫ぶ。

 声は静かであったが、内に秘めた熱情は歴戦の戦士のようだ。

 攫ったと思っていた姫君が実は龍だったとでも言うように、力強い眼光がオーディスを射抜く。

 その姿は多くの人間と対峙したことのあるオーディスから見ても、虚勢には思えないものだった。

 

「それが出来るのなら、とっくにやっている筈でしょう?」

「創造神ルディアの御心と神巫女であるロラ・ルディアスの思考を、外道如きに読み取れると思うな」

「それは恐ろしい」

 

 この「封魔の間」に囚われていてもなお強い魔力を放っている彼女の姿に、オーディスの頭には王命とは言え彼女を攫ってきたのは失敗だったのではないかという考えが過る。

 この少女は劇物だ。このフォストルディアの民としては、考えられないほどの能力を秘めている。そんな劇物を王城に入れたのは、帝国としてもリスクは大きかった。

 今はまだ若く、その力を引き出し切れていないとオーディスは見ているが……このように幽閉して支配した気になっているだけでは、いつか帝国にとって取り返しのつかないことになるのではないかと疑っていた。

 ……全く持って、近頃は面白い人材が尽きない。チキュウからこの世界に渡って来た紅の少女の存在を脳裏に浮かべながら、オーディスは微笑を浮かべた。

 

「オーディス様! 敵襲です!」

 

 その時、二人の間に割り込むように第三者の人間が声を掛けてきた。

 オーディスに呼び掛けてきたのは、彼の部下である帝国軍人である。

 敵襲――その一言で彼は、今しがたこの帝都に襲い掛かって来た事態を把握する。

 

「……お迎えが来たか。意外に遅かったな」

 

 聖地ルディアの民が、彼らの神巫女を取り返しに来た。

 ようやく神巫女の奪還作戦に踏み切ったということだろう。彼らがどんな手で彼女を取り返しに来たのかは割と予想がつくと、オーディスは足元から感じる僅かな気配を一瞥したが、あえて気づかないフリをしながら上階に上がることにした。

 

「ロラ様、邪魔が入ったようなので私はこれで。出来れば今度は、王城の外でお話したいものですね」

「私がこれから話をするのは我が弟と、紅の騎士だけです。外道は私の前から去りなさい」

「それは残念だ」

 

 一触即発の空気が漂っていた「封魔の間」を後にし、オーディスは階段を伝って王の待つ謁見の間へと歩を進める。

 これから始まる異邦人との対局に思いを馳せた彼の頬は、歓喜の笑みに歪んでいた。

 

 

 

 ――そして、それから程なくしてである。

 

 

 

 ロラを捕えていた「封魔の間」が突如下方向から発生した紅蓮の炎に埋め尽くされ、衛兵達の悲鳴が響いたのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――時は、少し前に遡る。

 

 神巫女奪還作戦の概要は、多数の部隊が囮になって敵兵を足止めし、その間に少数の部隊で王城に侵入。神巫女を連れ去るという単純なものだった。当然ながら圧倒的に数が少ないこちらは時間が経てば経つほど不利になっていくことになり、スピードが命の作戦である。

 しかし聖地の民も、神巫女を攫われてからロアが帰ってくるまでの間に遊んでいたわけではない。クレナの与り知らぬところで行われていた作戦の前準備は、思いのほか周到に整えられていた。

 

 何でも騎士団の話によればフィクス帝国の帝都「ドラボス」には聖地ルディアと通じているルディア教徒が何人か居るらしく、その信徒達が偵察の任務を引き受け、前もって現地調査を進めていたらしい。

 そんな彼らの調査によると神巫女ロラ・ルディアスは現在帝都の王城にある地下室に幽閉されていることがわかり、それならば帝国の地下水道を通れば隠密にその場所まで移動することが出来るのではないかという話になった。

 地下水道にもフィクス帝国の衛兵は配置されているが、地上と比べればその防衛網は遥かに緩い。

 故に作戦は成功率の高さ鑑みた結果、地上ではガルダ団長達の大部隊が敵の目を引きつけている隙に、少数の部隊が地下水道を渡って帝都の王城に侵入するという内容に定まったのである。

 

 

 そしてクレナを交えた会議の翌日、作戦開始の日が訪れる。

 総勢500人のルディア教徒達は聖地ルディアの賢者による「転移魔法」により、フィクス帝国領において最も隠れ信徒の多い「クーラ村」という村へと転移した。

 

 「転移魔法」とは術者が転移先の座標を理解している限りどんな場所にも一瞬で移動することが出来るという破格な性能を持った高等魔法であり、未来のクレナも幾度となく世話になったことのある魔法である。そのような便利な魔法があるのなら、このような回りくどい作戦など立てなくても全員で王城まで転移すればいいのではないか?と思う者は居るかもしれないが、当然ながらそう上手くはいかない。

 

 帝国領では常に、魔物除けの結界と同時にテロ対策として転移封じの結界が張り巡らされているのだ。

 

 そんな中でも帝国領にあるクーラ村に転移することが出来たのは、ルディア教司祭でもある村長の計らいにより一時的にその結界が解除されたからである。

 

「どうか神巫女様を……ロラ様をお助けください」

 

 奪還作戦に参加するメンバーに対して、深々と頭を下げる村長の姿は印象的に映った。

 このことを帝国にバレれば村が焼き払われる可能性とて高いだろうに、村の人々はそれを承知の上で神巫女ロラ・ルディアスの救出作戦に加わってくれたのだ。

 ……帝国にもまともな人は居たんだなと、未来の記憶には無かった殊勝な存在を見て内心驚きながらそう思ったクレナだが、彼らだけでフィクス帝国への憎しみが衰えることもあり得ない。

 

 オーディスは抹殺。召喚師は殲滅。帝国は壊滅。クレナの中でこれは決定事項だった。

 

 

 今回の作戦における拠点となったクーラ村から帝都ドラボスまでの距離は、日本で言うところの愛知から東京ぐらいの長さだ。

 クーラ村は存在さえ明るみにされていないほどの田舎かつ自然に囲まれた小さな村だが、この村の下にある地下水道は帝都までつながっているらしい。そこで、王城の下に至るまでの道先案内人は、聖堂騎士団のガルダ団長が金で雇った現地協力者「ゲレーロ」と「ペゲーロ」という盗賊兄弟が引き受けてくれた。

 彼らは他の協力者達のような敬虔なルディア教徒ではないが、報酬を与えれば払った金の分だけは働いてくれる信用の置ける俗物だというのがマキリスの談である。

 事実、彼らによる道案内は完璧なものであり、クーラ村という辺境の村の地下水道から始まって帝都の地下水道に至るまでの道中はタイムロスがほとんどなく、速やかに移動することが出来た。

 

 ――そんな盗賊兄弟を含めて、全員で八人。

 不愉快な臭いの漂う地下水道を渡り、王城まで進んでいく救出部隊の中に、紅井クレナは居た。

 

 

「いやな、くうき……」

 

 身体強化魔法によって乗用車程度の速さまで移動速度を強化しているクレナ達だが、警備の目を掻い潜りながら数時間を掛けてコソコソと移動するのは正直言って彼女の主義には合わなかった。

 クレナとしては単騎で帝都に乗り込み、防衛網なんてものは強行突破する気満々だったのだが、力任せなその策はガルダ団長やマキリスによって止められたのだ。どうにもクレナのことを創造神ルディアが遣わした天使か何かだと思っている節のある彼らは、彼女の身を危険に晒すことも彼女の力に頼りすぎることも不本意な様子だった。

 そんな彼らの考えだが、クレナも理解はしている。敬虔なルディア教徒である彼らには、たとえ神巫女の為とは言え、たった一人のチキュウ人に頼り切ることは認められないのだろう。

 

 「フォストルディアの民として誇りを持つ」――自分達の世界は自分達で守っていくのだというのはルディア教の教義の一つだが、それは聖地ルディアの民が最も犯してはならない大切な教えなのだ。

 

 クレナ個人としても、彼らのその考えは召喚勇者達に何もかも押し付ける帝国よりは幾分好感が持てた。

 

「そう言わないでください、クレナさん。この作戦は、貴方が居て成り立つんですから」

 

 クレナが日本語で呟いた悪態に対して、ロア・ハーベストがおだてるような世辞を返す。そんなもので自分の機嫌を取ったつもりだとすればお笑い種だとクレナは内心嘲るが、この場において唯一日本語のわかる彼の存在は、話し相手として役に立たないでもなかった。そんな彼もまた地下水道から王城へ侵入しようとする神巫女救出部隊の一員であり、姉である神巫女救出に重要な任務を分け与えられていた。

 

「そうそう、こんな薄暗ぇ場所を命がけで渡る仕事、嬢ちゃんみたいな子が傍にいねぇとやってらんねーよ。下水の臭いがきつかったら言ってくれ。俺様から溢れ出る心地良い香りをかがせてやるぜ」

「うるさいぞ兄者。そろそろ警備がきつくなる。ボリュームを落とせ」

「あいよ、弟者。それはそうと嬢ちゃん、これが終わったら一緒食事でも……」

『黙っていろ』

「ありゃ……こいつは手厳しいぜ。顔に似合わずきっついんだから、HAHAHA」

 

 この部隊は基本的に、帝国側に顔の知られていない人員によって構成されている。

 それでいてフットワークの軽い若い顔ぶれが多く、クレナ以外は全員男性の為かクレナの背中に突き刺さる視線は少々鬱陶しいものだった。クレナとしては重要な任務をこんな連中に任せて大丈夫かと思ったものだが、人事を決めたガルダ団長の人を見る目は確からしく、ここを任されたメンバーには案内人の盗賊兄弟を筆頭に優秀な者は多かった。尤も元々クレナが居ない計算で準備していたのだから、それも当然なのかもしれない。

 ロアはクレナありきの作戦だとおだてたが、最初にクレナが団長から受けた役割はこの地下水道ではなく、地上の大部隊に入って陽動を手伝ってほしいというものだったのだ。しかし、クレナは自分からその申し出を断ってこの部隊に加わったのである。

 

 王城に侵入出来るこの部隊の方が、クレナにとって都合が良いからだ。

 

 ならば自分からこの場所に入ったクレナが文句を垂れるのは筋が通らない話だが、それはそれとして地下水道の移動が不愉快なものは不愉快なのだ。クレナは本当なら浄化の炎で下水諸共全て浄水してやりたいところだったが、そうすると潜伏が台無しになる為にこうして我慢している。

 クレナ自身としてはそれほど綺麗好きな性格のつもりではないのだが、このじめじめした空間がこうも不愉快なのはもしかしたら未来のクレナの記憶に何か、下水道に対して嫌な思い出があるからなのかもしれない。なんとなくくだらない記憶のように感じたので、わざわざ思い出す気にはならなかったが。

 

「そろそろ、団長達も帝都の近くまで着いた頃でしょうか……」

「ワイバーンのスピードだもんなぁ……一度乗ってみてぇな」

 

 ここからは把握出来ない外の様子を思い、心配そうに呟いたロアの声と、応対する盗賊兄弟の兄ゲレーロの声がクレナの耳に入る。

 時計が無いのでわからないが、クレナ達が地下水道に入ってから随分と時間が経つ。今頃地上では聖堂騎士団を筆頭とした大部隊が帝都に対して堂々と立ち回っているだろうと想像出来た。

 ガルダ団長やマキリス副団長らが率いる地上の大部隊は、主にワイバーンに乗って空中行動に当たっている。ここに居るロア少年も地球ではカードから召喚したワイバーンに乗っていたものだが、聖地ルディアの騎士の多くは基本技能としてワイバーンに騎乗して戦う術を身に着けているのだ。

 聖地ルディアの土地は周囲がルディア渓谷というワイバーンの住処に囲まれており、その土地柄上、住民達はワイバーンとの関係が深いのだ。

 その関係は魔物と人間とは思えぬほど友好的なものであり、騎士達はさながら騎手と愛馬のようなパートナー関係を築いていた。

 それ故に彼らは皆、ワイバーンへの騎乗による空中移動が得意なのである。

 尤も、帝国の空はこの地下水道よりも遥かに厳しい防衛網が敷かれており、まともに進軍したところで王城どころか帝都にたどり着く前に迎撃されるのが濃厚であったが、大部隊の役目は進軍ではなくあくまでも囮だった。

 ワイバーンに乗った騎士達の編隊の存在は、こちらから注意を逸らすには有効なプレッシャーになるだろうと見込んでいる。

 

『マキリスが居る以上、下手は打たないだろう。お前は姉を助ける方法だけ考えろ』

「は、はい……」

 

 下水道を走り進みながらもロアは地上担当の大部隊への心配を隠せない様子だが、クレナからしてみればガルダ団長はともかくマキリス・サーバエルの強さは未来知識からよく知っている。勇者の剣が絡むと周りが見えなくなる残念なところはあるが、今の彼ならばそんな一面が露呈することもあるまい。

 クレナ達が出陣する前には彼は律儀にもクレナに対して「命を賭して作戦に当たります!」と宣誓していたが、彼は単細胞ではない。意地に引っ張られて引き際を見誤ることはないだろうとクレナは思っていた。

 

「な、なんか、意外です。クレナさんも、僕達のこと気にしてくれているんですね……」

『……勘違いするな。私の目的を果たす為には、戦力の分析が必要だっただけだ』

 

 出会ってから数日程度しか経っていないマキリスに対して未来知識から信頼を置いているクレナを見て、そんな事情は知らないロアが何やら頓珍漢なことをほざいていたが、クレナはそんな彼を適当にあしらいながら地下水道を進んでいく。

 道中では何度か帝国の衛兵に見つかることもあったが、彼らが王城に連絡する前にクレナが動き、素早く背後に回り込んでからの手刀で昏倒させていった。

 浄化の炎はこの場所では目立ちすぎる為、魔法で身体強化した物理攻撃で対処したのである。

 

「いよいよ警備がきつくなってきたな……王城はもうすぐだ。契約通り、俺達はここで上がらせてもらうぞ」

「ここまでご案内ありがとうございました。ゲレーロさん、ペゲーロさん」

「アデュー、お前らも気をつけろよ。この時世、若いもんが人間相手に死んでいくほど胸くそ悪い話はねぇからよ」

 

 王城の下まで近づいてきたところで、当初の契約通り道案内を終えた盗賊兄弟が部隊から抜けていく。

 だが、ここまでくれば彼らの案内は必要無い。もっと言えば帝都の地下まで来た時点で、クレナは王城から感じる強力な二つの気配を肌で感じていたのだ。そこに向かっていけば、おのずと王城の下までたどり着く。

 気配の一つは神巫女ロラ・ルディアスのものと思われる、誰よりも透き通った聖なる力。

 そしてもう一つは次代を越えても忘れる筈の無い、憎んでやまない怨敵の魔力だった。

 

「クレナさん……?」

 

 もう少し……もう少しで、奴と戦える。

 もう少しで、奴を殺すことが出来る。

 地球への干渉が出来る数少ない召喚師であるあの男、ゼン・オーディスさえ仕留めれば地球人の異世界召喚は一気に滞る。それだけ、白石兄妹の危険も大きく減るのだ。

 召喚師ゼン・オーディスの抹殺。それは大局的に見ても、クレナ個人の私怨から見ても果たさなければならない使命だった。

 

「よし、ここが目標のポイントだな」

「意外に楽勝だったな。警備の目は、軒並み地上に向いているのかも」

「そんなのは関係ない。俺達で神巫女様をお救いするぞ。何が何でも」

 

 クレナが彼の魔力を感じながら戦意を昂らせている間に、どうやら目的地である王城の真下へとたどり着いていたらしい。

 これまでの警備が妙に薄かったのは不気味に思えるが、何はともあれ予定よりここまでは順調な道のりだと言えるだろう。

 救出隊の何人かは安堵の表情を浮かべ、何人かはより強張った表情を浮かべている。この場合、正しい反応は後者だろう。

 神巫女の救出は、ここからが本番なのだ。

 

「王城の真下まで着きましたけど……近くに梯子はありませんね」

『飛んでいけばいいだろう。お前の召喚獣に乗せてやれば、ここに居る全員くらい運べる筈だ』

 

 王城の下までたどり着けば、後は簡単だ。

 この場から真上――王城の地下室の下部分に当たる、地下水道の天井を見上げる。

 そこに入り口が無いのなら、作れば良い。まどろっこしいことをせずとも、あそこに穴を空けれるだけで直に王城へと入ることが出来るのだから。

 

『入り口は私が開ける。退いていろ』

「あ、はいっ」

 

 ここまで来たのなら、わざわざ気配を消して隠密行動を続ける必要も無い。

 クレナは遠慮なく体内の魔力を高めていくと、この全身から紅蓮の炎を解き放った。

 

「おお……!」

「この真紅の炎……やはりクレナ様は、ルディア様の天使様なんだ……!」

 

 クレナの身体から噴出した紅蓮の炎は柱となって上昇していくと、その勢いのまま衰えることなく地下水道の天井を突き破り、王城の中へと容赦なく突き進んでいった。

 傍目からはこれでは地下室の何処かに居る神巫女の身まで焼きかねないと思える光景だが、クレナが標的と定めない限りは浄化の炎が彼女の身を焼くことはあり得ない。

 彼女は浄化の炎に焼かれる穢れた存在とは真逆な……神に最も近い聖女なのだから。

 故にクレナは、この紅蓮で自分の道を開けることに一切躊躇いは無かった。

 

『フィクスの守りも案外薄い……いや、誘っているのか……?』

 

 炎を放ちながらクレナは、これまでの数時間の道のりを振り返った。そして思ったのは、やはりフィクス帝国にしては手応えが薄すぎるという不審感だった。

 

 だが、どの道この期に及んで引き返す選択肢は無い。

 

 今一度発動したクレナの「C.HEAT」能力を見て呆然としている救出部隊の面々を他所に置きながら、クレナは飛行魔法で生やした翼を羽ばたかせながら、炎でこじ開けた大穴に向かって先行していった。

 

 

 

 

 

 

 クレナ達が地下水道から飛んで入り込んだ穴の先は、事前の調査通り王城の地下室へと通じていた。

 浄化の炎によって焼き払われたことで今はその機能を失っているが、ここは入室者の魔力を削ぐ「封魔の間」か。神巫女の監禁場所としては力不足に思えるが、機能としては打ってつけだろうとクレナは未来知識からこの部屋の記憶を引っ張り出してそう分析した。

 

 そしてその部屋では、地下水道から上がって来たクレナ達を出迎える一人の少女の姿があった。

 

 少女の足元では何人かの衛兵たちが横たわっており、全員意識は無い。

 しかしあれはクレナの炎に焼かれたのではなく、目の前に立つ彼女によって捻じ伏せられたのだろう。

 おしとやかな見た目に反してかなりアグレッシブな少女だというのは、彼女と接したことのある未来のクレナの経験則だった。

 

「お待ちしておりました。ルディアの民と紅の騎士よ」

 

 ロラ・ルディアス――金髪碧眼の見目麗しい少女は、間違いなく聖地ルディアの神巫女そのものだった。

 未来のクレナが持っている記憶よりもややあどけなさの残る若い顔で、彼女とクレナ達は対面した。

 

「姉上!」

「ロラ様ぁ!」

 

 救出対象であるロラ・ルディアスとの対面。

 聖地から拉致されて以来、ようやくそれを果たせたことで居ても立っても居られないとばかりに彼女の弟であるロアが真っ先に彼女の胸へと飛びつくと、他の男達もまた涙を流していた。

 感動の姉弟対面という奴だろう。クレナがそれに対して感涙することは無かったが……悪い気はしない光景だった。

 白石兄妹の兄妹愛を間近に見てきたからか、こう言った純粋な絆はクレナにとっても尊いと思えたのだ。

 

「よしよし、頑張りましたね、ロア……怖いお姉さんと一緒で大変だったでしょう。心配かけてごめんなさい」

「姉上ぇ……!」

 

 聖母のような穏やかな表情で弟の頭を撫でるロラに、歳相応の顔で涙するロア。

 それは部外者には不可侵に思えるほど美しい光景だったが、クレナはあえてその雰囲気を壊すように足を踏み出す。

 騎士団の服や賢者のローブと言った出で立ちをしている救出部隊の中に居て、中学校の制服を纏っているクレナの格好はさぞ目立つことだろう。作戦前にはマキリスから戦闘用のローブに着替えてみてはどうかと奨められたものだが、クレナはそれを頑なに断ったのだ。

 強化魔法を使えば服の強度など大して変わらないし、因縁深いあの召喚師とは「地球人」として戦いたかった。

 故にクレナは、一見戦闘には不向きに見える那楼学園中等部の制服で戦いに来ていた。尤も作戦前は次元幻馬で一旦自宅に戻り、スカートの下に見えても大丈夫なものぐらいは履いてきているが。

 

 閑話休題。

 

 そんな目立つ格好をしたクレナが前に出てきたことで神巫女ロラの紺碧の眼差しが、弟の元からクレナの姿へと移された。

 

「紅の騎士よ、この度はありがとうございます」

『……その無駄にカッコつけた呼び名は、私のことか?』

「ええ、未来で受けた恩義の下、王子様を守ろうとする貴方には相応しいと思いまして」

『…………』

「もちろん、敬意を表した呼び名ですよ?」

 

 聞き慣れない呼び名でクレナのことを呼びながら、ロラが礼の言葉を言う。

 しかし、クレナが返したのは沈黙だ。今彼女は、クレナにとって聞き捨てならないことを口にした。

 彼女が今語った王子様とは、白石勇志のことを指しているのだろうとわかる。

 彼女はフォストルディアのフィクス帝国、その王城に居ながらも、明らかにクレナの事情を知っている口ぶりだったのだ。

 

「創造神ルディアの神託により、私ことロラ・ルディアスは以前から貴方のことを存じておりました。誰よりも強く厳しく、寂しげな勇者であったと」

『……私のことを、どこまで知っている?』

「この時代より六年半後の未来で命を落とした勇者であること……そしてその魂がこの世界の神によって導かれた、「転生者」の一人というところまででしょうか」

『やはり、貴方は……』

 

 彼女、ロラ・ルディアスは――このクレナが未来のクレナから記憶を受け継いだ者であることを知っているのだ。

 

 クレナはここで彼女に会う前から、その可能性は想像していた。

 フォストルディアの創造神ルディアとつながりの深い彼女ならば、クレナのことも既に把握しているのではないかと。

 

 ――だからこそクレナは、聖堂騎士団らによる彼女の救出に参加したのだ。

 

 神巫女である彼女ならば、自分のことを知っている。そして、アカイクレナの記憶がこの時代の自分に宿った理由を知っていると思ったから。

 

『ずっと、気になっていた。未来のアカイクレナの記憶が、何故この時代の紅井久玲奈に宿ったのか……これが神の……創造神ルディアの意志によるものだと言うなら、私は彼の真意を知りたい』

 

 紅井久玲奈が未来のアカイクレナの記憶を受け継ぎ、今ここに居る紅井クレナになった理由――それについて何も気にせずここまで来たほど、クレナは能天気に生きていない。

 現代社会にタイムマシンのようなものは存在しないが、このフォストルディアには時間に関する魔法や「C.HEAT」の存在はある。流石に人の記憶を別の時間軸に送り飛ばすような能力はクレナも聞いたことが無いが、それが出来そうな存在には心当たりがあったのだ。

 

 その一つが、この世界の創造神であるルディアだ。

 

 そしてかの神に最も近しい立場に居る彼女――ロラ・ルディアスならば、クレナがこうして「転生者」になった理由を知っていると思った。

 だから、それを聞きたかったのだ。あの男と決着をつける前のついでとしては、大きすぎる理由だった。

 

『私がこの時代に「転生」したのは、貴方の神ルディアの意志なのか?』

 

 答えてくれ、と――クレナは彼女の紺碧の瞳から目を逸らさず問い質す。

 仮にここに居るクレナがこの世界の神の意志によって成り立ったものなのだとしても、クレナが定めた今後の行動指針には何ら影響も無いだろう。しかし彼女とここで会えたのならば、聞いておく必要があった。

 ロアから彼女の名前を聞くまでは、こんなにも早く会えるとは思ってもみなかった。

 

 未来のクレナが初めてロラ・ルディアスと会ったのはこの時代よりも数年後のことで、場所はここでも聖地ルディアでもない、ラストダンジョンの如く魔王領の真ん中に位置する「魔王城」の中だったのだから。

 

 

「当たらずとも遠からず、と言ったところですね。貴方の転生に創造神ルディアの関わりが無かったとは言えませんが、直接的に関わった神は別に居ます」

「なに?」

 

 クレナの質問に対する彼女の答えは一部を肯定しつつも明言はしない、曖昧なものだった。

 その返答に眉をひそめたクレナは、自分の推測が間違っていたのかと問い詰める。

 その言葉に、ロラは答えようとして――やめた。

 

「死を司る邪神フィアルシア……いえ、この話はまだ、するべきではないようです」

『フィアルシア……? 話が出来ないとは、どういうことだ?』

「たった今、「今はまだ教えるな」と、ルディアから告げられたのです。申し訳ありません」

『無能神め……』

 

 勿体つけておきながら要領の得ない答えにクレナは不服な目で彼女を睨むが、ロラはどこ吹く風の涼しい顔でクレナの視線をさらりと流し、弟の肩にポンと手を置きながら救出部隊一同へと向き直った。

 

「皆様、私の為にここまでお越しいただきありがとうございました。共に帰りましょう、聖地ルディアに」

「姉上……っ」

「私共に感謝していただけるとは……!」

「ロラ様の為ならば、地の果てまでも着いていきます!」

 

 ロラが彼らに対して救出の礼を言うと、彼女の肉声に対して大の大人達が一斉に涙ぐんだ声を上げて恐縮する。その様子は控えめに言って気持ちが悪かったが、それだけ彼らにとって彼女が大切な存在だということがわかる。

 

『……貴方にはまだ聞きたいことがある。貴方がロアに渡した妙に地球臭い(・・・・)あのカードのことも、「魔王」のことも』

「ええ、承知しています。ですがその前に、貴方にはやらなければならないことがあるのでしょう?」

 

 ロラの問いかけに、クレナは無言で頷く。

 クレナの求めた質疑応答は不完全な形に終わったが、彼女との会話はここで切り上げ、一先ずは彼女をここから脱出させることにしよう。

 尤も今のクレナが優先するのは彼女の脱出ではなく、「元凶」の抹殺にあった。しかしそんな心理を訳知り顔で言い当てる彼女の言葉が、クレナにはどこか癇に障る。

 未来の記憶を持つクレナの事情すら把握していた彼女には、何から何まで手のひらで動かされているように錯覚してしまうのだ。しかし彼女の人となりが善性に溢れていることは、この頭に宿る未来の記憶からある程度理解している。

 掴みどころはないが、クレナにとって目的の障害になる人物ではないのだ。少なくとも、今はまだ。

 

『どの時代でも、貴方は私の心に踏み込んでくる』

「それはおそらく、似た者同士だからでしょう。貴方からは、何か私に近しいものを感じるのです」

『……だろうな。貴方ほど恐ろしい女を私は知らない』

 

 未来のクレナは未来の彼女と、それほど仲が良かったわけではない。言葉では何とも表現しにくい奇妙な関係だったと記憶している。

 しかし未来のクレナが白石勇志に対して依存にも似た執着心を持っていたように、ロラ・ルディアスもまたある人物に対して凄まじい情念を抱いていたという記憶が深くこの心に残っている。

 

 ……その果てに、自らの命を落としたことさえも。

 

『ロア、神巫女は任せる』

「クレナさん?」

「クレナ様、ご武運を!」

 

 ロラ・ルディアスの力が並大抵のものではないことは、クレナがよくわかっている。

 逃走経路さえ残っていれば、クレナ抜きの救出部隊でも脱出することはそう難しくないだろう。

 だから彼らとの共同戦線も、ここで終わりだ。

 

『オーディスを殺しに行く』

 

 そう言って、クレナは倒れ伏した衛兵達の身体を踏み越えながら上階へと向かっていく。

 クレナがこの城に入ってから、これ見よがしに魔力を高めて待機している存在が上に居るのだ。

 ロラもそうだが、未来ではあの男もまた何もかも知ったような態度で自分をイラつかせていたものだ。

 この不気味なまでの沈黙さえ彼の策略の一部のように思えるのは、おそらく気のせいではないだろう。

 

 彼は確実に、この紅井クレナの到着を待ち構えている。

 

 

「……何故人は、そうまで人を憎むのでしょうね……」

 

 階段を昇っていくクレナの後ろから、クレナに対するものと思われる神巫女の呟きが聴こえてくる。

 クレナはその問いに応じることもなく、決戦の舞台――王城の「謁見の間」へと向かった。

 

 

 

 

 






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