蒼紅天使のマスカレード   作:GT(EW版)

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《紅の追憶3》ここじゃない異世界(どこか)

 幻想世界フォストルディアという異世界は地球の先進国と比べて全体的な科学技術の水準こそ高くないものの、地球には無い「魔法」が存在し、人々はその不可思議な力を用いて日常を過ごしていた。

 しかし地上には、人や動物の他に「魔物」と言った異形の存在があった。そしてその「魔物」に連なる外敵の存在により、人々の生存圏は最盛期の十分の一以下にまで追いやられたのである。

 

 外敵の名前は「魔王軍」。

 

 「魔界」と呼ばれるもう一つの異世界からやってきた「魔族」の一団は地上への侵攻を行い、圧倒的な力を持つ「魔王」の手によって数多の国が落ちていった。

 人類にも「剣聖」と呼ばれるような腕利きの戦士の存在はあったが彼らの抵抗も虚しく、かつては数百か国以上もあった人々の国々は既に一桁にまで減少していた。

 そんな世界における数少ない国の中でクレナの記憶に最も強烈な印象を刻んでいたのは、最大にして唯一の大国である「フィクス帝国」の存在だった。

 未来のクレナはその国に対して、魔王軍以上の敵意を抱いていると言ってもいい。

 

 それもその筈で、この「フィクス帝国」こそがフォストルディアを象徴する国家であり、未来のクレナ達を強制的に異世界召喚した元凶なのだ。

 

 魔王軍に追い詰められている以上人々が困窮するのはわかるし、なりふり構っていられない状況だったというのもわかる。しかしそれでも、地球の子供達に過酷な戦いを押し付けておいて、自分達はのうのうと結界の中に引きこもり続けていたロクデナシ共に対する未来のクレナの憤りは、今のクレナがロア・ハーベストに向けているものよりも遥かに大きかった。

 慈悲深く優しかった白石絆は健気にもそんな腐りきった異世界人達さえ救おうとしていたものだが、クレナから言わせてみれば、かの国に自分達が命を削ってまで守る価値などありはしなかった。

 

 そんなフォストルディアのフィクス帝国――そこから来訪して来たと思わしき召喚師の少年は、目の前の現実が信じられないとばかりに狼狽えていた。

 

「そんな……デーモンがやられるなんて……っ」

『もう二度と、お前達の思い通りにはさせない。それでもまた私を縛ろうとするなら……今度は私がお前達を滅ぼしてやる』

 

 翻訳魔法を乗せた言葉でクレナは召喚師ロアに宣戦布告を叩きつけ、生成し直した炎の剣を右手に構え直す。

 この剣から溢れる紅蓮の炎で焼き払ったスカル・デーモンの肉体は既に消滅しており、残る彼の召喚獣はキラーマンティス・マザーとワイバーンだけだ。

 いずれも、決して弱い魔物ではない。しかし未来の自分から受け継いだこの力がある限り、クレナにとって恐るに足らない相手だった。

 借り物の力を惜しげもなく振るっていることになるのだろうが、クレナはそんな自分を省みないしこのスタンスを崩すつもりはない。故に、倒すべき者の命を絶つことにも躊躇いは無かった。

 

「キッ!」

 

 キラーマンティス・マザーが唸りを上げ、薄羽根を広げながら大鎌を振るう。

 紅蓮を纏ったクレナが炎の剣を払い、敵の大鎌と二、三回打ち合う。

 たったそれだけの接触で、キラーマンティス・マザーの武器は真っ二つに切り裂かれ、両腕ごと残骸となって地に落ちていった。

 

「じゃま」

 

 圧倒的な力の差がある中で、あえて蹂躙に時間を掛ける必要は無い。しかしこの時のクレナが相手の全力に対してそれ以上の力で返り討ちにしていく感覚に、言い知れぬ快感を抱いていたのは確かだった。

 その高揚の中でクレナは炎の剣の一閃でキラーマンティス・マザーの身体を両断し、焼き払っていく。

 

「あ、ああ……」

 

 一瞬にして二体もの召喚獣が倒された光景を間近に、ロアが愕然とする。

 信じられない光景に声も出ないと言ったところか、自分が規格外の怪物を相手にしていたことにようやく気づいたのだろう。

 しかし少年が浮かべた絶望の表情を見ても、クレナはその心に何の揺らぎも無かった。

 馬鹿なことをした彼がここで死ぬのも全て自業自得だと切り捨て、クレナは紅蓮の翼を広げながら彼の乗るワイバーンの元へと切迫していく。

 高速移動するクレナを近寄らせまいとワイバーンが火球のブレスを連射してくるが、そんなものでは鋭角的に飛行するクレナの影すら捉えられなかった。

 

「……!」

「しね」

 

 間合いに入った瞬間、クレナは靴のつま先でワイバーンの顎を蹴り上げると、その巨体を大きく仰け反らせる。

 その震動によりバランスを崩したロアの姿を見据えると、クレナは右手に持った炎の剣の刀身を五メートルほどの長さまで一気に増幅させた。

 クレナの「C.HEAT」能力である「浄化の炎」を魔力で固定して作り出したこの炎の剣は、剣として扱ってはいるものの厳密には剣ではなく剣の形をした炎に過ぎない。

 故に炎で生成された刀身は、クレナの意志一つで任意の長さに伸び縮みさせることが出来た。

 

「うわあああっ!?」

 

 一瞬にして大剣に変形した炎の剣が、ワイバーンの肉体を断末魔すら上げる隙もなく焼き払っていく。

 クレナとしては背中に乗っていたロアの存在もまたこの一撃でまとめて仕留めるつもりだったのだが、足元からバランスを崩したことが幸いし、炎に巻き込まれる寸でのところでワイバーンの背中から振り落とされていた。

 しかし爆炎の中から飛び出してきた彼の身体は重力に従い、転がり落ちるように無人の町へと墜落していった。

 

 

 

 

 高層ビルの屋上並みの高さから墜落した彼は、普通の人間であればそれだけで呆気なく絶命していたことだろう。

 しかし、流石はフォストルディアの召喚師か。墜落の際に何らかの防御魔法を使っていたらしく、彼の身体は五体満足で地上にあった。

 尤もクレナが生死を確認する為にその場に降り立った時には、既に彼は満身創痍な様子で膝をついていたが。

 

「はぁ……はぁ……!」

「ぶざまだな」

 

 息も絶え絶えな姿で力無くこちらを見上げている彼の姿を眼下に見下ろしながら、クレナは冷たい声で吐き捨てる。その心にあったのは、明確な意志を持った彼らへの侮蔑だ。

 異世界の子供にばかり頼って、自分達の世界を守った気になっている。いつまでも他力本願で、そのくせ文句だけは一丁前な連中ばかりだった。

 クレナの心の中には、今も彼らに対する怒りが残り続けている。端的に言うとクレナはフォストルディアの人々が……特にフィクス帝国の人間は反吐が出るほどに嫌いだったのだ。

 

「くるしいなら、らくにしてやる」

 

 自分達の世界がそんなにも窮地に立っているのなら、私の手で苦しみから解放してやるよ。そう嘲笑い、クレナは剣の柄を握り直し、身の丈ぐらいの長さに戻した炎の剣を振りかぶった。

 そしてそのまま彼の身体を目掛けて振り下ろし、真っ二つに斬り裂こうとした瞬間――クレナの剣の進行は、彼の頭の先から数ミリ手前の位置でピタリと止まった。

 

「それは……」

 

 彼の胸元で存在を自己主張するように光っている赤い物体を見た瞬間、クレナは思わず振り下ろす手を止めてしまったのだ。

 ボロボロにはだけたロアの上着の胸元からは、一つのペンダントが赤く光っていた。

 そしてそのペンダントの存在は、未来の記憶を持っているクレナにはどうしても無視できないものだったのだ。

 

「その、ペンダントは……」

「……え?」

 

 ロアは攻撃を止めたクレナの姿に目を見開き、喉元から息を呑む音が聴こえてくる。

 そんな彼に向かってクレナは、脅迫するように炎の剣を突き付けたまま彼に問い質した。

 

「……なんで、おまえが、これをもっている?」

 

 そう放ったクレナの声は、自分でもわかるほどに震えていた。

 彼の胸元から飛び出してきた赤いペンダント――そこに刻まれた、鳳凰のような真紅の鳥の姿が描かれた紋章は、未来のクレナが幻想世界フォストルディアにおいて唯一価値のあるものだと思っていた地に由来するものだったのだ。

 

『フィクス帝国の召喚師が、何故「聖地ルディア」の紋章を身につけている?』

 

 ロア・ハーベストという少年がフィクス帝国の召喚師であるならば、その紋章は身につけている筈が無いものだった。

 

 

 魔王軍と戦う為に地球から適性のある者を攫って勇者という名の戦奴隷として扱うのが、クレナが憎んでいるフィクス帝国の在り方だ。代々召喚魔法によって発展してきたという歴史がある。

 

 一方で聖地ルディアという国はその名前から連想させるように、幻想世界フォストルディアの成り立ちそのものに関わっている聖なる場所である。「創造神ルディア」という神を崇める信徒達によって作られた宗教国家と言えば少し胡散臭く聞こえるかもしれないが、未来のクレナ達にとってはフォストルディアの中に居て唯一気の休まる場所だったのだ。

 フィクス帝国の勇者に対する認識が対魔王軍用の戦奴隷という曲がりくねった邪道なものならば、聖地ルディアの勇者論はまさに正道。ルディアの民は、聖地に眠る神の作り出した「聖剣」を引き抜いた者だけを勇者として認めていたのだ。

 

 聖地ルディアはフィクス帝国とは違い、勇者という存在を神聖視しているのである。

 他所の世界から拉致して来た子供を隷属させ、それを勇者と呼ぶのは神に対する冒涜だとルディアの民はフィクス帝国を批難し、クレナ達のことを被害者として憐れみ助けようとしてくれたのだ。

 

 ……たったそれだけのことと思うかもしれないが、精神的に追い詰められていた未来のクレナ達にとってはそれだけでも大きな安らぎだった。

 誰一人として頼れるものが居ない世界の中で、たとえ裏があったのだとしても受け入れてくれる場所があったのは。 

 

 ロア・ハーベストが胸に下げていたのは、その「聖地ルディア」の民を意味する紋章が刻まれたペンダントだった。

 火の鳥を思わせる真紅の鳥の紋章はフォストルディアを作った神の片割れである「創造神ルディア」の姿だと言われており、ルディアの民にはそれを肌身離さず携帯している風習がある。

 そんな代物を隠し持っていた理由をクレナが怪訝な目で訊ねると、彼は声を震わせながら答えた。

 

「ぼ、僕の故郷だからです……僕は、聖地ルディアの神官見習いですから……」

『神官だと? お前が?』

 

 予想外な返答に自分の目つきがさらに険しくなっているのがわかる。

 召喚師の国と言えばフィクス帝国であり、その召喚魔法を激しく嫌悪しているのが聖地ルディアだ。

 そのルディアの民が召喚魔法を使うなど、未来のクレナの知識からしてみればあり得ないことだった。

 

『お前は、フィクス帝国の召喚師じゃないのか?』

「そんなんじゃありませんっ! あんな最低な……! あんな国……っ!」

 

 召喚師であるならばフィクス帝国の者だと決めつけていたクレナの問いに、彼は激しい剣幕で否定する。

 強く、感情の篭った言葉だ。その表情にはクレナとの対峙では見えなかった激しい怒りの色が滲んでおり、言葉はフィクス帝国のやり方を批難する内容だった。

 聖地ルディアがフィクス帝国を嫌っているように、フィクス帝国もまた聖地ルディアを嫌っている。独裁者である帝王の影響が著しく強いフィクス帝国の民が、たとえ演技でも直接的に批難するとは考えにくい。

 これがクレナを騙す為の罠だという線も考えられるが、こうしてボロボロにならなければ見えないような服の下にわざわざ紋章を隠していたことを考えると、その剣幕も手伝ってか彼の語る身の上には信憑性がある気がした。

 

『話せ』

「え?」

 

 既に戦いはチェックメイトに至っている。文字通り彼の命を握った状態にあるクレナは、その優位性を保ったまま彼に続きを促した。

 これは決して、彼に慈悲を掛けたわけではない。

 教義に従順な聖地ルディアの民でさえも、神への信仰を裏切って召喚魔法を使おうとしたと言うのなら……いずれにせよ、彼の話は聞く価値があると未来の自分に呼び掛けられた気がしたのだ。

 

『ここで殺されたくなかったら、私を納得させろ』

 

 あくまでも高圧的に彼を見下ろして、クレナは炎の剣を突き付けながらそう言う。

 その言葉にロアは驚きながらも、紺碧の瞳に僅かな期待の色を浮かべて口を開いた。

 

「……僕の姉が、フィクス帝国に攫われたんです。……ゼン・オーディスという、最悪の召喚師に……」

 

 彼の口から出てきたその人物の名を聞いた瞬間、クレナの全身からあらゆる力が昂っていくのを感じた。

 

 ゼン・オーディス……その名前を忘れたことは、一度として無い。

 

 その男は、未来の世界でクレナと白石兄妹達を異世界召喚した張本人である。フィクス帝国最強にしてフォストルディア随一の召喚師であるあの男を滅ぼせなかったことは、未来のクレナが遺した未練の中でも際立った心残りだった。

 

「無断でこんなことをして……最低なことをしているのはわかってます。でも……それでも! 絶対に元の世界に帰しますし、どんな裁きでも受けます……! だから、お願いします……ルディアに来て、どうか姉上を助けてください!」

 

 このロアという少年は、自分が何を言っているのかわかっているのだろう。

 自分の悪事を理解しているし、悔やんでもいるのだろう。

 ロアが両手を地面に着けて頭を下ろし、額を深々とアスファルトへと押し付けていく。

 その土下座は、彼なりにこの日本の文化を勉強した上での謝罪だろうか。

 

「……そうか、おまえがたすけてほしいのは、せかいでも、フィクスでもなかったのか……」

「どうかお願いします! 姉上だけは……! 姉上を助ける為には、どうしても地球人の力が必要なんです! だから……!」

 

 彼が助けてほしいと懇願していたのはフォストルディアという魔王軍に脅かされた世界ではなく、たった一人の自分の姉だったのだ。

 姉の為にルディアの教義に反してまで召喚魔法を使い、どんな手を使ったのかはわからないがこの地球にまで乗り込んで助けを求めてきた。その悪徳さを理解した上で、どうしてもフィクス帝国に攫われた姉を助けたかったのだと言う言葉は、筋が通っているように思える。

 

 クレナとて、その気持ちは痛いほどわかる。

 自分の全てを投げ打ってまで、どんな手を使ってでも大切な何かを守ろうとする気持ちは。

 

「……なっとくした」

 

 フォストルディアの召喚師にしては迂闊な奴だと思っていたクレナだが……彼がフィクス帝国の者でないのだとすれば全て腑に落ちる。

 彼の言葉を受けたクレナは炎の剣を下ろすと、手元から消失させる。これ以上、彼とのやりとりに武器は必要無いと判断したのだ。

 そしてクレナは、土下座の体勢のまま涙を流して懇願している彼の前へ近づき――蔑みの目で見下ろした。

 

「なに、それ?」

「……っ」

 

 額だけではなく、ロアの頬が上から掛かって来た圧力によって地面へと押し付けられる。

 右足を振り上げたクレナが、彼の頭を靴底で踏みつけたのだ。

 それは傍から見れば、中学生が小学生を土下座させた上に頭を踏んでいるという凄惨な光景に映るであろうが、生憎今は彼の張った封鎖結界によりここに見物人は居ない。

 尤も誰かがこの光景を見ていたとしても、クレナがその足を止めることはなかっただろう。

 

「おまえは、もののたのみかたも、わからないのか?」

「ご……ごめん……なさい……!」

「ほんとに、おまえたちは……どこまで、なさけない」

 

 彼の気持ちも彼を取り巻いている状況も概ね理解したが、守りたい者の存在を盾にして言い訳する彼のやり方や態度が、クレナには無性に気に入らなかったのだ。

 頼みがあるなら召喚魔法を使う前に説明するべきだったのだ。子供の戯言だと聞き入れてもらえない可能性がどんなに高くても、それが本人達に無断で異世界へ連れて行って良い理由にはならない。

 彼がフィクス帝国の者ではなく、聖地ルディアの民だというのが真実だとしても、本当ならこのまま頭を踏み潰してやりたいぐらいだった。

 

 ――しかし、もしこの少年に地球とフォストルディアを行き来することが出来る力があるのなら。

 

 踏みつけながら、クレナの頭に一つの考えが浮かび上がる。それ故に、クレナは彼の息の根を止めるのは後回しにすることにした。

 

(嘘を言っていないなら、使えるかもしれない……)

 

 正直に言って、クレナは彼の姉がどうなろうと知ったことではないし、たとえ彼が泣き喚きながら縋りついてこようと意に介すつもりはない。

 しかしフォストルディアから次元の壁を越えて来た彼の存在は、地球人を拉致する異世界召喚師に対して有効な道具になるのではないかと思ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ロア・ハーベストの姉は、聖地ルディア一の賢者だった。

 類い稀な才能と努力によって若干十六歳にして「神巫女」の座に上り詰めた彼女は、フォストルディアの創造神ルディアの神託を得ることが出来る唯一の民だった。

 創造神ルディアから直々に授けられた神託は、常に聖地ルディアの人々の救いになった。

 神託を得た神巫女の言葉によって聖地の民は未来予知染みた危機感知を幾度となく繰り返すことが出来、それによって地上の大半が魔王軍に支配された中でも彼らの小国は無傷で生き延びることが出来ていた。

 

 しかしその神巫女の力は、地上最大の大国であるフィクス帝国に目を着けられることとなった。

 

 それまでも魔王軍討伐の為という建前から聖地ルディアはフィクス帝国の使者によって執拗に神巫女の協力を要請されてきたものだが、ルディアの長は頑なに協力を拒み続けていた。

 彼らの崇める創造神ルディア自身がフィクス帝国への協力を是としていなかったのも理由の一つだが、それを差し引いてもルディアの民は誰一人としてフィクス帝国を信用していなかったのだ。

 魔王軍という世界の危機に、国境を越えて団結する。そんな言い方をすれば一見感動的であり、人類の為に聖地と帝国が組むのも正しく聞こえるかもしれないが、ルディアの民にはどうしてもフィクス帝国の在り方が受け入れられなかった。

 

 地球という異世界から子供達を召喚し、隷属の呪いを掛けて自分達だけの為に利用していることを。

 

 修練を積んだ神巫女は召喚されたばかりの地球人とは違い、呪いに対する耐性がある。故に地球の民のように成す術もなく隷属させられる可能性は低かったが、それでも勇者召喚という前科のあるフィクス帝国に大切な神巫女を預けることなど出来る筈がないというのが、聖地ルディアの民共通の意見だった。

 

 フィクス帝国側からしてみれば、取り付く島もない交渉の難航である。しかしその状況を破ったのは、フィクス帝国の召喚師による強行だった。

 

 

「……あの日、ルディアの結界を破って、僕達の前にゼン・オーディスが現れ、姉上を攫って行ったんです」

 

 恐怖に震えたロア・ハーベストの声は、ボロボロの姿で地に伏した彼を見下ろしているクレナに対してのものか、それともゼン・オーディスに対するものか。……恐らくは後者であろう。

 交渉に応じないのなら、無理にでも攫って行くまでと――哀れなことに、彼の姉である神巫女は未来のクレナ達を召喚したあの男にまんまとしてやられたらしい。

 

『横暴さは、相変わらずか……』

 

 元々聖地ルディアとフィクス帝国の国力は圧倒的にフィクス帝国が上であり、本来であれば勝負にすらならない差がこの二国にはあった。それでもフィクス帝国が聖地ルディアに手を出せなかったのは聖地ルディアの裏に存在する創造神ルディアの存在が大きい。

 

 流石の大国も、魔王軍と同時に神を相手にしたくはなかったのだろう。だからこそ、国力に差がありながらもその時に至るまで積極的に打って出ることはしなかった。

 

 しかしその創造神が実際に起こしている行動は思念体の状態で神巫女に対して神託を与えることだけで、魔王軍にはもちろん、帝国相手にも手を出したことがない。

 手を出したくとも出せないのだ。

 聖地ルディアの民が崇める創造神ルディアという神は遥か昔に起こった戦いによって、肉体を失ったと伝えられている。

 だからこそ、フィクス帝国は神巫女の拉致という強行に踏み切ることが出来たのだろう。

 神ならば人間が想像もつかないような方法で天罰を与えてくるのではないかと恐れていた帝国も、今の創造神に直接手を下せる力が無いと気づけば行動は早かった。

 

 神はこちらに天罰を与えることは出来ない。ならば、後のことは神巫女を攫ってしまいさえすればどうにでもなると。

 

 神巫女を人質に利用して創造神ルディアに神託を強制するもよし、聖地の民を人質に利用して神巫女を服従させるもよし。あわよくば地球からの召喚勇者のように隷属させることが出来れば万々歳だと……ロアの語るフィクス帝国の外道さ加減にはいっそ清々しく思え、クレナは怒りや呆れを通り越して感心を抱いてしまっていた。

 

『お前の姉が攫われたのは、いつだ?』

「こっちの時間では、三週間ぐらい前のことです……」

『お前がこの世界に来たのは?』

「その、三日後です」

 

 意思疎通を円滑にする為、引き続き翻訳魔法を掛けた言葉でクレナはロアから必要な情報を聞き出していく。

 彼の話を信じるとすれば、彼がこの地球にやって来たのは最初に白石兄妹を襲ったのと同じ日だったようだ。

 未来のクレナの記憶と力がクレナの身に宿る前に彼が来なかったのは、不幸中の幸いだったと言えるだろう。

 

『今までに召喚した人間は? 何人フォストルディアに送り飛ばした?』

「いません……僕が訪れたこの町には、貴方がいたので……僕が使おうとした召喚魔法は、全部貴方に阻まれましたから」

「ざまあない」

「……本当に、すみません」

 

 幸いなことに、この地球において彼の手によって異世界召喚された被害者は出ていないらしい。

 クレナが主に警護に当たっていたのは白石兄妹の二人だけだが、他の適正者達の身が無事であることに一先ず安堵する。個人的な感傷から守る者に対して優先順位を着けているクレナだが、誰も召喚されないに越したことはないと思っているのもまた確かだった。

 他の召喚勇者達もみんな……良い人達だったと、未来の記憶には残っている。

 

『いいだろう。協力してやる』

「え……?」

 

 若くして死んでいった勇者達の姿を脳裏に浮かべながら、クレナは翻訳魔法を乗せた言葉で言い放つ。

 これまでの冷徹なクレナの態度から望み薄だと思っていたのだろう。その言葉がクレナの口から紡がれた際のロアの反応は意外そうで、呆気に取られたものだった。

 何の為にここまで情報を聞き出したと思っているのか。理解の悪い彼に対して、クレナは再度告げる。

 

『協力してやると言っているんだ。お前の目的に』

「ほ、本当ですか!?」

 

 彼の目的はフィクス帝国の性悪召喚師、ゼン・オーディスによって攫われた姉を取り戻すこと。白石兄妹を狙ったのも、かの帝国に立ち向かう為にはどうしても彼らの桁外れの資質が必要だったから。彼の話を簡潔にまとめれば、至ってシンプルな話だった。

 同じゼン・オーディスという召喚師に拉致された者同士、ロアの姉には同情する部分もあるが、クレナがこうして協力すると手のひらを返した理由は勿論、彼の為でも彼の姉の為でもない。

 散々踏んで痛めつけてやった筈が、無邪気にもあどけない表情に喜びの笑みを浮かべたロアの姿が何となく気に入らなかったクレナは、そんな彼に対して釘を刺すように忠告した。

 

「かんちがい、するな」

 

 地の声で言った後、翻訳魔法を掛けた言葉で続ける。

 

『お前達の為に協力するんじゃない。私が協力するのは、ユウシ達を守る為……あの召喚師の息の根を止める為だ』

 

 白石兄妹の異世界召喚を防ぐ為には決して外すことは出来ない、明確な宿敵――それがゼン・オーディスという帝国最高の召喚師だ。そんな彼と対面出来る機会が降って来たことに、クレナは確かな喜びを感じていた。

 そう、クレナがロア・ハーベストに協力すると決めたのは、全て打算的な判断である。

 憎しみを拗らせておかしなことになっているであろうクレナの表情を見て、ロアの喉元から息を呑む音が聴こえてくる。そんな彼に対してクレナは高圧的な口調で言い放った。

 

『恥知らずにも私を利用しようと言うんだ。それなりの対価は貰うから、そのつもりでいろ』

「……はい……僕の命でも、どんな対価でも支払います。だから、お願いします」

 

 我ながら契約を持ちかける悪魔になった気分だと、クレナは苦笑する。

 そんなクレナの言葉に対してロアは、傷だらけの姿で両手を地面につけ、再び頭を下げた。

 

「姉上を助けてください!」

 

 涙ぐみながら、絞り出したような声で彼は懇願する。

 二度目の土下座を通して語られた彼の思いに、クレナの心は決して揺れたわけではない。

 しかし今度は彼の下げた頭に、この足を振り下ろすことはしなかった。

 

『……助けてやるよ、アカイクレナは「勇者」だからな』

 

 彼の真摯な姿を間近に見下ろしながら、クレナの顔はどんな笑みを浮かべていたのだろうか。

 少なくともそれは、彼女が守ろうとしている白石兄妹に見せられるものではないだろう。

 その時のクレナが抱いていた感情は「勇者」というよりも「魔王」の方が近く、引きつくほどに冷酷で残忍なものだった。

 

 

 

 

 

 フォストルディアからの異世界召喚を阻止する為に、ロア・ハーベストという思わぬ手駒を得た。

 彼の方からすればクレナというフィクス帝国に対抗する戦力が手に入り大助かりと言ったところであろうが、クレナからしても彼のことは目的を果たす為の道具に過ぎないと思っている。

 ゼン・オーディス打倒という意味では、確かにクレナ達の間で利害は一致している。しかしクレナが彼に協力すると決めた最大の理由は、彼という異世界人がこの地球にやって来たと言う事実そのものにあった。

 

『それで、お前はどうやってこの世界に来たんだ? 世界の間を移動するレベルの召喚魔法は、並大抵の人間が扱えるものじゃない。お前にそんな力があるようには見えないが』

 

 放っておけば土下座の体勢のまま延々と惨めな姿を晒していそうだったロアを見かねて、クレナは彼を立たせた後にそう問い質す。

 その質問は、クレナにとっては彼の姉の素性などよりも、遥かに重要な話だ。

 地球とフォストルディア――その二つの世界は次元の壁によって隔てられており、本来ならば自由に行き来することは出来ない筈なのだ。例外としてそれが出来るのは召喚師大国であるフィクス帝国のゼン・オーディスクラスの召喚師ぐらいなもので、見たところこの少年に彼ほどの力は無い。

 聖地ルディアの神官見習いという立場が正しければなおのこと、彼に自分自身を異世界に召喚させるなどという高等魔法が使えるとは思えない。

 そんなクレナの言葉を肯定し、ロアが語る。

 

「はい……僕はフィクス帝国の召喚師ではありませんから……本当のところ僕の召喚魔法は、僕自身が近くにいなければ使えないぐらい影響力が低いんです」

『お前の話が嘘じゃないなら、あの稚拙な召喚魔法は姉が攫われた後で習得したんだろう。おかげで二人を攫われずに済んだとも言えるが……』

 

 彼の魔法陣は稚拙な出来栄えで、オーディスのものと比べれば随分と脆く壊れやすいものだったように思える。思えばその時点で、彼がフィクス帝国の召喚師ではないと見抜ける要素はあったのかもしれない。

 彼はクレナの質問に対して最初は召喚師を自称していたが、召喚魔法を嫌悪する聖地ルディアの民であるならば召喚魔法を覚えたのも最近のことだと察せられる。

 

「姉上のいない僕達の力では、どうしてもフィクス帝国に太刀打ち出来なかったから……貴方のような強い力が必要だったんです……」

「それは、さっききいた」

 

 自分の無力さに嘆くようなロアの言葉を地の声で冷たくあしらい、クレナは話を本題に戻す。

 そしてクレナは面血を切るようにおもむろに自らの顔を彼の目先数センチ手前のところまで近づけ、『私はお前が、どんな手を使ってここに来たのか聞いているんだ』と、まるでヤクザが威圧するように圧迫した空気を放ちながら問い質した。

 そんなクレナの切迫に対してロアは、心なしか顔色を赤くしながら怖じ気づいたように顎を引いて答えた。

 

「ぼ、僕がこの世界に来れたのは、姉上が連れ去られる前にくれた「魔道具」のおかげなんです」

「まどうぐ?」

 

 魔道具――彼の口から放たれた固有名詞に、クレナは彼の目先から顔面を離しながらその単語の意味を思い出す。

 魔道具とは、その名の通り魔法の力が込められたマジックアイテムのことだ。使用者の能力に拘わらず一定の効力を発揮するそれは、未来のクレナも何度か目にしたことがある。その種類は魔力を利用した地球で言うところの電化製品のようなものもあれば、拳銃のように誰でも人を撃ち殺せる武器として扱われていたりと様々だ。

 

「ステータス・オープン!」

 

 ふとそんな時、ロアが唐突に右手を振り上げながら何かの呪文を唱えると、光と共にどこからともなく五枚の札が現れた。

 それは、彼がクレナとの戦いで見せた札と同じものである。五枚の札を手に持った姿を怪訝な表情で眺めていたクレナに対して、ロアがその札を表にして差し出してきた。

 

「これが、その魔道具です。僕は魔術の込められた札……のようなものだと思っていますが、これに魔力を込めることで未熟な僕でも強力な魔物を召喚獣として召喚し、使役することが出来るんです」

「これは……」

 

 彼が見せたそれはフォストルディアに数ある魔道具の中でも、未来のクレナが見たことの無い魔道具だった。

 一枚一枚が手のひらサイズのカードの形をしているその札の表側には、正方形で囲われた枠の中にそれぞれ異なる魔物の絵が描かれており、その下にはこの地球の言語とは違う文字でテキストが書き綴られている。

 翻訳魔法を両目に掛けたクレナはフォストルディアの言語と思わしきそれを解読すると、その内容に思わず目を疑った。

 

 

【キラーマンティス・マザー

・カテゴリ

 幻想《ファンタジー》

・ステータス

 攻撃力210 NPコスト20

・特殊能力

 5%のNPを支払うことで、キラーマンティス・レギオンを一体召喚することができる】

 

 

【スカル・デーモン

・カテゴリ

 幻想《ファンタジー》

・ステータス

 攻撃力250 NPコスト25 

・特殊能力

 NPコスト15以下のモンスターを全て破壊する】

 

 

「なに、これ……」

 

 描かれた絵はどれもロアが召喚し、クレナに葬られていった魔物達の姿だった。そしてその絵の下に書き綴られていた文字を読み解いた時、クレナは何故だか目まいを催した。

 なんだ、これは……なんだ? と――言葉の意味はわかるのに、理解が追いつかない。そんな如何とも言い表しづらい心境に陥ったのだ。

 

「これは、どこかでみたことが……」

 

 ロアが魔術の札と称した五枚のカード――それは言語こそ違っていたが、クレナの頭にはどこかでこれを見たことがあるという既視感があった。

 そしてしばらく熟考して、その既視感の原点を思い出す。

 

 そうだ、この「カード」は兄さんと、兄さんの友達が小さい頃、よく遊んでいた……

 

 

【次元幻馬 ―ディメンション・ホース―

 

 祈り込めし時、次元幻馬は異界へ渡る鍵となる】

 

 

「これです! 誰か僕に力を貸してくださいって、僕がこの札に祈った時……この札から出てきた天馬が、僕をこの世界へ連れて行ってくれたんです」

 

 クレナが五枚のカードに描かれていた内容を全て確認した時、最後に目に映ったペガサスのような馬の絵が描かれたカードを指してロアが語る。

 異世界人である彼がこの地球に来れたのは全て、姉の神巫女から貰ったこのカードの力だったのだ。

 しかしクレナの心に襲い掛かって来た衝撃は、そのカードの造形がこの地球において既存するものだということだった。

 

「カードゲームの、カード……」

「えっ?」

『……いや、なんでもない』

 

 巷では、トレーディングカードゲームという遊びが若者の間で流行っていると言う。

 中でも日本のあるゲーム会社が開発した「T.A.Sノベルクリエイターズ」というカードゲームは爆発的なヒットを生み出し、七年前に誕生して以来今では世界で最も売れているカードゲームとしてギネス記録にも登録されている。

 ルールはお互いにキャラクターの描かれたカードを出し合い、そのステータスを競っていくと言うクレナの兄彗いわく一般的なトレーディングカードゲームと同じらしいが、最大の特徴はVR技術を生かした……と、その話は今は置いておく。

 クレナが目まいを覚えたのはそのカードゲームに使われているカードと全く同じ造形のものが、魔道具としてロアの手に握られているということだった。

 地球に存在するカードゲームのカードと同じ造形をした魔道具――その関係を、ただの偶然と切り捨てられるほどおめでたい頭はしていない。

 

『お前の姉は何者だ? 名前は?』

 

 ……彼は、この魔道具を連れ去られる間際、姉から渡されたと言っていた。

 そこに思い至った時、クレナはフィクス帝国に連れ去られたロアの姉について初めて興味を抱いた。

 虚偽は許さないと示したクレナの眼差しに睨まれながら問われたロアは、自身の姉の名前を明かした。

 

「ロ、ロラですっ! ロラ・ルディアス……ルディアスというのは神巫女に与えられる名前で……」

 

 そしてクレナはその名前を聞いた瞬間、その後に続く彼の声が聴こえなくなった。

 畳み掛けるような情報のラッシュは、まるで彼がクレナに頭を踏みつけられた仕返しをしているのではないかと疑ったほどである。

 それほどまでに彼の口から放たれた人物の名前は、ゼン・オーディスに劣らずクレナにとって意味のあるものだったのだ。

 

「ロラ……? まさか、そんな……」

「……姉上のこと、知っているんですか?」

 

 未来のクレナの記憶を受け継いだクレナの心が今、激しくぐらついているのがわかる。

 そう、その名前の人物もまた、未来のクレナにとって縁の深い存在だったのだ。

 

 

 ロラ・ルディアス――それは、「魔王」が愛した女性の名前。

 

 

 戦乱に塗れた幻想世界フォストルディアにおいて、実現不可能と思われていた人類と魔族の和平をあと一歩のところまで達成しかけ……クレナ達の前で悲劇的な最期を遂げていった偉人の名前だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 聖地ルディア――フォストルディア最大の深さを誇るルディア渓谷の中心部に位置するその国は、外界から隔絶された位置関係である為に外部から干渉を受けることが少ない。さらに言えば聖地の周りには四六時中町の賢者による結界が張り巡らされている為、土地面積や総人口こそ心許ないものの、大国にも劣らない防衛力を誇っていた。

 

 しかし先日、鉄壁の筈の結界は破られ、一人の召喚師の侵入を許してしまう事件が発生した。

 

 突如として聖地ルディアに侵入してきた白い召喚師は町中で数多の召喚獣を召喚すると、その怪物達を手当たり次第暴れ回らせたのである。

 多数の怪我人を出すことになったその騒動を鎮める為、聖地を守る騎士団がこれの撃退に当たったのだが……彼らが強力な召喚獣の相手をしている隙に召喚師に大聖堂へと入り込まれてしまい、その中に居た神巫女ロラ・ルディアスを攫われてしまう結果となった。

 

 現場に居合わせていた神官達の証言によると、神巫女を攫ったのはフィクス帝国最高の召喚師ゼン・オーディスであるとのこと。

 

 聖地ルディアにおける最重要人物が攫われたことに、国中は阿鼻叫喚の大混乱に包まれた。怒りに燃える民は当然のように神巫女を取り返す為に決起したのだが、表向きは穏便な解決を謀り、今は民の代表として聖地の最長老であるロサリオ枢機卿が神巫女の返還をフィクス帝国に呼び掛けている。

 しかし、それに対するフィクス帝国の返答は知らぬ存ぜぬの一点張りで、そもそも自分達は聖地の神巫女など攫っていないなどという頓珍漢なものばかりだった。

 神巫女の身柄を人質に、聖地ルディアという国家に対して何かを要求されるのであれば、まだ交渉の余地はあったかもしれない。しかし話し合いにすらならないフィクス帝国の対応に遂に民の怒りは臨界点を越え、表向きには話し合いを呼び掛けようとカモフラージュしているものの、裏では着々と神巫女奪還作戦の準備を進めていた。

 

 その作戦の先頭に、聖地ルディアの「聖堂騎士団」が立っている。

 

 

 

 

 

 場所は幻想世界フォストルディア。

 聖地ルディアの首都「フィフス」。

 本来ならば聖地の中心として恥じない美しい町並みが広がっていた筈のその場所には、オーディスによって送り込まれた召喚獣達による爪痕が刻まれていた。

 

 そんな町の中で一際目立つのが、外見上は無傷の建造物である「ルディア大聖堂」だ。

 

 まるで宮殿のような煌びやかさと壮大さを持ったこの施設は、かの神巫女が創造神ルディアから神託を授かる場所であり、創造神ルディアの石像が収められている。そのご利益にあやかろうと、その中には常から多くのルディア教徒達が参拝に詰めかけていた。

 そして大聖堂の最深部にはかつてこの世界を邪神から救った真の(・・)勇者と二人の仲間が扱っていたと伝えられる「三種の神器」が眠っており、聖地ルディアでは「儀式」の際にのみその姿を拝見することが許されていた。

 その「三種の神器」とはそれぞれ勇者とその仲間達が扱っていた伝説の武器の総称であり、名は「聖剣ヴァレンティン」、「聖槍バルディリス」、「聖杖サーフェイト」と言う。そして各々の台座に封印されたそれらの神器を抜き放った者こそが、創造神ルディアの名の下に栄誉ある称号を与えられるのだ。

 

 聖剣を抜いた者は「神勇者」となり。

 聖槍を抜いた者は「神騎士」と呼ばれ。

 聖杖を抜いた者は「神巫女」となる。

 

 故に聖地ルディアの民にとって「勇者」とは他ならぬ聖剣ヴァレンティンを抜いた「神勇者」ただ一人であり、フィクス帝国が都合よく異界から召喚してきた存在を勇者と呼ぶことはなかった。それどころか召喚魔法そのものを伝説の勇者を冒涜した唾棄すべき禁忌として嫌悪しており、召喚された者達のことはただただ横暴な拉致事件に巻き込まれた被害者として憐れんでいた。

 

 ロラ・ルディアスは聖杖サーフェイトを抜き、神巫女として認められた聖地ルディアの少女だった。

 

 当時十歳にして聖杖の封印を解いてみせた見目麗しい神巫女の誕生に聖地の民は揃って歓喜し、彼女を通して半世紀ぶりに与えられた創造神からの神託に彼らは酔いしれた。

 その神巫女は、今や十六歳。少女の美しさは六年前よりもさらに磨きが掛かり、神巫女という立場を抜きにしても彼女に対して懸想する者は後を絶たない。そしてそんな影響力のある人物が攫われたとなれば、それを許した聖堂騎士団の責任はあまりにも重かった。

 

 

 ルディア大聖堂には聖堂騎士団団長、ガルダ・ノンストの執務室がある。

 自らの無能さをこれでもかとばかりに追及してくるおびただしい量の報告書を無言で整理しながら、ガルダの耳にこの執務室の扉を叩くノック音が聴こえた。

 その直後に扉の向こうから「マキリスです」と名乗る男の声が聴こえると、ガルダは短く「入れ」とだけ伝え、入室を促す。

 そうして執務室に入って来たのは、紫色の長髪を頭の後ろで束ねた色白の美青年だった。

 

「団長、各地で活動していたルディア教徒の召還が完了しました。諜報部隊も今夜には戻ると報告が」

 

 簡潔にもたらされたマキリスという青年――聖堂騎士団副団長である彼の報告に、団長であるガルダは前髪を掻き上げながら目を瞑り、数拍の間を置いて彼に問うた。

 

「そうか……戦力になりそうなのは?」

「300人程度です」

「俺達を合わせて、500人ぐらいか」

「彼らの士気の高さは団長がよくご存知でしょう。加えてフィクスの引きこもり共とは違い、我々は実戦慣れしている。多少の数の差など跳ね返してみせますよ」

「だが相手はあのフィクス帝国だ。数の暴力には、それこそ伝説の勇者様でもなきゃ太刀打ち出来ねぇよ。何も正面から戦争するわけじゃねぇが……すまねぇ、俺の責任だ」

「団長……」

 

 力無く吐き出されるガルダの言葉は、粗野な顔立ちに見合わず覇気が無い。それもその筈で、彼らが決行する神巫女奪還作戦の成功率はあまりに低く、失敗した際に予想される人的被害も桁違いに大きいからだ。

 今回の作戦は間違いなく、魔王軍からの防衛線以上に過酷な戦いになるだろう。その負け戦を強いることになったのは、騎士団長として神巫女を守り切れなかった自分の責任だとガルダは力無く嘆く。

 そんな団長の思いを知ってか知らずか、副団長のマキリスは端麗な顔立ちを引き締めながら言い放った。

 

「それでも民は、神巫女様を取り戻す為なら全力を尽くします。この私も同様、命を賭してあの方を救い出す所存です」

「……わかってる。ああ、わかってるさ。神巫女様を助けるってのに、団長が弱気じゃいけねぇよな……」

 

 戦力の差は如何ともしがたく、成功率は限りなくゼロに近い。

 だがそれでも、聖地の民は神巫女を取り返すことに異存は無かった。だからこそガルダは目の前で神巫女を攫われるという致命的な失態を犯した今でもまだ、こうして騎士団長の位に就いており、執務に取り組むことが許されていた。

 戦いになれば力が要る。その力として今日まで騎士団を引っ張って来たガルダの存在は、人々から求められていたのだ。それには彼自身がこれまでに多くの功績を残してきたことと、民の怒りが攫われた騎士団ではなく、攫ったフィクス帝国の方に集中しているのが大きい。

 それ故に上からガルダに与えられた指示は事件の責任を取って首を斬ることではなく、騎士団を率いて何が何でも神巫女を奪還しろというものだった。失態の裁きについては創造神ルディアの判断に委ねよというのが、大量の報告書と共に与えられた彼の処分だった。

 尤も当のガルダとしては創造神が許すにせよ許さないにせよ、作戦が終わった後の自分はこの大聖堂から消えるだろうと思っている。

 騎士団の若手は副団長のマキリスを筆頭に順調に育っており、最近では神巫女の弟である神官見習いが加入を前向きに考えていたりと明るいニュースがある。尤も今こうしている間にも神巫女の身に何かがあったらと思うと、どんな吉報も胸糞悪くなるのだが。

 神巫女ほどの力が余程のことで屈するとは思えないが、正直な話ガルダの頭には「作戦なんて知ったことか!」と単身で帝国に乗り込んで大暴れしてやりたい気持ちに溢れていた。

 その気持ちを騎士団長としての理性で必死に抑えながら、ガルダは副団長に次の話題を振った。

 

「あれから、ロアから何か連絡はあったか?」

「いいえ」

「流石のアイツも、異世界からテレパシーは送れねぇか」

 

 神官見習いのロア・ハーベスト。以前から大聖堂に努めており、騎士団員と面識のあるかの少年は、神巫女であり姉であるロラから託された魔道具を使い、彼女を救うために救世主への協力を求めて独断で(・・・)異世界に渡った。

 

 そう、全ては彼の独断である。

 

 神巫女が次元渡りさえ可能にする魔道具を持っていたこと自体、ガルダはその時まで知らなかったのだが、部下の報告によるとその時のロアは姉を攫われてどうすることも出来ない状況の中でひたすら魔道具に祈り、誰でも良いから姉を助けてくれと懇願していたらしい。

 その祈りは裏を返せば、ガルダ達聖地ルディアの大人が頼りにならないという実情の現れでもあろう。人に頼るばかりで子供に頼られることも出来ない自分に対して、ガルダの心は情けない思いしかなかった。

 

「目的の為、無関係な「チキュウ」の民に協力を仰ぐ。これでは、フィクス帝国と同じですね」

「まったくだ……」

 

 チキュウ、という他所の世界の部外者に助けを求めに行った彼に対して辛辣な言葉を吐き捨てるマキリスに、ガルダが苦笑する。

 確かにあの少年が取った行動は教義に反し、聖地ルディアの民として考えられないものであったが……自分の無力さを棚に上げて彼の思いを否定することは、ガルダには出来なかった。

 どんな手を使ってでも姉を救いたい。その真っ直ぐな気持ちは、素直に尊いものだと思ったのだ。尤もあの子供は人懐っこそうに見えて口下手なところがあり、チキュウで余計な諍いを起こしていないか心配であったが。

 

「だが、あのガキは責められねぇさ。悪いのはオーディスの野郎に歯が立たず、むざむざと神巫女様を攫われた俺だ。これが終わったら歴代尤も無能な騎士団長として晒し首になるだろうから、後のことは頼んだぞ」

「野蛮な粛清を、ロラ様とルディア様は望みませんよ。それに……私に騎士団長を継ぐ意志はありません。私の目的は、今でもただ一つです」

「ああ? お前、まだ神勇者を目指して……」

 

 作戦中に戦死するにせよ、作戦後に裁かれるにせよ、どう転んでも自分の死は避けられないと見ているガルダは、今の内に後任を決めておこうと副団長に話を進めようとする。

 バンッ!と音を立てて勢い良く無造作に執務室の扉が開かれたのは、その時だった。

 

「団長……と副団長っ! こんなところで何やってんだよ団長!」

 

 声変わり前の幼い少年の声が、彼らの鼓膜を揺らす。

 くすんだ金髪とそばかすが特徴的な聖堂騎士団の最年少騎士、ガルダの部下であるトムだった。

 

「いきなりどうしたトム?」

「ロアが帰って来たんだ! チキュウ人を連れて!」

「なに?」

「ほう……」

 

 ロアと同じ年齢の少年の言葉にガルダが眉を顰め、マキリスが感心げに息を吐く。

 三週間ほど前に魔道具で異世界に旅立ったロアが、その目的通り救世主を連れてこの聖地に帰って来たのだという。

 不言実行と言えば聞こえはいいが、事が事なだけに実行する前に自分に言ってほしかったと……行動力が変な方向にあり過ぎる弟分に対してそう思いながらガルダは執務室を後にし、屋外へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日本の町々とは明らかに違う、中世トルコを彷彿させる幻想的な町並みを見下ろしながら、クレナとロアは聖地ルディアの空を旋回していた。

 

 正確には、「クレナとロアを乗せた天馬が」であるが。

 

 次元幻馬(ディメンション・ホース)――ロアがそう書かれたカードゲームのカードのような札に祈りを込めた瞬間、カードの中から膨大な魔力の奔流と共に、翼の生えた白い一角獣が姿を現したのだ。

 ペガサスのような姿をしたその天馬はクレナを前にすると、ロアの指示を受けるよりも先にクレナの前で身を屈め、その背中に乗るように促した。動物的な勘で力関係を察知したのか、それともユニコーン的な処女信仰なのか……理由はわからないが、カードから召喚された幻獣は妙にクレナに懐いた。

 

 そしてロアと共にその背中に乗り込んだ時、天馬は翼を広げて飛び上がり、クレナの視界は一変した。

 

 眩い閃光に飲み込まれ――気づいた頃にはこのフォストルディア、聖地ルディアの上空へとワープしていたのである。

 クレナ達が事もなげに地球とフォストルディア、二つの世界を移動した瞬間だった。

 両次元を渡る方法という、未来のクレナと勇者達がどれだけ探しても見つからなかったものがこうも呆気なく見つかってしまったことに、クレナは胸中で複雑な思いを抱える。

 しかし、次元移動に掛ける時間が予想以上に短く澄んだことは僥倖である。地球に残していった白石兄妹のことは依然クレナの使い魔達が見張っている為、これほどの速さならこの世界からでも即座にあちらに駆けつけることが出来るだろう。

 尤もその為には、前提としてこのカードをクレナが常に携帯しておく必要があった。

 

『この召喚獣は、私が預かる』

「あ、はい……その魔術の札は姉上の物なので、僕から許可は出せませんが……確かに、いつでも帰れるようにクレナさんが持っていた方がいいですね」

『この世界に私を置き去りにしようとしないのは、一応の誠意はあるようだ』

「いや、だって……そんなことしたら地獄の果てまで追い掛けてきそうじゃないですか」

『見抜いていたか。少しだけ好印象だよ』

「……ぜんぜん嬉しくないや、はは……」

 

 クレナがこの世界に居る間、あの二人がロア以外の誰かから召喚されないように、次元渡りに必要な次元幻馬のカードをロアの手から半ば強引に受け取る。

 ロアの方もこの魔道具をクレナが預かること自体に不服は無いらしく、思いのほか大人しく引き下がってくれた。

 

「いい、ほけんになる」

 

 両次元を渡る手段を手に入れたことは、二人を守る上で最良の保険になる。仮にもし二人がフォストルディアに召喚されても、これさえあれば召喚された場所まで追い掛けることが出来るからだ。

 

 次元幻馬のカードをブレザーの内ポケットに収納した後、クレナは改めて下方に広がる聖地の町を見下ろす。

 ここは聖地の首都「フィフス」だったか。中世のような町並みの中心で、城のように大きく聳え立っているのは聖地ルディアの大聖堂だろう。優美なその姿は、未来のクレナの記憶に存在するものと完全に一致する。

 ただ目につくのは、大聖堂以外の町の至るところに爆撃の跡のような大穴が点々としている風景だ。

 

『荒れているな』

「あれは、オーディスが召喚した召喚獣達が暴れ回った痕です。召喚獣は騎士団のみんなが撃退したのですが、その隙に姉上が……それにしてもクレナさんは、ここに来たことがあるんですか? もしかして僕と同じで、次元を渡ってきたとか……」

『一緒にするな』

「は、はい」

 

 自身の名前については、あの後ロアに教えておいた。仮初とは言え一応は協力関係になる以上、その必要があると思ったのだ。

 紅井久玲奈という純粋な日本人の名前を持つクレナがフォストルディアの内情に妙に詳しいことに対しては、おそらくロアも怪訝に感じているところであろうが、立場も立場である為か深く詮索をしてくることは無かった。

 

 

 

 

 クレナ達を乗せた天馬がゆっくりと高度を下げ、大聖堂の前に降り立つ。

 背中から地面に降りたクレナを見ると、天馬は妙に馴れ馴れしく褒めて褒めてと言わんばかりに身を屈めて彼女の胸へと顔を近づけてきた。

 

「まるで、使い魔みたい……」

『お前の召喚獣だろう』

「いや、でも……こんな姿は初めて見ました」

 

 図体が大きいくせに子犬のように接してくる天馬に対して、クレナは仕方が無いのでその天馬のたてがみを労うように軽く撫でてやる。すると、天馬はブルルと鳴き声を上げた後で眩い光と化し、クレナの胸元に収めていたカードの中へと吸い込まれていった。

 キラーマンティスのような魔物ではない。聖獣という奴だろうか……未来のクレナもあまり見たことはないが、何とも奇妙な存在である。因みにクレナは四足歩行の動物よりも鳥類の方が好きだったりするのだが、天馬のたてがみの感触もそう悪くないと感じていた。

 そんなクレナの姿を一瞥した後で、ロアが大聖堂へと向き直り、その建造物の紹介を始めた。

 

「あれが、ルディア大聖堂です。この聖地を象徴する場所で、姉上はあの中で創造神ルディアの神託を受けていたのですが……」

『聖剣と聖槍は? あの中にあるのか?』

「あ、はい……大聖堂の奥には三種類の神器が封印されていますけど……本当に詳しいですね、クレナさん」

 

 ルディア大聖堂のことは、未来の記憶からよく知っている。そう長い間でもなかったが、一時期の間未来のクレナ達が拠点として使っていたことがあるのだ。

 フォストルディアの創造神、ルディアの御神体が祀られているルディア大聖堂。尤もクレナ達が来た頃には神巫女ロラの存在はこの地にはなく、神託を聞くことは出来なかったものだが。

 しかし大聖堂の最深部に封印されている三種の神器――クレナ達が訪れた時は二種の神器だったが、その武器には浅からず縁があった。

 

「あ、来ましたよ!」

 

 初めて訪れた筈なのに既視感があり、その既視感の理由も理解している自分に妙な感慨を抱いていると、大聖堂の方からこちらへ向かってくる三人の人影が見えた。

 粗野な風貌をした体格の良い壮年が一人と、ロアと同じぐらいの少年が一人。親子のような凸凹コンビだが、共通しているのは二人とも同じ服を着ており、首元から背中に掛けて高貴そうな紅のマントを纏っていることだった。

 そんな二人の姿がはっきりと見えるほど近くまで来ると、ロアが彼らの名を呼びながら嬉しそうに手を振った。

 

「団長! トム!」

「ロア、お前! 本当にチキュウ人連れて……」

「待てトム。ロア、そっちの娘はチキュウの民だな?」

「……はい。無理を言って、協力していただきました」

「……わかった。話は後で聞く」

 

 トムと呼ばれたそばかすの少年がもの言いたげにロアに詰め寄ろうとするが、団長と呼ばれた壮年がそれを制し、一言二言ロアと言葉を交わすなりこちらに向かって歩み寄ってきた。

 そしてクレナの前まで出向くと、片膝をついて頭を下げた。

 

「チキュウの民よ、事情はこのロアからお聞きしたものと思われますが、この度は申し訳ありませんでした」

「だ、団長!?」

 

 粗野な容貌の彼が表した真っ直ぐな謝意にクレナは内心で驚き、ロアとトム少年が声を上げる。

 団長と呼ぶからには、恐らく彼が聖地ルディアの誇る最強の戦力である聖堂騎士団の団長なのだろう。その団長が何処とも知れぬ小娘を相手に、出会って早々に頭を下げて謝っている。なるほど、確かにそれは異様な光景だろう。

 しかしクレナには、彼の謝意よりも彼の存在そのものに対して解せない点があった。

 

『誰だ?』

 

 聖地ルディアの聖堂騎士団のメンバーとは、未来のクレナも何度か会ったことがあり世話にもなっている。特に騎士団長からは不相応に得ることになった「C.HEAT」という力の使い方から魔法の使い方、武器の使い方と何から何まで戦士として未熟だったクレナを短い間ではあるが鍛えてもらった恩があり、その顔は確かに覚えていた。

 

 しかし目の前の人物と未来のクレナが世話になったルディア聖堂騎士長の顔は、明らかに違うのだ。

 

 その差異を不審に思っていると、彼が粗野な顔立ちには似合わない丁寧な口調で自らの名を名乗った。

 

「申し遅れました。私は聖堂騎士団団長、ガルダ・ノンストと申します」

『……紅井クレナ』

 

 ガルダ・ノンスト――その名前はやはり、クレナの知る聖堂騎士団長のものではなかった。

 

「相変わらず、敬語が似合わないっすねー」

「うるせぇ黙ってろ! 団員が異世界召喚なんかやっちまったら、騎士団の沽券に関わるんだよ!」

「は、はい!」

「すみません、団長……」

 

 クレナに対しては騎士団長の名に相応しい礼儀正しい物腰であるものの、少年二人に対しては見た目通りの乱暴な言葉であしらっている。その姿は大柄な体格もあって中々迫力があったが、どこか子供達とじゃれている父親のように見えてクレナには妙な感覚だった。

 そんな三人のやり取りを無言で眺めていると、ふとこの場に近づいてくる強い魔力を感じた。

 

「……!」

 

 ――そして、クレナは見た。

 彼らと同じ騎士団の服を纏った、紫色の髪の青年の姿を。

 色白で整った顔立ちは、まさしく未来のクレナの記憶に存在する世話になった聖堂騎士団長の姿だった。

 

「マキリス……」

「む?」

 

 思わず彼の名前を呟いてしまったが、その声を聴かれてしまったらしく青年――マキリスが怪訝そうな表情でクレナを見る。

 すると自らの顎に指を当てながら、マキリスはクレナに対して訊ねた。

 

「私の名前を、ロアから聞いたのですか?」

「いえ、僕の方からは何も……うわッ」

「よけいなこと、いうな」

 

 クレナは決して、ロアから彼の名前を聞いていたわけではない。しかし、その事実を知られれば何故地球人が自分の名前を知っているのかと不審に思うだろう。

 馬鹿正直にも余計なことを口走りそうだったロアの足を踏みつけると、クレナは日本語で彼に耳打ちした後で「そうだ」と翻訳魔法を掛けた言葉でマキリスに応じ、納得させた。

 

 しかしマキリスは当然ながら子供のロアとは比べ物にならないほど頭が回り、それ故に地球人に自分達の情報が誰に聞かれずとも知られていることを知れば、クレナに対して他国や魔王軍のスパイなのではないかと明後日の方向に疑いを抱く可能性が高い。こればかりは迂闊に彼の名を呟いた呟いたクレナの落ち度だが、こんなことで余計な勘繰りをさせて彼との関係を悪くするのは望ましくなかった。

 特にここは人目が多い。いつの間にか遠巻きではあるものの、こちらの様子を窺っているギャラリーの姿が何人か増えていた。日本の高校の制服というこの世界では異質な装いをしている小娘という存在が、物珍しく見えるのは道理であろう。

 その衆目の中でガルダ団長の傍らを横切り、クレナの前にマキリスが出てきた。

 

「ご存知のようですが、私の名はマキリス・サーバエルと言います。こちらの事情はロアから聞いたものと思いますが、私から詳しく説明致しましょうか?」

『……いらない』

「では、私から貴方に一つ質問させていただきたい」

 

 一見礼儀正しく見える対応の中でこちらを探るような目で見つめる彼は、そう言って単刀直入に訊ねた。

 

「貴方は、我々の役に立ちますか?」

 

 簡潔、かつ歯に衣着せぬ物言いである。

 真っ先に来ると思っていた発言が今になって出てきたことに、クレナは心の中で苦笑する。

 彼らの立場からしてみれば、神巫女を助ける為に仲間が掟を破ってまで地球から救世主を連れてきたのだ。そんな経緯を経た上でいざ戦いの時が来た時、その救世主様が実は平和ボケした能無しだったとなれば目も当てられない。

 勝手に連れ出しておいて何言っているんだコイツ……というのがクレナの本音だが、それを言ったのがあの(・・)マキリス・サーバエルだと思うと怒りよりも先に愉快さが来る。

 

「おい、マキリス!」

「副団長! それは……っ」

「ロアは黙っていろ。団長、いかに潜在能力が高いとは言え、フォストルディアに召喚されたチキュウの民が最初から力を使いこなしていた例は無いと聞きます。そして今の我々には、訓練してチキュウの民を育てている時間も無い。即戦力にならないのなら、お嬢さんには直ちにお引き取り願うのがお互いの為です」

「それはそうだが、言い方ってもんがあるだろうが!」

「団長は妙なところで律儀すぎる」

 

 ガルダ団長としては、仲間の独断行動に巻き込んでしまったことに対してクレナに負い目があるのだろう。故に彼の言い方を咎めたが、気取った台詞を吐き捨てるマキリスはどこ吹く風だ。

 

「ふふ……」

「む……?」

 

 ああ、やっぱりコイツ、マキリスだ……と目の前の人物のことを改めて理解したクレナは、思わず頬を緩めてしまう。

 

 そうだ……そう言えばお前は、こんな奴だったな。

 カッコつけで見栄っ張りで、その癖誰よりも責任感が強い。

 弱者を戦わせることを嫌い、弱者を虐げる者を許さない。そんな立派な信念を持ちながら感情表現が不器用で、老若男女問わず意図が伝わりにくい。俗に言う「面倒くさい男」だった。

 

 そんな彼は滅びゆくこの世界の在り様を憎み、いつしか伝説と呼ばれた大聖堂に眠る「聖剣ヴァレンティン」を抜き放った。

 

 その聖剣を天に掲げながら、彼は高らかに革命を宣言した。フォストルディアの正義は我にある。我こそが真の勇者、悪を滅ぼす「神勇者」であると――戦場の中でそう叫んだ彼は数少ない同志を集めて魔王軍とフィクス帝国、両方に反逆を仕掛けたのだ。

 

 そんな大それた行動の根幹にあったのは、未来のクレナことアカイクレナへの恋慕だったと言うのだから滑稽な話である。

 

 彼はどういうわけか、未来のクレナに惚れていた。だから、召喚勇者が望まぬ戦いを続けることを許せなかったのだ。

 しかし彼の行った世界への反逆は、何とも残酷な結果に終わってしまった。

 彼の抜き放った神勇者の聖剣ヴァレンティンは実は伝説の聖剣を模したレプリカに過ぎず、本物ではなかったのだ。

 それ故に剣は魔王との激戦に耐えられず折られてしまい、彼は敗北してしまった。

 

 ……せめて最期は自分の腕の中で眠れたのは、彼の救いだったのかもしれない。そんな、未来のクレナの記憶である。

 

 そんなマキリスは未来のクレナや仲間達に戦い方を教えてくれた師匠でもある。

 彼とはそれなりに濃い時間を過ごした間柄であり……当の未来クレナからしてみれば恋愛感情は皆無だったようだが、このフォストルディアでは一番好感の持てる人物と評価していた。……人間よりも、人間らしい男だったと。

 それが、クレナの知るマキリス・サーバエルという騎士である。

 

「それで、どうなんですかお嬢さん? 貴方は現時点で、我々の戦力になりますか?」

 

 そのマキリスが今、至って真面目な表情でクレナに詰め寄り、言葉は冷たく、頭の裏では力の無い地球人を戦わせたくないからとわかりにくい善意で追い返そうとしている。

 迫真の剣幕はクレナが普通の少女であれば縮こまっていたところかもしれないが、未来の記憶により彼の人柄を知るクレナにはその姿がどうしても可笑しく見えて――思わずその顔面を殴ってしまった。

 

「ブッ」

 

 ――と、クレナの拳が彼の鼻に当たった瞬間、間抜けな音が聴こえてくる。

 衝動的に思わずやってしまったクレナの、最低の行為であった。

 

「……!?」

「ひぇっ」

 

 その光景を目にした者達の反応は三者三様であり、団長は目を見開いて驚愕し、トム少年は怯えの目でクレナを見つめ、ロアは諦めの入った表情で天を仰いでいた。

 周りのギャラリー達もまた騒然としており、中には彼への無礼を働いたクレナを取り押さえようとする騎士団員達の姿も見えたが、起き上がったマキリスがそれを片手で制し、滴り落ちる鼻血を袖で拭いながらクレナに向き直った。

 

「フッ……今のは良い拳でした。溜めも無しにこれほどのものが打てるとは」

『いきなり殴って悪かった。貴方ならあのぐらい避けれると思った。すまない』

「煽ったのはこちらです。人は見掛けに寄らぬと良い勉強になりましたよ」

『だが、殴る必要は無かった。もっとわかりやすく、私の力を見せるとする』

 

 クレナの力が戦力になるかどうかという問いは、不意打ちとは言え彼が手加減したクレナの拳を避けられなかった時点ではっきりしているだろう。未来の世界でクレナに拳の打ち方、人の殴り方を教えてくれたのは何を隠そうこのマキリスなのだが、クレナと初対面であるこの時代の彼がそれを知るわけもない。

 彼ならば今の拳だけでもクレナが戦力として有用なことは伝わっただろうが、無駄な鼻血を流させた詫びとしてクレナは内なる魔力を高め、あえて他のギャラリー達にも見せつけるように「C.HEAT」を発動した。

 

「……っ? なんだ、この炎は……!」

「火炎魔法……? 違う……何だろう、これは……」

「温かい……光……」

「おお……ルディア様……っ」

 

 クレナの身体から放たれた浄化の炎が渦を巻きながら奔流していくと、瞬く間にこの町のあらゆる景色を覆い尽くしていく。

 突如として流れてきた紅蓮の炎に飲み込まれた人々は、最初こそ炎に焼かれると阿鼻叫喚に包まれたが、その紅蓮が自分達の身に害を及ぼすものでないことに気づくと一様に困惑の声を上げる。

 炎であって炎ではない、勇者として得たクレナの能力。圧倒的な量の炎に飲み込まれながらも身体は無傷で、熱さも息苦しさも感じないその現象に誰もが目を見開いていた。

 寧ろ病人や怪我人などはこの炎を浴びた瞬間、身体が蘇ったような活力に満たされたことだろう。

 この浄化の炎は、クレナの使い方次第では毒にも薬にもなる。今使ったのは薬としての力だが、一瞬にして町を炎で飲み込むという外見上の光景は一同の心に鮮烈なインパクトを与えた筈だ。

 

「君は……いえ、貴方は一体、何者なのですか?」

 

 全身から無尽蔵に炎を放ち続けるクレナの姿を見つめるマキリスの目が、訝しむものから畏敬の眼差しへと変わる。

 彼らの崇める創造神ルディアは太陽の化身であり、不死鳥の如き火の鳥の姿をしていると言う。

 信心深い彼のことだ。浄化の炎という神秘的な炎を操るクレナを前にして、クレナのことを神の御使いか何かではないかとでも疑っているのだろう。未来ではそんな感じで、クレナのことを陰で天使扱いしていたことを覚えている。

 そんな意図が込められていたのであろうマキリスの問いに、既に自分の名前を名乗っているクレナはクレナなりに考えた自らの存在を日本語で言い放った。

 

「うつわ、だよ」

 

 やがて町の全てが紅蓮に飲み込まれた時、クレナは頃合いと判断し、炎の放出を止める。と同時に、それまで広がっていた紅蓮がまるで幻だったかのように掻き消えていった。

 

 そしてその時にはクレナに対して頭を高くしている者は、ロア以外は誰も居なかった。

 ……どうやら力を見せつけるにも、少しやり過ぎてしまったらしい。

 

「……チキュウの民よ、本当に、私共に協力していただけるのですか?」

『団長、顔を上げてくれ。他の住民達もだ。私は神の御使いでも天使でもない。そうへりくだる必要は無い』

 

 超常的な力の発生に圧倒され、クレナのことを神の御使いではないかと疑っている様子だ。クレナの力が妙に創造神ルディアと共通点があるのも、それに輪を掛けているのだろう。

 今の浄化の炎はクレナが無能ではないことを大多数の民にアピールする為、意図して派手に見せつけたのは確かだが、マキリスや騎士団長まで委縮させてしまうのは本意ではない。悪人や魔物相手ならともかく、善人を相手に「C.HEAT」という降って湧いたような力をひけらかして悦に浸れるほど、クレナは面の皮が厚くないつもりだ。

 クレナがこの口でへりくだる必要は無いと言っても彼らはまるで信じていない様子だったが、とりあえずは片膝をつけたままではあったが頭を上げてくれた。

 そんな彼らに、クレナは言う。

 

『ロラ・ルディアスには世話になった。そして、ゼン・オーディスには恨みがある』

 

 クレナに視線を集めたまま静まり返っている町と言い、団長達の畏敬の表情と言い、今しがたクレナが行った浄化の炎の奔流は予想以上の反響を得たようだ。しかし悪知恵の働くクレナは、それならばその反響を利用させてもらうことにする。

 生憎クレナは自分が真っ当な人間などとは欠けらも思っていないし、謙虚な人間だとも思っていない。どちらかと言えば自尊心が高く、人に命じられるよりも命じる方が好きな性分だ。

 ……だからこそ、トラックの事故で落ちぶれてしまった自分に耐えられなかったのだから。しかし未来のクレナの記憶の器になった今のクレナなら、かつての自分を客観的に分析することが出来る。

 崇められたいわけではないが、命令される立場にはなりたくない。我ながら身勝手なものである。

 

『部下にはなれないが、神巫女の奪還には協力する。それでいいか? ガルダ団長』

「ええ、ご協力を感謝します……今回の責任は全て私にありますので、どうかこ奴らの非礼をお許しください」

『許しを乞うよりも、神巫女を取り戻すことに全力を尽くせ。私はお前達にとって都合の良い救世主にはならないが、道を開く力にはなってやる』

 

 我ながら、何様のつもりだと呆れてしまう上から目線である。

 しかし、彼らの中で自分の立場を低く設定されるわけにもいかない。この紅井クレナという勇者もどきには仲間が居ないのだから、虚勢だろうと侮られるわけにはいかなかった。

 

 

 これがこの時代における紅井クレナと、聖地ルディアのファーストコンタクトだった。

 

 







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