蒼紅天使のマスカレード   作:GT(EW版)

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紅井クレナ

 

 

 

 その日、白石(しらいし) 勇志(ゆうし)は上機嫌で商店街を歩いていた。

 足取りは軽く、日頃友人達からは仏頂面と言われている表情筋は傍から見てもわかるほどに緩んでいる。その理由は、現在彼が手を繋いでいる可憐な少女の存在にあった。

 少女は頭に被った麦わら帽子を押さえながら視界から日差しを隠すと、くすりと微笑みながらそんな勇志の顔を見上げた。

 

「ふふ、兄さん、嬉しそう」

「嬉しいさ……こうしてやっと、お前と外を歩けるんだから」

 

 少女の名前は白石(しらいし) (きずな)。同じ苗字の通り、血の分けた勇志の妹である。歳は十歳で十六歳の勇志とは六つほど歳が離れているが、その兄妹仲は非常に良い。

 自分と同じく上機嫌そうに笑う彼女に微笑み返しながら、勇志は感慨に浸る。

 

 今目の前に居る触れれば掠れてしまいそうな儚げな少女は、子供ながら日焼け一つ無い色白な肌が表しているようにほとんど外に出たことが無かった。というのも彼女は生まれつき病弱で外出することが出来ず、頻繁に病院に通う不自由な生活を強いられていたのだ。

 

 それが変わったのは、つい数か月前のことだ。

 ある日を境に彼女の容体は急激に良化し、健康状態は見る見るうちに良くなっていった。

 そんな彼女の回復は医者の目にも驚きだったのだろう。これならば薬が要らなくなる日も近いとまで言われ、今日ではこうして共に外出することが出来るようになった。

 勇志は今この時ほど、神の存在を信じたことは無い。病に苦しんでも気丈に振舞い、泣いている姿すら兄に見せようとしなかった健気な妹はこの時を持ってようやく報われたのだ。

 勇志にはそれが、たまらなく嬉しかった。

 

「私も嬉しいよ。こうして兄さんと出掛けられるようになるなんて、思ってなかったから」

「絆……」

「いつも私のこと見捨てないで、励ましてくれてありがとう」

「馬鹿言うなって。妹を見捨てる兄が居るか……俺にとってお前との時間は、一番幸せなんだぞ?」

「兄さんったら、シスコンさんだね」

「おい。そんな言葉、どこで覚えた?」

「ふふ、ひみつ」

 

 今勇志が行っているのは、妹と共にこの町を見て回る散歩である。

 満足に外出出来なかった彼女に、今まで自分が見てきた町を見てもらいたいと……そう思ったのだ。

 中でも妹はこの町の観光スポットであるペンギンと遊べる水族館がお気に入りらしく、華麗な泳ぎを見せるペンギンの姿をキラキラした目で眺めていたのが記憶に新しい。

 今日はどこに連れて行こうか……今後の予定に思いを馳せながら、勇志は赤信号の灯る横断歩道の前で立ち止まる。

 しかし、その時だった。

 

「ッ!? 兄さん!」

「どうした絆? なっ――」

 

 青信号を待ちながら横断歩道の前で待機していた二人の元へ、大型のトラックが一台、減速することなく突っ込んできたのである。

 車輪は完全に車の道路を外れて暴走しており、歩道まで乗り上げて猛然と突進してきた。

 運転手が信号を見ていない暴走運転――違う。

 運転手が信号を見ていないのではなく、運転手が「居なかった」のだ。

 突っ込んできた暴走トラックは、ブレーキを掛ける者の居ない完全な無人運転だった。

 

(くそっ……!)

 

 絆の手を引いて急いでその場を離れようとする勇志だが、暴走トラックの接近まで到底間に合わない。

 中学時代は剣道部にも所属していた彼の運動神経は、人並み以上には高い。しかしそんな彼が全力疾走したとしても、100キロ以上の速さで暴走する大型トラックからは逃れようになかった。

 せめてもの抵抗として絆の身体を全身で覆うように庇い、暴走トラックの魔の手から逃そうとするが、無意味な抵抗であることは誰の目に見ても明らかであった。

 自分諸共、絆は――妹は死ぬ。自らの死を悟りながらも、勇志にはそれだけは受け入れられなかった。

 

「……っ!!」

 

 妹の命が消えていく――その現実を否定するように絶叫を上げた瞬間、紅蓮の光が、槍のように直下してきた。

 

 

 ――トラックは突如として飛来してきたその光に貫かれ、内部から破裂するように砕け散ったのである。

 

 

 勇志はその時、何が起きたのかわからず呆然としていた。

 

「……兄さん? 何が……」

「なんだ……? なんなんだ、これは……」

 

 自分達を跳ね飛ばそうとしたトラックの暴走は、トラックの爆散、消滅という形で食い止められた。

 混乱する思考の中でこの場で起こった状況を整理した勇志はトラックを貫いた紅蓮の光が頭上から落ちてきたことを思い出し、上空を振り仰いだ。

 そこにあったのは、太陽のように輝く白く眩い光。人の目で見るにはあまりにも眩しく、始めは顔をしかめるように目を細めなければならないほどだった。

 

「あ……」

 

 目が慣れてくるに連れて、その光が徐々に人の形をしていることがわかるようになる。

 そしてさらに時間が経ち、勇志の目にもその光の正体がわかるようになった。

 

 ――そこに居たのは、天使だった。

 

 病衣のような汚れ無き白い衣服を纏い、背中からはその儚い装いとは対照的な炎のような紅蓮の翼が二枚生えている。

 顔は――光に隠れているが、その顔立ちが非常に整っていることはわかった。特徴的なのは肩先まで下ろされた紅色の髪で、不意に横切った北風がしなやかに、幻想的にその髪を揺らしていた。

 

 ――白衣を纏った、紅の天使。

 

 その姿を見上げた勇志は、自身の心に今までに感じたことのない何かが芽生えたことを自覚する。それほどまでに天使の姿は神々しく美しく、神聖なもののように思えたのだ。

 

 トラックの破片を見下ろしていた天使は自分の役目は終えたとばかりに天へと昇っていくと、勇志の視界から消え去っていった。

 その際一瞬だけ見えた華奢な後ろ姿に、勇志は妹の絆にも似た少女の面影を見た。

 

「兄さん、今のは……」

「夢、じゃないよな……?」

「うん……多分、現実だよ」

 

 事実は小説より奇なりという言葉があるが、今体験したことはまさにその通りだと実感する。

 この時、白石兄妹は紅の天使を見るという、非日常に触れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、那楼総合病院の病室で目を覚ました少女、紅井 久玲奈(あかい くれな)は自らの身に起こった「変貌」に思考を巡らせていた。

 

 

 この病院の世話になるまで裕福な家庭の中で平穏に暮らしていた彼女は、幼い頃は容姿に恵まれていたこともありかつては充実した人生を送っていた筈だった。

 そんな日常に変化が訪れたのは二年前、久玲奈が中学一年生になってから間もないある日のことだ。

 

 その日――久玲奈の住む家の前で、トラック同士の衝突事故が発生したのである。

 

 その衝撃によって跳ね飛ばされた一台のトラックが軌道を変えて転がり、彼女が住む家の中まで突っ込んできたのである。当時その家で一人だけ留守番をしていた久玲奈が気づいた頃には既に彼女の身体は崩壊した自宅の瓦礫に埋もれ、辺りはトラックの炎上によるおびただしい炎に包まれていた。

 

 ……幸いにして駆けつけてくれた救助隊が間に合ったことによって一命を取り留めた久玲奈だが、その事故で全身は原型を留めないほど大火傷となり、事故から二年が過ぎた今になっても病院生活が続いている。

 

 骨折の方は不幸中の幸いと言うべきか命に別状無い程度で済み、今では手術跡こそあれど折れた骨自体は完治している。

 しかし全身に負った火傷の方はもはや現代医療でも手の施しようもない悲惨な状態であり、久玲奈を焼いた炎はその全身から潤いを消し、顔面は焼き崩れ、肉は醜く歪んでしまった。包帯塗れの身体は寝返りを打つだけでも痛みは走り、満足に歩くことすらままならない。下着をつけることすらも激痛になり、かつては麗しかった女としての久玲奈は完全に死んでしまったのだ。

 

 

 九死に一生を得て命だけは助かった久玲奈だが、その後の入院生活で「いっそ死んでいれば」と憂鬱に思ったことは一度や二度のことではない。

 そんな「紅井久玲奈」という少女のこれまでに人生をどこか他人事のように思いながら、久玲奈は枕に頭を預けながら茫然と天井を眺める。

 

 

 ……長い、夢を見ているようだった。

 

 ここに居ながらも、ここではない別の世界に居る「私自身」の人生。

 それは夢のように幻想的であったが、夢見心地ではない現実的な質感のある光景だった。

 

 夢の内容は愉快なことに、今から一年以内に自分が「異世界」に召喚され、勇者として魔王と戦いに行くという荒唐無稽な出来事であった。

 非現実的でありながらも紛れも無く現実だと訴えてくるその夢は、まるで未来の自分自身の記憶を追憶しているように思えた。

 久玲奈からしてみれば予知夢のようにも見えるその光景を脳内に映しながら、彼女の意識は溶け込んでいくようにその世界へと落ちていた。

 

 

 

 ――次元の壁をも越えた先に、地球とは違う文明を持つ異世界があった。

 

 そこは剣と魔法が闊歩するファンタジーRPGのような世界観であり、地上に住む人々は人類の敵である「魔族」と日夜戦い続けていた。

 しかし彼らの生活圏は魔族の中で最も進化した「魔王」によって脅かされ、既に大地の半分以上が魔族の手に落ちていた。

 

 そんな異世界――「幻想世界フォストルディア」の人々を救う為に、白い召喚魔術師によって地球から十三人の若者達が召喚されたのだ。

 その十三人の中に、未来のアカイクレナは居た。

 召喚された彼女らのことを異世界の人々は「勇者」と呼んでいたが……実態は決して、名前ほど輝かしいものではなかった。

 

 

 クレナも含めた勇者達は、誰もが望んで召喚を引き受けたわけではない。彼らは皆平穏な日常生活を送っていた中でわけのわからないまま地球から引き離され、異世界へと送り飛ばされたのである。

 そして自分達を召喚した白い召喚師から、君達は勇者だ、敵と戦え、王の役に立てることを光栄に思え等と言いたいことだけを一方的に告げられ――拒否権も無く魔王討伐の命令を受けることになったのだ。

 

 許可なく召喚された上にそんな無茶苦茶な命令をされた勇者達は当然のように抗議したが、そんな子供達に対して白い召喚師は有無も言わさずに「隷属の呪い」を掛けた。

 

 「私の命令に従わなければ死ぬ」と言い放った彼の、言葉通りの呪いの魔法であった。

 

 勇者の一人はその言葉に従わず、激昂の余り白い召喚師に殴りかかろうとしたが……その瞬間彼の心臓は破裂し、断末魔すら無く死亡することになった。道端の蟻が踏み潰されるような一瞬の出来事であり、召喚された勇者達の中で最初の犠牲者が生まれた瞬間だった。

 

『だから、言ったではないか』

 

 嘲るように、すっとぼけたようにそう呟く召喚師の姿は、クレナ達の目には死神にしか見えなかったものだ。

 一同は「人の死」という壮絶な光景を見せられたことで激しく動揺し、そんな彼女らに向かって白い召喚師は白々しく言い放った。

 

『そう怯えることはあるまい。この私が今、君達の本当の力を目覚めさせてあげよう。その力は勇者の名に違わず、この世界を揺るがすほどに絶大な物だ。その力で魔族を滅ぼしてさえくれれば、後は君達の自由だ。望み通り、君達を元の世界に帰すと約束しよう』

 

 その言葉の後、一同の足元に光の魔法陣が浮かび上がり、子供の身体の内から得体の知れない力が湧き上がってきた。

 それは勇者として召喚されたクレナ達の中に眠っていた、「魔力」を始めとする超常の力が覚醒した瞬間だった。

 

 

 しかしそうして異世界で戦う為に強力な能力を得た後も、隷属の呪いを受けているクレナ達は悪魔のような白い召喚師に従うしかなかった。

 白い召喚師から与えられた命令は、ただ自分の命令に従ってこの世界に住まう人類の敵「魔王」を討つことのみ。そこに勇者達の意志を挟む余地など、どこにも無い。

 

 勇者などと言えば聞こえは良いが、クレナ達地球人の立場は国にとって都合の良い戦奴隷と何ら変わり無かったのだ。

 

 

 それからたった十日間の戦闘訓練を受けた後、彼女ら十二人の勇者達は初めての実戦に向かわされる。

 初めて与えられた任務は魔族の手下である「モンスター」によって支配された大陸三大都市の解放。

 クレナ達は半年ほど掛けてそれぞれの身に宿る超常的な力によって二都市の解放に成功したが、その頃には既に勇者の人数は八人にまで減っていた。

 同じ境遇を分かち合い、友情すら芽生え始めていた仲間が一人ずつ居なくなる日々は彼らの精神を擦り減らしていき、つい最近まで誰もが日本で平和な日常を過ごしていた一同の心を追い詰めていった。

 今日は生き残れても、次は自分が死ぬ――その恐怖に耐えられず、仲間内で恐慌を起こすこともあった。

 

 

 しかし勇者達の中には、そのように死に怯える他の仲間達を鼓舞する少年が居た。

 

『諦めるな! 俺達は必ず帰れる!!』

 

 仲間達の中でリーダーシップを取る一人の少年は、絶望的な状況ほど強く、周りの者達を鼓舞していた。

 彼もまた自分達を取り巻いているこの状況に苦しんでいる者の一人であったが、それでも彼だけは弱気になれない事情があった。召喚された勇者達の中には、彼にとって大切な妹が居たのだ。

 まだ幼い妹の前で自分まで弱気になってしまったら、妹は誰に頼れば良いのだと……強気な言葉の裏には仲間達や自分自身を鼓舞するという意味もあったが、彼にとっては何よりも妹への想いが強かったのである。

 

 

 ……そんな彼――「白石(しらいし) 勇志(ゆうし)」は、アカイクレナの人生を大きく変えた初恋の男だった。

 

 

『諦めるなよ、クレナ。生きている限り、希望を捨てちゃ駄目だ』

 

 理不尽な事故に遭って以来、心を閉ざし何もかもが嫌になっていた未来のクレナは、共に異世界へ召喚された彼に多くのことを教えてもらったのだ。

 絶望の底でも諦めない気持ちと、現実と戦う強さ、人を愛することの素晴らしさ……どんな状況でも己の信念を曲げることなく駆け抜けていく彼の姿はまさしく本物の「勇者」であり、いつの日かクレナはそんな彼の背中に惹かれていったのである。

 彼に認めてもらえるように、自分も頑張ろうと思えたのだ。

 

 

 ――しかし魔族との戦いは、勇者達が戦えば戦うほど激化していった。

 

 

 時は流れ、クレナ達が召喚されてから六年が過ぎた頃、仲間の人数はクレナと白石勇志、その妹の白石 絆(しらいし きずな)の三人だけとなっていた。

 極限状態の中で多くの実戦を乗り越えてきた三人の勇者達は、生半可な敵は一切寄せ付けない圧倒的な戦士へと成長していた。それぞれが一騎当千の活躍で敵を仕留めていき、魔族に怯えるフォストルディアの人々に希望を取り戻していったのである。

 しかし白石勇志――彼自身の心に救いは無く、民から掛けられる賞賛の言葉もまた、その心には届いていなかった。

 

 かつてクレナに希望を教えてくれた少年は相次ぐ仲間達の死を前に心を荒み、怒りの戦士へと成れ果ててしまっていたのだ。

 

 いつまで経っても戦いが終わらず、地球に帰ることも出来ない。そんな理不尽に対する憎しみを敵に対してぶつけていた彼の姿はもはや勇者と言うよりも狂戦士と呼ぶに相応しく、未来のクレナにはそんな彼の姿が痛ましくて見ていられなかったものだ。

 

 しかし、その感情が……最後には未来のクレナを死へ至らしめることになった。

 

『ユウシ……貴方は私に勇気をくれた、希望の光でした』

『待て、クレナ!』

 

 魔王軍との戦いも佳境と言ったところで、アカイクレナは勇者達の中で十一番目の犠牲者となった。

 白石兄妹という自分の愛した光を守る為に、彼女は能力の全てを使い、最大の敵である魔王に特攻を仕掛けたのである。

 勇志の苦しむ姿は、これ以上見ていられなかった。これ以上彼を、戦わせたくなかった。

 だからクレナは最後の力を振り絞って憎き魔王に一矢報い、その命を散らせたのである。

 

『愛しています、ユウシ。いつかまた、来世で逢いましょう』

 

 それが異世界に召喚された未来の久玲奈(クレナ)の、最期の言葉だった。

 

 

 

 

 

 「記憶」の整理を終わらせた後、クレナはベッドの上からゆっくりと床に降り立つ。

 今しがた彼女が見ていた記憶は全て、未来の彼女自身が体験した人生の追憶である。

 どういうことか理由は定かではないが、未来の紅井久玲奈が異世界に召喚され、そこで死ぬということは彼女の頭に溶け込むようにはっきりと理解出来た。

 

 ――未来の私が、魔法の力で私に警告したのだろうか? それとも、あの無能創造神が……

 

 この記憶を異世界召喚前の自分に託して、未来の久玲奈はどうしたかったのだろうか……それはわからないが、少なくとも今の自分がこれまでのようにただ己の不幸を嘆き、リハビリに励む気さえ無く何もかも諦めて塞ぎ込むように病室に篭っているべきでないことだけは確かに思えた。

 

 今ここで誕生したクレナという存在は未来の自分自身が体験したこと、感じたことの熱を受け継いでいる。

 

 真の勇者、白石勇志。

 そして彼の妹、白石絆。

 二人と共に戦った思い出を記憶している彼女はもはや、平凡な人間ではなくなっていたのだ。

 

 ――だから。

 

「……めざめ…ろ……わた、しの……ちぃと………」

 

 火傷で傷ついた喉を軋ませながらも、震える声でクレナは唱える。

 次の瞬間、ミイラ男のように包帯塗れの少女の身体が、どこからともなく現れた紅蓮の炎によって包まれた。

 炎から溢れていく光はこの病室中に広がっていくが、それが物理的な干渉を持って部屋の物品が焼かれていくことはない。

 その紅の炎は炎であって、炎ではないからだ。これは未来のアカイクレナが異世界での戦いで手に入れた「C.HEAT(クリムゾン・ヒート)」という「勇者の力」の発現だった。

 

 「C.HEAT」――幻想世界フォストルディアで勇者として目覚めた者が、特殊な能力を手に入れる超常現象である。

 白石絆は自身の命と引き換えにあらゆる生命を癒す能力へと目覚め、白石勇志は自身の心と引き換えにあらゆる生命を死に至らしめる能力へと目覚めた。

 そして未来のアカイクレナが目覚めた「C.HEAT」はこの紅の炎――あらゆる穢れを焼き払う、「浄化の炎」という力だった。

 

 未来の自分が記憶の中で使っていた能力を今の自分に使えるかは不安だったが、正しく発現したところどうやらその不安は杞憂だったらしい。この分ならばおそらく「魔法」を扱うことも出来るのだろうが、今のクレナにはそんなことを喜んでいる気は無かった。

 

 この心にあるのは強い決意と、病的なまでの執着心だ。

 

 異世界に召喚され、苦しみながら戦っていた白石勇志と白石絆の姿を思い浮かべる。未来のクレナが見ることになった彼らの未来は、絶対に繰り返してはならない光景だった。

 

「まって…いて、ください……ユウシ……わた、しはあなたを、しょうかんさせ、ない……!」

 

 クレナの身体を包んだ浄化の炎――紅の炎は、その身体を覆う火傷の痕を綺麗に焼き払っていった。火傷を炎で焼き払うと言うと難解な表現になってしまうが、例えるなら傷ついた鳥が聖なる炎の中で不死鳥として蘇ったようなものか。

 クレナとしては事故以来自身の身体を蝕んでいた火傷の痛みが無くなったことには少なからず喜びもあったが、その感情を即座に抑えて思考を切り替える。

 この身体の火傷を焼き払ったのは痛みを消す為ではなく、あくまでも身支度の為だ。

 火傷とは関係の無い瓦礫の落下で負った背中の傷痕だけは残ってしまうが、人に会いに行くに当たっては出来る限り身なりを整えておく必要があった。

 痛みが完全に消えるとクレナは炎の顕現を止め、次は病衣を脱いで全身に巻きつけられた包帯を外すことにした。

 

 生まれたままの姿になった後、鏡の前に立って今の自分の姿を確認すると、浄化の炎が目論見通りの効果をもたらしたことに息をつく。

 醜く焼け落ちていた顔面は完全に事故前の状態に戻っており、手足の火傷の跡も綺麗に無くなっている。背中に見える火傷以外の怪我の手術跡などはやはり残ってしまっているが、こちらは服を着れば隠れる部分である為、取り敢えず外面上は人に見せられる姿になったことにクレナは安堵した。

 焼け焦がれ無惨に禿げてしまった髪の毛もすっかりと元の潤いを取り戻しており、「強化魔法」を使って毛根を強化すれば、こちらもすぐに事故前のショートヘアーまで伸ばすことが出来た。

 早回しで死滅した筈の髪が再生していく光景を鏡で見ていると、まるで劇的ビフォーアフターを通り越してもはやホラーテイストなびっくり人間である。そんな自分の姿を自らの目で再確認すると、クレナは溜め息をついて自身の紅い髪を撫でた。

 この地球では珍しい、紅の髪。これはたった今「C.HEAT」に目覚めたことによって能力に適応すべく肉体が変化した結果であり、クレナ自身が平凡ではなくなってしまったことの証であった。

 

「……わたしは……あかい、クレナ……いせかいしょうかんを、とめる、ゆうしゃ……」

 

 長らくの間喋っていなかった為か幼子のように劣化してしまった喉から声を振り絞り、クレナは自己暗示を掛けるように呟く。

 クレナはこうして未来の自分の記憶と力を手に入れた以上、最善の未来を掴む為に全力で奔走するつもりだった。

 

 

 ――私に希望を見せてくれた、白石勇志の為に……

 

 クレナは自身に宿る全てを、彼と妹の白石絆の為に使うことを心に誓う。

 

「……いこう……」

 

 棚の中から新しい病衣を取り出し、裸の肌の上に纏う。

 事故以来クレナにはこの病衣が火傷の痕と擦れる感触が痛くて仕方が無かったが、能力によって傷の治った今は室内の冷房がやけにこそばゆかった。

 

 

 ――そして、紅の少女の物語は冒頭へと戻る。

 

 

 

 砕け散っていくトラックの姿を眼下に、クレナはホッと胸を撫で下ろす。

 間に合って良かった……暴走トラックに轢かれそうになっていた二人を間一髪のところで助けられたことに安堵しながら、彼女は若い二人を空から見下ろしていた。

 

 未来の記憶を基に「C.HEAT」に覚醒したクレナは、その力を使いすぐに病院から脱走した。

 全裸の上に病衣を着ているだけの心許ない格好で空を飛ぶことになったクレナだが、その姿は認識阻害魔法という力によって人の目から隠されている為、勇志達以外の者の目に見られることはない。魔力の浸透していないこの地球で魔法による認識阻害を見破れるのは、勇者の適性を持つ者しか居ないのだ。

 ……尤も、だからと言って今の自身の格好に羞恥心が無いかと言われれば、それは嘘になるのだろうが。

 

 しかしクレナがそうまでなりふり構わず空へ飛び出したのは、彼ら白石兄妹の安否が気になって仕方なかったからだ。

 

 未来の記憶が示している限り、彼らもまた近い日に異世界へと召喚されてしまう。

 あの世界の召喚師という連中はどいつもこいつも性悪な使い手であり、あの手この手を使って地球の少年達を自分の世界へと引き抜いていくのだ。

 トラックを使った物体式召喚術もその一つだが、もしかしたら今のがそれなのかもしれない。しかしそうなると少々……いや、かなり気掛かりなことがある。

 

 今のクレナに受け継がれた未来の記憶が正しければ、白石兄妹はトラックとの衝突ではなく突如現れた魔法陣によって転移させられた筈なのだ。

 

 無人のトラックが明確に二人を狙っていたところを見るに今のが召喚術だったのは既に疑いように無いが、クレナには病弱で満足に歩けなかった筈の白石絆がすっかり健康体になっているのも含めて「ズレ」を感じていた。

 

 ――しかし、あそこに居るのは間違いなく白石兄妹だ。

 

 仏頂面ながらも熱い心を内に秘めた白石勇志と、幼いながら聖母のような慈愛の心を持つ白石絆。

 

(ああ……)

 

 彼らは今、生きている。ここに居るのだ。

 異世界に召喚される前の無垢な姿で、二人はこの町に居た。

 彼らの内に眠る潜在魔力を探って空を飛び回り、捜索に当たった自分の判断は間違いではなかったのだ。

 二人を見下ろしながら、クレナの瞳から喜びの涙が溢れる。

 もしかしたら彼らも自分のように未来の自分自身から記憶を受け継いでいるのではないかと少しだけ期待していたクレナだが、茫然とした表情でこちらを見上げている二人の姿を見るに、その可能性は無いだろう。

 しかしそれでも彼らに対する今のクレナの想いは、異世界に居た頃の未来の自分と何も変わっていなかった。

 

 この世界の彼らが平和な世界で、平穏な日常を送っている。それを確認出来ただけで、今は十分だ。

 

 だから――

 

(声は出なくても、今はいい……)

 

 彼らにまた出会えた感動と火傷の後遺症が合わさり、元より彼らに掛ける声が喉から出てこなかったが、今はそれで構わない。

 彼らがこの世界に居る限り、何度でも話す機会は訪れる。

 何度でも、会うことが出来る。

 何度でも、関係をやり直すことが出来るのだから。

 

(貴方達は、私が守る……)

 

 たとえこの先、どんな召喚術が彼らに襲い掛かろうとも。

 紅井クレナはその全てを叩き潰し、彼らを守る。

 異世界での冒険録ではなく、兄妹で暮らす故郷での日常こそを愛する彼らのことを、クレナはこの命に代えても守り抜く所存だった。

 

 背中の翼を羽ばたかせ、少女は彼らの前から姿を眩ませるように天へと昇っていく。

 この紅蓮の翼もまた、異世界で手に入れた魔法の一つだ。空を自由に飛ぶことが出来る、見た目通りの飛行魔法である。

 異世界召喚を叩き潰すと決意したクレナが、誰よりも異世界召喚の恩恵を受けているのは滑稽な話だと彼女自身も思う。

 しかし、異世界召喚という人を超えた現象が敵になると言うのなら、それに抗う為にはより強い力が必要なのだ。

 

 だからこそ、彼らを守る「騎士」は人を超えた存在にならなければならない。

 

「わた、しは……もう、うばわせ、ない……」

 

 この世界に生まれ変わった今の自分は、敗北者になってはならない。そう戒めながら、紅蓮の天使が飛翔した。

 

 

 

 

 


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