六メートル、五メートル、四メートル。重力に従って落下していく
ペンちゃんの目には、猛スピードで迫ってくる地面の姿が映った。
飛び込んだ穴の先から続く先は、高層ビルの上階から飛び降りるのと同じぐらいの高度である。そのまま地面へと墜落すれば、リアルであれば死亡する危険も大いにあるだろう。
モンスターとの戦闘が前提となる「HKO」におけるプレイヤーのアバターは、初期時点でも一定の肉体スペックが与えられている。しかし、それでも大ダメージを受けることは免れない高度だった。
そんな落下に対して、ペンちゃんはじたばたともがくように短い翼を羽ばたかせていた。
無論、そうすることで空を飛べるわけではない。単なる気分である。ペンギンは空を飛ぶ為ではなく、水中を泳ぐ為に進化した生き物なのだ。空を飛べるペンギンなどその時点でペンギンではなく、アイデンティティーの崩壊を意味する。故にペンちゃんがどれほど翼を羽ばたかせようと重力に抗うことは出来ず、頭の上にゴールデンカーバンクルを乗せたコウテイペンギンの身体はみるみるうちに地面へと迫っていた。
これに対し、「お前どうするつもりだよ!」と抗議するようにペンちゃんの頭をバタバタと連打するリージア。しかしペンちゃんとて、このまま何の抵抗もなく墜落していく気は毛頭無かった。
「そう焦るな。いけ、ジャイアント・ペンちゃん人形!」
高度が残り三メートルを切ったところで、素早くウインドウ画面を開いたペンちゃんは「アイテムボックス」を操作し、そこから一つのアイテムを取り出した。
それはやや太めにデフォルメされた、全長二メートルに及ぶ巨大なコウテイペンギンのぬいぐるみであった。
一目見るだけで柔らかな質感が窺えるそれは、鍛冶師であるペンちゃんが百パーセントの趣味であしらった特別製の一品である。敷布団に使うも良し、ソファーとして使うのも良し、或いは出くわしたモンスターの注意を引き寄せるのにも使えたり、その使用用途は多岐に渡る。
今回ペンちゃんがそのぬいぐるみを取り出した目的は、自らが墜落する衝撃を和らげる「クッション」としての起用にあった。
「そーれペンちゃんダーイブ!」
「キュー!?」
何分高いところからの落下であったが、ペンちゃんの自信作である「ジャイアント・ペンちゃん人形」はコウテイペンギンとゴールデンカーバンクルの衝撃を全て吸収してみせるだけの柔らかさと強度があった。巨大ペンギン人形の真ん丸の腹部に飛び込んだ瞬間、頭にしがみついていたリージアから驚いたような鳴き声が響いたが、その身体を負傷させることはなかった。
よっこらせとおっさん臭い台詞を吐きながらぬいぐるみの腹部から身を起こしたペンちゃんにも、そのHPに異常は無い。やはりクッションとしてこの巨大ペンギン人形を用いてみたのは正解だったと、ペンちゃんは自らの判断を自賛した。
「……うむ、流石私だ。こんなこともあろうかと作っておいた甲斐があった」
「チチッ、チーッ!」
「あ痛っ、そう怒るな。驚かせて悪かったよ……」
因みにこう言ったペンちゃんお手製のペンギン人形はアイテムボックスの中に七種類あり、それぞれ様々な用途で活用されている。
普段はハンマーを扱う鍛冶師であり、戦闘時には時々氷魔法を使い、本気を出した時は七つのペンギン人形を駆使して戦う――我ながらなんて謎キャラだと思いながら、ペンちゃんは己自身のプレイスタイルに苦笑する。
「さてと、フィアは無事かな……って、あれは……」
ジャイアント・ペンちゃん人形を回収し再びアイテムボックスに収めたペンちゃんが次に起こした行動は、一足先に穴に飛び込んでいったフィアの姿を捜索することだった。
あまり想像したくはないが、今のペンちゃんのように上手く着地出来なかった場合、無職故にステータスの低い彼女が死に戻りをする羽目になっている可能性は十分にあった。
しかしその心配の一方で、ペンちゃんには何となく彼女なら無事だろうという楽観的な推測を抱いていた。それにはあのキラー・トマトを相手に見せた彼女の動きが、ペンちゃんの頭に刻み付けられているからなのかもしれない。
……とは言うものの、彼女は幼い少女だ。やはり心配なものは心配である。
真っ先にフィアの安否を気遣い、最初に落ちていったレイカのことはナチュラルに思考から省いているペンちゃんであった。
「チチッ」
「お、居たか?」
探し回ること程なくして、上の方向を仰ぎ見たリージアの声でペンちゃんは目的の人物を発見した。
高さは地表から2メートルほど上の場所。そこには岩の壁に槍の先端を突き刺し、その柄を両手に持ってぶら下がっているフィアの姿があったのだ。
「無事、みたいだな……」
クッションを使って衝撃を和らげたペンちゃんとは違い、彼女はペンちゃんのショップで購入した「シルバースピア」を付近の壁に突き刺し、それをブレーキにすることで墜落自体を防いだのだろう。
見た目は幼女幼女したおっとりした少女だが、ペンちゃんはその光景から彼女の内なる強さを改めて目の当たりにした
しかし購入したばかりの武器を、モンスターと戦うことに使う前にこういう使い方をするとは……鍛冶師としては興味深い光景だった。
「フィア」
「ん、ペンちゃん……?」
「下りれるか? 待っていろ、今クッションを用意するから」
「大丈夫」
ぷらーんぷらーんと雲梯のように槍の柄にぶら下がっていたフィアは、その柄を両手に掴んだまま両足を使って岩の壁を蹴ると、その反動で槍を引っこ抜きながら地面へと落ちていった。
リアルならば怪我の危険もある高さだが、そこはゲームの補正か。二メートルの高さから着地したフィアは足元が多少よろけたものの、特に外傷はなかった。
「よっ、とと……」
「ありがとう、ペンちゃん」
「キュー」
「リージアも、ごめんね……」
着地の際によろけたフィアの身をペンちゃんが支えると同時に、リージアが自然な動作でペンちゃんの頭からフィアの左肩へと飛び移っていく。
そんな二匹に気を配るフィアの目は、レイカを助ける為とは言え先走った自らの行動を申し訳なく思っているようだった。
「レイカ、は……?」
「いや、見ていない。死に戻っていなければだが、お嬢さんは先に行ったんじゃないかな」
フィアと合流したことで心に余裕が戻ったペンちゃんは、今一度周囲を見回しこの場所の造りを確認する。
火の光が無ければ周りが見えなかった上のフロアとは違い、狭い一本道ながらもここは妙に明るかった。
岩壁に覆われた一本道の先に続く前方からは薄っすらと光が射し込んでおり、それはこれまで進んできた洞窟の道程においては見られなかった変化である。
「行ってみるか」
「……うん」
墜落で即死でもしていなければ、レイカはこの道の奥へと進んでいったのだろう。そう判断したペンちゃんとフィアは、薄っすらと見るその光に導かれるように移動していく。
そして、彼女らはたどり着いた。
「おお……」
「わあ……」
それは思わず、一同揃って感嘆の声を漏らしてしまう光景だった。
狭い通路を抜けて彼女らが着いた場所――そこは各所に散らばっている石灰岩や鉱石によって彩られた、広々とした鍾乳洞だったのだ。
下手をすれば、小さな村ほどの大きさがあるかもしれない。それほどの広さがある鍾乳洞の真ん中には美しい地底湖の姿があり、上からは小さな滝が水しぶきを上げて流れ落ちていた。
岩に覆われた天井を見上げれば各所に穴が空いており、その隙間から射し込む太陽の光がこの場所を神秘的に照らしている。薄っすらと見えた光の正体は、この光だったのだろう。
まさに大自然の美しさを凝縮したような、天然自然が生み出した絶景がそこにあった。
「とても、綺麗……」
「……そうだな」
もはや絵画のように見える幻想的な鍾乳洞の景色に圧倒されながら、ペンちゃんとフィアは横並びに歩く。
それから間もなくして、ペンちゃん達は見つけた。
縦ロールヘアーの少女が彼女の武器と思わしき、一本の魔法杖を振るおうとしている姿を。
「あ……レイカ!」
フィアの友達であり、捜索目的の人物であるレイカその人である。
彼女の無事を確認したフィアは安堵の表情を浮かべるが、その表情は今の彼女が陥っている状況を把握した途端、一転して引き締まったものに変わる。
彼女は今、この鍾乳洞で一体のモンスターと戦闘している最中だったのだ。
「あれは……まさかっ!?」
彼女が戦っているモンスターの姿を目にした瞬間、今度はペンちゃんが動揺を露わに声を上げる。
黒と白の体毛に、人の胴ぐらいの体長と長いくちばし。
どこか愛嬌を感じるその「鳥」の姿は、コウテイペンギンであるペンちゃんとよく似ていた。
「ちょっ、この……チクチクと鬱陶しいですわね!」
「レイカ、大丈夫?」
「あ、あらフィアさん、丁度いいところに」
ペンギンによく似たモンスターはレイカに対してくちばしの乱打を浴びせ、チクチクとその先端で突いている。
当のレイカの様子を見る限りあまり威力は無さそうだが、そんなモンスターを相手に手持ちの杖を振るってしっしと追い払おうとする彼女の表情は言葉通り鬱陶しそうに見えた。
そんな彼女は自身に向かって心配そうに駆け寄ってきたフィアに対して飄々とした反応を返すと、丁度良い頃合いだとばかりに高らかに叫んだ。
「これまでモンスターが出てきませんでしたからね。この機会にお見せしましょう、私の実力を!」
そう叫んだレイカが、右手に携えた杖を高々く振り上げる。
その瞬間、彼女の杖の先端に向かって紫色の光が集まっていき、大きな力の玉として生成された。
相手モンスターを葬り去る、必殺の一撃。そのつもりで今解き放たれようとしたレイカの魔法は――横合いから割り込んできたコウテイペンギンによって不発に終わった。
「先輩をいじめるなー!」
「へぶ!?」
ペンちゃんがペンギンに似たモンスターを庇い、魔法発射態勢に入っていたレイカの身体を体当たりで突き飛ばしたのである。
横合いから襲い掛かってきた思わぬ妨害を諸に喰らったレイカはいっそ清々しいまでに勢い良く地面を転がっていき、それを見たフィアが「あ……」と震える眼差しでペンちゃんを見据えた。
「ペンちゃん、どうして……?」
「ハッ……つい……」
「ペンギンスァン! オンドゥルランギッタンディスカー!?」
どうしてレイカを攻撃したのかと困惑するフィアと、妙に滑舌の悪い叫びを上げながら立ち上がる割と元気なレイカ。
レイカの方は割とどうでも良かったが、フィアを悲しませる気は無かったペンちゃんとしては居た堪れない状況である。しかし、それでも今のペンちゃんには譲れない思いがあったのだ。
「突き飛ばしたのはすまん。しかしペンギンとして、先輩がやられるのを黙って見逃すわけにはいかんのだ!」
「せんぱい? ペンギン……その子も、ペンギン?」
「ああ、その鳥の名前はオオウミガラス……私達ペンギンの大先輩だ。現実じゃ、とっくに絶滅している生き物だけどな……」
「オオウミガラス?」
レイカが対峙していたペンギンに似た鳥型のモンスター――その正体を、ペンちゃんは知っているのだ。
名前はオオウミガラス――かつて、現実の地球にも存在していた鳥類の動物である。
チドリ目ウミスズメ科。全長は約80cm、体重は5kgに達する大型の海鳥で、ウミスズメ類の中では抜きん出て大きな身体を持つ。ペンギンと同じで腹の羽毛は白く、頭部から背中の羽毛はつやのある黒色があり、くちばしと目の間には大きな白い斑点が広がっている。
空を飛ぶことは出来ないが泳ぐことが得意であり、元祖ペンギンとしても扱われている絶滅生物の一種である。
今目の前でこちらを威嚇しているモンスターの姿は、ペンちゃんがいつか図鑑で見たことのあるそのオオウミガラスの姿と完全に一致していたのだ。
そのことを話すと、感心したようにレイカが呟く。
「現実で絶滅した生き物をモデルに、モンスターをデザインしたのでしょうか。カーバンクルも似たようなものですが……」
「ぜつめつ、せいぶつ……?」
現実では既に絶滅しているオオウミガラスであるが、ペンちゃんがこうも素早くこのモンスターの正体を看破することが出来たのは、単にペンギンに似ているからというわけではない。
「それがな……! オオウミガラス先輩には聞くも涙、語るも涙の話があるんだ……君達も聞いてくれ!」
「絶滅した、話……?」
興味本位で調べたことがある、オオウミガラスにまつわる絶滅の話……そのあまりの壮絶さに、過去にペンちゃんは涙したものだ。
それは幼い少女であるフィアに聞かせるには刺激が強く、残酷な話かもしれないが……いや、理解しているからこそ、ペンちゃんは彼女らに語りたかった。
決して目にすることは出来ないと思っていたオオウミガラスの動く姿を見て興奮しているのもあったが、それでも語らずには居られなかったのだ。
――在りし日の地球。
北太西洋や北極海に分布していたオオウミガラスは、その肉や卵を食用にする為、または羽毛や脂肪を採取する為に捕獲利用されていた。
元々繫殖力が低くその個体数は減少傾向にあったとも考えられているが、人間達の大規模な乱獲により、かつては数百万羽いたとされるオオウミガラスは凄まじい勢いで数を減らすことになったのだ。
オオウミガラスはその価値もさることながら、ペンギンと同様に人間に対する恐怖心が薄く、逆に好奇心を持って自ら人間に近寄ってきたと言われている。狩人にとっては二重の意味で美味しい、格好の獲物だったのだ。それ故に乱獲されていく個体数に対して繫殖が追いつかなくなり、あえなく絶滅に繋がったと言う。
しかし当時の度を越した乱獲は、あまりにも目に余るものだった。
それが、以下の話である。
1534年。フランスの探検家の隊がオオウミガラスの住処であるニューファンドランド島に上陸し、たった1日で1000羽以上が狩り尽くされた。この話がヨーロッパ中に広がったことで触発されたハンターにより、ニューファンドランド島のみならず各地の海岸で無秩序にオオウミガラスが狩られ、卵が持ち去られることとなった。1750年頃には北大西洋各地にわずかな繁殖地が残るだけとなったが、それでも乱獲は続いた。
1820年頃。この頃にはオオウミガラスの繁殖地はアイスランド沖のウミガラス岩礁だけになっていた。この島は周囲を崖に囲まれていた為人が近づくことができず、唯一残った繁殖地はかろうじて捕獲の手から守られていたのだ。
しかし、その住処は1830年に発生した海底火山の噴火により、不幸にも海に沈むこととなった。この災害から辛くも生き残った50羽ほどが近くのエルデイという岩礁に移り住み、オオウミガラスにとってそこが最後の住処となった。
オオウミガラスという種はこの時点で既に絶滅寸前に追い込まれていたのだが、それ故に却って希少価値がついてしまい、標本は収集家や博物館に高値で買われるようになり、一攫千金を狙った者たちによって残ったオオウミガラスも次々と狩られていくこととなった。
保護の方向ではなく、より狩り進めていく動きになっていたのだ。
――そして、地球上のオオウミガラスはとうとう二羽を残すのみとなった。
「…………」
「……その二羽が亡くなって、絶滅したのですか」
「人間に殺されて、な……これがまた胸くそ悪い話なんだ」
オオウミガラスが存在していたという最後の記録は、1844年の7月3日。
この日を持って、地球上からオオウミガラスという種は姿を消すこととなる。
最後の個体は、エルデイ岩礁で確認された抱卵中のつがいであった。
エルデイ島に上陸した三人のハンターの男達は、島の絶壁で抱卵していた最後のオオウミガラス二羽を発見した。
男達は手始めとばかりに雌を守ろうとする雄を棍棒で殴り殺すと、残された雌をその手で絞め殺した。この雌は、タマゴを守る為に最後まで巣から離れまいとしていたと言う。しかしその騒動によってタマゴは割れてしまい、最後のオオウミガラスは生まれることなくこの世を去った。
男達は売り物にならなくなったこのタマゴを崖に投げ捨てると、死体となった二羽のオオウミガラス達を持ち去っていったと言う。
――こうして、オオウミガラスは地球上から絶滅したのだ。
後世において、最後のオオウミガラスを殺した三人の男達は悪人として語り継がれている。
しかし、元を辿れば博物館やコレクターがオオウミガラスを保護よりも先に自分の物にしようとした欲深さが絶滅を加速させた最大の引き金であり、今では彼らの行動も非難の対象となっている。
人が生きる為には、他の生き物を犠牲にしていかなければならない。それは確かに仕方のないことではあるが……必要以上に残酷になれる人類の業というものを、この話を知ったペンちゃんは考えずには居られなかった。
希少生物の保護を偽善と捉える者も居るだろうが、ペンちゃんにはその「偽善」が悪いことだとは思えなかった。
そんな話を語ると、レイカとフィアはオオウミガラスへの同情を露わにし、レイカに至っては三人の男達と同じことをしようとしていた自分自身に対して酷く落ち込むほどだった。
「わ、私は何という破廉恥なことを……!」
「……悲しい、話」
「時代も時代だし、普段から生き物の肉を食って生きている私達が言うのも都合がいいかもしれないが……これは教訓としてもっと広めなければならない話だと思う。思えば私がペンギンを好きになったのも、オオウミガラス先輩が切っ掛けだったのかもしれないな」
「そうですね……ゲームにそれを持ち込むのはどうかと思いますが、私達はもっと知るべきなのかもしれませんね」
忘れてはならないのは誰もが皆、そこに居られるのは多くの犠牲の上で成り立っているということだ。
綺麗事や偽善だと思われても、ペンちゃんはそのことを忘れたくなかった。……そんな感傷についつい浸ってしまうのも、リアルから抜けないペンちゃんの癖だった。
しかし、それはそれとして今は目の前に居るオオウミガラス型のモンスターをどうにかしなければならない。
まともにやっては敵わないことはあちらも理解しているのだろう。目の前のモンスターはペンちゃん達を前に逃げることはせずとも、今のところは威嚇に留まっていた。
この場合はこちらから逃げるのが最善なのかもしれないが……ペンちゃんにはその前に、試してみたいことがあった。
「フィア、君の異種対話のスキルで何とか説得出来ないか?」
「……うん、やってみる」
フィアの持つスキル「異種対話」を用いたオオウミガラスとの意思疎通だ。
こちらに攻撃の意志がないことを伝え、こちらのことをわかってもらいたい。出来ることならば自分がやりたかったところだが、生憎にもペンちゃんには「異種対話」のスキルが無かった。
この「HKO」では、プレイヤーのプレイスタイルによって獲得出来るスキルが変わる。「異種対話」というスキルは、リージアのような小動物と積極的にコミュニケーションを取ってきたフィアだからこそ獲得することの出来たスキルなのだろうとペンちゃんは考察していた。
「ごめんね……怖かったよね……?」
「クェッ!」
「大丈夫……フィア達は、敵じゃない」
尤も、相手に対して一切敵意を見せず穏やかに語りかけるフィアを見ていると、スキルなど無くともモンスターとの相互理解を得られるのではないかとさえ思える。
不思議なことに、動物と話しているフィアの姿にはそれほどの神秘性を感じるのだ。
「フィア達は、貴方達をいじめたりしないから、お願い……」
腰を屈めて目線を合わせ、その目を見つめながら行ったフィアの説得は――彼女の言葉が届いたのか、オオウミガラスはしばしの間を置いて動き出した。
ペンちゃんとレイカに対しては未だに警戒している様子であったが、ゆっくりと後ろへ下がり、この場から立ち去ってくれたのだ。
思い入れの強い生き物と交戦せずに済んだことにペンちゃんは深く息を吐き、緊張の糸を解いた。
「下がってくれたか……ありがとう、フィア」
「ううん……あの子が、優しかったから」
矛を収めてくれたらしいオオウミガラスと、懸命に説得に当たってくれたフィアに対して、ペンちゃんは惜しみない感謝を抱く。
しかし、彼女の心に再び緊張が走ったのは、その直後だった。
――ドンッと、この場において一際大きな物音が響く。
それはこの鍾乳洞の地を叩く、地響きのような足音であった。
そして次に、ペンちゃん達の誰でもない男の声が聴こえた。
「争いを避け、エンシェントウミガラスの怒りを鎮めたか……珍しく人間が訪れたと思えば、面白いものが見れたのう」
それは、しわがれた老人の声だった。
この場において唐突に、後ろから聴こえてきたものであり、ペンちゃん達は即座に気を引き締め直してその方向へと振り向いた。
「誰です!?」
「でかっ」
振り向いた先に見えた巨大な影に、ペンちゃんは思わず驚嘆の声を漏らす。
彼女らの目に映ったのは体長四メートル以上に及ぶ、巨大な「猿人」の姿だった。
「わしか? わしはキングイエティのボボという者じゃ」
威勢よく放たれたレイカの問い掛けに対して、その猿人は人の言葉を操りながら律儀に答える。
その猿人の姿をさらにわかりやすく表現するならば、「雪男」と言うべきか。
顔を含めた全身が毛むくじゃらの体毛に覆われており、手足は丸太のように太く、おびただしい筋肉に覆われている。
キングイエティと名乗ったその種族のイメージ通り、まさしくそこに居たのは一般的にUMAとして認識されている「イエティ」そのものであった。
「人の言葉を喋るのか」
「鳥の姿をしているお主に言われたくはないのう」
リアルでは絶滅した動物であるオオウミガラスの次には、リアルではUMAとして扱われているイエティの登場である。今フィアの肩に乗っかっているカーバンクルもまたUMAの一種だが、この「HKO」の世界にてモンスターとして現れたその姿を前に、ペンちゃんは目を見開いた。
プレイヤーのアバターにはエルフや獣人、鬼人と言った亜人種を選ぶことは出来るが、この雪男はそのいずれにも属さない姿である。それ故にペンちゃんは即座に彼がプレイヤーではなくモンスターであることを理解したわけだが、目の前の雪男はモンスターの一種としても見たことの無い存在だった。
新種の大型モンスターが目の前に現れ、流暢に人の言葉を話している。
そんな混沌とした状況にいち早く順応してみせたのは、雪男との身長差が著しいフィアだった。
「ボボ……さん?」
「うむ。ほうほう、これは面白い。このわしを前にして、お主だけはまるで警戒しておらんな。緊張すらせんとはよほどの大物か、能天気なのかのう」
「フィアは……能天気?」
「……いや、それも違うようじゃ。ただそのゴールデンカーバンクルの子供を見れば、お主が穏やかな人間ということはわかる」
「フィフスにも、そう言われた」
「なんと!」
ちょこんと目の前に立つフィアの姿を興味深そうに見下ろしながら、雪男――キングイエティのボボは何を分析しているのかふむふむと頷く。
しかし「フィフス」という名前がフィアの口から出てきた途端、体毛の間から見えるボボの目つきが鋭く変わった。
「……ほう、フィフス様が。ということはもしや、お主がフィフス様を解放した人間じゃな?」
フィフス――ペンちゃんはその場には立ち会えなかったが、その名前は前回フィアが封印を解除した新しいヘブンズナイツだと聞いている。
そのフィフスとこのモンスターは何か関係があるのだろうか、雪男のボボが確認するように問い掛け、値踏みするような目でフィアを見下ろした。
「うん」
四メートルを超す巨人が140センチにも満たない小柄な少女を見下ろしている姿は端から見れば威圧的であったが……当のフィアはその視線に対して一切動じることなく、普通の人間を相手にするように平然とした表情で頷いた。
その間ペンちゃんはいつでもこの雪男に対して攻撃出来るように身構えていたが、フィアの言葉を聞いたボボは巨大な拳を自らの顎下に添えると、思案げに呟きながら言い放った。
「これもルディア様のお示しか……小さな冒険者よ、ちょいと来てくれんかの。お主に見せたいものがあるんじゃ」
「……フィアに?」
「フィア? それがお主の名か……何と因果な」
「?」
意味深げにそんなことを呟くと、ボボは踵を返し、ペンちゃん達に背を向けながら勝手に移動を始めた。
モンスターとは思えない全くの無防備さにペンちゃんは思わず毒気を抜かれ、警戒の構えを解いてしまう。ちらりと横に目を向ければレイカも同じ様子であり、対応に困っていた。
こちらに対して敵意を向けず、自分に着いてくるように促してきた雪男の存在は控えめに言っても怪しさ満点であったが、今のところ彼にこちらを害する気は無さそうだった。
「これは……イベントが来ましたわね!」
――と、素早く思考を切り替えてこの事態に一人嬉しそうにほくそ笑んだのはレイカだ。
確かにこのような異常な状況は、ゲーム的に考えて何かのイベントが始まったと見て間違いないだろう。
「行ってみるか?」
「……うん」
困惑している様子のフィアと目配せした後、ペンちゃんの言葉にフィアが頷く。
どういうことかはまだわからないが、ボボと名乗ったあの雪男はフィアに見せたいものがあると言った。
ならば着いていくのが当然の流れだろうというのが、レイカに限らず一般的な「HKO」プレイヤーの意見である。ペンちゃんもまた、歩き出した雪男の行く先には興味があった。
そうして彼女らは雪男ボボに導かれるままに、地底湖の横に続く鍾乳洞の道を歩いた。
大きな足音を響かせながらゆっくりと歩くボボのペースは一同が歩きがてらこの鍾乳洞の景色を改めて見渡してみるには丁度良いものであった。
地底湖に目を向ければ時折水面からネッシーのような首長竜が顔を出していたり、その周りでは見るからに古代生物のような魚が音を立てて飛び跳ねている。ペンちゃん達がUMAマニアならば感涙ものの景色がそこら中に広がっていた。
そんな大きな鍾乳洞を案内するボボが、先頭を歩きながらマイペースに語り出す。
「あの辺りにはエンシェントウミガラスの巣があっての。巣では雌がタマゴを温めている最中じゃから、雄も気が立っていたんじゃろう。普段は温厚で人懐っこい奴らなんじゃよ。まあその人懐っこさが祟って、今やあの二匹しか残っておらんわけじゃが」
「エンシェントウミガラスっていうのは先輩の名前か……やっぱり、こっちでもそういう扱いなんだな。道理で地上で見たことないわけだ」
「人間から素材目当てに乱獲されていた時代もあったの。まあ今や地上には強力なモンスターが溢れているこの時世、仮に人間がおらんでも絶滅は免れなかったじゃろうて。悲しいことじゃ」
「…………」
絶滅生物であるオオウミガラスに酷似したあのモンスターの正式名称は、エンシェントウミガラスと言うらしい。その存在はこの世界においても先ほどの一羽と、つがいとなる雌の一羽しか残っていないらしく、既に絶滅寸前まで追い込まれているとのことだ。
先ほどの雄が興奮状態にあったのも、巣に居る雌とタマゴを守りたかったからなのだろう。その事実にペンちゃんは自らが語ったオオウミガラス絶滅の胸くそ悪い話を想起し、顔をしかめた。
一方でエンシェントウミガラスに攻撃しようとしていたレイカは、不可抗力だったとは言えバツの悪そうな表情を浮かべており、その額からは攻撃しなくて良かったと冷ややかな汗を流しているように見えた。
そしてフィアは、悲しそうな表情を浮かべた後で雪男ボボの後ろ姿を真っ直ぐに見据え、こう問い掛けた。
「……ボボさんは、あの子達を守る?」
ボボがその言葉に、大きな足をピタリと止めた。
「何故、そう思う?」
フィアの問い掛けは、この雪男が自分達の前に現れたのはあのエンシェントウミガラスを守りたかったからなのではないかという疑問が込められた言葉だった。
そう思った理由を問い返されたフィアは、たどたどしい口調で応える。
「……最初、フィア達を見たボボさん焦ってた。あの子を見て、安心したように見えたから……」
その言葉に思わず「えっ」と虚を突かれたペンちゃんに対して、レイカが小声で訊ねる。
「……そう見えましたか?」
「いや、全然」
雪男ボボの顔は、イエティのイメージ通り深い体毛に覆われており厳つい目つきしか窺うことが出来ない。
その巨体もあって向かい合った時は凄まじい威圧感を感じたものだが、しかしペンちゃんにはそこに「焦り」の感情があったようには思えなかった。
今もペンちゃんがボボに対して主に感じているのは、表情が体毛に隠れている為に何を考えているのかわからないという不気味さだ。しかしフィアはそんな彼を前にして、さも当然のことのように彼の心情を指摘してみせた。
そしてそれは……ボボの反応を見る限り、当たっていたらしい。
「ほほ、表情には出しておらんつもりだったんじゃがな……お主にはわかったのか」
「? ボボさん、ちゃんと表情、あるのに……?」
フィアの方は彼の表情がわからないということの方がわからないとでも言うように、不思議そうに小首を傾げていた。
彼の気持ちを推し量ることが出来たのは、彼女の持つ「異種対話」のスキルの恩恵か、それとも元来備わっている感性か……普通ならば前者だと考えるべきなのだろうが、ペンちゃんにはフィアに関しては後者のように思えてならなかった。
何となく、この時のフィアは本当に、自分自身の感性でボボの心情を見抜いているように見えたのだ。スキルを習得する以前から多くの小動物達に寄られていた初対面時の彼女の姿を思い起こしながら、ペンちゃんはそう感じた。
フィアの言葉を肯定したボボは、静かに目を伏せながら語る。
「……所詮、いつかは滅びる種じゃが、最後の二匹ぐらい穏やかな最期を迎えてほしいと思ってな。そんな理由で時々暇つぶしがてら、あの鳥達の様子を見ておるんじゃよ。まあ、わしの自己満足じゃがな」
ペンちゃんの彼への心象が、一気に変化した瞬間である。
オオウミガラスをペンギンの大先輩だと崇めるペンちゃんが彼に対する警戒心を心の底から無くすには、それだけで十分な発言だった。
「ボボさんは、優しい人……」
「人ではない。わしはイエティじゃ」
「優しいイエティ」
「うむ、褒め言葉として受け取っておこう」
……この雪男、もといキングイエティ様は敵ではなく味方だ。ペンギンを愛する者に悪人は居ない。手の平を返すようにあっさりと認識を変えたペンちゃんは、目頭に熱いものを感じた。横からはドリルヘアーの令嬢がそんなペンギンの姿を呆れた目で眺めていたが、そんなものは些事にすら至らない。
チョロペンギンである。心の中で彼のことを「ボボの兄貴」と呼ぶことにしたペンちゃんは、再び目的地に向かって歩き出した彼の背中と距離を近づけながらペンギン歩きで追い掛けていった。
それから数分後、彼女らを案内するボボの足が止まった。
一同は、目的地に到着したのである。
「着いたぞ、ここがフィフス様の祝福を得たお主に見てもらいたかった……「アスモデウスの祭壇」じゃ」
そう言って彼は、雪男の巨体よりもさらに大きな物体を前にして言い放つ。
一同が到着したその場所――そこには何かを祀っているような、仰々しくも禍々しい黄金の祭壇があった。