1.
☆オルタナティヴ
誰かが言っている。これは歴史を変える大実験だと。誰かが言っている。成功してしまったら、もはやなんでもできるに等しいと。
それは違う。誰かが泣いている。誰かが悲しんでいる。それらすべてを救うことすらできないのに、なんでもだなんて思い上がりにも過ぎる。
今から行おうとしていることは、大きな一歩などではない。スタートラインに立つための準備だ。本当の目的は始まってすらいない。この実験を行うことは、通過点だ。
魔法少女『オルタナティヴ』は、研究部門は副部門長であるペンの魔法少女に目をつけられたことでこの機会を得た。ひとつ条件をつけ、それを呑んでもらった。
条件とは、オルタナティヴの目的である『あらゆる人死にを排除できる』世界のために装置を開発することであった。目的のため、自分を実験動物にしてくれと願い出たのである。
無論、個人の魔法の機能を持った機械などを作るのは容易なわけがない。人造魔法少女よりも難しいに決まっている。研究部門側はオルタナティヴをお客様として優遇したいようだったが、オルタナティヴ自身がそんなことを望んでいなかった。自分が苦しむことになってでも目的に近づきたかった。
結果、異例の早さで装置の製作が進んだ。オルタナティヴの血と数多の魔法少女の汗、そして時間を費やし、オルタナティヴの魔法を増幅し拡張する機構を試作したのである。
噂では、大罪人が関係しているとか、魔王を喪って行き場がなくなった荒くれものたちが期待しているとか、いろいろ言われていたらしい。が、オルタナティヴには関係がない。大罪人の被害者も、魔王パムも、いずれ助けることになるだけだ。
何があろうと、オルタナティヴは過去のやり直しだけを目指す。そのことに変わりはない。
「だから……待っててね」
思わず声を漏らすと、隣に座っていた少女が突然のことに顔をあげた。
「いきなりどうした?っと間違えた、どうしたのじゃ?」
おかげでオルタナティヴの意識が考え事から現実に向いた。とってつけたような語尾の彼女の細い指につつかれて、オルタナティヴの頬はほんのりと染まる。
「なに照れてるのじゃ。もうすぐテストだっていうのに、のんきなもんじゃ」
彼女は姿こそ幼き少女であるが、オルタナティヴよりもちろん先輩だし、研究部門は最近できたばかりらしいが古参なほうだという。ちんちくりんな見た目のせいで説得力はない。120cm台しかない身長で、しかも華奢なのだ。筋肉で引き締まっていて健康的な身体だが、第一印象では威圧感もなにもなかった。それは今でも変わらない。
着ているのは動きにくそうな和装ベースで、さすがに着物そのままは不都合が多かったのか袖はなく、腕にはかわりに花や鳥の和風なデザインのされたアームガードをつけていた。同じことが、裾の丈とニーソックスにも言える。
戦うときはこの小柄な体躯を生かし、相手の死角を縫うように戦う。らしいが、オルタナティヴはまだ見たことがない。専ら画面とにらめっこしているイメージしかない。たぶん、オルタナティヴの出した条件のせいだろうが。
彼女の名前はツインウォーズ。研究部門に来てからオルタナティヴの面倒を見てくれている魔法少女だ。なんでも、少し前に来た人造魔法少女とやらの表情にオルタナティヴを重ねてしまったからだとかなんとか。
「ほれ、わらわは先に行っとるぞ?オルタも早く来るようにな、のじゃ」
それじゃあ、のかわりにのじゃ、と言うのはどうかと思った。
オルタナティヴは自室で、これから始まる装置のテスト運用へ向けて精神を整えていたところだった。ツインは時間を教えに来てくれたのかもしれない。オルタナティヴはまたひとりきりになったが、開始の予定時間までの余裕はほとんどなく、ツインに続いて実験場へ急ごうと考えた。
施設で貸してもらっている部屋から出て、長い廊下を歩く。魔法の国なのだから走っても壊れはしないだろうが、人とぶつかったら無事ではすまない。猛スピードで走るアイテムでの走行・飛行を禁止するとも注意書があった。事故が起きた過去があったのだろう。
オルタナティヴが逆に注意深く歩いていると、目的の実験場近くで声をかけられて身構えた。声をかけてきた相手は困っていて、警戒から申し訳なさになる。
「悪かったよ、いきなりでさ」
久しぶりに見る顔だった。雲に顔がついたマスコットでまとめたクリーム色のおさげが大きく伸び、先がやさしく紫に変わっていて、やさしい雰囲気だが、目付きがキツくて表情でいえば怖い人に見える。隕石の魔法少女、C/M境界がそこにいた。
彼女はオルタナティヴと同じくネクロノーム事件の生き残りだ。今はミルキーシューティングの家に住んでいると聞いていたのだが、なぜここにいるのだろうか。
「お前がなにかしようとしてるっていうから、様子を見に来たんだ」
わざわざ会いに来てくれたという。この数週間、C/M境界やミルキーとはまともに連絡をとれていなかったのだ。だから、彼女が来てくれたことが嬉しかった。C/M境界、三条煙はオルタナティヴと同じく、クラムベリーの試験によって親しい者を亡くしている。C/M境界になら、わかってもらえるはずだ。
オルタナティヴは装置について話すことにし、歩みは止めずにふたりで並んだ。何をもって機械を頼ったか。オルタナティヴが今からしようとしていること。C/M境界はやっぱりそうか、という具合に頷いてくれる。
「それで。誰から始めるんだ」
「……森の音楽家クラムベリー」
C/M境界の表情が驚きに塗り替えられた。オルタナティヴの魔法が誰かを助ける魔法だと知っていての質問だったのに、意外どころか大罪人の名前が出てきてしまった。起点にした人物の生死が影響する、と言われても、クラムベリーの死を覆してどうなるか。またあの惨劇が繰り返されるだけだ。しかも、クラムベリーはC/M境界の姉やオルタナティヴ自身の友人も殺した相手だ。反対するに決まっている。
「何を考えてるんだ!?」
「クラムベリーは多くの人を殺した。だから、彼女を死因に据えたなら」
「……試験で死んだ魔法少女たちを助けられる、って言うのか」
「かもしれない。まだ、可能性だから」
装置にそこまでのことをやらせて成功する確率は極めて低い。本当はC/M境界に話してもいいほどの希望がある話じゃないのだ。オルタナティヴの願望ばかりが混じっている。もしかしたら、これは自己暗示なのかもしれない。
実験場へと続く大きな扉の前に来た。オルタナティヴはパスコードを入力し、扉を開かせる。見送るだけのつもりでいたC/M境界を引き留め、むしろひっぱり、彼女と並んで実験場に入り、数名の魔法少女たちに迎えられた。
研究部門所属の、装置を扱う担当の魔法少女がほとんどだ。だが、それ以外にもいる。例えば、監査部門からオルタナティヴの監視に遣わされた者、だとか。
「遅いぞオルタ!しかも誰だそやつ!?」
「私の友達だよ。だから大丈夫」
「ばかもん!爆発でも起きたらどうするつもりじゃ!ケガしてもごめんで済んだら監査部門はいらんのじゃ!」
ツインには怒られたが、C/M境界を追い出すようなことはしなかった。C/M境界かオルタナティヴを信じてくれたのか、と好意的に解釈する。
カプセル状の装置の扉を開いてもらい、中に入った。扉が閉まるととても窮屈だけれど、助けるためだ。なんともない。
ツインの指示とスイッチが入れられる音が聞こえてきて、自分の魔法の起動をイメージする。動き始めるなかでオルタナティヴは精神を集中させる。
この装置にはクラムベリーの髪の毛が置かれているはずだ。彼女が行わせ、そして自らも行った殺し合い。何人の魔法少女が犠牲になり、何人の人々が悲しんだだろう。オルタナティヴと装置の間を、想いのエネルギーが回り、加速していく。
「ダメです!制御できません!」
「ええい、こうなりゃお前たちだけでも離れろ!爆発しても耐えられる自信のある奴だけが残れ!」
扉が割れて、その隙間からツインの声がする。装置側の耐久に問題が起きているのか。
「皆さん、早くこっちへ!C/M境界さんもツインさんもはやく!」
「いいや、わらわは残る!ここまで来たのに中断はできんからな、のじゃ!」
オルタナティヴも後には退けなかった。自分の魔法に集中しなければならない。扉の割れが瞬間を重ねるごとに大きくなり、ついには砕け散ろうとする。だがまだ止められない。
すぐにエネルギーは最高潮へ達し、世界を飛ぶ光が実験場全域に放たれた。
呑み込まれた魔法少女は四人。彼女らの身体はいま生み出される世界へと移され、実験場には装置の他はなにも残らなかった。