★アイサ・スチームエイジ
タトルが行ってしまってから、戻ってくることはなかった。先に来たのはツインウォーズで、彼女はタトルのことよりも、ぎりぎりで意識をつないでいたアイサの治療を優先した。
ツインウォーズの魔法は「片手にしか持っていないものを、もう片手でも持っていることにする」という魔法だったらしい。ほどいた包帯を片手にだけ持ってふたつに増やすことを繰り返し、アイサの身体をぐるぐると巻いて止血する。手から離れれば数時間後には消えてしまうというから、早く治さなければならない。
ただし今はそれよりもずっと大事なことがある。すぐにでも、タトルのことを追わなければ。アイサの身体はいきなり立ち上がることを許してくれず、ツインの肩を借りてなんとか立ち上がり、また彼女の背に乗せてもらって来た道を戻った。
すでにツインの表情が悲しいものになっているのにはアイサはとうに気づいていたが、ツインがなにも言わないのなら、アイサもそれ以上は詮索しなかった。
見つかったのは、全身に銛を突き刺して息絶えている少女の遺骸だった。これは、タトル本人とみていい。血飛沫で周囲に描かれた紋様が凄惨で激しい戦闘だったことを示しており、アイサはそんなことを彼女にさせてしまったのか、と深く後悔に襲われ、また後悔とは関係なく目頭が熱くなった。
ツインが顔色ひとつ変えずに近寄っていき、手を合わせている。
これでタトルはいなくなってしまった。アイサが次の女王だと渡された血まみれのエンブレムと、タトルの死を交互に見つめる。これからどうしていいかなんてわかるわけがない。アイサはまだ従者の気持ちでしかいない。女王の心をわかったつもりになっていて、自分がその立場に立たされてみれば何もできない。
いきなりであっても、真に素質のある者はまとめあげてみせるのだろう。もっとうまくやってみせるだなんて、今のアイサには到底抱けない気持ちだった。
この事実をスコヴィルに伝えなければいけないという事実だけで胸が苦しくなる。
タトルは、スコヴィルやアイサと出会ったときから、民を愛する者の慈しみの目で接してくれた。アイサが思う理想の女王とは彼女だった。しかし彼女はアイサに託してこの世を去ってしまった。
タトルの言いつけを守るのなら、つまり自分が女王になるということを受け入れるのならば、こんなところでぐずぐずしている暇はないはずだ。
アイサは考えて、考えて、自分の頭では知性が足りていないことをあらためて自覚した。アイサは馬鹿だ、他の魔法少女と比べれば明らかに劣っているはずだ。考えても、出てくるのはやり場のない悲しみだけ。アイサはもう堪えきれず、ツインに向けて心の内をこぼす。
「……同志、ツインウォーズ」
「どうかしたか、のじゃ?」
「仮に、わたしなんかがリーダーでも。ツインは着いてきてくれるか?オルタナティヴは、スコヴィル・スケイルは、裂織サキは、わたしのことを信じてくれるだろうか」
一瞬の沈黙の後に、ツインのため息が地面に転がり、アイサは血まみれのエンブレムを持った手を握られた。
「わらわは……いや。ボクは。皆に生きていてほしい。だから、そのためのことをしたいと思ってる。アイサ、君がそのためになる魔法少女なら、ボクは君に着いていくよ。きっと、オルタナティヴだって同じだと思う。スコヴィルだって、友達と離れたくないだけだと思うんだ。君は、誰かを守りたいと思える?」
自分の手にあるこのエンブレムはアイサが守ろうとして守れなかった人の形見だった。もう、失いたいものなんてない。守り通したいものばかりだ。
アイサはぼろぼろの身体で心を決め、涙を一粒だけ足元の遺骸に落とした。
★パラサイトリリム
ファヴの死因リストの中から、項目がまたひとつ消えた。マジカルデイジー、チェルナー・マウスに続き、メルヴィルもまた消滅したという。
リリムの知る魔法少女はその中にはいなかった。幼少期に魔法少女のアニメを見ていた覚えはないし、いや、今でも十分に幼少期なのだが、恐らくリリムの死因はほかにいる。
うまくクラムベリーにぶつけられればいいが、そううまくいくとも限らない。向こうからすれば、リリムたちは有象無象に過ぎないのだろうから。
死因の処理、および魔法少女そのものの数を減らすために使わせていたどろりが帰ってくる。ファヴにも確認し、魔法少女反応が減っていると知った。とどめを刺し損ねてはいない。よく働くものだ。
どろりが大きな成果を挙げるたびに、リリムはご褒美を求められるのか、とも思うが、今はまだ過激な要求でもないのでほうっておいてやろうともまた決める。
案の定帰ってきたどろりにはキスを求められ、それよりも遣わせた際に何をしてきたのかを聞きたいリリムはご褒美を後回しにする。
「それで。今日はどうだったのかしら?もう一日経ってしまったわけだけど」
「うん、魔法少女の一団を見つけてさ。そこのリーダーっぽいのに死因をけしかけて、一緒に処理したよ」
どろりの働きは想像以上のものだった。せめて、魔法少女グループの存在と動向を報告するとか、死因の発見くらいだと思っていた。のだが、その将を撃ち抜き、死因を一匹減らした。しかも、その魔法少女グループにはスパイも潜り込ませた、とまでいう。
リリムは新しい駒を与えられていた。この前クラムベリーが連れてきた少女。裂織サキだ。その魔法少女の一団とやらに、彼女を紛れ込ませているという。
試しに、リリムは彼女の体内に仕掛けた虫に接続し、何を話しているのか盗聴してみる。一番よく聞こえるのはサキの心音で若干普通よりも速いリズムを刻んでいる。外からの声で聞こえるのは、他愛のないガールズトークらしい。他の魔法少女と一緒にいることがわかる。いざというときにでも利用できるし、すでに手は打ってある。常に情報を抜き出せるよう、接続は切らないでおく。
サキの前で無防備に話していれば、リリムによって情報を抜かれてしまう。それをはたして見抜くことができるだろうか。
見抜けないようならば、リリムの駒としてもきっと役に立たない代物なんだろう。即ち捨てても構わないものだ。
また、今回の件でどろりの魔法についてもわかった。データにある「ゼリーをいっぱい作れる」では何がしたいのかわからないが、彼女は今回流れ出ている血を通じて体内の血液でさえもかためてしまったのだ。脳に行き渡るはずの血を止めてしまう、意図的に脳梗塞を起こせるという恐ろしい魔法だといえる。
彼女を敵に回さなくてよかったかもしれない。この魔法を身体の対価だけで使えるのなら安すぎる。
リリムは、どろりに喜んでご褒美を与えることにした。どろりがリリムのことを好きにしたいと思っているのは奥底にずっとある欲望のようで、ためらいながらでも誘えば乗ってくる。
今度は熱心なキスの途中で音楽家が帰ってこないことを祈り、どろりがリードしようとするのに身を委ねる。向こうは自分のことだけでなく、リリムのこともその気にさせようと思って動いてくれる。
確かに心地はいい。相手が自分に夢中なのを眺めるのは楽しい遊びである。悪女になるのも、娯楽としては悪くはないのだ。
「ねえ、リリム、もうしていいよね」
「えぇ、ですがファヴ。録画モードはオフにしてちょうだい」
「バレちゃったぽん」
万が一、いや、十分の一くらいの確率でどろりの本気にリリムはとかされるまで行くだろう。そんなふうになったリリムのことをばっちり撮影しているファイルなんて、恥ずかしいどころか脅しの材料にされてしまうやつだ。
端末の電源を落としてやろうか、とも思ったが、非常事態になったらリリムは弱い。ファヴの警告は腹は立つが役にも立つのだ。
横目でファヴのほうを見ていると、予想していなかった場所に突然どろりの手が触れた。吐息が漏れてしまい、思わず彼女を睨む。
「あ、ごっ、ごめん。リリムがかわいくて、つい」
「言い訳はいいわ……今のでもういいの?」
「ううん。もっと触りたい」
「……いきなりじゃなきゃ。なんでも、いいわ」
悪女のふりでもしてやろうと思っていたのに、もうどろりに負けている気がする。
演技は失敗であるけども、きっとどろりに任せれば最後までいけてしまうのだろう。
はじめての展開にどきどきしながら、リリムは全身を撫でて回る手を受け入れた。