☆C/M境界
偶然出会った少女、フォーロスト・シーと遊んで時間を潰し、すでに数時間が経っていた。何をしていたかはぼんやりしているが、まぁまぁ楽しかったのだろう。時間を無駄にしたという認識はない。もしかすると、どこかの地点から夢の中にいるのかもしれない。そんなふうに思うくらいほんわかした気分に浸っていた。
ちょっと前、地震があったのは覚えている。原因はわからない。どうせ自然現象だ。
一緒に遊んでいたフォーロストはどうやらちょっと気になるらしく、そわそわしていた。C/M境界が抱き寄せて撫でてやって落ち着いたけれど、何か嫌な予感があったのかもしれない。ただ、そのちょっと前、の時点から今の今まで直接なにかあったわけではなかった。フォーロストもC/M境界も無事そのものだ。だから、フォーロストとの楽しい時間を優先した。
次になにをしようか、と互いに案を捻りだそうとしていると、森のさらに奥から声がした。うめくような、かわいらしい声だ。聞き覚えはある。フォーロストの言っていたお姉ちゃんの声だろう。
「そろそろ起きたかな」
C/M境界のひざの上から立ち上がり、ぱたぱたと走っていく。それにつられてC/M境界もまた立ち上がった。お姉ちゃんの正体がやっとわかる。本当にC/M境界の予想通りであったなら、と考えるだけで胸がうれしさでいっぱいになる。
幾重にも張り巡らされている木々のカーテンをくぐり、またくぐり、もっと奥へと行き、いつの間にか周囲の景色が木々の緑から黄色っぽいものに変わっていた。ほんわかした気分にさせられる、ここはきっとこの世界からちょっと遠い場所なんだろう。
たどり着いた先はいつの間にか黄色から白に変わっていた地面があって、ふわふわの雲でできているみたいだ。興味津々でちょっとちぎって口に入れてみると、ほんのりと甘い。ほんとうにわたあめみたいだ。
中央には同じ材質でできた天蓋があって、その下にはソファーとクッション。それ以外は雲が広がっているだけで、ソファーに女の子がひとり寝ているあたり、ここが彼女の拠点なのだろう。
女の子はC/M境界にそっくりの容姿だった。いや、彼女がC/M境界に似ているのではなく、C/M境界が彼女を目指したのだ。
クリーム色の身長より長い髪。先は淡い紫に変わっている。服装はパジャマだけで、下半身にスカートなどは着ていない。なまめかしく脚が露出している。おおきな枕を抱えて、幸せそうに眠っている。
こうして直接見るのははじめてだったが、間違いない。この魔法少女は
「んー、お姉ちゃんやっぱりまだ寝てるかぁ」
フォーロストは残念そうだった。さっきのうめき声で起きてくれたと思っていたのだろうが、どう見てもまだまだぐっすりだ。寝顔は確かに可愛らしくて癒されるが、これではいくら話したいことがあっても話せない。
やむなく、C/M境界は最終手段に出ることにした。合歓相手にこれをするのは少なくとも6年ぶりだ。彼女の眉間に照準を合わせ、自らの指先を砲台とし、一気に解き放つ。走る衝撃は合歓でも飛び起きるのが煙の最終手段だった。
いわゆるでこぴんがねむりんの眉間に突き刺さり、ふぇ、などと気の抜ける悲鳴があがり、ねむりんはぼんやりと瞼をあげる。これだけでもかなり大きな戦果だ。合歓を起こすというのは、まず良心による分厚すぎる壁が立ちはだかる。幸せそうな睡眠を邪魔していいのか、という罪悪感があるのだ。心を鬼にしなければならない。
煙はまだその感覚に慣れないまま合歓と別れたから、いまもちょっと悪いことをしてしまった気がする。半開きな目をこするねむりんを前に、なにか言われたら素直に謝れるだけの心構えはしておく。
次に飛び出してきたのはこんな言葉だった。本来その発言は当然だが、自分の姿がいまは三条煙のものではないと忘れているC/M境界本人からしてみれば意外なものだ。
「あれ……ねむりんがもうひとり?」
こう言われてフォーロストがふたりのねぇの顔を交互に見て、感嘆の声を漏らした。本当に似ているらしい。
「でも目付きが悪いよお姉さん。お姉ちゃんが光のお姉ちゃんで、お姉さんが闇のお姉さん?あれれ?」
さんだかちゃんだか混乱していた。聞いているこっちも混乱しそうになる。ふと、自分の姿がいまは彼女に近づけたものであることを思い出して、C/M境界は思わず吹き出した。ずっと会いたかったはずの姉本人に自分がもうひとりだとか言われたら、それはもう笑い話だ。
「ふふっ、夢の中じゃないんだから。私は闇のねむ姉じゃないよ」
「んー、じゃあどちらさま?」
「煙だよ。私、けむりんだよ」
姉は驚きからか眠気でぼんやりしていた目をいつもよりちょっと大きめに開き、C/M境界のことを見た。それから、嬉しそうに笑った。
「けむりんもおおきくなったねえ。まるでわたしみたい」
大きくなった、成長した、とはたぶん違う。むしろ、合歓と別れる前の煙よりも縮んでいる。魔法少女になって、煙の理想はねむりんだった。だから、背丈は小さくできている。
それでも、そうやって言われたことがうれしかった。煙は甘やかされるのを拒否し続けていて、合歓の他にはそう言われたくなかったし。何よりも、今までやってきた煙とC/M境界のすべてが認められたみたいで、心が晴れるようだった。
「うん、ねむ姉。私も魔法少女になったんだよ、私も!」
そうだ。三条煙がここに至るまでのことを姉に話したら、どんな顔をしてくれるだろうか。それをずうっと楽しみにしていた、気がする。自分にとっての娯楽とは、すなわち合歓なのだ。ねむりんの手をとって、意気揚々と話そうとしたとき、その手はより小さな手に奪われた。
「お姉さん。熱くなっちゃだめだよ、お姉ちゃんにはわたしと遊ぶっていう先約があるの」
「えぇー……」
フォーロストはC/M境界がいきなりねむりんに夢中になったせいか、ちょっと不機嫌みたいだった。自分でもはしゃぎすぎたと反省するが、名残惜しさは強い。今すぐにでも話したいことはたくさんある。話し出せば止まらない自信もある。
ただ、せっかく数年ぶりの再会だというのに子供っぽいと思われるのも嫌だった。ここは素直に年下に譲り、見守っているべきだろう。煙はこれでも成人している。
「よぉし、これでわたしもお姉ちゃんと……あれ、何がしたいんだっけ」
「いっしょにおひるねとか?」
「お姉ちゃんまだ寝るの?猫?」
フォーロスト自身もどうやって遊びたかったの忘れた、という。ねむりんはまだ寝足りなさそうだが、このままだとほんとに猫のような17時間睡眠になる。それじゃあ、のこりの7時間でしか彼女の意識といっしょにいられない。会えなかったぶんを取り戻せない。
「じゃあ、私が先でいい?」
「うん。お姉さんとお姉ちゃんが並んでるの、わたしは見比べる遊びをしてるね」
フォーロストはそういって離れていった。彼女の言うところの、ふたりの姉がほんとうに姉妹であるということは理解しているのだろうか。いや、していないだろう。
気遣いであるというより、純粋な好奇心だ。じっと顔を見てくるフォーロストは目をこらして集中しており、彼女を悪くは言えなかった。
「ではけむりん!このねむりんがあなたの話をどーんと聞いてあげましょう!」
ちっちゃな胸を張ってみせるねむりん。C/M境界はくすっと笑って、彼女に甘えることにした。ソファーの隣に座らせてもらって、ねむりんと寄り添って話す。視界の端ではフォーロストが双方の顔の見える位置へと移動を試みていた。ほほえましさに頬がゆるみ、喜んで話そうという気になった。
どこから話そうか。魔法少女の友人ができたこと。魔法少女として試験に臨んだこと、魔法少女になったときのこと。どれだってキラキラした冒険譚だ。あの子のことでもいい。C/M境界は親交を深めたはずだ。でも、何も出てこない。何を話そうとしても、過去のことが曖昧模糊としてしか浮かばない。
「どうかしたの?」
ねむりんの心配にはなんでもない、と取り繕ったけれど、これがなんでもないわけがない。C/M境界は重大なことを忘れている。例えば、自分が犯した大罪、だとかのことを。