★パルへ
突如現れたのはハムスターの着ぐるみの怪獣だった。ふわふわなそれを着た女の子が街のど真ん中にそびえ立っており、ビルに対してでも倍以上の体長がある。そいつが敵意、どころか明確な殺意を宿した目を向けてくる。すぐにでもあの巨大怪獣が襲ってくるかもしれなかった。
その目を見てしまったパルへは、まわりの3人に向かって叫ぼうとして、すんでのところで抑えた。ここでパルへが取り乱したら、ルーナだってパニックになってしまう。一呼吸おいて、落ち着いて話した。
「みんな、まずは逃げよう」
あんなのに狙われればひとたまりもない。上空から見たところこの街は狭くなかったが、それでもあの体躯の者からしてみれば庭ほどの大きさにしかならないのだ。まず安全な場所、あの怪獣の目から逃れ、準備ができる場所へと逃げ込みたかった。
「そうだわ。あんなのの攻撃受けたら、魔法少女のひき肉どころか肉シートになってしまいますもの」
「はい、ここは逃げるにしかずの場面でしょう」
ボロウは頷いた。続いてルピィも賛成の意を示す。ルーナはぱるぱるの言う通りにする、と言ってくれて、方針は決まった。
全員でケーキの奥へと引っ込み、ルピィが素手で壁を壊し、逆側に脱出口をつくった。ルーナの手をひいて、彼女を連れて外へと走る。
外に出たとたんはっきりとわかった。空気が震えていて、巨体が動こうとしているのが直接見るまでもなく肌に直に伝わってくる。すでに怪獣側はこっちを追いかけるつもりでいるらしい。本当に運が悪いみたいだった。
ルーナよりもパルへが速く、そしてふたりよりもルピィとボロウは速かった。
巨大怪獣はたった一歩でも恐ろしいまでの距離を進んでくる。そのせいで、ルーナを連れているパルへではスピードが足りなくなる。このままでは追いつかれてしまう、とところで、気づいたルピィが遅い方に合わせて手を伸ばし、ひきあげてくれようとする。
「掴まってください!共倒れが理想ではないでしょう!」
パルへは必死に応え、手を伸ばそうとした。が、足元のなにかに躓いた。道路の側溝のふたが外れ、落とし穴のようになっていたらしい。内側の壁を蹴り、態勢を直そうとするものの、届きかけた手は離れてしまう。パルへは思わず目をつむってしまった。
「だめ、前を見なきゃ」
パルへの身体は止まっていなかった。辛うじてルピィの尻尾を掴めたルーナに引っ張られていたらしい。
「全力で行きますッ!」
釣り上げられるようにしてルーナとパルへがルピィの両脇に抱えられる。ルピィはふたりを抱えていても速度を落とさず、ボロウにも追いつこうという勢いで駆けていった。
山中の森へ潜り込み怪獣の目から逃れると、やっと狙いから外してくれたらしい、逃亡劇は終わった。巨体が起こす足音が遠ざかっていくのが聞こえる。
これでひとまずは安心かとパルへが胸を撫で下ろし、ルピィにも小脇から降ろしてもらった。
「助かったのかな」
「まだです。あの怪獣をどうにかしなければ、街には戻れませんから」
ルピィの言う通りではある。ボロウは仲間に加わったけれど、あいつを越えなければほかの魔法少女に出会えない。といっても、無策で戦おうとすればそれこそ肉シートになってしまう。まず、この森の中までは追ってきていない。ならば落ち着いて話ができるはずだ。
「そういえば、ですが」
思い出したように、ルピィは緊張そっちのけで明るい表情に変わった。
「デートはどうでしたか?」
みんなの緊張をほぐすための言葉だったのだろうか。ルーナが大きく頷いて答えて、場の空気が軽くなった気がする。
「デートって、あらもしかして!パルへにバルルーナってば、中身でカップルだったり」
「そういうワケじゃないさ。ただ、ルーナのことは好きだよ」
茶化してくるボロウに向けて恥ずかしい台詞を口走ってしまったということは、ルーナが頬を風船みたいに真っ赤にしているのを見てやっと気づいた。パルへも頬が熱くなるのを感じる。
「やるわね。平然と言ってのけるなんて、並大抵の男前じゃないわよ」
首をつっこんでくるうえぐいぐい寄ってくる。するとルーナが間に割って入って、今度はほっぺの赤ふうせんをふくらませて自分を主張する。近すぎるボロウを引き剥がすためかなにかか。
「私だって、ぱるぱるのこと好きだもん。一緒にいると落ち着くんだもん」
ルーナがパルへのことをひとりじめするように立ったため、髪がパルへの顔にかかってくる。水色の明るい印象と同じように、爽やかでとってもいいにおいがする。さらさらだったので手ですくようにしてみると、ルーナが振り返って、首をかしげた。
パルへは笑みをこぼす。勿論意識していないうちに、だ。いままで機嫌をとったりするのに使っていた笑顔を、ルーナは本物にしてくれる。それが嬉しくって、パルへはルーナの首もとにそっと口づけをした。彼女の肌が桜色に染まり、身体もまた跳ねる。
「ぱ、ぱぱぱるへ!?な、なにをっ!?」
「ルーナのことが好きだって、言ったじゃないか」
あわてるルーナはよりいっそう可愛らしい。彼女といればパルへの世界は広がるし、
「……うん。だから、頑張らなきゃ。ありがとうルピィ、もう大丈夫」
「え?何のことですか、っていうかもう作戦会議ですか?私は告白を待ってたんですが」
ルピィは何を考えていたのやら、今までのイメージとは違うちょっと抜けたことを言い出した。いや、たぶん特に何も考えていなかったのか。
彼女がルーナに声をかけ、ちゃんと話せるくらい落ち着いているのを確認してから話に移った。
「では。あの敵ですが、あれは殴り合いに持ち込める相手ではないのはわかるでしょう。無理です」
きっぱりそう言った。また、作戦は一撃必殺でいこうとも話す。
「私の魔法はこの尾を使って相手に毒を注ぐものです。本来の用途はちょっとした強化だとか病気の治療に使う感じですが、他人の動きを止めたりもできます。あと息の根も」
それをあの怪獣に届けると言う。それはつまり、あの怪獣に対してたった2メートルほどの尾の間合いまで接近しなければならないということだ。しかも相手はふわふわの衣装で、刺せて顔面だろう。あんな上空まで行くには、跳躍だけでは足りない部分もありそうだ。
「そこで、バルルーナさんの風船を使いたいのですが」
「ふえ、私?」
たしかにルーナの風船だったら一日中ふたりで飛んでいても平気だったし、自由に空中を行動もできる。だが、速度はもっていない。悠長にしていれば、ただ撃墜されるだけだ。囮があれば時間を稼げるが、ルピィと同様に風船で動くには速度が足りない役割だった。
「囮に使うなら、いろいろ出せるのだわ。首だけですけれども」
ボロウの魔法は首を出すというものだ。人の首が突然現れれば混乱してくれるかもしれないし、狙いを分散させることに成功したならルピィが突ける隙も生まれるだろう。
ルピィ。ルーナ。ボロウ。3人それぞれに役割があって、全員が表情に覚悟を表している。唯一、パルへだけが取り残されていた。
「……ぱるぱるは、さ」
パルへの様子に真っ先に気づいたルーナ。こう、言ってくれた。
「私のそばにいてほしいな。戦うとき、なんだから、ぱるぱるが隣にいたら私はもっとがんばれるかなって」
「名案ね。あなたはここに残って、バルルーナや私に指示を出す役がいいのだわ!これで行きましょう!」
ボロウの声で、4人の魔法少女は動き出した。
まずは怪獣の姿が見える位置から、ボロウが自らの魔法の効果を試す。目の前に首を出現させると、驚いた怪獣が手で振り払った。あの動きだと、ルピィも巻き添えを食らってしまう。別の場所を狙えないか、と思い肌を探して凝視していると、都合よく飛び出してくる流星があった。
ロケット噴射のように蒸気の力を使っており、怪獣に向かって飛んでいく。青いその影が撒いた白煙で周囲は隠されていき、通りすぎると同時に怪獣の首の部分の布を奪い去っていこうとする。だが、まだ力が足りないらしい。
ボロウによって怪獣の気が逸れたのを好機とみて、仕留めにいったのか。パルへたちの他にも、魔法少女がいることは確実のようだ。
青い影が火薬の音を響かせ、無理矢理にコスチュームを引きちぎった。よって、うなじ部分が露出する。だめ押しに、彼女は露出した肌へど弾丸を撃ち、ほんのすこし黒い液体を流させた。赤ではない。
怪獣が振り返りながら腕で薙ぎ払い、空気の波で蒸気の彼女のバランスを崩させ、住宅街へと帰らせていく。怪獣はそこを狙おうとするだけの知能をもっているようで、追い討ちをかけ踏み潰そうとしていた。
「ボロウ、やって!」
パルへが叫び、ボロウはすぐに魔法を実行して追い討ちを止めさせた。蒸気の白煙が遠ざかっていくのを見るに、逃げ延びてくれている。
あの蒸気の少女によって、ルピィが狙える目標ができた。ルーナが魔法の風船をふくらませ、ルピィに渡す。宙に浮くのはルピィにとってまだ2回目だろうが、操作はひととおり覚えたという。
心配だったが現状彼女に任せるほかの手段はない。ルピィを送り出し、ルーナとボロウのすぐ近くにいて、森の中から経過を見守るだけだ。
ルピィの姿が小さくなっていく。それだけ怪獣に近いのだ。緊張感が強くなり、ボロウもルーナもまっすぐ集中している。
怪獣がルピィのいる方向へ視線を向けようとした瞬間、人の首がいくつもその視界を遮り、索敵を妨害した。目標から逃れられたルピィは今のうちにと大きく前進し、振り払う腕が起こす風に煽られて後退させられてしまうのにも負けず、ひたすら前進によって破れた着ぐるみの裂け目に辿り着いた。
尾をゆっくりと伸ばし、弾痕にそっと突き刺す。森の中からでは小さくにしか見えないが、その瞬間に怪獣が大きく動き出したことでルピィが毒を注入したのだとわかった。
しかし、毒は効いてはくれていなかった。振り払われるのが早すぎたか、怪獣の動きは変わらずの速さで魔法の風船ごとルピィを空から叩き落としてしまった。風船が割れたため、重力に負けてルピィはすさまじい勢いで地面に衝突する。
作戦が失敗した、ということがすぐには頭に入ってこなかった。ルーナが叩き落とされた彼女の名を呼んだのを聞き、あだ名を忘れるほどの衝撃があったのだと認識するのに数秒間かかった。ボロウは何も言わない、パルへだって立ち尽くしているしかない数秒間だった。
現実に理解が追い付いて、鮮明になると同時に声を張り上げる。
「ボロウ、ルピィの回収を!一番速いのは私でもルーナでもない!」
「りょ、了解だわ!」
「すぐに戻ってきてくれ、だけど無理はしないように。死んじゃダメだからね」
無茶ぶりかもしれないが、ふたりとも生きて帰ってきてほしいという思いから出た言葉だった。
パルへだって、今すぐにでもルピィの生存を確認しに行きたかった。だがパルへにはルーナを置いていくことはできないし、誰かが共に行けばボロウの足を引っ張ってしまう。そのせいでルピィが助からなかったらだなんて、考えたくもない。
「ぱるぱる、これからどうすればいいの」
ルーナはルーナで不安を抑えきれなくなっている。パルへに安心を求めて、くっついてくる。ボロウが帰ってくるまでは待つしかできない。祈るしかできない。
心音は速いまま、どくどくと脈打つのだけが聞こえる中をじっと待った。
「楽しそうですね」
ふと、声が聞こえた。
ボロウが帰ってきたかもと思って振り返り、その目には違うモノが映る。本能的な恐怖である。
いまこの視界にあるあの花、バラの花は、パルへが二度と見たくないモノのひとつだった。
「私も混ぜていただけませんか?」
「森の音楽家、クラムベリー……ッ!」