最初にベートが動いた。
地を蹴り、鋭利な足刀が振るわれる。
が、躱された。
振り向きざま腕を振るう武蔵。無手のまま握りの形にした手が閃いた直後、ベートの身体が硬直する。
がしっ、とベートの足が掴まれた。そのまま無造作に振るい、武蔵は間近に迫っていたティオナへと投げつける。
視界に広がるベートの背中。ティオナは振り降ろそうとしていた
やっと明けた視界には、すでに己の懐に潜り込んでいる武蔵がいた。
驚くティオナを他所に、武蔵は彼女の手首を片手で掴む。振り上げていた腕を捻り上げ、そのまま最小限の動きで彼女の身体をひっくり返してしまう。
まるで手品。
宙を舞うティオナを
………ハズだった。
すっ、と向けられた無手に、ティオネは目を見開く。視線もやらずに向けられたその手に、まるで剣の切っ先を突き付けられたかのように固まってしまった。
瞬く間に往なされたベートとティオナの攻撃。
ほぼ同時に飛び掛かったハズが一人ずつ相手をされ、気が付けばティオネは武蔵と二人きり。味方を障害物として機能させる鮮やかな立ち回りは、彼女たちが知らない技術だった。
高レベルの冒険者にもなれば大抵は力づくでどうにかなってしまう。ラキア王国が度々仕掛けてくる戦争を少人数の冒険者たちで制圧してしまうのが良い例だ。
それ故に覚える機会の少ない、戦場での正しい立ち回り方。
強力な敵に四方を囲まれる事を想定し、それに対して適切な行動をとる。所謂「兵法」というものを身に着けるには、オラリオの冒険者たちはあまりに
無論、全くの無知という事はない。
ただ単純に……武蔵の
「―――――ッ!!」
それでもやるしかない。
眦を裂き、得物を握る手を振り上げようとし―――――そこで。
「動くでないッッ!!!」
ガレスの怒号が響いた。
「「「 !? 」」」
その声にティオネは瞬間的に動きを止めた。すでに立ち上がり、戦闘態勢に移っていたベートとティオナも同様だ。三人は一様に眉を顰め、その顔に疑問の色を浮かべる。
声を発したガレスはと言うと、最初の立ち位置から一歩も動いていなかった。
出遅れた訳ではない。軽々と攻撃を往なす武蔵の動きを前に、飛び掛かる愚を犯さなかったのだ。
「はは、聡いな」
賛辞を述べる武蔵に対し、ガレスは無言を貫く。二人の間の漂う空気に、ベートたちも思わず口を
やがてガレスは口を開いた。
しかしそれは武蔵に対してではなく、その周囲に立つ三人に対してだった。
「ベート、ティオネ、ティオナ……離れとれ」
「ッ……フザけんなっ!」
ベートは声を荒げ、ガレスに怒りをぶつけた。彼の性格から考えればこうなる事は必至だろう。
まるで獲物を横取りされた獣のような形相を浮かべるベート。彼と共に武蔵を囲んでいるティオネとティオナも、不満を隠さずにガレスへと視線を向けている。
「ジジイは引っ込んでろ!コイツは俺がやる!」
「冷静になれ、ベート。単純に囲んだだけで勝てる相手ではない事はよく分かったじゃろう」
そんな彼らとは正反対に、ガレスは未だに武蔵を正面から見据えていた……そう。
武蔵の体捌きを。
足運びを。
眼球の動きを。
一切の無駄が削ぎ落された、必要とされるだけの動き。Lv5のベートたちを手玉に取るかの如くあしらう武蔵の底知れぬ実力を、ガレスは見極めようとしていたのだ。
図らずもフィンと同じ思考に至っていたガレスは深く腰を落とす。明らかな臨戦態勢を取ったその姿は、疾走直前の大型獣を彷彿とさせるものだ。
相変わらず視線は武蔵に固定したままの状態で、ガレスは若き幹部勢に言葉を投げかける。
「囲っても無理ならばどうするか……知れた事」
直後。
ガレスの足元が
「真正面からぶつかるのみよッ!!」
雄叫びにも似たそんな声が、武蔵の立っていた場所から聞こえてきた。
三人が顔を向けた時にはすでに遅く、そこには武蔵とぶつかり合うガレスの後ろ姿があった。互いに互いの両手を鷲掴みにした手四つの状態で、猛烈な勢いでガレスが武蔵を押している。
武蔵もまた腰を落として踏ん張りを利かせるも、地面がそれに耐えられない。履いていた草履は千切れ飛び、ガリガリガリガリッ!!と地面を削りながら後退させられてしまう。
「ぬおおぉぉぉおおおおおおおおッッ!!!」
咆哮と共に進撃するガレス。
やがて武蔵の背はアリーナの壁へと着いた。傍目からは押し切ったガレスの方が優勢に見えるが、歯を剥き出しにした表情から余裕は感じられない。
顔を真っ赤にして力むドワーフの老兵はここで決着をつけようと、全力を以て武蔵を制しにかかっているのだ。
対する武蔵。
こちらも先ほどまで浮かべていた笑みを消し、ガレスの顔面を直視している。体格差によって武蔵が見下ろす格好になってはいるが、二人の力はほぼ拮抗していた。
(なんと逞しい……!)
口を閉じて歯を食いしばる武蔵は、心の中でガレスを称賛する。
技術などを使わない、純粋な力勝負で自身を壁際まで追い込んだガレスの力強さ。小さな体躯に不釣り合いな膂力を堪能した武蔵は、ここでようやく反撃に出た。
「ぬッ……ぐぅぅ……!?」
壁に着いていた武蔵の背中が、徐々に離れてゆく。
ゆっくりと、しかし確実に武蔵はガレスを押し返していた。一瞬でも気を抜けば押し潰されてしまいそうな緊張の中、ガレスは目力をいっぱいにして踏ん張った。
ミキ……、ミシ……ッ、と全身の筋肉が隆起する。
地面に着いた足が陥没するほどに踏み込み、真っ赤にした顔は今にも血管が破裂しそうなほどだ。このまま膠着状態が続けば、押し潰されてしまうのも時間の問題だろう。
しかし彼は『
そう簡単には終わらない。
「ぬう―――ぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!」
「!?」
がばぁっ!!と、体勢を元に戻すガレス。武蔵の怪力を前に無理矢理押し返したガレスの猛攻は、それだけに留まらなかった。
ドッ、と。再び武蔵の背が壁に着いた……どころではない。
そこからあろう事か、さらに
「うおぉッ!?」
「どっ、どこまで!?」
近くにいた【ガネーシャ・ファミリア】の団員たちから声が上がる。ドワーフらしい力に任せたこの攻撃に、さしもの武蔵も目を見開いて驚愕を露わにする。
(この膂力………まるで
そうしている間にもガレスの行進は止まらない。ダメ押しというよりも、この程度で倒れるような相手ではないという確信が、彼にはあったのだ。
鬼神のような形相を浮かべるガレスに対し、武蔵が次に取った行動は……。
奮闘するガレスの姿をロキは主賓席から見ていた。
リヴェリアがやられた時は立ち上がりそうになったが、それでもぐっと堪えた。ここで自分が出る事は
その後、武蔵はガレスと相対した。
オッタルにも引けを取らない膂力を持つ武蔵を押し切って見せたガレスに、背後に控えていた【ガネーシャ・ファミリア】の団員たちは開いた口が塞がらずにいる。表情に出していないのはロキとフレイヤだけだ。
力の強いドワーフという種族の中でも、ガレスは特別だ。オラリオどころか世界中を探しても、彼以上の腕力を持つドワーフはいないだろう。
一度は押し負けそうになったものの、そこからもガレスは体勢を立て直した。それだけに留まらず、武蔵を圧し潰さんばかりに力を振るった。
このままイケるか?
握り締めた拳に汗を滲ませつつ、そんな思いがロキの頭を過ぎった瞬間………隣の女神は呟きを落とした。
「そう簡単にはいかないわ」
その言葉にハッとしたロキは隣を振り向く。
同時に―――――ガレスの頭が、勢いよく後ろへ
プシ……と宙を舞った赤い液体は、ガレスの鼻から噴き出たものだ。
突如の顔面への衝撃に点滅する視界。一瞬だけ武蔵の姿が見えなくなり、その一瞬の内に両手から感触が消える。
何が起こったのか?……事は単純明快。武蔵がガレスに頭突きを見舞ったのだ。
言葉にすれば簡単そうに聞こえるが、ガレスと全力で組み合っていたあの状態から頭突きを見舞う余裕がある者などそういない。怪物じみた膂力を持つ武蔵だからこそ出来た
体勢を崩したガレスが次の瞬間に見たものは、抜刀する武蔵の姿。
鞘から引き抜かれる剣が閃き、目の前の敵を斬る為だけに振るわれる一太刀がガレスを捉えた。剣を抜かせない為に詰めていた間合いも開け、今や用を成さない。
絶体絶命。
万事休す。
ガレスに許された行動は、もはや覚悟を決める事だけ………かに思われた。
「ッッ!!!」
ギンッ!と目を剥いたガレスは右拳を握る。
そして、次の瞬間。
振り下ろされた武蔵の剣に、ガレスのアッパーカットが炸裂した。
その光景に、ある者は目を背けた。
ある者は目を疑った。
そして武蔵は………。
「な……っ」
その顔を驚愕一色に染める。
振り下ろした武蔵の剣。それはガレスの右拳を半ばまで割るも、そこで止まっていた。握り固めた拳に剣を食い込ませ、武蔵の剣を止めたのだ。
「ま……
本日二度目となる予想外の光景に、武蔵の双眸が揺らぐ。
そんな武蔵が見せた一瞬の隙を突き、ガレスは一歩、大きく踏み込んだ。
剣を食い込ませたままの拳を振り上げる。それに伴い、剣の柄を握っていた武蔵の両手も、延いては武蔵の体勢そのものが崩れてしまう。
無防備に近い状態となった標的を見据え、そして一拍の後。
武蔵の顔面に、今度こそガレスの巨拳が炸裂した。
「ふんッッ!!!」
ゴッチャアッッ!!と、アリーナに響き渡る凄まじい轟音。
打ち込まれた巨拳は武蔵の顔面の中心を捉え、勢いのままに武蔵の体は壁へと叩きつけられた。
広がっていた壁の亀裂はその衝撃でさらに大きくなり、一部は観客席にまで至るほどだ。
ドワーフの名に恥じる事のない、ガレスの拳の威力が如何ほどのものだったのかが窺える。
それほどの拳を受けた武蔵も無事ではない。白目を剥いて宙を仰ぎ、ガクリとその場で膝を突いた。
殴り飛ばされた衝撃でガレスの拳から剣は抜けるも、未だ武蔵の手はその柄を握ったままだ。しかし本人に意識はないのか、剣を握ったまま反撃の素振りは見られない。
それでもなお、ガレスは追撃の構えを取った。
「ちょっ、ガレス!?」
「やり過ぎじゃ……!?」
背後のティオネとティオナが思わず口を割り込ませるも、ガレスは止まらない。崩れ落ち、己の腰あたりにある武蔵の顔面を目掛け、思い切り拳を振るった―――――。
………が。
ガレスの拳が空を切る。
二度目のアッパーカットは武蔵の顔面を穿つ事はなく、ブゥンッ!!と盛大な風切り音だけを生み出した。すっかり意識を刈り取られたかに思われた武蔵が、ガレスの横をすり抜けたのだ。
剣を持ったまま二転、三転。
ごろごろと地面を転がって攻撃を回避した武蔵はガレスと距離を取り、その場ですっくと立ち上がる。流れるようなその一連の動作には、先ほど受けたはずのダメージは感じられない。
大量の鼻血を流しながらも、武蔵はまっすぐガレスに視線を向けた。振り返ったガレスも同様に、武蔵と向き合う。
「……なんと重き拳よ。事『腕力』に関しては、あるいはオッタルと……」
ふむ……と、何やら思案顔をしていた武蔵であったが、やがてガレスへと語りかけた。
「
「……ガレス・ランドロックじゃ」
「“がれす”か……よし。ではガレスよ」
ガレスの名乗りを反復した武蔵は、ヒュッ、と血振りを行う。僅かに付着した血が振るい落とされ、一度も人を斬った事がないような見事な輝きが刀身に戻った。
血振りを終えた剣を携え、武蔵は静かに口を開く。
「いざ」
“立ち合い”開始を告げるかのようなその光景を、その場にいる誰もが凝視していた。