夜だというのに、この日のオラリオは昼間以上の喧騒が支配している。
しかしそれも無理は無い。なにせ今から目にするものは、オラリオ始まって以来の一大イベントと言っても過言ではないのだから。
開始までまだ時間があると言うのに、彼らは滾っていた。
老若男女問わず。
一般人、冒険者問わず。
人、神問わず。
皆、考える事は同じだった。
((((( 今日、オラリオ最強が見られるッッ!!! )))))
闘技場の中でも一際高い場所に設けられた客席……貴賓席。
一般の席ではまず設置されていない柔らかな革張りの椅子が二つ、そこに腰かけているのは二柱の女神。フレイヤとロキである。
優雅にくつろぐフレイヤに対し、ロキは先程場内の売り子から購入したエールとおつまみを豪快にかぶり付いている。“品”というものが圧倒的にかけ離れているように思える二柱の女神であったが、彼女たちはまるでそんなものなど無いかのように、気軽に話し合っている。
「いやーっ、すまんなぁフレイヤ!こんな良い席優遇してくれて!」
「別にいいわ、ロキ。私と貴女の仲じゃない」
「そんならウチの
「それとこれとは話が別よ。苦労したのよ?貴女の
「うっ……それを言われると弱いなァ」
オラリオ始まって以来の一大イベント。当然、座席の確保は困難を極める。
今にも座席が完売しそうな状況に、ロキはどうにかしてくれとフレイヤに泣きついた。結果としてフレイヤは座席の販売員に
酒の飲み過ぎで金欠だったロキはなんとか席代をかき集め、彼女たちの席を購入。こうして新たにフレイヤに大きな貸しを作ったのであった。
『本日はよく集まってくれた、みなの者!俺がガネーシャである!』
その時、闘技場内にある男神の声が響き渡った。
その声に観客全員がある一点に視線を向ける。闘技場を構成する大きな柱の最上部、姿は見えずとも声はするその場所へ、魔石灯のライトが照らしつけられる。
「おおっ!神ガネーシャだ!」
「あんな所でなにやってんだ?」
どよどよ、と疑問に沸く観客たち。浅黒く引き締まった身体を持つ神、ガネーシャは象の仮面越しに観客たちの姿を確認し、そして―――――。
「ふははは………とうっ!!」
柱の上から飛び降りた。
「うおおぉぉおおおおおおおいッッ!?」
その高さ、実に30M。恩恵を受けた冒険者でもまともに地面に激突すれば無事では済まない。そんな高さから命綱も無しに飛び降りたガネーシャを、彼の団員達が必死の形相でキャッチしようと猛ダッシュで駆け寄る。
降って来たガネーシャを数人がかりでなんとか受け止めた団員達。盛大に土煙を上げながら、ガネーシャはその体を抱えられながら場内に姿を現した。
「何やってんだアンタ!?」
「この馬鹿ァ!!!」
「ガネーシャ危機一髪!……ふぅ、死ぬかと思った」
団員達からの本気の説教を食らいながらも高笑いするガネーシャ。その空気に飲まれ、いつの間にか場内は彼の独壇場だ。
「ホンマ何やっとんねん、あのアホは……」
「……彼らしい無茶ね」
破天荒な神の姿にドギモを抜かれる者、大いに喜ぶ者、呆れる者……反応は様々であったが、全員が彼に注目していた。
「さて、俺のダイナミック登場で場内も沸いた事だし………」
再び魔石灯の光を一身に浴び、ガネーシャは周囲を見渡す。そして自慢の馬鹿でかい肉声をもって、観客たちに挨拶を行った。
『改めて、みなの者!俺がガネーシャである!今日と言う日の催しにこれほどの数の者たちが集まってくれて、ガネーシャ超感激!愛してるぞお前たち!』
漂う熱気に引けを取らない程の暑苦しい挨拶。ある意味で名物にもなっているガネーシャ特有の語りかけに、集まった観客たちの顔に笑顔が浮かぶ。
『それでは早速始めよう、と言いたい所だが………その前に一つ、お前たちに聞いておきたい事がある』
先程の大声とはうって変わって、静かに語りかけるガネーシャ。いつもと違う雰囲気をかもし出す群集の主の姿に、全員の意識が集まる。
シン……と静まる闘技場。それを確認し、ガネーシャは大きく息を吸いこんだ。
風船のように膨らんだ上半身を思い切り反らせ―――今日一番の大声を放つ。
『オラリオ最強の男を見たいかーーーーーーーッッッ!!!』
「「「「「 ………オオオォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!! 」」」」」
闘技場どころか、オラリオの街全域にすら轟きそうな観客たちの雄叫び。
老若男女問わず。
一般人、冒険者問わず。
人、神問わず。
誰もが焚き付けられたかのように、ガネーシャの問いかけに大声で返答した。
『俺もだッ!俺もだ、みんなッッ!!』
バッ!!と右手を天に向けて突き出すガネーシャ。それと同時に彼を照らしていたライトが分散、闘技場の両端に設けられた入場口を照らした。
『両雄入場ッッッ!!!』
そして、二人が現れた。
背に大剣を担いだオッタルと、腰に刀を差した武蔵。
真正面から対峙する形で闘技場の中央へと歩いて来る両者を目にし、観客たちのボルテージも最高潮に達する。
「うおおッッ!!」
「来たッ、出たッ!!」
「あれが『
「俺、初めて見た!!」
滅多に姿を見せない、オラリオの頂点に君臨するオッタルの姿に興奮する者。
「あれが!?」
「ムサシ・ミヤモト!?」
「すっげぇ
「歴戦のツワモノっつーの?」
対戦者である武蔵の、只者ではない佇まいに困惑する者。
「とっとと
「早く観せてくれぇぇええええッ!!」
「ぶった斬っちまええええッッ!!!」
一刻も早く、剣と剣とを交えた戦いを観たい者。
数千人にも上る観客たちの声が飛び交い、闘技場を熱く染め上げる。
ガネーシャがアリーナから別の場所へと移動している間に、オッタルと武蔵は10Mほどの距離を置き、互いに向かい合った状態で立っていた。こうしている間にも観客たちの歓声は鳴りやまず、それが更なる熱狂を招いていた。
「ふむ」
四方八方、武蔵の視界を埋め尽くさんばかりの観客たち。その全ての視線が、武蔵とオッタルにのみ注がれている。
しかし、やはりと言うべきか。騒音にすら聞こえる歓声の中から聞こえてくるのは、オッタルへの声援がほとんど。オラリオ最強の称号を持つオッタルと無名の武蔵とでは、こうなってしまうのも無理はない。
「ふふ………強き男よ。やはりアンタは良い」
そんな中、武蔵は不敵に笑った。
「出世するのにこれほどの近道はない」
「………」
「みなの声が教えてくれる……嬉しいぞ、その強さ。その有名。その
根こそぎ俺のモノとする。
「ふん………ならば、やってみろ」
眉間のしわを深めたオッタルは武蔵から視線を外し、貴賓席に座るフレイヤを見上げる。
オッタルの視線に気が付いたのか、はたまた最初から彼を見ていたのか。フレイヤはその顔に微笑を浮かべた。
常人の目では認識できない程の距離でも、オッタルはフレイヤの微笑みを見逃さなかった。それと同時に、得も言えぬ感情が胸の中を駆け抜ける。
(フレイヤ様………!)
オッタルは目の前の武蔵を鋭く睨み付ける。
その目に、主神への揺るがぬ忠誠心を込めて。
『それではこれより、オッタル対ムサシ・ミヤモトの立ち合いを開始する!!』
ガネーシャの大きな声が木霊した。客席の一部分を切り取ったような場所にいる彼の隣には大太鼓があり、その近くにはバチを持った団員の姿がある。
おおおおっ、と闘技場がどよめく。待ち望んだその瞬間が遂にやって来たのだ。
『両者、準備は良いかッ!?』
「…………」
「…………」
「………問題なし、か」
互いに互いを見合うオッタルと武蔵。その様子を確認したガネーシャは団員に目配せし、開始の言を告げる。
『では………はじめい!!!』
その言葉と同時に、ドンッッ!!と太鼓が打ち鳴らされた。
「おおおおぉぉおおおおおおおおっ!!!」
「
「行けぇ、『
「ムサシも頑張れぇぇええええええっ!!」
立ち合い開始の合図に、観客たちの感情は爆発。絶叫する者、脚を踏み鳴らす者、立ち上がる者………それぞれが思い思いの行動で、その興奮を表現する。
こうして――――オラリオ最強の冒険者と侍の立ち合いの火蓋が切られた。
その場に到着すると同時に、観客たちの声が全身を叩いた。武蔵が通った入場口にまでやって来たベルたちは、そこでアリーナに広がる光景を目にする。
オッタルと対峙する武蔵。両者の距離はおよそ10Mといったところか、既に開始の合図は下されたが、未だに両者に動きはなかった。
「到着しました、ヘスティア様……!」
「まさに今、
ベルとヘスティアを挟んだ形で横並びに立つリリとヴェルフがそう教える。場内の熱気とは裏腹に、武蔵とオッタルの間に漂う空気は張り詰めている。荒事とは全く無縁のヘスティアでさえも感じ取れるほどの緊迫感に、思わず喉が鳴った。
彼女の隣にいるベルも顔を強張らせ、緊張を隠せずにいる。それでも目を背けようとはしておらず、この戦いの行く末を最後まで見届ける覚悟で、まっすぐに武蔵を見つめている。
「さて………と」
ズチャ、と一歩前へ出る武蔵。両手をだらりと無造作に垂らしたまま、立ったままの格好のオッタルを見据える。
「長引かせるものでもなし、最速、最短にて
更に一歩、前へ出る。しかしそこで武蔵の歩みは止まった。
「『
観客の一人がそう叫んだ。同時に他の観客たちの間にもどよめきが起きる。
オッタルは背負った大剣を手に取ると、上半身を大きく屈めた。両足を大きく開き、大剣は半身に構えられている。
オッタルの構えの意図を読み取った武蔵は、感嘆の声を漏らす。
「ほう………えらいものを持っとるなぁ、オッタルぅ」
「………」
武蔵の言葉に無言を貫くオッタル。これ以上の会話は不要と言わんばかりの態度だが、武蔵はいつもの調子を崩さない。
(受け止めるか、退けるか………どうしたものか)
夜空を見上げて思案する武蔵。
その時、観客たちがわっと声を上げた。
「ん?」
武蔵が視線を前方に戻すと同時に、視界に飛び込んできた光景。
ほぼ10M程もあった距離を、オッタルはたった一度の踏み込みで詰めてみせた。爆発的なロケットスタートにより、オッタルがいた場所には土煙が上がっている。
斜め上から迫り来る大剣。その切っ先が振り下ろされる直前、武蔵の胸に様々な思いが去来する。
(―――――って
なんじゃ 驚 喜 早いのぉ
もう 嬉 憂 速いのぉ
ハハ……
交差する両者の姿。それと同時に、キィン!と澄んだ金属音が響いた。
シュザザッ!とアリーナの砂を踏みしめ、オッタルの身体は止まった。踏み込みの威力を足で殺し、背後を振り返り、武蔵を睨み付ける。
「ふむ」
鼻を鳴らす武蔵。その手には、いつの間にか刀が握られていた。
「あっ……あれ?」
「刀握ってるじゃんッ!?」
「いつの間に抜いたンだよ!?」
疑問に陥る観客たちであったが、己が目にしているこの光景が全てを物語っている。
並みの冒険者や武芸者では決して真似できない……できる訳も無い、常人離れした達人業。
オッタルの大剣の一撃を、武蔵が刀で弾いたのだ。
一瞬の内に抜刀し、オッタルの攻撃を防いだ武蔵。全くの無名の剣士が見せたその動きに、観客たちの目の色が変わり始める。
ざわめく観客たちを見回して、武蔵は、にぃ……と笑った。
「ふふ……驚いとる驚いとる」
満足げに頷き、くるりと振り返る。油断なく大剣を構えるオッタルに対し、武蔵は刀で肩をトントンと叩いている。
余裕すら感じさせるその姿を目にした観客たち。空気を震わせたほどの歓声は、僅かに鳴りを潜め始めていた。