ベルたちが地上へと帰還する、その2日前。
夜闇に浮かび上がる二人の姿があった。一つは小柄な
【フレイヤ・ファミリア】所属の冒険者……『
場所は彼らの
「イシュタルが斬られたってよ」
「……何?」
口火を切ったアレンの言葉に、オッタルは眉をひそめた。
武蔵がフレイヤとの邂逅を果たしたその直後から、オッタルは密かに彼に関する情報を集めていた。
フレイヤが立ち去る武蔵へと送った、熱の篭った視線。見慣れた主神のその目であったが、この時、オッタルは何故か胸騒ぎがした。野生の勘、とも言うべきか。
こういった経緯からアレンからも武蔵の情報を渡されたのだが、その内容は想定外のものであった。
「ムサシが神イシュタルを殺害したのか」
「おかしな話だが、実際に斬った訳じゃないらしい。って言うのも、あの女神の情報を持ってこさせてる娼婦の話なんだが……」
アレンはその娼婦からもたらされたという話を語った。
強引に引き込もうとしたイシュタルに対して取った武蔵の行動。刀を持たないままに神を斬ってみせたと言う武蔵に、オッタルの目が僅かに細められる。
「分かった……引き続き、奴に関する情報があれば俺に伝えろ」
「おい、オッタルっ」
引き止めるアレンの声を無視し、オッタルは中庭から出てゆく。既に外は暗くなっていると言うのに、オッタルはとある場所を目指す。
建物の陰に紛れるようにしてオッタルはひた歩く。
そんな彼の脳裏は、ただ一つの思いが支配していた。
(―――――フレイヤ様は強欲なお方だ。一度欲しいと決められれば、どんなものでも絶対に手に入れる)
自身が崇拝する女神が見せたあの目―――武蔵へと向けていたあの視線を思い出し、オッタルは拳を握る。無意識の内の行動だった。
(だが、
オッタルが抱いた胸騒ぎ。それは武蔵という男が持つ、得体の知れない悪魔性であった。
アレンからもたらされた情報……オラリオでも強大な勢力を誇るファミリアの主神を、躊躇なく“斬った”という武蔵。それから導き出される、武蔵という男の規格外、常識外れの在り方。
(俺はフレイヤ様の忠実な
いつしか握られていた拳からは、ミシミシという音がしていた。尋常ではない力で拳を握りつつ………オッタルは今一度、心に誓う。
(………
俺がフレイヤ様を
ベルたちの
あぐ……と、そのジャガ丸くんを口へと運ぶ武蔵。ファミリアに入団してからと言うもの、ヘスティアがバイトの
「ふむ……」
もぐ、モニュ……と咀嚼する武蔵。それを飲み込み、武蔵はその視線をある一点へと向ける。この場所へと続く細い裏通りの道だ。
「誰かと思えばアンタか、強き男」
口元に笑みを浮かべながら武蔵は立ち上がる。裏通りから来た男……オッタルはそのまま歩き続け、武蔵の目の前へとやって来た。
互いの間合いは1Mも無い。そこまで近づいたにも関わらず、オッタルは未だ無言のままだ。
「どうした、強き男。なにか俺に用があるのではないのか?ん?」
「………ムサシ・ミヤモト」
身長が自身より上のため、オッタルを見上げる形になる武蔵。未だに微笑を崩さないその顔を見下ろしつつ、オッタルは武蔵の名を口にした。
「貴様に立ち合いを申し込む」
「………」
その申し出に、武蔵が口を閉ざす。
見下ろすオッタルと見上げる武蔵。共に無言を貫く事、数秒。武蔵は視線を外さないまま、オッタルへ疑問を投げかける。
「俺と立ち合いたい、と?」
「そうだ」
「時は?」
「5日後の夜、オラリオの闘技場」
「ふむ……」
迷いなく語られたその回答に、武蔵はここでようやく口元から笑みを消した。少し考える仕草を見せた武蔵は、ぎょろりとその目をオッタルへと向ける。
「異な事を申す、強き男よ」
「………何がだ」
「その拳」
武蔵はぴっ、とオッタルの手を指差す。
「固く握られたその両拳、それが雄弁に物語っておる。今すぐにでも俺を打倒したいと。
「………」
今度はオッタルが黙る番だった。
寡黙な武人の顔ではあるが、その目の奥に宿る武蔵への戦意は隠し切れていない。武蔵の指摘通り、今ここで戦いが始まったとしても何も可笑しくはなかった。
しかし、オッタルはきっぱりと言い放つ。
「こんな所で貴様を倒しても何の意味も無い」
「あの方に相応しい場所で………全力の貴様を、俺が全力で叩き潰す」
「それに何より―――――武器を持たぬ貴様など、倒すに値しない」
「理解したか……ムサシ・ミヤモト」
「………」
ちらり、と武蔵は立てかけたままの刀を見る。近くにはあるが、手を伸ばして取れる距離でも無い。武蔵は視線をオッタルへと戻し、その目を真っすぐに見やった。
「!」
メラ……と武蔵の髪が逆立つ。相手を射竦めるような視線がオッタルに直撃し、思わずその顔が硬直した。
「強き男………」
その視線を外さぬまま、ズチャリと武蔵が一歩、歩み出る。背に纏う空気が震え、陽炎のように揺らめく。
直後、オッタルの右拳が振るわれた。
「ハァッッ!!!」
武蔵の顔面を狙った一撃。元より僅かだった間合いは詰める必要も無く、最速で武蔵へと迫る。が―――――。
パシィッ。
武蔵の手がオッタルの手首を掴んだ。
鼻先で静止する拳。そしてそのまま、万力の様な握力で握り締められる。
「っ!」
「むっ」
僅かに顔をしかめたオッタルは、突き出した右腕を思い切り引き戻す。手首を握っていた武蔵はその動きに釣られて体勢を崩し、そして―――――。
がきょっ!!
今度こそ、オッタルの拳が武蔵の顔面を叩いた。
その衝撃で掴んでいた手が離れ、背後の壁に背中を叩き付けられる武蔵。受け身らしき受け身も取れず、そのままズシャアッ、と地に倒れてしまう。
「………」
地に伏す武蔵を見下ろしながら、オッタルは右手首の調子を確かめるように左手でさする。
「言ったはずだ……武器を持たぬ貴様を倒しても意味が無い」
やがて手首から手を離し、こう続けた。
「あの方に相応しい場所で、相応しい戦いで、相応しい形で―――――貴様を叩き潰す」
5日後の夜を待つ。
そう言い残し、オッタルは裏通りの道へと去ってゆく。
再び一人となった武蔵は地に伏したまま、ニィ……と口角を吊り上げる。顔面を打たれたダメージなどまるで感じさせない顔で、武蔵は一人笑った。
(なんと健気な………愛おしいぞ、強き男)
その翌日、武蔵とオッタルの立ち合いが発表された。
オッタルの言う『相応しい場所』であるオラリオの闘技場。何千人も収容する事が出来る施設であり、そこは満員になってこそ本来の姿を現す。
下位団員に働きかけ、宣伝は【ガネーシャ・ファミリア】に行わせる事となった。群集の主の異名を持つガネーシャも、オラリオが盛り上がるのならばと乗り気だ。
立ち合いの情報が書かれた大量の羊皮紙は、あっという間にオラリオ中に配られた。都市最強の冒険者の姿を拝めると知り、人と神に関わらず、立ち合い当日を心待ちにした。
「おい、聞いたか!?あの『
「聞いた聞いた!オラリオ最強が見られるんだよなァ!」
「ところで、このムサシって奴は一体誰だ?聞いたことない名前だけど」
「誰も知らないって事は“外”の奴か?だとしたらソイツ、ヤバくね?」
「オイオイオイ」
「死ぬわソイツ」
街中では立ち合いの話で持ちきりとなり。
「ムサシさんが、立ち合い……?」
「相手はあの『
「これ、本当にやるの?」
「何がどうなってやがる……」
「………フィン」
「………うん」
【ロキ・ファミリア】では配られた羊皮紙を、アイズたちが怪訝そうな目で眺め。
「ふふ……オッタル。貴方も意外とかわいいところがあるのね」
バベルの最上階ではフレイヤが楽しそうに笑い。
そして、ギルドでは―――――。
「ムサシさんが、『
「何の冗談だよ、これはよ……」
「ヴェルフ様。どうやらこれは、本当に行われるらしいです……」
「ムサシ君………!」
「………」
廃墟と化した教会の最奥、ベルたちの生活スペース。武蔵はそこの床の上に正座で座り、一人瞑想していた。
刀を左側に置き、両目を閉じている武蔵。行儀よく膝の上にそえられた両手は微動だにせず、まるで置物のようだ。
その武蔵が、ぱちりと目を開いた。
「………イカンなぁ」
そう零した武蔵は天上を見上げる。その口元は自然と吊り上がり、喜びの色が顔に浮かんだ。
「まだ3日もあるというのに、既に心躍っておるわ」
誰もいない部屋の中で一人静かに笑みを浮かべる。
まるで恋い焦がれた