小説を書く上でもヒントにもなりますし、何よりモチベーションが上がります。
これからも感想、お待ちしております。
オラリオを天高くより見下ろすバベル。比肩する建物が存在しないその最上階こそが、フレイヤの住居である。
煌びやかな調度品、背の高く幅広い本棚、そして精巧な細工のなされた家具。フレイヤの所有する一室を彩るそれら一つ一つがどれも美しく、その価値は計り知れない。
その豪奢な作りのソファに、武蔵は座っていた。
目の前には美と愛を司る女神、フレイヤ。その背後には筋骨隆々の大男、猪の耳を持つ獣人、オッタルが無言で控えている。
ダイダロス通りで会った時に付けていたローブを脱ぎ、今のフレイヤは黒い扇情的なドレスに身を包んでいる。体のラインがくっきりと浮かび上がっているその姿を見れば、並みの人間であれば即座に骨抜きになってもおかしくはない。
しかし武蔵は並みではない。
フレイヤの目を真っすぐに正面から見据え、武蔵は口を開いた。
「まさか“ばべる”の最上階がこうなっておるとはのぉ」
「中々の絶景でしょう?」
武蔵はフレイヤを視界に収めつつ、彼女の背後に広がる一面のガラス越しに見える景色を見やる。
民家の明かり、魔石灯の明かり、月の光を反射する噴水の明かり……一つ一つは小さなそれらが密集して出来たその光の粒はオラリオの夜を彩り、見事な夜景を生み出していた。
「綺麗だな」
くす、と、フレイヤはその武蔵の台詞に微笑む。右手で隠した口元から漏れたその笑い声に、武蔵は片眉を上げる。
「ごめんなさい。そんな強面でそんな事を言うものだから、つい笑ってしまったわ」
「綺麗なものは綺麗だ。別段、可笑しいところは無かったと思うが……」
「ふふ……感性は意外と普通なのね。
フレイヤは微笑みを崩さぬままに語る。
「きっと今頃、大変な目に遭ってるかも知れないわよ」
「“べる”の事か」
「ええ、貴方もあの子の事は悪しからず思っているんでしょう。なんで助けに行かなかったのか、聞いても良いかしら?」
「ふむ……」
その質問に武蔵はフレイヤから視線をはずし、手を顎に当てて考える。じっくり考える、というよりも何と言えば良いか、言葉を考えている様子だ。
やがて武蔵は得心したかのように顔を上げた。その無機質な瞳がフレイヤを射抜き、彼女の顔から微笑みが消える。
「確かに“べる”とは同門の間柄……身内とも言えるだろう」
武蔵はそう答え、更に続ける。
「が、それだけだ」
「……!」
きっぱりとそう告げた武蔵。その回答に、フレイヤの顔に初めて驚きの表情が浮かんだ。
普段からベルを
そこまでの仲にも関わらず、彼のこの淡泊さは何なのだろうか?フレイヤの頭にはその疑問が浮かぶ。
「……あの子がどうなっても良いと?」
「そうは言っとらん、あの童が死ねば俺も少しは心が痛むだろう。が、飽くまでそれだけだ」
全く表情を変えず、そうのたまう武蔵。だんだんと険しい顔つきになるフレイヤに、無言のまま彼女の後ろに控えるオッタルは僅かに拳を握った。
「弟子とかそう言うのはもう飽きた。多少の助言や稽古ならばつけてやるが、俺はそれ以上の事はしないつもりだ」
「それなら、貴方は何故まだあの子の近くにいるのかしら……教えてちょうだい」
静かにそう尋ねるフレイヤの声は冷ややかだ。
自分が目にかけている少年の近くに、こんな得体の知れない者がいるのは我慢がならない。とでも言わんばかりのフレイヤ。
その彼女に、武蔵は間髪入れずにこう答えた。
「面白いからだ」
「……おもし、ろい?」
「ああ。面白いぞ、“べる”は」
武蔵はにやりと笑みを浮かべ、更にこう続けた。
「最初に見た時はそこらの鼻たれ小僧同然であったが、今はどうだ」
「自身の身の丈以上の妖怪にも果敢に立ち向かい、そして屠って見せよる。これほどに化けた奴など俺は知らん」
「俺は見てみたい、あ奴の行く末を。どこまで行けるのか………どこまで行くつもりなのかを」
「ふ……ふふ、ふっ………!」
「む?」
と、ベルへと抱く思いを語っていた武蔵の耳に、フレイヤの笑い声が届いた。堪えるようなその笑い声、それは程なくして破裂し、部屋の空気を震わせた。
「うふふ……あはは、あはははははははっ!そうね、その通りよ!」
まるで別人のように、彼女は突如として笑い出した。
「あの子には底知れない可能性がある!私の眼を焼くほどの輝きを放つのに、それでも純真無垢なあの魂の色!そんな子が近くにいれば、それは離れたくなんてないわよね!?」
「んん~~~~~………?」
ソファに座ったまま腹を抱えて豹変したかのように笑うフレイヤを、武蔵は怪訝な目で見つめる。彼女の背後にいるオッタルは表情こそ変えなかったものの、その目は僅かに瞠目していた。
「俺はまた、何か“可笑しいところ”を見せたか?」
「あはは……ふふ…………いいえ。貴方はちっとも可笑しくない」
ようやく落ち着きを取り戻したフレイヤは、武蔵に向き直る。その目には武蔵に対する敵意などの負の感情は無く、むしろ逆の感情が宿っていた。
「あの子の近くにいるから気になって会ってみたけど………貴方、
「なんじゃ、やっぱり可笑しいのではないか」
不服そうな顔の武蔵に対してフレイヤは少女のようにからからと笑う。そこには先程まで張り詰めていた空気など、嘘のように消え去っていた。
「ところで」
と。
武蔵は初めて、その目をフレイヤの後ろへと向けた。
無論、オラリオの夜景にではない。彼女の背後に控える寡黙な従者……オッタルへだ。
「はじめっからずっと黙っておるなァ、おぬし。口が利けぬのか?」
「………」
オッタルは武蔵の問いには答えず、代わりにフレイヤに視線を動かした。フレイヤは目を閉じたままに彼の意思を見抜き、手を振って答える。
「構わないわ、オッタル。彼の話し相手になってあげて?」
「はっ」
オッタルは主神の命に恭しく一礼する。
顔を上げたオッタルは2Mを超す長身、大柄な武蔵と言えどそれには及ばず、更に今は座っている状態。自然と武蔵はオッタルと目を合わせるために上を見上げる格好となる。
「デカいなぁ……
オッタルの巨体を前にしても、武蔵の調子が狂う事は無かった。口元に笑みさえ浮かべる武蔵は目の前のオッタルを品定めするかのような視線をやる。
「む?」
ここで、武蔵の表情に変化が起きた。
「お?」
オッタルを見上げていた武蔵。その目線は両者の体勢から必然的に武蔵が上を見上げる格好となっている。
その武蔵の視線が、更に上へ。
上へ。
上へ。
上へ。
「おお~~~~~………」
その時、武蔵の視界には既にオッタルは映ってはいなかった。
目が眩むような大判小判。
積み上げられた千両箱。
そして絶賛の嵐………。
「ふむ、凄い量だ」
武蔵は視線をオッタルへと戻し、語る。
「
「当然だ」
オッタルは間髪入れずにそう答えた。
見上げる武蔵に対し、見下ろす格好のオッタルは憮然とした態度である。
「俺はこの崇高なる女神、フレイヤ様の眷属。このオラリオの頂点たる『
その態度を崩さぬままに、オッタルは続ける。
「したいように、好き勝手に生きている貴様とは……
戦線布告にも聞こえるその言葉。
フレイヤは自身の従者のその言葉を耳にして、さっと視線を武蔵へと向けた。
オッタルの言葉を受け、武蔵は何と反応するのか?純粋にそれだけが気になり、彼女は武蔵の出方を伺う。
ぱちくり、と瞬きする武蔵。
そして、心底不思議そうにこう言った。
「イカンか、好きに生きては」
その言葉に、オッタルは僅かに眉をひそめる。
「斬った 斬った 斬った。
立ち合う事、六十余度。取るに足らぬ小競り合いも含めれば百は下らない。
斬りも斬ったり」
「斬りまくるにつれ、名が広まった。
京に 奈良に 江戸に
広まるにつれ……諸国大名が放ってはおかぬ」
「皆が俺を欲しがった」
(……この子………)
フレイヤの顔に、初めて困惑の色が浮かんだ。
しかしその困惑はまるっきり不可解というものでは無く、強いて言うならば、抱いていた予想が外れた、と言ったような印象を与えるものだった。
「名のある剣豪を圧倒するにつれ、
召し抱える条件は登りつめ、
老若男女、皆が俺を讃えた。道も歩けぬほどに群がった」
武蔵の顔に笑みが浮かび始める。
途端に俗気を帯び始める。
「美しき娘も。
目も眩む黄金も。
呆れるような馳走も。
酒も」
「ふん」
オッタルは不快そうな表情で鼻を鳴らした。まるで見下すような態度にも関わらず、武蔵はまるで気にする様子はない。
そして、バッ!と。
一気に口角を釣り上げ、両の腕を大きく広げ。
ソファから立ち上がり、武蔵は大声を張り上げる。
「思いのままだ!!!」
「出世したいのだ!!!褒め讃えられたいのだ!!!
褒められて、褒められて、褒められて………。
逃げも隠れも出来ぬ身となりたいのだ!!!」
「…………」
「…………」
張り上げられたその大声に対し、フレイヤとオッタルは無言だった。
武蔵は大きく広げた両手を降ろし、オッタルへと向き直る。
「必要か、高潔さ」
「!!」
初めて、オッタルが目を剥いた。
驚愕と言って良い表情を浮かべるオッタルに対し、武蔵は淡々と言葉を連ねてゆく。
「期せずして得た二度目の生………存分に楽しむぞ」
ニィ、と笑い、武蔵はドアへと歩いていく。
「ッ!! 貴様ッッ!!」
「やめなさい、オッタル」
激昂するオッタルを、フレイヤはその一声で押し
ほどなくして、武蔵はその部屋から出て行った。ばたんっ、とドアが閉まると同時に、途端に部屋には静寂が訪れた。
フレイヤとオッタル。この部屋にいる一人と一柱の間に奇妙な静けさが流れるも、女神がその沈黙を破る。
「不思議な子………」
オッタルはソファに座る主神を見た。
その顔は、ベルを見ていた時とはまた違った……しかし、彼女の興味をくすぐった者に送る顔をしていた。
「純真無垢とは程遠いのに、それでも私を惹きつけた」
「
「でもその中に、光り輝くものがあった。純粋じゃないのに、純粋なそれ。まるで黒真珠やブラックダイヤモンドのような、異様な美しさ……」
初めてベルを見初めた時のように、うっとりとした表情を浮かべるフレイヤ。彼女のその表情に、オッタルは胸の奥がざわつくような、妙な感覚を覚える。
フレイヤは従者が浮かべる怪訝な顔など見向きもせず、オラリオの街並みを一望できる巨大な
眼下には変わらずに美しいオラリオの夜景が広がっていた。しかし彼女の視線はそこではなく、バベルの根元……一切の明かりも見えぬその場所へと注がれていた。
「駄目ね、二股をしてしまいそうだわ……」
そう漏らしたフレイヤの表情を、どう形容すれば良いのか。
恋する乙女のような、色に溺れる娼婦のような……。
どちらともつかない表情を浮かべる彼女の視線は、その後もしばらくその場所へと注がれ続けるのであった。