夜の街をふらりふらりと歩く。
自転車はつい一時間ほど前の夕時に、つい癇癪を起して蹴り壊してしまった。もう二度とあれに乗ることは無いだろう。
あんなものを使わずとも、さっさと専属タクシーを走らせればよかったのだ。
:期日までに、手筈通りの施工が完了する予定です
「……ふん」
タブレットを片手に、増築中の建物の外観を遠目から窺う。
堅牢な設計と高い視認性。カメラもあるようだし、非常電源も……うん、まあ平気だろう。
無骨な見た目だが、気にする事は無い。
観客席は崩れ落ちなければそれでいい。
「さて、大体見終わったかな」
タブレットを指でスクロールし、報告を流し読み。
受信したメッセージのうち、興味のある場所はだいたい全てこの目で確認したようだ。
……少々、時間に余裕が出てきたな。
「……息抜きに、久々にあそこに行ってみるか」
ワルプルギスの夜の事だけを考えていても行き詰まってしまう。人には適度な息抜きと娯楽が必要だ。
見滝原の形があるうちに、楽しむべき場所を楽しんでおこう。
私にとっても、これが最後と決めているのだから。
「や、奇遇」
「あれ?」
なんとかディウスの前の椅子に座る杏子にコーラを差し出すと、彼女はポッキーを口から落として驚いている様子だった。
私はパーカーの上に落ちたポッキーを拾い上げて、コーラの代わりとそれを口の中に入れた。
「今のアタシが言える事じゃないけど、悠長だなあ」
「おあいこって事だな」
コーラを受け取って笑顔に変わった杏子が、どういう怪力か片手の親指だけでキャップを弾き開けた。
私もどどんなんとかの機械の前に座って、自前のコーラを一口飲む。
「そうだ、ほむらのためにグリーフシードを二個手に入れておいたんだ」
「へっ?」
「あはは、なんだその声! まぁ受け取れよ」
そう言う彼女は、私の座る台の上に二個のグリーフシードを転がした。
しっかり針で立っている。本物だ。それも未使用。いや、そうじゃなくて。
「……良いのか? こんなに、大変だっただろう」
「うちの方じゃ結構魔女もいるからね。ほむらのために狩っておいたんだ」
「私の……」
グリーフシードを握りしめる。
これを、突き返すことも良いだろう。それが道理というものだ。私に受け取る資格はない。
けれど、それでも私は握りしめる。
「ありがとう、助かるよ……大事に使う」
「へへ、気にすんな! ちょっとした贖罪でもあるしさ」
彼女の笑顔を見るのも、少し辛かった。
みんなみんな、いい人ばっかりだ。
『無駄ぁ!無駄ぁ!』
レバーとボタンを素早く操作して、一撃一撃を確実に当ててゆく。
以前の私とは一味も二味も違う。そこらへんのヤワなキャラ相手では、今の私に太刀打ちできないだろう。
「うお、そうくっか、ぬぬぬ」
「ぬぅん」
どうやら、以前の暁美ほむらもこのゲームをやっていたらしい。ゲームに関しては、結構詳しかったようである。
なるほど。私の身体もなんとなく操作を覚えているわけだ。
「なあ、ほむら」
「ん?」
「勝てるのか?」
「勝てるさ」
「ワルプルギスの夜にさ」
「そっちか」
「そっちだろ」
もちろん、知ってはいたが。
『無駄無駄無駄無駄無駄無駄』
唐突な問いに驚いて、答えに窮していた……なんて、馬鹿正直には言えないだろう?
「……なんとかなるよ」
「それ、信じていいんだよな?」
「……」
『お前の欲しいものは何だ…?』
「あっ、てめ」
こちらのキャラの挑発を見て、杏子のキャラが大きな隙を作った
「むだぁ」
「あー! くっそー! もう一回だ!」
「ふ」
格闘ゲームに飽き、コーラも空き、ついにやることも無くなり、座り心地が良くも悪くもない椅子に並んで座っていた。
二人でぼんやりと、明るすぎる照明の天井を眺めている。
ここ最近ずっと動きっぱなしだったので、杏子とのゲームは久々に良い息抜きとなった。
けれど熱中してやると、それはそれで程よい疲労感も覚える。もちろん、この浮ついた脱力は悪くないものだ。
「……なあ、ほむら。聞いてよ」
「んー……? なんだい、杏子」
「アタシ、元々はマミみたいな、普通の魔法少女だったんだ」
「……」
知っている。
彼女がさやかに告白した過去の事も、私は全て知っている。
しかし、意を決して私に打ち明けている最中の杏子を止めることはしない。
私は黙って、彼女の独白を聞き続けた。知識としては知りつつも、それを反復するようにじっと聞き入った。
「……ふう」
惨劇とも呼べる過去を一通り喋った後、杏子は一息ついた。
そして彼女はコーラに口を付けたが、中身はもう入っていなかったらしい。ペットボトルを適当に投げ捨て、足をブラブラと遊ばせている。
「……魔法は全て自分の為に使う。あれからアタシは、そういう風に生きてきた」
「……ん」
「けど、もうやめようと思う」
「!」
いつの間にか杏子はこちらに顔を向け、にっこりと笑っていた。
「また昔みたいに、何かのために戦っていけるなら……ちょっと傷付いたり、早死にするくらい、別に良いかなって思ったんだよ」
薄く微笑んだ杏子の表情は穏やかで、未だ私も見たことがないものだった。
「だからさ、ほむら。アタシにはワルプルギスの夜と戦う力は無いけどさ……」
するりと髪留めを外し、胸の前に当てて握り込んだ。
流れるような長い髪は背中に下りて、シスターのベールのように杏子の背を包む。
「せめて皆の為に戦うほむらを、祈らせてくれよ」
祈りの仕草は、まさに聖女のよう。
きっとその気持ちも上辺だけでなく、本物なのだろう。
嘘っぱちな私とは違って。
「……ありがとう」
「……頑張れよ、ほむら」
視界の隅に転がるペットボトルについ目がいったが、彼女の祈りはきっと神の下へ届いただろう。
そんな神様が実在すればの話だが。
誰もいない、暗黒の地下。
軍用の明るいマグライトを片手に、広い地下を進んでゆく。
「……」
物資はきっちり、そこに大量に積まれていた。
横にはパレットごと配置されたダンボールの壁。地面はしっかりと清掃され、危険物などは散らばっていない。
光を天井に向けると、照明の配線もなされていた。
総評。この分ならば、発電機もきっと問題はないだろう。
空調に影響もなさそうだ。もっとも、それ以外の対策も万全であるが……。
……ここなら、きっと平気だろう。
「さあワトソン。しばらくの間、君とはお別れだ」
「にゃ」
黒猫を闇の中に離してやる。
すぐにどこかへ歩いて行ってしまうかと思いきや、暗がりの中で猫の目が発光しており、こちらに向いたまま離れる気配は無さそうだった。
「ワトソン。すまないがね……私はこれから大事な公演を控えているんだ」
「にゃぁ」
「うん。今までも二人の息はぴったりだったさ……けどこれは大事なソロ公演、ワトソンといえど、共演はできない」
「にゃぁ……」
「泣くな、すぐに復帰できるさ」
猫の頭を撫でてやる。
数十日で、ワトソンも随分と大きく成長したものだ。
相変わらずの仔猫だが、それでも身体はしっかり大きくなっている。
きっと私が与えた食べ物が良かったのだろう。
「じゃあね、ワトソン……また会いに来るからね」
マグライトの明かりを消し、暗闇の中で思いを馳せる。
「その時は……きっと、レストレイドも……いやどうだろう……いやいや、レストレイドともきっと会えるだろう」
白い翼を持ったあの鳩は随分と気まぐれだったが、また会えそうな気はする。
「みんな集まったら、またマジックショーを……あれ、ワトソン?」
なんだか随分と静かだなと思ってライトをつけてみれば、そこには黒猫の姿が見えなかった。
「……最後の大事な別れの時にだけ消える? 普通……」
ともあれ、これで準備は万全に整った。
あとは嵐が来るのを待つだけである。