『はっ……!?』
記憶の奔流が収まると、“暁美ほむら”が体験したこれまでの全てが、私の脳内に焼き付けられた。
友達との出会い。そして、過酷すぎる願いの運命。
散っていった命。助けられなかった友達。
彼女が抱えてきた、いつまでも終わることのない戦いの記憶が、一気に私の中に溢れ出す。
奔走するも無力に終わる自分の戦い。
無力を承知で掛かっても倒せない、強大な敵……。
……まさか。
まさか、これほどまでに壮絶な過去を背負っていたなんて。
『……これが、私の全てよ』
床に倒れる私を見下ろす“暁美ほむら”の目は、とても冷たく、無感情だった。
私に銃弾を撃ち込んだ影響なのか、夢の世界はちりちりと焦げ付き、端から崩壊が始まっていた。
この部屋の崩壊が終わった時、きっと“暁美ほむら”は、再び魂の中へと篭るのだろう。今の私には、それが解る。
『暁美……ほむら……』
私は魔法の銃弾を受けた頭を押さえながら、立ち上がる。
『わかったでしょう。私はもう、この世界を見ていたくないの……当分の間、ここでじっとしているわ』
全てに疲れきった表情。
いつの記憶か、さやかに言われた“全てを諦めた顔”とはきっと、こんな表情なのだろうか。
『この世界を押し付けちゃって、ごめんね……でも私は、限界だから……』
『……でも、このままだと』
『貴女が私の戦いを引き受ける必要はないわ。……だから、あなたは私とは違う、全く別の暁美ほむらとして、どこか遠くで……静かに暮らして』
彼女は肩を竦め、疲れ果てた泣き笑いのような顔を暫し浮かべてから、愛想笑いでさえも疲れてしまったかのように、俯いた。
『……それが、私の願いよ』
自分の願いの否定。
不可能を理解してしまったが故の、敗北宣言。
その結果として生み出されたのが、私だったというわけだ。
自らの人格を、精神を、記憶を、全てを内側の奥深くに押し込んで、残った場所で作り上げた仮初の魂。
それが私。
彼女が作った“暁美ほむら”なのだ。
……彼女はもう、表舞台に出ることを拒んでいる。
出れば魂が傷ついてしまうから。どうあがいても、グシャグシャになった心を修繕しきれないから。
だからその役目を、この私に任せたのだろう。
自らはひっそりと、魂の底で息を潜め続けるために……。
『……それが、君の望んだ未来かい』
『え?』
だが、問わずにはいられなかった。
『私は空虚な人間だ』
全てを知った以上、彼女に言いたいことは山ほどある。
『私は魔法少女だが……しかし願いはなく、執着がなく、信念もない。精神がすりきれるまで戦い続けた暁美ほむら……君は、立派な人間だよ』
私は誤解していた。
彼女は決して、悪の魔法少女などではない。
『君はまどかを守るために魔法少女となり、何カ月も、何年もその戦いを繰り返している。何が起ころうとも、挫けそうになろうとも繰り返している。全ては、たった一人の少女の為にだ。すごいことだ』
ひたむき。一途。
なんと眩しく、熱い生き方なのだろう。
殺人鬼? ……とんだ勘違いだ。彼女は、自らの魂を賭け続け、ボロボロになりながらもここまで走り続けてきたというのに。
『……私に、そんなものはなかった』
対する私はなんだ。笑ってしまうほどに何も無い。
『私はいつだって、ただ漠然とした“格好良さ”だけを求めて生きてきた。……今にして思えば、それは君の願いだったのかもしれないがね』
君がやりきれない気持ちに俯くならば、私も同じように息をついて、目線を合わせよう。
『暁美ほむら、君が怨霊だというのなら、私は亡霊だよ。何もない、存在しているかどうかも怪しいただの亡霊だ』
伏し目がちな暁美ほむらの目が、私と交錯する。
彼女は何も語らず、ただ怪訝そうに、私を見つめていた。
『……なあ。君は怨霊だろう? ならばその恨みは、世に顕現して果たすべきだよ。このまま私の中に閉じこもっていて、いいはずがないだろう?』
彼女は深く息を吐いた。
『……どうしろっていうのよ。貴女もわかっているはずでしょ……? 私はあらゆる手を尽くしてきた。途方もない時間を費やして研究して、実践してきたのよ……それでも、無理なの』
焦げ付き、煤け、緩やかに崩壊し続ける部屋を見上げ、彼女は嘆くように声を震わせる。
『どれだけ挑んでも……必ずワルプルギスの夜はやってきて……私の望む未来は、消し飛ばされてしまうのよ』
絶望。失望。彼女にはもう、挑戦するという意識がこれっぽっちも残っていなかった。
それは自らの願いに対する最大の裏切りなのだろう。今、それをこうして口にすることさえも、億劫な様子だった。
『……君も同じことを言うのか? 暁美ほむら』
『え……?』
それでも。
だがね、暁美ほむら。それでもだ。
『魔法少女は、あらゆる条理を覆す存在だ』
君がそんな顔をしているのは、私は好きじゃないんだよ。
『君の望む未来は、必ずある』
『……だから、どうしろっていうのよ!』
そうして怒った顔の方が、ずっと私らしい。
『ふふん、わかってないなあ、暁美ほむら』
『何……』
ソファーから立ち上がり、見上げる彼女の前で両手を広げる。
『私の魔法はね、暁美ほむら……奇跡を起こすんだよ』
そして嘯くのだ。いつものように。
『私達が奇跡を起こさずして、誰が奇跡を起こすというんだい?』
『……!』
空想の部屋が焼け崩れ、消え去ってゆく。
どうやら、夢から覚める時間がやってきたようだ。
『貴女、何を……?』
けれど、ぼやけた夢の中で最後にみた“暁美ほむら”の瞳には、
どこか、再び希望を抱いたような小さな光が宿っていた。