「もしかして……暁美さん、昨日のことって……」
信じたくはないことだったのだが、きっと。
「……元の“暁美ほむら”が、私を侵し始めている。のだと思う」
「そんな」
「一昨日から、私の記憶は途切れ途切れでね。もちろん、自覚に無いだけで同じような兆候はあったのかもしれないけど……はっきりわかるのは一昨日の夕暮れ時からだった」
「……その時に杏子が」
おそらくそうなのだろう。当事者の私が最も事態を把握できていないのが、なんとも情けないことだが。
「そして昨日は放課後。魔女を探している時に記憶が切れてしまった」
「その後に、美樹さんの家に……」
「……待って、そんな。おかしいよ、時間がずれてきてるよ」
「!」
気付いたか。まぁ気付くよな。だからこそ私も焦っているのだ。
「うん。まどかは鋭いね」
「夕暮れ……放課後……そんな、まさか!」
「そうだ。……暁美ほむらが私を侵食するペースが、早くなっている」
床に置いた自分のソウルジェムを睨む。
半分黒く濁った私自身の魂が、今この時だけは、とても憎らしい。
「最初は断片的な記憶が呼び起こされるだけだった……しかし段々と夢はリアルになり……次は私自身を動かすまでになっている」
「じゃあ、今日のほむらは」
「もう時間がない。次に“暁美ほむら”が現れるのは、放課後を待たずしてになるだろう」
私は石の地面に膝を付き、正座した。
「そこで、皆にお願いがある」
言おうと思って開けた口。
そこから、言葉が出ない。
「……――」
私の意志が躊躇を見せたのだろう。
早速自我を乗っ取られたわけではない。他ならぬ私自身が躊躇ったのだ。情けないことに。
「……お願い?」
「何でも言って、私にできることがあるなら!」
……けど私は立ち止まってはいけない。
口に出さなくてはいけない。
さっきも自分で言っただろう。時間がないのだから。
今、すぐにでも告げなくてはならないのだ。
暁美ほむら。君が勿体ぶる時間はもう残されていないぞ。
「……私のソウルジェムを、砕いてほしい」
「!」
「な…っ…そんなことできない!」
「あるいは私自身でやってもいい。が……皆の手で砕いてもらった方がきっと安心できるだろう。私が完全に消え去ったことを……」
「ほむらちゃん!」
「実際、本当に時間がないんだ。もう一人の私ではない、“暁美ほむら”がこの脳を占領して悪事を働く前に、よろしく頼むよ」
私はさっと深く頭を下げた。まるで、あっさりと別れを告げるかのように。
でも嘘だ。
死にたくない。消えたくない。
みんなと別れたくなんてない。
それでも仲間を殺すくらいならば、魂を粉々に砕かれて死んだ方がずっとマシだ。
「何か方法があるはずでしょ!?」
「そ、そうだよ、もう一人のほむらちゃんだって、説得すれば……!」
「……」
「ねえ、マミさん!?」
「説得……」
必死な二人と違い、マミの方は渋く、悔しそうな表情を浮かべている。
「過去の私を説得できると思うかい、マミ」
「……」
苦虫を噛み締めて舌の両端で味わったような顔をして、マミは目を逸らした。
実際にもう一人の私を見た彼女には、現実的なものが見えているのだろう。
「……説得、できる自信……私にはないわ」
「そんな!」
「やってみなきゃ……!」
「失敗すれば、私達も殺されてしまうかもしれないのよ? 私は、皆を危険にさらすような賭けなんてできない……!」
ああ。
「……ふふ」
私は幸せ者だ。
「ありがとう、マミ」
みんな、私のために涙を流してくれているのだな。
彼女たちになら、私の魂を差し出しても怖くない。
私には友達がいる。それだけで、死の恐怖を振り切るには十分だ。
「……やめて、暁美さん、笑わないで……」
「ソウルジェムを受け取ってくれ」
「ぅう……ほむらちゃん」
「ありがとう、まどか……楽しかった」
本当は“もっと一緒に遊びたかった”と言いたいけれど。
きっとそれを口にしては、別れられないから。
「……」
さやかが私のソウルジェムを、静かに受け取った。
静かな彼女の表情には、マミよりも、まどかよりも涙で濡れていた。
「……さやかちゃん?」
「私が……」
「ありがとう」
決意を込めた綺麗な目だ。
涙が昼に近い太陽の光をうけ、綺麗に煌めいている。
「僕に止める権利なんて無いけれど、貴重な魔法少女を失ってしまうのは痛いなぁ」
「……黙って見てなさい、キュゥべえ」
「やれやれ。まぁ、他の魔法少女に牙を剥くのであれば、それもやむなしかな」
そう。この時ばかりは、感情を排さなければ。
でなければきっと、多くの人が深刻な火傷を負うだろう。
「介錯、よろしく頼むよ」
「……」
さやかは私のソウルジェムを、私よりも少し離れた場所に置き、ソウルジェムを挟んだ向こう側に立った。
「……ほむら」
「ん」
「……一度くらい、一緒に戦いたかった」
「……ふふ、だな」
そうだな。せっかくさやかが魔法少女になったのに、共闘せず終いか。
私はまだ、彼女の晴れ姿を一度も見ていない。
彼女は、一体どんな姿になったのだろう。
「お別れ、早すぎるよ……」
さやかが、幻想的な青い光に包まれる。
「……おお」
凛々しい立ち姿だった。
露出は高めだが、スタイルの良いさやかには似合う衣装だ。
「うぐっ……あうぅっ……!」
彼女が右手に握りしめるのは、サーベルだった。
悪を断ち切る裁きの象徴。
正しい自分を突き通すための力の道具。
さやかはその武器を手に、長く魔女たちと渡り合ってゆくのだろう。
「……サーベルか。いい武器だ。格好良いよ、さやか」
「ほむらぁ……!」
「そんなに泣いていては、サーベルが上手く当たらないぞ」
「ううっ……うん……!」
「ほら、よく狙って」
さやかがサーベルの柄を握りしめ、大きく真上に掲げた。
剣先は真下の私のソウルジェムへ狙いを定め、カタカタと小さく震え動いている。
さやかとマミならば、きっと上手くペアを組んでやっていけるはずだ。
ワルプルギスの夜は……わからないが、私がいなければ、きっと上手い具合に転がるだろう。
そう信じたい。そう、自分の意識を失う最期くらいは。
(……ふふ、“時よ動け、お前は美しいのだから”)
私がいなくとも、私が生きていたかった美しい世界を守る彼女たちがいる。
魂を差し出すには十分な素晴らしい未来が、私の脳裏には広がっていた。
私がいなければ、それだけで良い。それだけで救われる世界。
終わってみれば面白いジョークだった。
ドラムロール、そしてカーテン。
「ぁあぁああああああぁあッ!」
サーベルが振り下ろされる。
――硬質な音が鳴り響く。
――意識が深い闇の底に……。
――……沈まない。
「やめろぉおおおッ!」
「きゃっ……!?」
突如として現れた、赤い影。
サーベルが槍の一撃で弾かれる。
さやかの身体は勢いよく突き飛ばされ、屋上に転がった。
「やめろよ……やめてくれよ……!」
長い髪を垂れる杏子の小さな背が、顔を上げた私の目の前に、大きく広がっていた。