虚飾の魔法と嘘っぱちの奇跡   作:ジェームズ・リッチマン

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マルガレーテのために

 

「もしかして……暁美さん、昨日のことって……」

 

 信じたくはないことだったのだが、きっと。

 

「……元の“暁美ほむら”が、私を侵し始めている。のだと思う」

「そんな」

「一昨日から、私の記憶は途切れ途切れでね。もちろん、自覚に無いだけで同じような兆候はあったのかもしれないけど……はっきりわかるのは一昨日の夕暮れ時からだった」

「……その時に杏子が」

 

 おそらくそうなのだろう。当事者の私が最も事態を把握できていないのが、なんとも情けないことだが。

 

「そして昨日は放課後。魔女を探している時に記憶が切れてしまった」

「その後に、美樹さんの家に……」

「……待って、そんな。おかしいよ、時間がずれてきてるよ」

「!」

 

 気付いたか。まぁ気付くよな。だからこそ私も焦っているのだ。

 

「うん。まどかは鋭いね」

「夕暮れ……放課後……そんな、まさか!」

「そうだ。……暁美ほむらが私を侵食するペースが、早くなっている」

 

 床に置いた自分のソウルジェムを睨む。

 半分黒く濁った私自身の魂が、今この時だけは、とても憎らしい。

 

「最初は断片的な記憶が呼び起こされるだけだった……しかし段々と夢はリアルになり……次は私自身を動かすまでになっている」

「じゃあ、今日のほむらは」

「もう時間がない。次に“暁美ほむら”が現れるのは、放課後を待たずしてになるだろう」

 

 私は石の地面に膝を付き、正座した。

 

「そこで、皆にお願いがある」

 

 言おうと思って開けた口。

 そこから、言葉が出ない。

 

「……――」

 

 私の意志が躊躇を見せたのだろう。

 早速自我を乗っ取られたわけではない。他ならぬ私自身が躊躇ったのだ。情けないことに。

 

「……お願い?」

「何でも言って、私にできることがあるなら!」

 

 ……けど私は立ち止まってはいけない。

 口に出さなくてはいけない。

 さっきも自分で言っただろう。時間がないのだから。

 今、すぐにでも告げなくてはならないのだ。

 

 暁美ほむら。君が勿体ぶる時間はもう残されていないぞ。

 

「……私のソウルジェムを、砕いてほしい」

「!」

「な…っ…そんなことできない!」

「あるいは私自身でやってもいい。が……皆の手で砕いてもらった方がきっと安心できるだろう。私が完全に消え去ったことを……」

「ほむらちゃん!」

「実際、本当に時間がないんだ。もう一人の私ではない、“暁美ほむら”がこの脳を占領して悪事を働く前に、よろしく頼むよ」

 

 私はさっと深く頭を下げた。まるで、あっさりと別れを告げるかのように。

 

 でも嘘だ。

 死にたくない。消えたくない。

 みんなと別れたくなんてない。

 

 それでも仲間を殺すくらいならば、魂を粉々に砕かれて死んだ方がずっとマシだ。

 

「何か方法があるはずでしょ!?」

「そ、そうだよ、もう一人のほむらちゃんだって、説得すれば……!」

「……」

「ねえ、マミさん!?」

「説得……」

 

 必死な二人と違い、マミの方は渋く、悔しそうな表情を浮かべている。

 

「過去の私を説得できると思うかい、マミ」

「……」

 

 苦虫を噛み締めて舌の両端で味わったような顔をして、マミは目を逸らした。

 実際にもう一人の私を見た彼女には、現実的なものが見えているのだろう。

 

「……説得、できる自信……私にはないわ」

「そんな!」

「やってみなきゃ……!」

「失敗すれば、私達も殺されてしまうかもしれないのよ? 私は、皆を危険にさらすような賭けなんてできない……!」

 

 ああ。

 

「……ふふ」

 

 私は幸せ者だ。

 

「ありがとう、マミ」

 

 みんな、私のために涙を流してくれているのだな。

 彼女たちになら、私の魂を差し出しても怖くない。

 

 私には友達がいる。それだけで、死の恐怖を振り切るには十分だ。

 

「……やめて、暁美さん、笑わないで……」

「ソウルジェムを受け取ってくれ」

「ぅう……ほむらちゃん」

「ありがとう、まどか……楽しかった」

 

 本当は“もっと一緒に遊びたかった”と言いたいけれど。

 きっとそれを口にしては、別れられないから。

 

「……」

 

 さやかが私のソウルジェムを、静かに受け取った。

 静かな彼女の表情には、マミよりも、まどかよりも涙で濡れていた。

 

「……さやかちゃん?」

「私が……」

「ありがとう」

 

 決意を込めた綺麗な目だ。

 涙が昼に近い太陽の光をうけ、綺麗に煌めいている。

 

「僕に止める権利なんて無いけれど、貴重な魔法少女を失ってしまうのは痛いなぁ」

「……黙って見てなさい、キュゥべえ」

「やれやれ。まぁ、他の魔法少女に牙を剥くのであれば、それもやむなしかな」

 

 そう。この時ばかりは、感情を排さなければ。

 でなければきっと、多くの人が深刻な火傷を負うだろう。

 

「介錯、よろしく頼むよ」

「……」

 

 さやかは私のソウルジェムを、私よりも少し離れた場所に置き、ソウルジェムを挟んだ向こう側に立った。

 

「……ほむら」

「ん」

「……一度くらい、一緒に戦いたかった」

「……ふふ、だな」

 

 そうだな。せっかくさやかが魔法少女になったのに、共闘せず終いか。

 私はまだ、彼女の晴れ姿を一度も見ていない。

 彼女は、一体どんな姿になったのだろう。

 

「お別れ、早すぎるよ……」

 

 さやかが、幻想的な青い光に包まれる。

 

「……おお」

 

 凛々しい立ち姿だった。

 露出は高めだが、スタイルの良いさやかには似合う衣装だ。

 

「うぐっ……あうぅっ……!」

 

 彼女が右手に握りしめるのは、サーベルだった。

 悪を断ち切る裁きの象徴。

 正しい自分を突き通すための力の道具。

 さやかはその武器を手に、長く魔女たちと渡り合ってゆくのだろう。

 

「……サーベルか。いい武器だ。格好良いよ、さやか」

「ほむらぁ……!」

「そんなに泣いていては、サーベルが上手く当たらないぞ」

「ううっ……うん……!」

「ほら、よく狙って」

 

 さやかがサーベルの柄を握りしめ、大きく真上に掲げた。

 剣先は真下の私のソウルジェムへ狙いを定め、カタカタと小さく震え動いている。

 

 さやかとマミならば、きっと上手くペアを組んでやっていけるはずだ。

 ワルプルギスの夜は……わからないが、私がいなければ、きっと上手い具合に転がるだろう。

 そう信じたい。そう、自分の意識を失う最期くらいは。

 

(……ふふ、“時よ動け、お前は美しいのだから”)

 

 私がいなくとも、私が生きていたかった美しい世界を守る彼女たちがいる。

 魂を差し出すには十分な素晴らしい未来が、私の脳裏には広がっていた。

 

 私がいなければ、それだけで良い。それだけで救われる世界。

 終わってみれば面白いジョークだった。

 ドラムロール、そしてカーテン。

 

「ぁあぁああああああぁあッ!」

 

 サーベルが振り下ろされる。

 

 

 

 ――硬質な音が鳴り響く。

 

 

 ――意識が深い闇の底に……。

 

 

 

 ――……沈まない。

 

 

 

「やめろぉおおおッ!」

「きゃっ……!?」

 

 突如として現れた、赤い影。

 サーベルが槍の一撃で弾かれる。

 さやかの身体は勢いよく突き飛ばされ、屋上に転がった。

 

「やめろよ……やめてくれよ……!」

 

 長い髪を垂れる杏子の小さな背が、顔を上げた私の目の前に、大きく広がっていた。

 

 


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