虚飾の魔法と嘘っぱちの奇跡   作:ジェームズ・リッチマン

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ぐっすりとおやすみ

 

「……つぅ……」

 

 巴マミは植え込みの上で意識を戻した。

 ほむらに腹を蹴られ、その勢いのままマンションから落下したのである。

 

(止めようと思ったけど……やられちゃった)

 

 善戦はした。咄嗟の判断でリボンを生成したのは良い判断だっただろう。

 だが、ほむらはそれを読み切っていたのである。あるいは、マミが攻撃の際にあえて声を上げてしまったことが、失敗だったのかもしれないが。

 

(少しの間、足止めはできるかと思ったけど……さすが、暁美さん、なのかしら……)

 

 思い出されるのは、以前に闘った際の記憶だ。

 最初は廃屋での立会人ありの決闘で。その次は夜の公園での、錯乱した際の闘い。

 その時の記憶を思い起こしてみれば、ほむらは本気を出し切っていなかったのではないかと、マミには思えてならなかった。

 

(……お腹痛い……動けない)

 

 悔しい。悲しい。様々な感情が混濁している。

 鈍く響き続ける腹痛は、心にヒビが入ったかのようであった。

 

「……マミ、無事か?」

 

 そんな彼女の顔を、杏子が心配そうに覗き込む。

 

「……え? 佐倉さん? 逃げたんじゃ……」

「マンションの中でな……アタシよりもマミのが重傷だよ、起き上がれるか? 肩貸そうか?」

「うん……」

 

 ほむらが部屋に入る直前、杏子はさやかの部屋を脱していた。

 勿論、ベッドの下やクローゼットになど隠れてはいない。本当の危機的状況に陥れば、彼女はとことんまで逃げ、そして見事に隠れてみせるのである。

 

「……あいつは行ったみたいだな。くそ、マミにまで手を出すとは思わなかったぜ」

 

 既にほむらは屋根伝いに走り去り、姿が見えない。

 何故あのまま逃げていったのかは杏子にもわからないが、去りゆく後ろ姿は酷く焦燥にかられているように見えた。

 

「……ごめんな、マミ。アタシのせいで、こんな事に」

「あれは、暁美さんじゃないわ」

「え?」

「あれは、暁美さんなんかじゃない……」

 

 マミは腹部を押さえたまま、身体を起こした。

 表情は苦悶に歪んでいるが、杏子にはそれが何かを堪えているように見えてならなかった。

 

「……あれは、ほむらだよ」

「違うわ! 絶対に……!」

 

 さやかのマンションを訪れた暁美ほむら。

 確かにマミの言う通り、彼女の様子はおかしい。

 杏子も以前に一度出会ったから身をもって知っている。確かに、信じられるものではない。

 

「違うのかな……」

「ええ、違うわ」

「そうなのかな……」

「そうよ……だって、暁美さん、いつもの暁美さんじゃないもの。そうでしょ? 佐倉さん」

「! お前、泣いて……」

 

 マミは信じている。きっと、ほむらとは関わり深いのだろう。それは杏子にもわかった。

 それでも、彼女は葛藤と不安に、涙を流さずにはいられなかったのだ。

 

「暁美さん、人殺しなんてしないもの……魔法少女を殺したりなんて、絶対にしないもの……!」

「マミ……」

 

 どこか飄々としていて、気障で、面白い暁美ほむら。

 それが嘘だとか、偽りだとは思えない。半死の重症を負った今の杏子でさえ、それを信じていたかった。

 

 

 

 

 

「杏子ちゃん、どうしてるかな」

「うーん、ちゃんと部屋で大人しくしてればいいんだけどなあ……」

「でもマミさんがいれば安心だよね?」

「あはは、ちゃんと部屋に居ればなんだけどねー……」

 

 さやかとまどかが並んで歩いている。

 二人は上条を訪ねた後、共にさやかのマンションを目指している最中であった。

 

 

「! 前から何か、屋根の上に……!」

「えっ!? 魔女!? 使い魔!?」

 

 そんな二人の前に、屋根伝いに走る何者かが姿を現した。

 

「……!」

 

 ほむらである。

 彼女もまた道路に佇みこちらを見上げる二人を視界に収めたようだった。

 

「あ、なんだ、ほむらちゃんか……でも、どうしてあんな場所に……?」

「魔女退治はもう……ってオイ! ほむらどうしたの!? その腕、血が……」

 

 さやかは目敏く、ほむらの腕の傷を見破った。

 ほむら自身がボールペンで自傷したものである。

 

「……チッ」

 

 

 *tick*

 

 

 *tack*

 

 

「は……あれ?」

「消え、た……?」

 

 声はかけた。向こうも二人を認識していた。

 だというのに、彼女は一瞬のうちに姿を消し、いなくなってしまった。

 

 それに、去り際の、ほんの僅かな刹那に見せた穏やかでない表情。

 

「……私の家に急ごう」

「うん、なんだか……嫌な予感がする」

 

 それは、より長く接してきた二人だからこそ、強い違和感を覚えるものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……』

 

 気づけば、殺風景な白い自室にいた。

 私は、力ない姿勢でソファーに座っているようだった。

 

『また夢か』

 

 夢の世界とは、いつだって唐突なものだ。

 気がつけば眠りに落ち、いつが夢の始まりなのかは誰にもわからない。

 

 そんな夢を表すかのように、ほんの少しだけ、視界は寝起きのようにぼやけていた。

 

 はっきりしない世界。

 しかし、唯一はっきりと視認できるものがある。

 

 それは、私の姿だった。

 

『……』

 

 もう一人の私である。

 あるいは、私の深層心理の中に眠る、自問自答の相手のような私と呼ぶべきか。

 彼女もまた、この夢の世界で私の側にいた。

 

『……ふむ』

 

 そんな私は、みの虫のように毛布に包まれている。

 全身をぐるぐる巻きにした、なんとも温かいような、しかし動きづらそうな姿である。

 

 私だとわかったのも、ぐるぐる巻きにした所から長い黒髪は外に飛び出しているので、そこから推測したに過ぎない。

 癖のある私の髪は特徴的なのだ。

 

『それにしても結局、君は地べたで寝ているわけか』

 

 答えは返ってこない。

 夢の中の私はいつだってこうだ。愛想というものがない。

 

『まあ、布団もベッドもない部屋では仕方がないんだろうけどさ。寝辛くとも、ソファーの上にしておくべきじゃないかな』

 

 床というものは、冷たい。猫だってふわふわした布の上で眠る生き物だ。軟弱な人間ならば、さらに繊細な寝床を構築すべきだろう。

 一日の幸せは安眠にて終わり、そして始まる。何故温かい寝床を求めないのか。

 

『ふふっ、まあ、たまにロクに毛布も使わない私が言えた事ではないが……』

『……使ってるじゃない』

『え?』

 

 返事が返ってきた。

 

『毛布』

『……どういうことかな』

『毛布。私は、貴女は、使っているのよ……暁美ほむら』

 

 一体、どういう。

 

 私がそう訊ねる前に、夢の世界は急速に掠れていった。

 

 

 


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