向かう先は病院だ。
例の上条恭介を訪ねに行くつもりである。
さやかはきっと、まどかに打ち明けた後でキュゥべえと魔法少女の契約を結ぶのだろう。
そうすれば、願いによってたちまち上条の左手は完治するはずだ。
それを確認できるかもしれない、というのがひとつ。まぁそっちはどうでもいい。
もうひとつは……上条恭介という人間について、また直接会って話してみようと思ったのだ。
前回はさんざんに嫌われたけど、平時は違うのだという。さやか曰く、優しくて誰に対しても穏やかで、少し不思議なのだとか。惚気である。以前対面した時のイメージと全く違うのだが。
まぁ、ちょっとそれが信じられないなーっていう考えもあって、そんな彼を見に行こうというわけなのだ。
しっかり見定めさせてもらおうじゃないか。
さやかの願いの賜物を。
というわけで、がらららら。
「っ!」
「失礼します」
入室してみると、やはり同じベッドの上に恭介の姿があった。
顔の印象は以前と変わらない。陰鬱そうで、卑屈な少年だ。境遇を聞けば、仕方ないとは思うがね。
「君はこの前の……そういう挨拶は、開けてから言うなよ」
ふむ、どうやらまたいきなり間違えてしまったようだ。
出だしから彼の顰蹙を買ったのでは、会話にも差し支えてしまうか。
「……では、また」
もう一度がらららら。病室を出て、一旦戸を閉める。
そして閉めたばかりの扉をノックする。ちゃんと二回である。国によっては三回だったり一回だったりするらしいが。
「失礼します」
「……まあ、いいけどね……どうぞ」
よし、この作法は辛くも許してもらえたようだ。
お言葉に甘えて、中に入らせていただくとしよう。
窓が大きく、外の景色がよく見える。
本当に良い病室だとは思うが、ホテルではないんだからもうちょっと慎ましい間取りでも良かったのではないだろうかと、思わないでもない。
まあ、ここもいわゆる見滝原バブルの恩恵を受けたということだろう。
今でも人気のある土地らしいし、ゴーストタウンにならなかったので、結果的に開発は成功していたと言えるのだろうけど。
「……で。君はまた僕に何の用?」
前よりも受け答えがぶっきらぼうになっている気がしなくもない。
「なに、これからクラスメイトとして仲良くやっていくんだ。喧嘩別れは良くないだろう」
「誰のせいだと……というより、クラスメイトと君は言ったけどね。僕が復学するのはまだまだ先だよ」
窓の外を見やる虚ろな目。
「片腕は動かない……足はまだまだ……杖もつけなきゃ、外になんて出れない」
全てを諦めたような目をしている。
ともすれば、魔女の口づけを受けてもおかしくないほどの、大きな悲哀なのだろう。
話しているうちに、彼は口を閉ざしてしまった。
「なあ、上条」
「馴れ馴れしいな」
「名前呼びでないだけありがたく思って欲しいな」
「……なんだよ」
「君は、もしも願いがひとつだけ叶うとしたら、何を叶える?」
ベッドの端に腰かけながら聞くと、上条はちょっとだけ気持ちを揺すられたように目を瞬いた。
「……ふん、バカバカしいけど、決まってるさ……当然、」
「それは、君の魂を差し出すに足るものかい」
「……なんだって?」
「そのままの意味だよ」
手にした指輪を外し、上条恭介の眼前へ持っていく。
それはソウルジェム。私の魂であり、私の願いの結晶。
「何でも願い事がひとつだけ叶う……ただし、その代わりに一生、地獄のバケモノ共と戦い続けなくてはならない」
「馬鹿らしい」
「やっていく勇気は無いということかな」
「……」
リングの向こうの彼の目がこちらに向いた。
小さな挑発に乗せられたようだ。
「バケモノは強い……いつだってすぐそこにいる……そんな奴と、君は戦い続けられるかい」
奴らに容赦はない。
「終わることのない戦いに身を投じ、いつでも殺される危険を枕の脇に置けるかい」
指輪の空洞の向こうに見える恭介の片目は、冷めたような澄ましたものだったが、ふと細まり、口元に挑戦的な笑みを浮かべた。
「……決まってるじゃないか、戦うに決まってる」
「ほう」
自信満々といった表情だ。
「もっとたくさん弾きたい曲がある……聴かせたい人がいる。その人のためだけに、僕は自分の腕を治すことを選べるよ。それと引き換えに、すぐ死ぬことになったとしてもね」
そう言い切ると、彼は窓の外を見た。
「……バイオリンの弾けない僕は、僕じゃないから」
本心だろう。しかし、真正面から言うのは、少し恥ずかしかったのかもしれない。
「……そうか、それが君の願いか」
願いは願い。
夢は夢。
君の願いはかなわないだろう。
それを叶えるのは君じゃない。さやかだ。
「……さて、ならば私から言うことは何もない。お別れの前に、今日の暇潰しの為の道具を君にあげるよ」
「?」
ポケットからハートの四を取り出し、恭介のベッドの上に置く。
彼は“もう慣れっこだ”と、何も言わない。
「この前の無礼のお詫びだよ。はい、これ」
「!」
トランプを裏返すとともに、カードはCDウォークマンに変わった。
以前に彼が壊したものと同じタイプの機器である。
「こ、これは、一体どうやって?」
「Dr.ホームズのマジックショーは不定期だけど、放課後のショウロードでやっているよ」
「マジック……はは、すごい、こんな間近で見たのは初めてだ」
「また見たければ、ショウロードに足を運んでくれ」
私が軽くウインクしてみせると、恭介は照れたように頭を掻いた。
「なに、マジックがあるくらいだ。奇跡や魔法だって、この世界には存在するとも」
「……ふ、君は、変わっているね」
私というものにも慣れたのか、彼は薄く微笑んだ。
それは確かに、さやかが言うように優しい表情だった。
彼も少しは機嫌を直してくれたようだ。
これで仲直りは、できたかな。
「それじゃ、私はこの辺で失礼させてもらうよ」
「……わざわざありがとう。それと、この前は僕の方こそごめん」
「大丈夫、気にしてないから」
扉を開く。
これ以上いると、いつの間にか彼の腕が治ってしまうかもしれない。
そんな場面に居合わせたくはない。だから。
「ちちんぷいぷい」
最後にそれだけ言い残して、私は上条恭介の病室を後にした。
「……そっか。さやかちゃん、魔法少女になるんだね」
「うん」
ハンバーガーショップの奥まった席で、二人は大事な話を交わしていた。
さやかが魔法少女になるという決意。それを、親友であるまどかに伝えるために取った、静かなテーブルであった。
「さやかちゃん……大丈夫なの?」
「まだわかんない、けど決めたんだ」
決意は固い。それがわかるからこそ、止めようがない。
まどかにとっては、辛い決意だったのだろう。
「そーんな顔しないでって! 別にすぐ死ぬってわけじゃないんだから!」
「……でも、今さやかちゃん言ってたでしょ……ソウルジェムが真っ黒になると」
「うん、魔女になる」
「そんなのやだよ……!」
「だから、まだわかんないって」
今生の別れみたいな顔をする親友に、さやかは苦笑した。
しかし、あながち間違いというわけでもない。場合によっては早く死ぬこともある。それは、魔法少女の一つの真実に違いないのだ。
「……丁度、ほむらが来てからだよね。色々な事があったよ」
「うん……」
「世界には、まだまだ私達の知らないことが沢山あるんだって知ってさ……私ってバカだけどさ、この数日は私なりによく考えたよ」
窓際の席だった。ちょっと窓を見れば、階下の見滝原の景色が一望できる。
「世の中には不条理に死ぬ人がいる。それは、魔女とかと関わる前からなんとなく、頭ではわかっていたけど……そういうのは全部、遠い場所の出来事なんだって、他人事だった。でも私は目の前で見たし、当事者にもなりかけた」
地面に広がった血だまりと、その中心でこと切れた女性の姿が、今でも脳裏に浮かぶ。
それは想像するだけで、今でも身震いを止められないような、おぞましい記憶であった。
「怖いよね、魔女って。……ううん、魔女だけじゃない、世の中って本当に突然に、思いもよらない悲劇が起こるんだ」
かなり遠くには、大きな病院も見える。
もちろん目を細めたとしても、人の姿を見ることなどできないが、そこには大勢の人がいる。
「……短い命だとしても、私は魔法少女になりたい」
「……うん」
「あはは、だーから、そんな暗い顔しないでってば」
「さやかちゃん……私、私は怖いよ……」
「……ふふ、まどかはまどかだよ。それが普通なんじゃない? 私がちょっと、向こう見ずなだけでさ」
とはいえ、さやかも長く思い悩んだ末に出した結論だった。
向こう見ずとは言ったものの、自身の深い部分では、そうは思っていなかった。
「私だってそりゃあ、怖いよ……魔女を間近に見た時は竦んじゃって動けなかったし。殺されそうにも、なったしさ」
魔女見学も、魔女に操られていたと聞かされた時も。
どちらも恐ろしい思い出だ。
「でも私って、バカだからね。考えて頭の中でモヤモヤさせてるだけでも良いことなのに、つい手は出ちゃうんだよ」
「……私、臆病だよね。ずるいよね、さやかちゃんは覚悟を決めたのに……私」
「あはは、だから、そーいうんじゃないんだってば」
そう。決してまどかは悪くない。むしろ願い事に手を出す自分の方が、腰が軽いのだろう。
さやかとしては、そんな自分に勢いでまどかがついてこないかどうかの方が、気がかりであった。
「……じゃあ、さやかちゃん、契約するんだね」
「うん、今日にでもね」
「ま、魔女が現れた時でいいんじゃないかな……」
「……いいや、今日するよ。そういう覚悟だからさ」
いつ契約しても良い。少なくとも、そのくらいの覚悟で臨まなければならない。
自分の決断に言い訳を作らないことも、魔法少女には必要なことなのだと、さやかは思い始めていた。
「……さやかちゃん」
「ん?」
「……私なんかに話してくれて、ありがとう」
「……へっへー、当然でしょ! まどかは私の親友だもん」
「てぃひひ……」
まどかを軽く抱きしめて、頭やら背中を優しく叩く。
変わらない親友がそこにいてくれる。それだけで、さやかにとっては心が支えられるような気持ちだった。
「……さて! なんか考えてたら、またお腹すいてきた! バーガー買ってくる! まどかは?」
「わ、私はいいかな……お腹いっぱいだし」
「そか、じゃあ行ってくるねー」
「うん」