どうしよう。どう弁解しよう。
“あれは私じゃない”。それは事実だ。あれは暁美ほむらだけど、私ではない。
しかしあれは……確かに、私でもある。無関係だと突っぱねるのには、無理がある程度には。
私はあのとき、マミやまどかの前で取り乱してしまった。……今さら、何を取り繕っても遅いだろう。
……でも。
“実は私は記憶喪失なんだ。”
……それだけは、言いたくない。知られたくない。
それに、言ったとしてどうなるというのだ?
私はもう、暁美ほむらを取り戻したいわけじゃないのだ。できればもう、過去の暁美ほむらとは無縁でいたいほどに。
……何より、そんな私は、格好悪いから。
「おいおい。さっきからバーにボールくっつけたままじゃねーか。発射しろよ」
「……ああ、隊長か」
「はぁ? なに訳わかんないこと言ってんだよ」
不良少女が私の隣の椅子に座った。
私がゲームセンターへ来る目的は、もはや無くなった。
かつて好きだったであろうゲームを見つけようとする必要もないし、わざわざ記憶を取り戻すのは逆に、危険であるように思える。
仮に遊ぶとしても、昼間の健全な見滝原のゲームセンターだけで十分だろう。ここまでくる必要もない……。
……けど、彼女と会うのは悪くなかった。
「何かあったのかい?」
「ああ、まあね……誤解されてしまったというか、いや、事実ではあるんだけど……」
「ふーん」
彼女はどこかそっけない態度だけど、今も私の隣に腰掛けて話を聞いてくれている。
なんというか、見た目や言い方は結構サバサバしているんだけど、親身になってくれるのだ。
それはまるで、はぐれ者をまとめ上げる、レディースかなにかの隊長のように……。
「なあ隊長……」
「誰だよ。杏子だ、キョーコ」
そんな名前だったか。今さら知った。
ああ、そういえばお互いに名前を名乗らないまま、別れたのだっけか。
「杏子……」
「まあまあ。せっかく名乗ったんだ、あんたの名前も教えてよ」
「私は……」
暁美ほむら。
……私は、暁美ほむらなのか?
……違う。だから、言いたくない。
けど私には、この名前しかなかった。
「……暁美、ほむら」
「よろしくな、ほむら」
ポッキーを一本渡された。それを少々はしたないと思いつつ、口で受け取る。
「よろしく、杏子」
「おう」
近づいてみて気がついた。
杏子の口、キャベツ太郎くさいな。
「ふーん……まぁ、話が全体的に、端折られてていまいちよくわかんなかったけどさ。要するに、友達に今まで通り接してほしいってこと?」
「ああ……」
私は色々とぼかしつつも、杏子に悩みを打ち明けた。
不透明な部分も多くてもやもやするだろうに、それでも彼女は聞いてくれた。
「……そうか」
「どうすればいいと思う、君なら……」
私には友達と呼べる者が少ないから、相談できる相手もいない。
記憶の中にそんな経験も無いし……正直、今は……一番、参っている。
「……ん、んー……どうすりゃいいんだろうな……」
「その友達がね。持っている間は大切にしていたいもの、なんだよ……私にとってのね」
マミ、さやか、まどか、仁美。みんな大切な友達だ。
私は、今はちょっと色々とごちゃごちゃしてて、上手く言えないのだが。とにかく……みんなと嫌な関係になりたくはなかった。
「……人の心って、難しいからな。変に上辺だけ取り繕って解決しようとすると、余計にややこしくなるってのは、よくある事だ。隠し事したままってのは、本当……」
杏子は真剣に聞いてくれているし、真剣に答えてくれている。
でも、どうも彼女も自身の答えに納得できていない様子だ。
「だめだなぁ、私は……そういうのは苦手なんだよな、私も」
「そうか……いや、聞いてくれただけでも荷が降りた気持ちだよ。ありがとう、杏子」
「よせよ、なんもしてねーから」
褒められても苦い顔をしたままだ。
本当に、親身になって聞いてくれているのだろう。……良い子だな。
「……あー、さっきの話を聞いてて思ったことでもあるんだけどさ」
「え?」
「あんた、人と話す時にベール張りすぎてないか?」
「ベール?」
幕のようなもの、だよな。
遮蔽物と捉えるべきか。
「他人を寄せ付けないような心がどこかにあったり、自分で抱え込んでしまいがちだったりとかさ……口数少ない人ってのは、そういう癖みたいなもんがあるからね。無意識のうちに、鬱憤が溜まってくもんなんだよ」
「……ふむ」
「完璧主義者とか。綺麗に見せようとしすぎたり……虚飾っつーんだっけ。そういうのが癖になってる人はさ、いざ本音が漏れ出たり、自分の内側が見られた時になると、すっげえストレスになるんだよな」
……虚飾か。
本物の上に塗り重ねた、薄っぺらな虚飾。
確かに、ぴったりかもね。
「だからさ。カミサマに懺悔しろとまではいわないけどさ。もっとオープンに心の内を話せるようになれれば、気持ちだって楽になるだろうし……誤解自体されなくなるのかもしれないよ?」
「……難しい、な」
「まあね」
否定的な私の言葉に、杏子は頷いてくれた。
「心なんて、そう簡単に変われるわけもないしね。心の持ちようを変えるってのは、時間がかかるし……大変だよ、ホント」
……ああ、そうだな。
考え方を変える。感じ方を変える。それは難しいことだ。
そんな技術が人に備わっているのなら、私はこんなに苦労していない。
……今まで私が、大勢の人に振りまいてきた、無根拠な自信が……空っぽなものだった。
そんなこと。そんな、虚しくて、格好悪いこと。他人に、伝えられるはずがないじゃないか。
夢を見た。
マミと、魔法少女になったまどかと一緒に魔女と戦う夢だ。
青空の下で、共に手を取り合って魔女と戦う……そんな、都合のいい空虚な夢。
私は夢のせいか、おぼつかない足取りで戦っているが、二人は慣れた様子で、次々と魔女に攻撃を与えている。
それに対して私は、何もできない。
敵を前に怯え、もたつき、足を引っ張っているだけ……。
格好良く……そう、本当に格好良く、可愛く、美しく……理想的に戦う二人の後ろ姿を眺めながら、私は……。
「……はは」
目を覚ました。朝だった。
無力感ばかりの夢が消え、私の視界には白い天井が映っていた。
端的に言って、先程見たそれは悪夢に分類できるのだろう。
無様な姿だった。夢の中の私は、考えられないほどに臆病で、非力だった。
それなのに、夢から覚めると……言いようのない寂しさが、身体の内からこみ上げてきたのだ。
あの、どんどん先へと進み、遠ざかってゆく後ろ姿が、恋しくて。
……私は、二人と離れたくないのだ。たとえ、どんな形であったとしても。
まどかやマミは、魔法少女を殺したであろう私を軽蔑しているかもしれないが。
それでも、私は二人と離れたくないのだ。
みんな、私の友達だ。暁美ほむらではない、私の友達と。
さやか、まどか、マミ……。
……よし、決めた。
「無視しよう」
暁美ほむらは、無視だ。
私は私。私はオリジナルの“暁美ほむら”として生きれば良い。
ベールがなんだ。壁を作っているからどうした。薄っぺらな私には所詮、そのベールと壁くらいしか構成物らしきものが存在しないのだ。
いわば私の全てである。それを失って、どうしろというのだろう。
……私は、暁美ほむらなんて知らない。
だから、聞かれても何も答えない。
奴とは、そんなレベルで関わらないことに決めた。
たとえそれは、臭いものに歪な蓋をするだけの、杜撰な対処法なのだとしても。
「……学校に行こう」
冷蔵庫に入れた油の浮いたラーメンを啜り、私は家を出た。