穴の空いた記憶。
過ぎ去ってゆく空白の日々。
魔女の討伐は順調そのものだし、病後の経過も絶好調であるにも関わらず、どこか虚しい気分は変わらない。
それは、私の記憶が一向に戻る気配がないためなのだろう。
とはいえ、取り付く島がなければお手上げだ。
記憶の大樹を揺らす枝には、指一本も引っかかっていないというのが現状なのだろう。
であれば、靄のかかった頭で考えるだけ無駄というものだ。
虚しい気持ちを抱えたままとはいえ、魔法少女らしく過ごす他にやることもない。
今日もまた、グリーフシードが落ちれば良いのだが。
「ふむ」
休日の昼下がり。いつものように街へと繰り出す。
ソウルジェムの反応を頼りに魔女を探してはいるのだが、病院近辺ではすっかり見かけなくなってしまった。
魔女の下僕、使い魔の反応すら感じられないのだから、魔法少女にとっては不毛の大地と呼んで差し支えないだろう。
……うん、魔女狩りがストイックすぎたかな。
これから魔女を探すためには、ちょっと遠くまで足を運ばなくてはならないかもしれない……。
正直、億劫だ。
とはいえ、私に残された道しるべといえば、魔女退治しかない。
暁美ほむらは何体もの魔女を倒していたのだ。
記憶を辿るなら、多少面倒でもそれしかあるまい……。
「ようこそ! ピエロのパリーの手品ショーだよ~!」
諦め気味に町を散策していた私だったのだが、ふと遠くの方で、大道芸をやっている様子が目についた。
不気味な模様な格好は魔女の結界でうんざりするほど見ていたのだが、どうしてか、私の目線はそちらに向いたまま離れない。
「……」
ミニチュアのように小さいが、カラフルなテント。
張り巡らされたいかにもといった風の万国旗。
大道芸人の小さな舞台の前で、ついに私は立ち止まった。
……なんだろうか、この雰囲気は。
思わず、私は額を抑えてしまった。
痛みがあるとか、そういった感覚ではない。けれど何か、奥底の方で、何らかの靄が浮かび上がってきたのである。
これは……私の記憶に関係しているのだろうか?
ピエロ……サーカス……手品……。
「……もしかすると、私に関係あるのかもしれない」
魔女を探して狩るつもりだったが、思いがけず予定が変わった。
この引っ掛かりが私の記憶を呼び覚ますのであれば、試してみない手は無いだろう。
それが仮に、道化だったとしてもだ。
「なにあれ、かっこいー」
「へ~……」
私のもとに、人が集まっている。
ここは先程見たピエロと同じ、大道芸を行うためのフリースペースだ。
隣では人気のない可哀想な語り弾きの青年がいて、そのまた隣には例のピエロがいる。
しかし何事かと立ち止まっている客はほとんどが私の前にいる状況だ。
私の若さや魔法少女の格好が人々の興味を誘っているのだろう。
悪いとは思うが、まぁ、見てくれも一つの武器なのだ。同業者よ、許してくれたまえ。
「ふむ」
視界でいえば小規模な満員御礼だ。
私の前には既に、路上ではこれが限界の程度だろう、と言える人だかりが形成されていた。
彼らの興味を引いているのは、私自身だ。
小高い台の上に立ち、魔法少女として姿をそのままに晒した私である。
そして、頭の上には紫のシルクハット。これを見れば、どのような催しを行うかは誰の目にも明らかだろう。
「……それでは、始めさせていただきます」
税抜き1280円。紫のシルクハットを取る。
観客たちはようやくかと言わんばかりに、疎らな拍手を送ってくれた。
その声援はビギナーズラックとして、あるいは門出の祝として、ありがたく受け取っておくとしよう。
「短い間ですがお楽しみください。どうぞ、よろしく……」
手品師の口上なんてものはわからないから、ただ深々とお辞儀する。
私の仕草のそれっぽさに乗せられてか、老若男女の観客から再び疎らな拍手が上がった。
*tick*
さあ、ショーの始まりだ。
*tack*
「はい」
ひとまずお集まりいただけたお礼も兼ねて、まずはシルクハットから満開の花束を出現させる。
観客たちは目を剥き、一様に驚いてみせた。
「……見えた?」
「……う~ん」
見えたらそれはすごい人だ。
「種も仕掛けもこざいません」
私は嘯き、シルクハットを宙へと放り投げる。
*tick*
停止時間の中で仕込む手品は万能だ。
*tack*
シルクハットからは花束だけが消え、そのかわり、中には棒状の影が現れる。
私はその両方を手に取り、大げさな動きで観客に見せた。
紫のシルクハット。紫のステッキ。
私の魔法少女としての姿も相まって、それは完成された一つのマジシャンのようでもあった。
「奇術といえば、ハットにステッキですね?」
紫のステッキで、台の下のアスファルトを突く。
*tick*
そこには丁度、亀裂があった。
*tack*
その亀裂を分け入るように、アスファルトから可憐な花が咲く。
「おっと、根を張るといけない」
私は花にハットを被せた。
*tick*
花は消える。
*tack*
「にゃあ」
そのかわり、ハットを取り上げると、中から小さな黒猫が現れた。
今やすっかり懐いた、私の相棒である。
「よしよし……」
「なぁん」
ふむ、観客が静かだな?
もう少し派手なマジックの方が良いだろうか。
ハットを被り、ステッキを空に放り上げる。
かなり高めに投げたので、ステッキを正確に視認できる人は少ないだろう。
*tick*
そこがミソだ。
曖昧な状態から変化したものに、人はとても弱い。
*tack*
「……あっ?」
ステッキが落下する。目の良い人はもう気づいただろう。
私はそれを、二つともキャッチする。
「はい、ステッキが二本になってしまいました」
紫と白のステッキ。
色合いは私の魔法少女のコスチュームに合わせたものだ。
とはいえ、ステッキは二本も必要な小道具ではない。
「君に、はい、白い方をプレゼントだ」
「わぁ!ステッキ! やったー!」
「あ、ありがとうございます」
最前列に居た子供にプレゼントしてあげた。こういうサービスも、マジシャンには必要なことだろう。
子供はステッキを興味津々にいじっているが、本当に種も仕掛けもないのであしからず。
これは突如思い付きで開いたマジックショーなので、大した小道具は用意できなかった。
けれど、短いショーだけど、多少は観客にスリルを提供したいところである。
せっかくの機会だ。中学生のゲリラ奇術とは思えないくらいの迫力をみせてやろう。
*tick*
ラストの大手品。やってることは同じだけど。
*tack*
「種も仕掛けもない、ただのナイフです」
何もない空間から取り出したのは、どこにでもある果物ナイフだ。
観客からは、期待にも似た緊張が伝わってくる。
刃物を使ったマジック。それだけで気持ちが昂るのも無理はない。
子供が扱うには過ぎたもの。れっきとした危険物なのだから。
「それでは皆様、御静観ありがとうございました」
私はそんなナイフを、強く回転させながら、真上に投げた。
危険な行為に観客がどよめき、悲鳴にも似た声が上がる。
とはいえ、これが私の最後の演目だ。
せいぜい、楽しんでくれたまえよ。
*tick*
私は群衆から抜け出し、大通りから脱出した。
*tack*
既に魔法少女としての姿も解除している。
今頃、マジックショーを見ていた人たちの見上げた空からは、色とりどりの花弁が降り注いで大熱狂している所であろう。
その上私の姿は消えているのだから、イリュージョンとしても申し分ないはずである。
観客の様子を間近で見れないのは残念だけど、催しが成功に終わったのは疑うべくもない。
「……んーしかし……記憶の方は、ピンとも引っ掛からないな……」
だが、肝心の記憶の方は微妙な所であった。
魔法少女のコスチュームから、記憶喪失になる前の私はマジシャンになりたかったのでは、と考え、ショーを敢行してみたのだが……。
さすがに、マジシャンをやるためだけに魔法少女になるほど酔狂ではなかったか。
「時間を止め、空間を操る盾……うーん……」
魔法少女とは希望を振り撒く存在である。
そして、ひとつの願いを叶えるかわりに、死ぬまで魔女と戦い続ける運命を背負った存在だ。
当然、願い事もそれなりに重大であるはずなのだが……。
「私は何を願い、この力を手に入れたのだろう」
家族は近くにいない。
友人はわからない。
過去の私と、今の私を繋ぐものが、何も無い。
魔法少女は、ひとつの願いのために戦い続けなくてはならないのだ。
ならば私の願いは? 希望は? 一体何だったのだろうか。
全てを忘れてしまった私は一体何のために、何を依り代に戦い続けなくてはならないのだろう。
「…暁美ほむら。妙なことに願いを使ったんじゃあるまいな」
自分のこととはいえ、そうであったら失望ものだ。
だがそのように疑ってみせても、欠けた記憶は答えを教えてはくれなかった。
入学の日が近い。
机の上に新たなグリーフシードが三つ並んだ時、私はカレンダーの来る日が明日に迫ることに気が付いた。
見滝原中学に転入する、暁美ほむらの晴れ舞台である。
入院患者と魔女狩りの二重生活からおさらばできる祝うべき日だが、今までの生活も大して嫌いというほどのものではなかった。
ただ魔女を狩るだけの生活といえばお終いだが、私の唯一の楽しみが魔女狩りだったからだ。
暁美ほむらという根暗眼鏡が何を願って華やかな魔法少女になったのか。それは今でもさっぱりわからない。
だが今の私は、見滝原に住む人々の命を守るために魔女を倒している。
見滝原の人に対する思い入れなんて造花の根っこほどもないが、人を守る正義のヒーローになりきれる。
それはそれで、自分の使命ができたかのようで、とてもやりがいのある時間だった。
……それに、たまに思い出したように開くマジックショーも、なかなか悪くないものだしね。