虚飾の魔法と嘘っぱちの奇跡   作:ジェームズ・リッチマン

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空虚な私の世界

「……体が重い」

 

 鉛のような身体をベッドから引き剥がし、虫のように這い出る。

 周りを見回したところ、どうやらここは病院の個室のようである。

 

 私は、入院していたらしい。

 理由は定かでないが、今現在の劣悪な体調を思えば、それも納得のいくことだった。

 

 それにしても……。

 

「……なんて酷い視界だ、クソッ」

 

 はっきりと目が覚めたというのにも関わらず、視力が悪すぎる。

 まるで世界全てがぼやけているかのようだ。

 このままでは魔女と戦って殺される前に、やってくる車にさえ気付かず事故死してしまいかねない。

 

 これも入院の影響だろうか?

 早急に回復しなければ……。

 

「治るよな……?」

 

 指輪を楕円形のソウルジェム形態に戻し、鏡の前に立つ。

 鏡に映る黒髪であろう女は、未だにぼやけていた。

 

「治療、できてくれよ」

 

 魔力を込めて、視力を強化。

 魔法少女の技としてはポピュラーであろう、傷を癒やす回復魔法の応用だ。

 

 幸い、仄かな紫光が収まると、私の視界は非常にクリアなものへと変わっていた。

 治療成功である。

 

 しかし……。

 

「……これが私か」

 

 ぼさぼさの長い黒髪。

 癖となっているのか、顔に染み付いている陰鬱な表情。

 

 鮮明さの蘇った鏡には、名も知らぬ……どこか情けない顔つきの、陰気な私がいた。

 

 後ろで結ばれた二つのおさげが根暗な雰囲気を纏っていたので、思わず反射的にそれを解く。

 強い癖は取れなかったものの、そこそこ見栄えの良い黒髪のロングにはなってくれた。

 うむ。髪型は、こちらの方がきっと、格好良いはずだ。

 

 ……しかし。

 

「……誰だ、私は」

 

 怪訝そうな表情を浮かべるこの女は一体、誰なのだろうか。

 自分の顔ではある。だが、呼び名はわからない。

 

 ……名前を知りたい。

 

 私は入り口の戸を開き、扉の脇に掲げられた名札を見た。

 

「……暁美(あけみ)ほむら、か」

 

 暁美ほむら。

 顔の印象に反して、暖色系の雰囲気を感じる、どこか強そうな名前だ。

 

 ……暁美ほむら。

 私は、今までどう育ったのだろう。

 

 ……思い出せない。

 

 私は……。

 

「…私は、魔法少女だ」

 

 私は魔法が使える。今も治療は成功したし、それは間違いないだろう。

 

 魔女はいくつも倒してきた……はずだ。

 記憶はないが、薄っすらとそのような……いざ魔女と直面しても、焦ることなくやり合うだけの自信はある。

 

 それに、おそらく、かなり長い間戦ってきた、ような……。

 

 ……だが、肝心の詳細はどうしても、思い出せない。

 

「チッ、魔女との戦いで記憶がトんだのか……?」

 

 戦闘中に油断でもしたのだろうか。

 頭を打ったのか、重傷を負って入院……といったところが自然だが、それも定かではない。

 

 ……ここに立っていても仕方ない。自分の病室に戻ろう。

 

 

 

「……記憶喪失」

 

 壁には丸のつけられたカレンダーがある。

 テーブルには知らない学校の入学案内。

 

 それらを照らし合わせてみると、どうやら私は近々、見滝原中学とやらに転入する予定らしい。

 学年は中学二年。年齢は、十四歳だ。

 

 通い慣れた学校ではないらしいので、助かった。タイミングは奇跡的と言っても良いだろう。

 これなら記憶喪失であっても、以前の私を気にせずに振る舞うことができるから。

 

 ひとまず、転入に際して心配はいらないか。

 

「……アパートの案内……家族の予定……ふうん、私はこの歳で一人暮らしか」

 

 そしてどうも、親はこの街にいないらしい。

 二人とも遠くの地で、私の治療費のためにがんばってくれているようだ。

 

 まあ、私が両親を覚えていない以上、正直なところ居ても困るだけなのでありがたい。

 それに門限などがなければ、時間を気にせずに魔女を狩れる。

 

 状況に不明瞭な部分は多いものの、魔法少女としては悪くない環境だ。

 

「……そうだ。魔法少女の力を確認しなくては」

 

 ふと思いつき、私はソウルジェムの力を解放した。

 

 魔法少女への変身。

 身体が紫の光に包まれ、真の力がみなぎってくる。

 

「そう、この感覚だ」

 

 光が収束すると、私はどこか馴染みのある姿へと変化していた。

 

 左手には銀色の小盾。

 感覚として理解できる。これが私の、魔法少女としての最大の武器なのだ。

 

「止める」

 

 

 *tick*

 

 

 私の盾は、私以外の全ての時間を止められる。

 窓際を見やれば、そこで揺れていたカーテンは完全に動きを停止していた。

 この世界で動けるのは、私と私に触れていたものだけ。

 

 

 *tack*

 

 

 そして能力を解除すれば元通り。

 カーテンは元通り揺れ、穏やかな風は病室の篭った空気を換気する。

 

 この時間停止能力を駆使することで、私は何体もの魔女を葬り続けてきた……はずだ。

 

「……そして」

 

 フルーツの盛り合わせの隣に置かれた果物ナイフを手に取る。

 それを盾に近づけ、収納する。

 

 私の盾は、シャッターのように開くことができ、そこに物を保管することが可能だ。

 内容量に際限は無い。いや、あるのかもしれないが、普通に使う限りにおいては、気にするレベルではないのだろう。

 

 時を止めて、無限の武器で戦う。それがこの盾の力だ。

 

 そして左手が盾ならば、右手は刃物だろうか。

 ナイフ、剣……なんでもいい。きっとどれでも扱える。

 

「……なるほど、思い出してきたぞ。私というものを」

 

 魔法少女になる際の願い事すら忘れてしまったが、まぁそれはいい。

 どうせ後から思い出すだろう。

 

 それより、私の記憶に微かに残るのは、無数の魔女との戦いだ。

 

 私はかつて、数え切れないほどの魔女と戦い続けてきた。

 ならば、記憶を失った今であろうと、私は戦おうじゃないか。

 

 私の願いは、きっとそこに関わっているかもしれないから。

 

「とにかく、グリーフシードを集めなくてはならないな。私の体は、どうにも燃費が悪そうだし」

 

 魔力を回復するためには、魔女が落とすグリーフシードが必要になる。

 そして私の時間停止の魔法は、長時間使っていると魔力がゴリゴリ減ってしまう。

 上手くやりくりして、グリーフシードの貯蓄を作りたいところだ。

 

 しかも、盾の中身は先程収納した果物ナイフを除けば空っぽだった。

 どうも直近の魔女との戦いで、中の全てを使い尽くしてしまったらしい。

 故に、新たな武器が必要だ。

 

 ……やることは多い。

 

 目標ができた以上、大人しく入院し続けている暇はないな。

 

 早速、動くとしよう。

 

 

 

 それから数日が経過した。

 

 魔法少女としての活動は順調そのものである。

 病院においても、病後の経過が著しく順調であることを除けば、訝しまれている様子もない。

 

 そんな私は今、魔女の結界で飛び回っていた。

 

「ふっ」

 

 結界特有の目に悪い景色の中で、私は下から浮かび上がり続ける巨大風船を足場に、下へ下へと降りてゆく。

 

『PuuUuuUU……』

 

 地面に待ち構えているのは……魔女。

 奴を仮に、風船の魔女とでも名付けようか。

 

 魔女は捻れたバルーンアートの体から、無尽蔵に風船を吐き出している。

 風船には大きな目玉があり、上空の私に狙いをつけては、軌道修正しながら迫ってくる。

 無尽蔵にやってくる風船の浮力に押し負けてしまえば、空の奈落へと消えてしまうだろう。

 空を見上げれば、マーブル模様のどす黒い空が渦巻いている。あの果てに運ばれた時、一体どのような死に方をするのだか……想像するだけでも恐ろしいものだ。

 

 相も変わらず、魔女の結界は悪趣味な世界観である。

 

 が……。

 

「風船自体は、私も好きだよ」

『PuUU?』

 

 

 *tick*

 

 

 時間を止めて、一気に風船の群衆をすり抜け、地面に舞い降りる。

 そして盾の中からいくつかの武器を取り出し、一本一本投げ放ってゆく。

 

 

 *tack*

 

 

「ついつい割りたくなるからね」

『……!?』

 

 時間停止を解除すると、四方八方に配置されていたナイフが一斉に魔女へと襲いかかった。

 

『PuUUu……uuuUu……』

 

 風船と刃物だ。結果は言うまでも無いだろう。

 残念ながら、この魔女は私との相性が最悪だったのだ。

 

『Uu……』

「悪いね」

 

 無数の刺し傷に原型を保つことを諦めた魔女が、グリーフシードとなってアスファルトに落ちる。

 

 魔女が消滅すれば、そいつが構築していた結界も解除される。

 辺りは何事もなかったかのように、閑静な住宅街へと戻っていた。

 

「よし、グリーフシードのストックが増えた。これで余裕も出てきたかな」

 

 連戦連勝だ。

 魔女を探し、会えば勝つ。

 

 時を止め刃物を放つ戦法は下準備が面倒だけど、負ける気はしない。

 どうやら私は、随分と強い魔法少女らしい。

 

「……しかし、そんな私の記憶すら奪うような魔女も、この辺りにはいるかもしれない……油断はできないな」

 

 私はグリーフシードを蹴り上げて掴み取り、その場を立ち去った。

 

 

 

「にゃあ」

「ん?」

 

 街路樹の陰から仔猫が顔を出した。

 黒い毛並みの、小さな猫である。

 この程度の体格だとまだ親が必要であろうに、はぐれたのだろうか。

 

「可愛いな……よしよし」

「なんなん」

 

 喉を撫でてやると、子猫は目を細めて喜んだ。

 エサをやらずに人に懐く野良猫とは珍しい。

 

「……そうだ、ようし猫ちゃん、私の右手を見ててね」

「なん?」

 

 

 *tick*

 

 

 せっかくだ。たっぷり遊んであげるとしよう。

 

 

 *tack*

 

 

「な~ん!」

「ほぅら、ねこじゃらしー」

「なんなんな~ん!」

 

 時間を止めて、路肩のねこじゃらしを拝借した。

 突然の遊び道具の出現に、子猫もご機嫌のようだ。

 

 遊びたい盛りの子猫は懸命に草を追いかけ回し、息を荒くして転がり跳ねる。

 

「あー、猫可愛いなぁ……」

 

 誰かが私を羨んでいる。

 

 路面をトラックが通り過ぎる。

 

 ……ふむ、そうだ。

 せっかくだし、この子猫は私が飼うことにしよう。

 

「君も、一人じゃ寂しいだろう?」

「なーん」

 

 よし、それじゃあ決まりだな。

 

「これからよろしくね」

「なん」

 

 うむ、素直でよろしい。

 

 

 

 小猫が病院の中庭の片隅で暮らし始めても、私の生活サイクルにはさほど大きな変化はなかった。

 

 病室を抜け出し、いつものように魔女を狩る。

 見知らぬ街を探るように歩く。

 そうしているうちに、また一日は終わるのだ。

 

 ベッドに入り、薄暗い白の天井を見上げても、何の想像も掻き立ててはくれない。

 それはまるで、空虚でまっさらな私のよう。

 

「魔法少女、暁美ほむら……」

 

 未だ、私の頭の中には靄がかかっている。

 楽観的に記憶が戻るだろうと踏んでいたのに、思い出せない事は多い。

 

「……唯一覚えている魔法少女関連の記憶まで、曖昧だしな」

 

 机の上に並べたグリーフシードを見やる。

 グリーフシードはソウルジェムの穢れを吸い取ってくれる、魔法少女にとっての必須アイテムだ。

 しかしグリーフシードの穢れを放置していると、孵化し……再び魔女が現れてしまう。

 

 机の上にあるグリーフシードはそのうち二個がかなり黒ずんで、使用できない状態にあった。

 

「どうやって処理するんだっけ……グリーフシード……」

 

 曖昧な記憶を探るのは、闇夜の大海に漕ぎ出す行為にも等しい。

 億劫な意識に呑まれた私は、比較的速やかに目を閉じたのだった。

 

 

 

 

 

 


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