ナルト達が第一班に配属されてから、二日後。
火の国、木の葉の火影室では、写輪眼の副作用から回復したカカシが波の国から帰還し、ヒルゼンに任務の報告書を提出していた。
「以上が今回の任務の報告となります」
「うむ、ご苦労じゃったなカカシ……」
「すみません、無理にでもナルトを連れ戻すべきかと考えたのですが、水の国との関係に亀裂を走らせる可能性を考え……」
「カカシよ、己を責めるでない。お主の判断は正しかった。実は数時間前に水の国から親書が届いたのじゃ」
「どのような内容でしょうか?」
「木の葉と同盟を結びたいとな。その証として、今回、木の葉で行われる中忍試験にも参加すると確約された」
「霧が木の葉と同盟を!?」
「うむ……カカシよ。此度の中忍試験荒れるやも知れんな……」
「はい……」
封印の書の事件の時、ヒルゼンは自らが動けばナルトの立場をさらに悪化させる危険性を考慮して、水晶を使って観察していながらも行動に移さなかった。
結果は、ナルトの里を抜けである。
そのことを知った時は本当に後悔した。
何故動かなかったのかと……
だが、今はナルトのこと以上に木の葉は問題の山積みであったため、思考を切り替えなければ……と、覚悟を決めた。
一方、水の国では……
「水影の姉ちゃん! もっと凄い任務がやりたいってばよ!」
と、ナルトが五代目水影・照美メイに駄々っ子しているところであった。
霧隠れ第一班は、この二日間。
いくつかのDランク任務をこなしていたのだが、下忍になったばかりとはいえ、ナルトもハクも長十郎も新人としては優秀過ぎたため、簡単な任務に退屈を感じていたのだ。
しかし、下忍に与えられる任務はランクの低いものとルールで決められている。
「ナルトくん、キミはこの間下忍になったばかりです。簡単な任務なのは仕方ありません」
丁寧な口調でナルトを諭そうとするメイ。
しかし、悩みの種は一つではなかった。
「メイ、ナルトの言うとおりだ! この霧隠れの鬼人と恐れられたオレが、芋掘りに、子供の世話に……やってられるか!!」
ナルト以上に駄々をこねる再不斬に、メイはさらに頭を痛めた。
続けてナルトが、
「お願い、水影の姉ちゃん! 水の国最強で、一番美人な水影の姉ちゃん〜、もっとマシな任務頂戴!」
「一番美人!?……いいでしょう。ではナルトくん達、第一班にはCランク任務、ある方の護衛を頼みます」
ついに、第一班の言い分にメイの方が折れた。
それに対し、ナルトと再不斬は喜びの声を上げ、
「やったああ! 護衛? 誰々? もしかしてお姫様とか?」
「ふん、ちょっとは歯応えのある任務何だろうな?」
ハク、長十郎は申し訳なさそうな顔で、
「ナルトくん、再不斬さんも。五代目様に失礼ですよ」
「あわわわわ、すみません水影様!」
Cランク任務に色めきたつ第一班。
盛り上がってるあたり、内心ハクと長十郎も喜んでいるのであろう。
メイはそんなナルト達に苦笑しながら、ある映画のチケットを手渡した。
第一班初の重要任務の始まりである。
嵐舞う荒野。
数多の武者達が傷つき、得物に刺され、骸と化した廃墟。
「オレ達は……どこにもたどり着けない」
「無理だったんだ……こんな旅は……」
「ここまでだ……もう、諦めよう」
無数に転がる仲間の亡骸。
希望のなくした瞳にそれを映し、諦めの言葉を口にする三人。
ナルトはその光景をただ茫然と見ていることしかできなかった。
手を伸ばせない自分が歯痒かった。
誰かいないのか!
そう拳を強く握った時……
「道はあります」
誰もが諦めた戦場において、迷いなく立ち上がる者がいた。
激戦の中、その身を血で汚しながらも、なお美しさを感じさせる翠色の装束を身に纏った女性。
風雲姫が立ち上がり、剣を掴む。
「信じるのです。必ず探し出せると」
絶望の渦中にありながら、それでもなおその瞳には希望の光が宿っていた。
だが、そんな風雲姫とは裏腹に、先ほど諦めの言葉を口にした家来の一人が、
「しかし……姫」
倒れ伏したままの姿で、力なく言った。
吐き捨てるように、もう終わりだと。
しかし、風雲姫は言葉を投げ続ける。
「諦めないで!」
その姿に三人の家来が首を動かす。
それと同時だった。
突如、突風が発生し、風雲姫達に襲いかかったのは……
轟々とした嵐の中、勝ち誇った声が降り注ぐ。
「はははは、風雲姫よ! 貴様らにはこの先へ行くことなどできぬのだ!」
大振りな杖を手に、崖の上から声を発していた人物の名は魔王。
幾度となく風雲姫一行の旅路を妨害してきた諸悪の根源。
その魔王が下卑た笑みを浮かべ、風雲姫を見下し、見下ろしていた。
プライドが許さなかったのだろう。
先ほどまで地に伏し、動けなかったはずの家来達が己の気力を振り絞り、立ち上がった。
「魔王!」
「まさか、この嵐も貴様が!」
その問いに返事はなかった。
答えの代わりに、魔王が杖を振るう。
すると……
残骸と化し、骸と化していたはずの鎧武者達が武器を手に取り、
「…………」
風雲姫に襲いかかった。
それを見たナルトは思わず叫ぶ。
「危ない! 風雲姫!」
風雲姫は自身を斬り裂こうとする鎧武者の斬撃を、紙一重で躱し、
「ハッ!」
気合い一閃。
剣から放たれた衝撃波が、鎧武者を吹き飛ばした。
だが、息をつく暇はない。
鎧武者はその一体だけではなく、何十体と現れていたのだ。
「諦めるがいい! 観念するがいい、風雲姫!」
絶望を撒き散らす魔王。
しかし、風雲姫はその魔王に剣尖を突きつけ、真っ向から言い放った。
「私は諦めない! この命ある限り、その全てを力に変え、必ず道を切り開いてみせる!!」
次の瞬間。
風雲姫の身体から特殊なチャクラが溢れ出す。
七色の光が煌めき、輝きを放っていた。
「姫!」
「七色のチャクラが燃えている」
「行こう! オレ達もチャクラを燃やすんだ!」
風雲姫の元に部下達が駆け寄る。
それを見た魔王は薄笑いを浮かべ、
「笑止!!」
杖から生み出されるは暗黒の波動、風雲姫を倒すためだけに出現する黒き奔流。
魔王のどす黒いチャクラが竜巻となり、風雲姫に襲いかかった。
黒い旋風。
その全てを飲み込まんとする黒い竜巻を――風雲姫達は正面から迎え撃った。
七色のチャクラを込めて。
「ハァアアアア!!」
黒の衝撃波は七色の防壁によって阻まれ、次第にその威力をなくし、霧散していく。
風雲姫は力の限りを振り絞り、魔王の一撃に耐えてみせた。
そして、今度は反撃といわんばかりに七色のチャクラを刃に纏わせ、
「ば、バカな……」
虹の光が一筋の閃光を放ち、魔王を討つ!
「くっ……ぬ、ぬおおおおお!」
魔王は放たれた光の矢をまともに受け、空の彼方へと消し飛んでいった……
雲は晴れ、嵐は去り、空に大きな虹がかかった――
「く〜っっやったああ! いいぞ風雲姫! よくやった! やっぱ正義は勝つんだよ」
「こらァ! そんなところで何やってんだ!」
突然怒鳴られたナルトは……
あわわわわと慌てふためき、思わず張りついていた“映画館”の天井から落ちてしまった。
少し涙目になりながら、頭を押さえて、
「イテテテテ…なんだよ、急に!」
「なんだよじゃねえよ! 忍びこんでタダ見しようとは不貞小僧だ!」
ナルトを怒鳴りつけて来たのは映画館の支配人だった。
周りの客もざわざわと騒ぎ始める。
そこで、同じように天井に張りついていたハクと長十郎が降りて来て、
「待って下さい」
ナルトの無実を代弁をする。
「チケットならあります」
「ん? これは水影様の印!? そうか、霧の忍者か……だが、静かに見てくれないと他の人に迷惑かかるだろうが!」
支配人のもっともな言い分に、ナルトはバツの悪そうな顔で、
「ご、ごめんってばよ……」
一騒動を起こしつつ、ナルト達は逃げるように映画館をあとにした。
映画を見終わった後。
ナルト達は映画館の裏にある一角の空き地に座り込み、待ち合わせの約束をしている再不斬が来るのを、今か今かと待ちわびていた。
「……再不斬先生、遅いですね」
そう呟いたのは長十郎だった。
「確かに……あの後、僕たちだけにチケットを渡して、五代目様に任務について詳しく尋ねると言っていましたが……」
同じく暇を持て余していたハクが返事をする。
そして、
「はあー、よかったなあー、さっきの映画。どこかにいねーかなぁ、風雲姫みたいなお姫様。あんなお姫様のために戦えるなら忍者も本望だよな〜」
ナルトは映画を見終わってから、ずっと空を見上げ、感動に浸り続けていた。
そんなナルトに、少し微笑みを浮かべながらハクが近づいてきて、
「ふふ、ナルトくん。さすがにそれは難しいのではないでしょうか?」
「わかってるってばよ、ハク。でも憧れるじゃん、ああいうの……」
映画の中だけの話。
風雲姫だって、現実の世界には存在しない。
いくらナルトでも、それぐらいの事はわかっていた。
わかっていた……んだけど、男ならやっぱり憧れる訳で……
すると、ナルトの言葉に釣られた長十郎が一つ頷き、
「ですが、ナルトさんの言うことも少しわかります。男なら姫のために戦いたいものです!」
「お! さすが長十郎。やっぱ憧れるよなぁ」
などなどと。
そんな歓談をしている時だった。
丁度壁の向こうから、時代劇よろしく、ぱからぱからと馬の足音が聞こえてきたのは。
その蹄鉄の音にナルト、ハク、長十郎の三人が少し警戒しながら身構える。
何故こんな町中で、馬の足音が聞こえてくるのか? と考えていたら……
突如。
思いも寄らぬ方向から人影が入り込んだ。
壁の向こうから飛び越えてきた人物――白馬に乗った風雲姫の姿が三人の瞳に映り……
信じられない光景に、思わず目を見張るナルト達。
「ふ、風雲姫!?」
我を忘れ、その姿に見惚れてしまった。
だが、次の瞬間、その顔は忍のものとなる。
なぜなら……
「追え! 絶対に逃がすな!」
壁を乗り越えてきた人物が一人ではなかったからだ。
風雲姫のあとを追いかけるかのように、これまた映画と同じく黒い馬に乗った鎧武者達がぞくぞくと現れる。
事態の把握はできないが、取り敢えず風雲姫を助けなければと、満場一致で首を縦に振り、速やかに行動を開始する第一班であった。
白馬に乗り、町の中を疾走する風雲姫。
だが、数の有利をいかした鎧武者達がついにその身を捕らえようと挟み撃ちに成功し、投網を投げた。
しかし……
「させません!」
投げられた縄はハクの千本に断ち切られ、細切れになる。
自由を得た風雲姫はさらに逃亡を続けた。
「足を止めるな、裏口に回り込め!」
鎧武者のリーダーと思われる男が指示を出す。
それを聞いたハクが何人かの鎧武者を拘束しつつ、
「ナルトくん、長十郎さん、ここは僕が押さえます。二人は姫様を」
「わかったってばよ!」
「わかりました!」
ナルトと長十郎の二人はその場にハクを残し、風雲姫が駆け抜けた方向へと援護に向かった。
屋根の上を跳ねるように駆け、階段を下り、少し拓けた場所に出る。
そこで固まっていたのは、またもや大量の鎧武者に捕まりかけている風雲姫であった。
状況をすぐに理解した長十郎が逸早く動き、風雲姫と鎧武者達の間に刀を投げ、さながら姫を守る近衛のように降り立つ。
それを見た風雲姫は馬の手綱を引き、方向転換する。
またもや人気の少ない方角へと馬を走り始めた。
それを確認した長十郎が、いつになく気合いの入った声で、
「ナルトさん、ここは僕が死守します!」
ナルトはそれに頷き、
「わかったてばよ!」
一人で風雲姫の後を追うのであった。
逃走劇の後。
川辺で休息を取り、白馬に水を飲ませる風雲姫の後ろ姿を、ナルトはすぐに見つけることができた。
むしろ困ったのはその後だ。
だって、映画の登場人物が目の前にいるのだ。
何て声をかけるべきか……
取り敢えず握手して欲しい!
それから、それから……と一分近く妄想に浸ってから、ようやく最初のセリフを決めた。
ナルトはそっと手を差し出し、
「お怪我はありませんか? 姫」
頑張ってかっこつけてみた。
が、やっぱり性分に合わず、ナルトはいつも通り人懐っこい笑みを浮かべて、
「……なんちゃってな! 姉ちゃん、本物の風雲姫だよな? オレさ、オレさ、姉ちゃんの映画見てたらすっげぇー感動したってばよ! 『諦めないで!』って、涙が止まらなかったってばよ!」
と、手まで使いながら自身の感動を伝える。
だが風雲姫はそんなナルトを無視して、
「…………」
無視して……白馬に跨り、
「…………」
完膚なきまで無視して、無表情のまま馬に跨り、一言もくれず、一目の視線も合わせず……手綱を引き、走り去って行った。
「あれ? 」
聞こえなかったのか?
いやそんな訳がない……目の前にいたのだ、気づかない訳がない。
つまり、わざと無視された訳で……
ナルトはへこんだ。
酷い……酷過ぎるってばよ!
だが、しかし、この程度で諦めるナルトではなかった。
少し遠ざかった風雲姫の姿を確認し、僅かに闘争心を燃やしながら、チャクラを練る。
足にチャクラを巡らせ、加速し、ナルトは瞬く間もなく疾走する白馬に追いついた。
が、そんなナルトに風雲姫は目もくれず、馬に鞭を打ち、スピードを上げようとする。
これ以上引き離されるのはゴメンだ。
だからナルトは今もなお走り続けている馬の後方に身を寄せ、空いたスペースに飛び乗ってやった。
見事、馬の背中に着地を成功させる。
そこで初めて風雲姫はナルトの方を振り返り、驚きの顔を見せた。
が、すぐにその顔は無表情に戻り、また前方へと向き直る。
だけど、そんな事はお構いなく。
ナルトは一方的に話を切り出した。
「姉ちゃんの映画見てたらさ、オレもやる気が出てきたんだ! 絶対に四代目火影を越える忍になるって! ああ、四代目火影ってのはオレが今まで見てきた忍者の中で一番凄い忍で……」
と、後ろから声をかけるナルト。
だが、風雲姫が耳を傾けることはなく、ただただ風を切るように街道を疾走し続けた。
しかしその速度は、町中を駆け抜けるには少しばかり速かった。
いや、速過ぎた。
馬が駆け抜けるごとに、物は破壊され、人々から悲鳴の声が上がり、町にはどんどん被害が拡大していく。
さらに、そのスピードは緩まるどころか、加速し始め……
ナルトはなんとか風雲姫の腰にしがみつき、
「姉ちゃん、ちょっとスピード出し過ぎじゃねーか、これ」
このままでは事故を起こしてしまう。
と、ナルトが言おうとした時、物陰から子ども達が飛び出てきて……
「危ねえっ!」
「くっ!」
ギリギリのところで手綱を引き、馬を止める。
だが、急ブレーキの反動により、乗馬していたナルトと風雲姫の体は勢いよく宙に投げ出されてしまった。
このままではマズイ。
咄嗟の判断でナルトは風雲姫を庇いつつ、地面に転がる形で受け身を取った。
「あ、危なかったってばよ……」
風雲姫の無事を確認した後、続けて周囲に目を配る。
怪我人は出ていない。
どうやら寸前のところで衝突事故は免れたようだ。
最初、事態を把握していなかった子ども達はきょとんとした顔をしていたが、次第にその目に風雲姫に止まり……
「あっ、 風雲姫だ!」
「すっげえー、本物だ!」
「風雲姫だ! 風雲姫だ!」
わらわらと集まり出す。
そんな子ども達に、風雲姫は素っ気ない態度を隠そうともせず、
「私は風雲姫なんかじゃないわ」
と応えるも、子ども達は先ほどのナルトと同じく、お構いなしに用紙とペンを取り出し、
「知ってるよ。 女優の富士風雪絵でしょ、私ファンなの!」
「サインちょうだい!」
「サイン、サイン!」
「僕も〜」
ん? サイン?
そうか、その手があったか!
「オレも、オレもサインくれってばよ!」
だが、風雲姫がペンを取ることはなく、冷たい口調に、少しばかり怒気を混ぜ、
「私はサインなんかしないの!」
語尾を僅かに強めて、そう言った。
ここにきて、ようやくヤバイ空気を感じたナルトだったが、子ども達が人気女優を前に止まる訳もなく、
「え〜、ちょうだいよ〜」
「女優なんだからサインぐらいしてよ!」
子どもにとっては何気ない一言だったはずだ。
けれど、風雲姫はもはや怒りを隠そうとせず……
「いい加減にして!!」
怒鳴り声が響き渡った。
わいわいしていた場が一気に静まり返る。
笑顔は消え、中には涙をこらえる子どもすらいた。
「私のサインなんか貰ったってどうしようってのよ! どうせ片隅に置き忘れて埃でも被ってるのが関の山でしょ! 何の役にも立たない、下らない物じゃない! バカみたい……」
もう、サインをねだる子どもはいなかった。
子ども達を押し退け、その場を去る風雲姫。
それを見ていた町の大人達は、
「嫌ね〜、気取っちゃって」
「何か幻滅……」
「ちょっと売れてるからって天狗になってんじゃないの?」
と不満をもらしていた……
その頃、ハクと長十郎は再不斬と合流し、映画館のスタジオまで来ていた。
先ほど、風雲姫を追いかけていた鎧武者達も一緒に……
その理由は……
再不斬が今回の任務について説明を始める。
「今回の任務は風雲姫を演じる映画女優、富士風雪絵の護衛だ」
再不斬の説明に、助監督を名乗る男が補足を加えた。
「今度の風雲姫は初の海外ロケなんスよ。でも、肝心の富士風雪絵があの調子でね〜」
富士風雪絵。
それが映画、風雲姫シリーズの主役であり、女優である彼女の名前であった。
続けて、その風雲姫シリーズの総括であり、映画監督でもあるマキノが感心した声音で、
「それにしてもさすが霧の忍者だ。ボディーガード兼スタントマンとして雇っていたうちの手練れ共を、ああも簡単にやっつけちまうとはな……」
「すみません。早とちりをしてしまい……」
ハクは褒められているのか、怒られているのかわからず、苦笑しながら謝った。
つまるところ先ほどの鎧武者達は、仕事の途中で逃げ出した風雲姫あらため、富士風雪絵を追いかけていた、善良なスタッフ達だったのだ。
町中であんな格好した連中を見かけても、悪者にしか見えないのだが……
と――
話題を変えようと、ハクはスタジオ内を見回し、ある写真を見つける。
「これ、凄い絶壁ですね……」
そこに映っていたのは、一面の氷の世界だった。
見たこともない大きさの氷壁。
しかも、その氷壁は一つだけではなく、六柱も存在していた。
氷に縁のあるハクから見ても、幻想的な風景であった。
「今度の完結編はそこで撮影するんスよ」
「なるほど。凄い映画になりそうですね」
「ここにいる、マネージャーの三太夫さんのオススメでね」
助監督に三太夫と呼ばれたマネージャーがこちらに頭を下げる。
老眼鏡をかけた優しそうな人であった。
「それは雪の国にある虹の氷壁と言って、春には七色に輝くのです」
「それは是非見てみたいですね……」
三太夫の説明に興味を示すハク。
そこに長十郎も別のスタッフに質問を重ねて、
「あ、あの。こんな凄い映画の女優役に抜擢されているのに、雪絵さんはどうして逃げたんでしょうか?」
「さあ? 雪絵ちゃんはやる気とか、あんまりない子だからね……」
長十郎の質問に首を傾げるスタッフ達。
すると、会話に耳を傾けていたマキノが厳かな声音で口を開いた。
「だが、仕事をすっぽかすような女じゃなかった。私生活がどうだろうが知ったこっちゃない。カメラを向けた時に最高の演技が出来りゃ文句はねえ! あいつは生まれついての女優だ」
マキノの重い言葉に、場が静まる。
その言葉に付け足すようにスタッフの一人がぼそりと呟いた。
「……そういや、雪の国に行くと言ってからですよね? 雪絵が逃げ回るようになったのは……」
雪絵の仕事に対する姿勢には難色を示すスタッフ達。
だが、監督の言う通り、女優としての才能は誰もが認めている事実であった。
さらには、今は逃げ回ってばかりいるが、それも雪の国に行く話が出てからのことらしく。
スタッフ達もどうしてか疑問に思っているのであった。
様々な思惑が犇めく中。
霧隠れ第一班、初の長期任務はこうして始まったのだ。