終わりの果てに   作:雑草みたいな何か

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1 緩降

 次に目を覚ましたのは目覚まし時計よりも少し早く、だった。こいつが鳴り始める前にアラームを解除して、カーテンを開ける。まっすぐに手を伸ばす太陽が海をキラキラと輝かし、窓を開ければ涼しい風が部屋の中を爽やかに駆け抜けた。美しい光景を前に、昨晩までの恐怖心はすっかり払拭されたようだ。

手早く朝食を済ませ、ネームプレートを首から下げる。そして白衣を纏うと、ドアノブを握りしめ、外へと繰り出した。

 いつも通りの街並みに、いつも通りの人混みに賑やかさ。そんな普通に、何故だか心底ホッとする。大通りを歩きながら診療を開始する。探しているのはもちろん怪我人だけではない。だが、どういうことか。あのおかしな記者が見つからないだけではなく、いつもはたくさんいるはずの怪我人が一人として見つからない。そのままあっという間に半日が過ぎる。

 

正午を回った頃合い。

 私は島の病院の一室に居た。記者を探して街を練り歩いている途中、不意に傷口が痛みだしたのが原因で。

 

「それで?貴方はどうしてそんな大層な怪我を負っているワケ?」

 

 今は知り合いの医者である彼女、斎藤 日奈子(さいとう ひなこ)名医に治療という名の尋問を受けているところだ。茶色のショートヘアを整えながら、鋭い目付きで尋ねてくる。私がうんざりとした態度を見せると、白衣を揺らしながら私の目の前へ歩を進める。彼女の手の内にキラリと光る物が目について、慌てて斎藤に制止を掛ける。

 

「何度も言っているが大したことではない。」

「こんな傷をみて大したことないって言われても説得力ないわよ!」

 

そういうとバン!とベッド、さらに言えば私の頭のよこの、を叩き私のことを睨みつけてきた。

 

「はぁ、それよりも治療を早く終わらせてくれないか?私にはまだ午後の巡回が控えてあるんだ。」

「貴方が、何があったのかハッキリ答えてくれたらね。」

「分からず屋だな君は。」

「どっちがよ!」

 

ため息をこぼす私の態度が気に入らないのか、斎藤はより声を荒げて今にも掴みかかって来そうだ。しかし、今この事を伝える訳にはいかない。もしあの化け物の標的が、あれのことを伝えることで変わってしまうのなら、それを危惧すべきであるからだ。二度目かになるが、私は決して正義感が強い方ではない。しかし、友人に化け物を押し付けられる程、性根が腐っているつもりもないのだ。

 

「…最近なんだか、怪我人が多いわよね?」

 

彼女の叫びを前に黙りこんだ私に斎藤は静かに声を掛ける。私は黙って目で先を促す。

 

「その怪我人達と、あなたのそれ。何か関係があるの?」

 

彼女の探りを入れるような目に、しばし目を伏せて考え込む。斎藤は心理学を専攻していたとも聞いた覚えがある。下手に何かを話せばそれだけで悟られてしまうだろう。暫く瞑目して口を開く。

 

「君は、その答えを聞いてどうするんだ?」

「…もしこれが悪質な事件だとすれば警察に伝えるつもりよ。」

「では君は私がそうしないと思うのか?」

 

 その言葉でようやく斎藤は声を詰まらせた。こちらの表情を読みに目を光らせているが、当然一切の動揺は見せない。彼女は白衣のポケットに手を突っ込んで何か考える素振りを見せた。ようやくこの無益な口論も終わりらしい。

 

「分かった、そういうのならこれ以上追及しないわ。」

 

そういってさっきまでメスを握っていた手を出してひらひらとしてみせる。それにホッとしていると斎藤はクスリと笑った。

 

「メスくらいで怯えすぎよ?私だって医者なのだから、突き刺して裂いたりなんてしないわ。」

「君は突き刺すまでなら平気な顔でするだろうに。」

 

苦い顔でそういうと一層おもしろそうに斎藤も笑う。本当、どうすればこうも性格が悪くなるのか。

 そのあと、すぐに斎藤は傷の治療を終わらせた。性格の悪さと反比例するように、彼女の腕前は確かなものだった。ようやくベッドから解放され白衣を纏った私に、彼女は再び声を掛ける。

 

「あまり、おかしなことに首を突っ込まないようにしなさいよ?」

「どうした?君らしくもなく人の心配か?」

「…ええ。今この島で、おかしなことが起こっているみたいだから。」

 

いつになくしおらしい彼女の声に、思わず黙りこんでしまった。緑色の怪物の姿が脳裏に浮かび、それを吹き飛ばすように鼻で笑って斎藤に背を向ける。

 

「それでは、明日には世界が滅亡するかもしれんな。」

「貴方は人を何だと思っているの!?」

 

彼女の叫び声を背中に受けながら、半ば逃げるように病院から街に戻った。

 

 昼からの巡回でも、あの記者を見つけることは出来なかった。そして、怪物に襲われたであろう怪我人も。もしかしたら記者は既に死んでいて、あの怪物は俺を狙っているから他の人を襲っていないのかもしれない。そんな考えが頭に過り、背筋が寒くなっては振り払う。そんなことを繰り返し、夕暮れ。一人の男が声を掛けてきた。

 

「ねぇアンタ。この島の巡回医なんだって?少し、聞きたいことがあるんだけど、良いかなぁ。」

 

その男は今時珍しいシャーロックハットにコート。パッと見で分かるような、見事な探偵だった。見た目は若く、まだ20代のようにも見える。それでいてその目は鋭くこちらを射抜いていて、全てを見透かされている気分になる。その相手の異様さに視線を鋭くし、警戒する。男はそれに気が付いたようで、帽子を手にとってこちらへ微笑み掛けてきた。

 

「そう警戒しないで、僕はただのしがない探偵だよ。訳あって名前は明かせないないけどね。」

「そんな探偵が、しがないただの巡回医に何のようだ?」

「ウーン、どうしても言葉が刺々しいねぇ。」

 

こちらの反応が気になるようで探偵は少し考えたが、まあいいか、と呟くと帽子をかぶり直して話を続けた。

 

「巡回医かどうかは関係なくね?君に(・・)、聞きたいことがあったんだ。」

「私に?一体何を…」

「緑色の怪物。昨日君が襲われていたアレについてだよ。」

 

一瞬頭が真っ白になった。

どういうことだ?こいつはあの化け物について知っている?いや、なぜあの化け物を追っているのか?

色んな考えが頭に浮かんでは水泡のように弾けて消えていく。

 

「混乱しているねぇ。でも落ち着いてよ。話、出来ないからさ?」

「っ!先に、聞かせろ。どうしてお前は、私があの化け物に襲われていたことを知っている?」

 

探偵の言葉に少しだけ落ち着きを取り戻し、尋ねる。それを探偵はどこか試すような目で見て、それからゆっくりと口を開く。

 

「見ていたから、かな。」

 

見ていた?つまり昨晩私が襲われていたとき、あの場に居たということ。襲われていた私を見て、あえて傍観していた?

探偵の言葉の意味を理解し始め、色んな感情が腹の底から沸き上がろうとした時、タイミングを合わせるように言葉を繋ぐ。

 

「僕だって助けたいとは思ったのだけど、相手はおかしな怪物だ。僕みたいなただの人間じゃあ、巻き込まれて死ぬのが目に見えていたよ。それにね?」

「…それに?」

「僕はその時、幽霊を追っていたんだよ。だから、助けになんて入れなかった。」

「幽霊?何を馬鹿な…。」

「緑色の怪物の噂は、詳しく聞いてみれば少女の亡霊とセットでよく話されているんだ。」

 

否定の言葉を人差し指を立てて遮ってきた探偵は、私をまっすぐ見てくる。その泥のように濁りきった目に、思わず口をつぐむ。

 

「僕が君から聞きたいのは、噂を流している人間のこと。そして換わりに教えるのは幽霊を見る方法だよ。この話を受けるんなら、こちらの情報を先に渡そう。」

「その、情報交換は…、私に何の、意義がある?」

 

言葉に詰まりながらもどうにか言葉にする。それに嘲笑のような笑みを向けて探偵は答えた。

 

「幽霊があの怪物を操っているとすれば?」

「なるほど…。その話、聞こうか。」

「そうこなくっちゃねぇ。じゃあまずこちらから。」

 

笑顔を咲かせて探偵は1枚の紙を渡してくる。そこには歪な五芒星とその中に目が描いてあった。

 

「これは?何かの呪いか?」

「ご名答。どちらかと言えばお守りににているのだけど、それはまあプレゼントだよ。家にでも置いておけば怪物が入ってこれなくなるからね。」

「貰えるのなら、もらっておこう。それで、幽霊を見る方法とは何だ?」

 

探偵の悠長な態度に苛立ちを覚えまくし立てる。対する探偵はカラカラと笑って、手でおかしな形を作る。

 

「これはヴールの印といって、見えないものを見えるようにする呪文だよ。試してみるといいよ。きっと驚くからね。」

「ヴール…?」

 

言われるがままに手を同じようにしてみる。すると体中に悪寒が走り、地面に緑色の粘液が見てとれた。それも道路の上一面に。

 

「な、なんだ…!これは一体っ!?」

「怪物の通った跡だよ。君を散々探し回っていたようだ。」

 

探偵は驚き慌てている俺など知らないとでも言いたげに、適当にあしらって話を続ける。

 

「今度は君の番だ。君はあの怪物の話を一体誰から聞いたのかな?」

「っ、記者だ。オカルトについて調べていると、そう言っていた。」

「オカルトに、記者か…。」

 

空を見上げながら目を細め、何か思い付いたとばかりに目を見開くと、私の方へ向き直って最初のような不敵な笑みを浮かべる。

 

「誰のことか分かったよ。協力ありがとう。」

 

それだけ言うと路地裏の方へ向かってすぐに歩き出す。立ち去ろうとしていることにようやく気が付き、慌てて引き留める。

 

「なっ、待て!どうしてお前があの記者を、いや。この事件を追っているんだ!?」

 

化け物の姿も目の当たりにしながらどうして首を突っ込むのか、と。そんな私の質問にきょとんとした顔で振り返る。そして当然の事のようにこう答えた。

 

「だって僕、探偵だからね?」

 

そういってまた路地裏に入って行きながら、思い付いたように声をあげる。

 

「そうそう、次にあの怪物が君を襲うのは夜の10時だ。その時に幽霊も出てくるから、君が幽霊を追うのなら、また会うかもね?」

 

私がそれに言葉を返す間もなく、探偵は路地裏の闇に溶けていった。

それと同時くらいに日も落ち、辺りが一気に暗くなる。情報の整理も追い付かないが、一度家に戻ろう。

 

 家に着くとまずはヴールの印の手の形を紙に書き記した。そしてそれを探偵から貰った紙とともにテーブルに置いておく。忘れない為と、書き残しておいた方が良いかもしれないと、そんな予感がしたからだ。その作業を終えると、コーヒーを淹れソファーに腰を下ろす。そして探偵との話を思い返す。

 探偵が言うにはこの紙があれば怪物は近寄ってこれないらしい。そして今書き記したヴールの印で幽霊を見ることが出来る。さらに幽霊が怪物を遣わせていることを臭わせる発言もしていた。つまり、22時になれば幽霊に会うことが出来るぞ、と伝えたかったのだろう。

 少し考え、身支度を始める。幽霊に会いに行くことに決めたのだ。お守りがいつまで保つのかも分からないし、幽霊の方をどうにかしなければ状況は変わらないと思ったからだ。実際どうすれば良いのかも分からないが、あの探偵も幽霊を追っていたのだから、人の身でもどうにかなるのだろう。

 

身支度を整え、20時を回った頃合いに、ヴールの印が効果を無くした。どうやら、一定時間で切れる類いのものらしい。

 

そして時計は21時を回る。

 

21時30分。

 

私はソファーから立ち上がる。

とてつもなく恐ろしい。また、あの怪物に追われるのだと思うと足がすくみそうになる。だけど、ここで逃げたところで良い結果になるとは到底思えない。

私は意を決して、再び夜の街に繰り出した。 




連続で投稿になります。
読んでくださっている方に感謝を。

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