一夏に気を失わされた千秋は、自分が何処にいるのか分からないまま目を覚ました。
「目が開いたという事は、まだ生きてるのね、私は……」
起き上がろうとして身体が動かない事に気付き、漸く自分が拘束されている事に気が付く。
「誰がこんなことを……」
「目が覚めましたか、母様」
「誰よ……」
逆光で相手の姿を確認出来なかった千秋だったが、声で何となく相手が誰なのかは想像がついた。ましてや自分の事を「母」と呼ぶ女など、この世に二人しかおらず、一人は自分の存在すら知らないのだから、必然的に残る一人が目の前の女だという事になる。
「貴女……Mね。こんなところで何をしているのかしら?」
「私は亡国機業を抜け出し、千冬姉様を手に掛けようと忍び込んだIS学園で捕まり、束様と一夏兄様によってマインドコントロールを解かれ、こうして生活しているのです」
「そう……解かれちゃったのね」
千秋は少し残念そうな、それでいて何処か安心したような表情で呟いた。
「おーおー! 漸く目が覚めたんだね、この雌は」
「束様! 私たちの母様ですよ! そんな言い方は無いんじゃないですか!?」
「だって、束さんには動く肉塊にしか見えないからね~。まだ認識出来るレベルまで束さんの深層心理に入り込んでないからしょうがないじゃないか~」
「貴女があの篠ノ之束なのね……一夏がまだ小さかった時にちょっとだけ見た事があったけど」
「そうだっけ? まぁ別にいいや。お前がまだ生きていられるのはいっくんのお陰だからな」
「一夏の? 私は一夏に殺してもらいたかったんだけど、仕方ないわね……」
そう言って自分の舌を噛み切ろうとした千秋だったが、何故か顎に力が入らない事に驚きの表情を浮かべる。普通に話す事は出来るのに、何故顎に力が入らないのか分からなかったのだ。
「お前には束さん特製の筋弛緩剤を投与してるから、舌を噛み切ろうとしても無駄だからな」
「筋弛緩剤って、命の危険は無いんですか?」
「束さん特製だって言ったよ、マーちゃん。いっくんに頼まれてなければ殺してたかもだけど、いっくんに頼まれたなら話は別。どれだけ殺したいと思っても殺す事は無いよ」
「何故、一夏は私を生かそうとしてるのかしら? 私がしてきた事を考えれば、例えここで生かしたとしても国際裁判で死刑になるでしょう。それだったら一思いに殺してくれた方がありがたいんだけど」
「いっくんが何を考えてお前を殺すなって言ってるのか、束さんにも分からないけど、いっくんがその程度の事を考えてないとでも思ってるのか? 長年いっくんの事を盗撮してたお前が、いっくんの事を何も分かってないなんて、やっぱり殺したいよね」
「束様っ!」
「分かってるって。いっくんは自分は兎も角、ちーちゃんやマーちゃんからお前を奪おうだなんて思って無いんじゃないのかな? ちーちゃんはお前の事なんて知らないだろうけど」
「今更母親だなんて言ったところで、必要性を感じないんじゃないかしらね? 一夏という立派な保護者がいるわけだし、私なんて必要ないでしょ」
自虐風に応える千秋に、マドカが平手打ちをする。まさかマドカに叩かれるとは思っていなかったのか、叩かれた千秋と、叩いたのを見た束の両方が言葉を失ってマドカを見詰める。
「母様がしてきた事は確かに許される事ではないでしょう。ですが、いなくなってもいいだなんて言わないでください。たとえどのような方でも、私たちにとって母親であることには変わりないのですから。母様が私たちの事をどう想おうと、私は母様には生きていてもらいたいです!」
「………」
「マーちゃんはいろいろと記憶の混乱が生じてるから仕方ないかもしれないけど、娘にここまで言わせておいてまだ死にたいとか言うわけ? もし言うなら、本当に殺してあげるけど」
「……一夏と話してからにしてもらえるかしら? あの子が何を考えて私を生かしてるのか、それを知りたいの」
「あっそ。いっくんなら今、更識って家を裏切った連中の訊問と、その後始末をしてるところだから、ここに来るのは早くても今日の夜、遅いと一週間後くらいにはなると思うけど」
「そう……一夏は相変わらず頼られているのね」
「そりゃいっくんだし」
束の答えになっていない言葉に、千秋は嬉しそうに頷く。息子が褒められて嬉しいのだろうと、マドカは千秋の母親らしい表情に頬を綻ばせる。
「後はちーちゃんがどう動くかだね」
「千冬姉様は一夏兄様に逆らわないでしょうから、一夏兄様が決めた事に従うと思いますが」
「まぁそうだろうね~。いっくんの決定に逆らうなんて、束さんでもしないからね~」
そんな事をすれば一夏に何をされるか分からないからと、束は笑顔でそう付け加えると、マドカは苦笑いを浮かべたのだった。
束の新薬は危険なにおいが……