特別講義を受け始めて一週間、千冬と箒は毎日死にそうな顔になって部屋に戻ってきていた。
「まさかラウラに理解力で負けるとはな……」
「アイツはモノを知らないだけで、理解力は低くなかったという事だろ」
「だが、アイツも補習候補なんだろ? 何故私たちとここまで差がついた」
「私たちの理解力はそれだけ低い、ということなんだろうが……このままでは一夏さんに怒られるかもしれない」
箒が零した不安に、千冬が跳ね上がる。彼女には一夏に怒られるよりも、一夏に捨てられるかもしれないという恐怖が沸き上がったのだ。
「おい箒。束さんに頼んで、急激に頭が良くなる薬とか作ってもらえないのか?」
「そんな便利なものがあるわけないだろ。というか、あったとしても絶対に副作用があるだろうし、姉さんに何を要求されるか分かったものじゃないぞ」
「そうか……しかし二週間後には定期試験だろ? あと一週間でどうにかなるとは思えないんだが……」
自分の事だからこそ言い切れると、千冬は欲しくも無い自信を持って断言する。その事は箒にも分かっているので、二人は揃ってため息を吐いて今後について考え合う。
「今まで赤点で無ければいいという考え方だったが、それでは駄目だろうな」
「平均点付近まで点数を上げないと、私たちは補習で、山田先生はボーナスカットなんだろ? 山田先生のボーナスは兎も角としても、補習は何としても避けなければならない。弾や数馬にまで馬鹿にされそうだ」
「あいつらは補習確定だろ? あいつらにバカにされる筋合いはない」
「奇跡的に回避するかもしれないだろ? そうなった場合、私たちが補習だったら馬鹿にされた挙句に笑われる事になる。誰に笑われても気にしないが、あいつらだけは我慢出来んだろ?」
「確かにそれは我慢出来そうにないな……思わずあいつらを殺してしまうかもしれない」
「それはやりすぎだと、私でも分かるんだが……というか、そんな事になれば、一夏さんに見捨てられるどころか一夏さんに殺されるんじゃないのか?」
一夏に殺される、そんな事になった事を想像したのか、千冬は顔面蒼白になり震えながら後退る。そしてそのままベッドに足を取られて倒れ込んだ。
「おい、大丈夫か? まさかそこまでになるとは思って無かったぞ」
「お前だって想像してみろ……一夏兄が鬼の形相で私たちに迫ってくる光景を……手に凶器を持った一夏兄を」
「……これは、詰んだな」
一夏相手に逃げ切れる未来が見えなかった箒も、千冬同様顔を蒼ざめて項垂れる。もちろん、そんな未来などありえないのだが、二人はその恐怖に打ちひしがれる。
「兎に角補習を回避する事さえ出来れば、一夏兄に詰め寄られる事も無くなるという事だ」
「その為には勉強……なんだろうが」
「今はそんな気力も体力も残ってないな……特別講義で完全燃焼してしまった……」
「かといって特別講義を受けて頭が良くなった印象も全く無いんだよな……」
「やはりここは――」
倒れていた千冬が勢いよく立ち上がったのを見て、箒は何事かと視線だけ千冬に向ける。彼女はまだ立ち上がるまで回復していないのだ。
「今から一夏兄の部屋に行くぞ」
「一夏さんの部屋に? いったい何が目的で……」
この流れで一夏の部屋を訪ねる理由が箒には分からなかったので、彼女は首を傾げながら千冬に問う。ただ千冬が一夏に会いたいだけならば、自分は付き合う必要は無いと思っていたのだ。
「一夏兄は昔から勉強が出来る人だから、一夏兄に教えてもらえば良いんだ」
「今の一夏さんは教師だぞ? 一生徒に肩入れしたなんて噂が立てば、一夏さんに迷惑を掛ける事になりかねないだろうが」
「教師としての織斑先生に教わるんじゃないくて、家族としての一夏兄に教わるんだから問題ないだろ。そもそも、一夏兄が私たちにどの問題が出るかなんて教えてくれるわけないだろ? あの人は実技担当で座学のテストは作らないだろうし」
「いや、そういう問題じゃないとは思うんだが……それに、一夏さんだっていろいろ忙しいだろうし、私たちの為に時間を割く余裕なんて無いんじゃないのか?」
「その時は諦めて自分たちで勉強するしかないだろうな。とりあえず、一夏兄に聞いてみなければ始まらないだろ」
「……電話じゃ駄目なのか? 出来る事なら私は、今一歩も動きたくないんだが」
「電話じゃ私たちの本気度が伝わらないかもしれないだろ。それに、一夏兄の顔を見ればやる気が湧き出てくるかもしれないだろ」
「なら、お前一人で行けばいいだろ……断られるのが分かっていて行くほど、私は暇ではないんだ」
「私一人で行って怒られたら怖いだろうが」
「それが本音か……」
千冬に引っ張り上げられて渋々立ち上がった箒は、千冬の顔を恨みがましく睨んでから、ため息を吐いて一夏の部屋を目指す事にしたのだった。
怒られても反省しないからなぁ……