職員室で真耶とコーヒーを飲んでいた一夏は、近づいてくる二つの気配を感じ取りため息を吐いた。その一夏のため息を見て、真耶は自分が何かをしてしまったのかと慌てて頭を下げた。
「何で頭を下げてるんですか?」
「えっ、いや……織斑先生がため息を吐かれたので、私が何かをしてしまったのかと思って……」
「あぁ、山田先生の所為ではありませんよ。近づいてくる気配にため息を吐いたんです」
「気配、ですか?」
必死に気配を掴もうとする真耶ではあったが、彼女にはそのような能力が備わっていないので、いくら頑張っても無意味である。一夏は真耶が必死になってるのを見て苦笑いを浮かべたが、真耶はそんな一夏の表情には気づかなかった。
「失礼します、織斑先生」
「何か用か、織斑、篠ノ之」
入室の挨拶もそこそこにずかずかと近づいてくる千冬と箒に、一夏は何時も通り感情が読み取れない表情で応える。
「少しお聞きしたい事があるのですが、場所を変えてもらってもよろしいでしょうか?」
「職員室で聞かれたらマズい話なのか?」
「そう捉えてもらって構いません」
一夏の問いに力強く頷く千冬を見て、一夏はため息交じりに腰を浮かせ、二人を連れて職員室から移動する。
「それで、何の用だ」
周りに人がいないのを確認して、一夏は口調を何時も通りのものに変える。一夏の変化に千冬も口調を生徒の物から妹に切り替えた。
「一夏兄、昨日の夜に誰か部屋に招いた?」
「別に招いてはいない。束がやってきただけだ」
「束さんだけ?」
「何が聞きたいんだお前は」
千冬が何を気にしているか分かっているが、自分の口から言うつもりは無いので、一夏ははぐらかさずに千冬に本題を言えと促す。千冬は一夏に促された事で決心がついたのか、聞きたかったことを口にした。
「束さん以外に来客があったんじゃないの?」
「束の面倒を見ているやつが一緒だったが、それがどうかしたのか?」
「姉さんの面倒を? そんな人間がいるんですか?」
今まで口を噤んでいた箒が、千冬を押し退ける勢いで一夏に問いかける。それだけ束の面倒を見ている人間がいるという事は、箒にとって衝撃的だったのだ。
「ドイツ軍が生み出したうちの一人を保護した、としか言えんが、確かに束の面倒を見ている」
「具体的にはどんなことをしてるんですか?」
「束が散らかしたラボの掃除、食事の準備など、身の回りの世話をしてもらってると言っていた。その代わりに寝所を提供してるんだろうな」
「姉さんがその人を認識してる事が驚きです……」
「アイツは『娘』と表現してたから、それだけ愛情を懐いているのだろう」
「娘、ですか……」
束がそれだけの表現をするなんて思ってもみなかった箒は、一度その人に会ってみたいという気持ちが強くなった。箒が感心する一方で、千冬がつまらなそうに質問を再開する。
「それで、その束さんの娘って人が、何で一夏兄の部屋に来てたの?」
「束に連れてこられたんだろ。料理を教えて欲しいって束に頼まれたんだ」
「それだけ? どうせ一夏兄にイヤラシイ視線を向けてたんじゃないの?」
「お前は何でそんな考え方しか出来ないんだ? 幾ら姉さんの娘だからといって、一夏さんに迷惑を掛ける人と決まったわけじゃないだろ」
「いいや! 一夏兄の魅力に逆らえる女がいるとは思えないし、束さんの側で生活してるんなら、束さんから一夏兄の素晴らしさを教え込まれてるだろうから、実物を見たら我慢出来なくなっても不思議ではない!」
力説する千冬を前に、一夏と箒は揃ってため息を吐いた。
「箒、この馬鹿を部屋まで引きずってさっさと帰れ。そろそろ見回りの時間だ」
「申し訳ありません……ほら千冬、早く部屋に戻るぞ」
「おい離せ! まだ聞きたい事が――」
「お前一人が怒られるなら気にしないが、このままでは私まで怒られることになるだろうが」
文句を言い掛けた千冬を無理矢理黙らせ、箒は一夏に言われた通り千冬を引きずって部屋に戻っていった。
「やれやれ……マドカとは別の面倒臭いヤツだ」
束やクロエの前にあった来客の事を思い出し、一夏は先程よりも苦めの笑みを浮かべる。
「さて、どうせ聞き耳を立ててたんだろ? いい加減姿を見せたらどうだ」
「あはは……千冬ちゃんや箒ちゃんには気づかれなかったんですけどね~。それで『マドカ』って誰ですか?」
「そっちで調べてあるんじゃないのか? それとも小鳥遊から報告されてないのか?」
「……亡国機業にいる、一夏先輩のもう一人の妹」
「正解だ。まぁ、千冬とは別ベクトルの変態だから、扱いを間違えると大変な事になるだろうな」
「やっぱり私も京都に――」
「虚に殺されても良いなら好きにしろ」
聞き耳を立てていた楯無に無慈悲な言葉をかけ、一夏は部屋に戻るべく寮内から抜け出るのだった。
どっちも一瞬で大人しくなったな……いや、千冬は大人しくなってないか