本音とは別行動をしていた簪だったが、人の多さに気分が悪くなり生徒会室に逃げ込もうとしていた。
「油断した……いつも以上に人が多いって分かってたのに……」
正式な生徒会役員ではないので、本番まで手伝いを免除されたので学園祭を見て回ろうと意気込んだのは良かったが、生徒に加え招待客たちも現在学園内にいるので、人混みが苦手な簪は目が回ってきてしまっているのだ。
「こんなになるなら、大人しく生徒会室で休んでればよかった……」
虚から生徒会室の使用許可をもらっているので、大人しく生徒会室で本番を待つことも出来たのだ。だが簪はそれをせず、せっかくだからと校内に出たのが失敗だったと、数十分前の自分を恨んだ。
「とりあえず、早く生徒会室に――」
「失礼、更識簪さんですよね?」
「はい?」
人混みを抜けて生徒会室を目指そうと意気込んだタイミングで、簪は背後から声をかけられた。聞き覚えが無かったので誰だろうと思いながら振り返ると、そこには見覚えのない女性が立っていた。少なくとも年上、一夏と同じかそれ以上の感じのスーツ姿の女性がにこやかに立っていた。
「失礼ですが、貴女は?」
「私、こういったものなのですが」
差し出された名刺に目を通し、簪は心の中で状況を整理する。
「(IS企業の一つ『みつるぎ』の渉外担当・巻紙礼子さん。会社の名前は聞いたことあるけど、あんまり業績が良くない会社だったはず。その渉外担当の人が、私に何の用だろう……みつるぎの装備を私に使って欲しいとかかな? でも、それだったら正式な手順を踏んで交渉するはずだし、かといって頼まれたからと言って受けないからな……アポなし交渉で契約が取れたらラッキー、くらいな感じなのかな?)」
名刺と礼子の間で視線を行ったり来たりさせている簪に、礼子はにこやかに話しかける。
「実はですね、卒業後に更識様には弊社に入社していただけないかと思いまして」
「私を?」
「はい。現役の国家代表候補生であられる貴女様にこのような事を言うのは失礼かと思いましたが、ご存じの通り弊社にはこれと言った業績がございません。このままでは他の企業に合併されるか、倒産してしまうのがオチでしょう」
「はぁ」
「そこで目を付けたのが貴女様なのです」
「だから、何で私に?」
簪は自覚していないが、一高校生が自力で専用機を組み立てるというのは、世間にかなりの衝撃を与える出来事なのだ。もちろん、一夏の手を借りたりはしたが、その事は公表されていないので尚更だろう。
「専用機をお一人で組み上げる技術力、そして鋭い観察眼をお持ちの貴女様ならば、弊社を苦境から脱せさせることが出来るのではないかと」
「そんな事ないですよ。私の力なんて、大したものでは……」
「ご謙遜を、その打鉄弐式は現状、日本にあるどのIS企業でも作り出す事は出来ないでしょう。それくらいの技術力が詰まった専用機なのです」
「それは……」
礼子の言葉に、簪は思わず真実を告げそうになったが、一夏から言われた事を思い出して何とか踏みとどまった。この打鉄弐式は簪一人で完成させたことに表向きはなっているのだ。下手に一夏が手伝ったと世間に知れれば、IS学園の規約違反だと騒がれないとも限らないと、一夏が用心してたのだった。
「もちろん、今すぐ決めていただかなくて構いません。選択肢の一つとして、頭の片隅にでも覚えてくだされば」
「そういう事なら……」
自分が何時までも候補生としていられるわけがないと自覚している簪としては、学園を卒業した後の事は既にいろいろと考えている。その中に一つ選択肢が増えるだけならと、とりあえず礼子の提案を自分の中にしまい込んだ。
「では私はこれで。もしお決めになられたらご連絡を。それ以外でも、ある程度の事なら相談に乗れると思いますので」
最後までにこやかな笑みを浮かべながら、礼子は一礼してから簪の前から移動する。その後姿を見送ってから、簪はもう一度名刺に視線を落とした。
「確かみつるぎってペーパーカンパニーだって噂があったけど、ちゃんと働いてる人がいるんだ……でも、一応お姉ちゃんや織斑先生に聞いてみようかな」
自分には無い情報網を持っている二人なら、みつるぎの事ももっと詳しく分かるかもしれないと考えて、簪はとりあえずすぐに会えそうな楯無を探す事にした。
「あっ……気分が悪いんだった」
楯無を探そうと一歩踏み出して、簪は自分の気分がすぐれないことを思い出し、思わずよろめいてしまった。
「おい、大丈夫か?」
「あっ、織斑先生……人ごみに酔いました」
「あぁ、そういう事か……保健室に行くか?」
「生徒会室が空いてますから、そこに行こうかと……」
「分かった。少し大人しくしていろよ」
そう言うと一夏は、簪を抱え上げあっという間に生徒会室まで移動した。簪は自分に起きた事なのに、この移動の実感が無かったのだった。
簪、瞬間移動初体験