碧との顔合わせを済ませ、この後は普通に学園に戻って仕事をするだけなのだが、一夏は何故か喫茶店から動けずにいた。
「ごめんね、織斑君」
「恨むからな、小鳥遊」
碧は一夏の事を「織斑君」と呼ぶ。織斑という苗字がそうそうない事は一夏も自覚していたし、碧もそのくらいは理解しているのだが、まさか自分たちの会話に聞き耳を立てている人物がいるとは思っていなかったのだろう。もちろん、仕事の話をしている時は周囲に警戒を払っていたし、周りに聞こえないように小声で話していたが、世間話の時までは周囲に気を配っていなかったのだ。
したがって今の状況は、一夏だと気づいた他の客に囲まれ、身動きが取れない状況に陥っているのだった。
「あの! 何故織斑一夏さんがこんなところにいるんですか!? 消息不明だと伺っていたのですけど」
「確かドイツ軍で指導した後から消息がつかめていないとかいう噂を聞いたのですが、この近くに住んでるんですか?」
「というか、そちらの女性とはどのような関係なのですか?」
矢継ぎ早に質問されても、一夏は答えるつもりなど無かったし、答えたらどうなるか重々承知しているので、口を噤んだまま下を向いていた。
「あの、お客様方。こちらのお客様のご迷惑になられますので、どうか落ち着いてくださいませ」
店員も一夏だと分かり興奮しているようだが、仕事を忘れていないだけマシだった。だがそんな店員の忠告も耳に入らず、女性客たちはヒートアップしていき、一人の女性が一夏に手を伸ばしたところで――
「あんまりオイタすると、私の養分にしちゃうわよ?」
――飛縁魔が女性客の腕を捻り上げ蠱惑的な笑みを浮かべながら脅した。
「随分と遅かったな。もう少し早く出てくるかと思ったが」
「ダーリンが我慢してたから私も大人しくしてたけど、さすがに手を出してきたのを見逃すわけにはいかないわよ。というか、今すぐにでも蹴散らしたい気分だし」
「店に迷惑が掛かるから止めろ」
「あら? 店に迷惑が掛からなければ良いのかしら?」
「あまり派手にやりすぎなければな」
突如現れた飛縁魔に驚き、更に一夏との間に交わされている会話内容にビビり、女性客たちは数歩引いている。
「これが織斑君の専用機なのね。『例の噂』の原因とでも言えるのかしら」
「まぁ、こいつが荒ぶった所為で誘拐犯たちは半殺しにされたんだからな」
「あら、あれは貴方の気持ちを忖度してあげたのよ? 貴方だって、アイツらは死んだ方が良いって思ってたでしょうが」
「思うのは自由だろ? それを実行しなければ罪にはならない」
「貴方が思えば、私と篠ノ之束が実行に移すわよ。それも、最も残虐な方法でね」
「どうしてこんな性格になってしまったんだかな」
繰り広げられる会話と一夏たちが醸し出す雰囲気のギャップに、女性客たちは何が起こっているのか理解出来ていない様子だった。その隙を突いて、一夏と碧は会計を済ませて店を後にした。コーヒー二杯分だけではなく、迷惑料もしっかりと支払って。
「それで、これからどうするんだ? お前一人くらいなら、生活出来る空間を知っているが」
「私は別に何処でも寝られるし、今の時代シャワーくらいなら漫画喫茶にもあるし」
「……楯無と虚に相談して、敷地内で生活出来るように手配しよう。何だったら、自称天才が作った発明品を使っても構わない」
「何だか怖いんだけど? 大丈夫なのかしら、それは……」
「今のところ問題は無いし、大丈夫じゃないか? 俺も数日間試しに使ったが、不具合も無かったし」
「何かあったらすぐに抜け出せばいいだけよ。もちろん、貴女にそれが出来るのならだけどね」
挑発的な態度を取る飛縁魔に、碧は苦笑いを浮かべて一夏を見詰めた。
「この性格って、織斑君の趣味――じゃないよね?」
「バカウサギが設計した結果だ」
「あの女に弄られてたというのが気に入らないけど、私は今の自分が気に入ってるの。だから性格を矯正しようだなんて思わないでよね」
「かなり前に諦めてるから、そんな事をお前が心配する必要は無い」
「なら良いけど。ところで、早いところ移動しないと、また囲まれちゃうわよ?」
「それもそうね。ところで、織斑君はIS学園で教鞭を振るってる事を内緒にしてるわけ?」
「別に公言する必要もないし、少し調べればわかる事だからな。あいつらが知らなかっただけだろう。実際、千冬の友達たちは知っていたような気もするが」
「あれは妹さんたちが教えたから知っていただけで、実際入学するまであの二人だって知らなかったじゃないの」
「そうだっけか? そんな昔の事は忘れたな」
「ボケるにはまだ早いわよ?」
一夏の冗談に、飛縁魔は本気で心配している風を装い、一夏をからかおうとしたが、一夏が真顔で肩を竦めてみせたので、飛縁魔も追撃出来ずに待機状態に戻ったのだった。
飛縁魔の脅しは相変わらず