学園にスパイがいるかもしれないという話を受けて、簪と本音はこの場所は大丈夫なのだろうかという疑問を懐いた。
「盗聴器、隠しカメラの類は無いわよ」
「何で言い切れるの?」
楯無が部屋中隅々まで調べたとは思えなかった簪は、楯無が言い切った根拠を尋ねる。
「一夏先輩が調べたから」
「それなら大丈夫だね」
楯無の答えを聞いて、簪はその疑問を頭から追いやり、虚に先に進むよう視線で促した。楯無としては、自分より一夏の方が信用されている事に若干の不満を懐いたが、自分より一夏の方が信用出来ると楯無自身も思っているので、今はとりあえず忘れる事にしたのだった。
「最も疑わしい生徒は、三年のダリル・ケイシーでしょうね」
「でもあの人、アメリカの候補生よね? 母国が不利になるような計画に手を出すかしら?」
「それも潜入だとしたら、どうでしょう?」
「代表候補生になる前から、その裏組織に所属していたって事? 彼女、虚ちゃんと同い年よ? いったいいつから裏社会に染まってたって言うのよ」
「私やお嬢様だって、この歳で裏世界にズブズブなのですから、他にそのような環境で育った人間がいても不思議ではありませんよね?」
「それは……そうかもしれないけど」
反論の言葉を見つけられず、頬を膨らませて答える楯無。明らかに不貞腐れているのが見て取れる態度だったが、誰一人としてその事には触れなかった。
「織斑先生から見て、ダリル・ケイシーはどんな生徒ですか?」
「直接担当しているわけではないから詳しくは知らないが、なかなかの問題児らしいな。学校行事はサボる、教師に対してもあまり尊敬の念を懐いていないような態度をとるらしいからな。まぁ、無条件で尊敬出来るわけではないから、この点は何とも言えないが」
「……織斑先生も、大人が嫌いなんですよね? 何か理由があるんですか?」
「何だ、千冬たちから聞いていないのか?」
「何となくは聞いていますけど、千冬たちも正確には分からないって言ってますし……」
「別に大した理由はない。先に生まれただけで偉そうにしてる連中が気に入らないだけだ。尊敬されたいのなら、まずそれだけの成果を見せてもらいたいと思ってたのが、いつの間にか嫌いになっていただけだな、きっと」
どうやら一夏自身も正確には把握していないらしいと分かり、簪はとりあえずその話題は脇に置いておくことにして、楯無に視線を向けた。
「行事をサボってるのは、お姉ちゃんもじゃないの?」
「私はロシアに行ってたりして物理的に参加出来ないだけだもん! 学園にいるのにサボってるわけじゃないんだからね」
「お嬢様のサボり癖は兎も角、ダリル・ケイシーが最大の容疑者という事ですので、簪お嬢様は絶対に近づかないようにしてくださいね」
「そもそも、三年のフロアにはいきませんから」
「向こうが近づいて来ても、出来る限り無視するようにしてください」
「これがその、ダリル・ケイシーの写真ね」
「完全に隠し撮り写真だけど、これってお姉ちゃんが撮ったの?」
「ううん、薫子ちゃんが持ってたから、ちょっと借りてきたの」
「無断で人の物を持ってくるとは、後で説教だな」
「一夏先輩だって仕方ないって思ってくれてたんじゃないんですかっ!?」
いきなり説教される事になった楯無が慌てて抗議するが、一夏はその抗議には付き合わずに簪たちに視線を向けた。
「お前たちは今まで通りの生活をしてて構わないが、頭の片隅でも良いから、この話題を覚えておいてくれ」
「忘れませんよ。というか、友達がスパイかもしれないなんて話、どうやったら忘れられるんですか」
「その三人はあくまでも変な時期に転校してきたからという、かなり弱い理由で候補に挙がってるだけだからな。さっき言ったように、気にしなくてもいいくらいのレベルだ」
「そうかもしれませんけど……」
「まぁまぁかんちゃん。何かあっても織斑せんせ~が何とかしてくれるみたいだし、私たちは平和に過ごそうよ」
「……ほんと、本音って何にも考えてないんだね」
「これでも考えてるんだよ~? でも、考えても無駄な事は考えないことにしてるんだ~」
幸せ全開の本音に対して、簪は割り切れない自分に苛立ちを覚え、その矛先が本音に向かないように注意しているように一夏には見えた。
「楯無」
「はい? どうかしましたか、一夏先輩」
「早急にスパイの正体を炙り出せ。簪の精神的平穏の為にもな」
「というか、一夏先輩はもう誰がスパイだか分かってるんじゃないんですか?」
「さてな。別に俺はその裏組織がどんな集まりだろうがどうでも良いからな。俺の生活空間に入り込んでこない限りは」
「この学園は生活空間じゃないんですか?」
楯無がジト目で一夏を睨みつけるが、一夏は全く気にしていない様子で生徒会室の窓から外を眺めていたのだった。
一夏相手じゃ楯無のジト目も意味なし