翌日、私はYに再び連絡をした。
タイミングがちょうどよかったらしく、すぐに会ってくれた。
また《ホッジス》で落ち合った。
「暑い。暑すぎる。あぁ、クーラー付の店は救いの神のようだ」
先日と同じようなことを言っている。
私は苦笑しつつ彼の暑苦しい体躯に問いかけた。
「甘兎庵って知ってるか?」
「甘兎庵……甘兎庵……あぁ、南通りの和菓子屋か」
「そう、それ」
「あの店がどうかしたか?」
「ちょっと気になってな。ラビットハウスの前の店主と、そこの店のオーナーが何か因縁がありそうなんだ。それに両方とも、ウサギが名前についている。何か、つながりがありそうなんだ」
「繋がり、ねぇ」
「何だよ、その表情は」
「いいや。ただの偶然のような気もするけど」
「そりゃもちろん、その可能性もあるさ」
相変わらずパフェを食べながらYが言った。
「まぁいいよ。勘もたまには当たるからな。甘兎庵についても調べてみるよ」
「恩に着る」
私は深く会釈した。
Yと別れた後で、私は単身、甘兎庵に向かった。
昼下がりの南通りはすいていた。
通りの向かいから、老舗らしい店構えの甘兎庵を見つめた。
しばらく見つめているうちに、違和感の正体に気が付き始めた。
まず、ファサードに掲げられた≪甘兎庵≫のプレートが、小奇麗すぎた。
それは、木製で歴史を感じさせる作りになっているが、せいぜい30年は経過していないように見えた。
私は、そばが好きで、サラリーマン時代には、出張のたびごとに東京の老舗そば店をめぐるのが趣味だった。
古い店舗の看板というものは、このようなレベルではない。
また、外装にしてもそうだった。
古い喫茶店というよりも、和モダンというべきものだ。
私は、老舗の和菓子屋もよく知っているが、本当に古い店はもっと別の趣がある。
昨日の老婆の言葉が思い出された。
≪大正時代から続いている由緒正しい店なんだ≫
もしそうだとすると、改築するなりなんなりしたとしか考えられない。
だが、店の顔たる看板まで改修するだろうか?
老舗であることをうたうならば、看板は古めかしい方がいい。
私がそんなことを考えながら立ち尽くしていると、店の扉ががらりと音を立てて開いた。
「こらっ。あんた、うちになんか文句でもあるのかい?」
昨日の老婆だった。
「あぁ、いや。店に入ろうと思っていただけさ」
「あんた、昨日の……」
私はうなづいた。
「ふん。気の弱い男だね。店に入るのに尻込みかい。さっさと入んな」
都合のいい言葉だった。
老婆に促され、店に入る。
店内は人がまばらだった。
渡されたメニューを見る。
そこには……ん??
暗号というか、呪文のようなものが書かれていた。
「星の見る夢、紅の月を添えて? 水面が抱く夏の露草?」
どういう意味だ。
「さっさと決めな」
「あ、あぁ……それじゃ、この、≪とこしえの蒼と愛の咆哮≫を」
「あいよ」
出てきたのは、ブルーハワイの上にアイスクリームが乗せられたものだった。
ってか、和菓子ですらねぇ。
私は思案した。
とこしえの蒼ってのは、このブルーハワイ味のかき氷を指していそうだな。
で、愛の咆哮は?
愛の咆哮、咆哮、スクリーム……あっ。
愛の咆哮で、アイ・スクリームか。
ただの駄洒落じゃねーか!
やはり、この店。
老舗感が全くない。
私は、甘兎庵のメニュー表を裏返す。
そこには、AMAUSA AN Founded In 1970とあった。
私は老婆を呼んだ。
「味に文句でもあるのかい?」
「そうじゃない。あんた、昨日は大正時代から続く老舗だと言っていなかったか?」
「言ったよ」
「それじゃ、ここに書いてある1970ってなんだ?」
「馬鹿だね。メニューの最後のページをよく読みな」
「最後のページ?」
そこには、店の概要が記載されていた。
古い白黒の写真があり、いかにも老舗風の和菓子店が写っている。
≪この場所には、もともと、大正時代から続く老舗和菓子店・甘美堂がありました。私たち、甘兎庵は、その精神を受け継ぎ、1970年に、新たなる和風喫茶として蘇りました。以降、地域の皆様に愛されております≫
写真には、人の好さそうな夫婦が写っていた。
それは、老婆の若いころにはとても見えなかった。
あまり似ていなかったのだ。
写真の和菓子屋は、恐らく甘美堂だろう。
写真は、さすがに大正時代のものではあるまい。
私は写真のある一点に注目した。
それは、和菓子屋の店舗の脇に写っている石碑だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
私は、甘兎庵を出ると、石碑を探した。
写真に写っている石碑には見覚えがあった。
それは昨日、甘兎庵を訪れた時、視界の片隅に入っていた。
だが、少し場所が違ったような気がしたのだ。
その記憶は正しかった。
石碑は、甘兎庵ではなく、隣のボロボロの小屋の脇にあった。
写真に写っているものと同じだ。
石碑には、≪右 上雲寺 左 本陣≫とある。
うっすらと読める程度の古い石碑だ。
本陣というものは、江戸時代の宿場町の名残であり、それを示しているのだから、この石碑はおそらくは江戸時代や明治時代ぐらいのものだろう。
こういったものは、教育委員会が管理している。
位置が移動するとは考えられない。
私はもう一度、甘兎庵を見た。
先ほどの写真の甘美堂よりも、小さいように感じられる。
とすれば、この横のボロ小屋までが、元の甘美堂か?
「ちょ、ちょっと!」
後ろから、震える声が聞こえた。
「う、う、ウチに何か用なの!?」
振り向くと、金髪の可愛らしい少女がいた。
わずかに見覚えがあった。
恐らく、昨日老婆の孫と一緒にいた少女だ。
「君の、家?」
「そ、そ、そ、そうよ!?」
このボロ小屋が?
ふむ……。
勇気を振り絞って私を問い詰める少女に、会釈した。
「申し訳ない。他意はなかったんだ。歴史ウォーキングが好きでね。この古い石碑を見ていただけなんだ」
私は、少女を怖がらせないようにその場を退散した。
アパートに向かって歩いていると、携帯電話が鳴った。
Yだった。
「早いな」
Yは興奮気味にまくし立てた。
「いろいろと面白いことが分かったよ」
「面白いこと?」
私は足を止めた。
Yの声は、いつになく高揚していた。
「ラビットハウス、甘兎庵。これらは、同じ人間が土地の登記を持っている」
「ほぉ」
「なかなかの資産家だよ。他にも、知らないかもしれないが、フルール・ド・ラパン。これも大きな喫茶店だ。全部同じ人物が持ち主。ラパンってのは、フランス語で兎だよ。兎」
「兎がどうにも、頻出するねぇ」
私は感慨深げにつぶやいた。
「そうなんだよ。そして、この資産家ってのがね」
「あぁ」
「天々座家」
珍しい苗字だ。
「なんだよ、それは」
「ごろつきの傭兵団の団長の一家だよ。やっと思い出したんだ。登記の名前を見て。ほら、前に俺、言っただろう? 米兵を追い出して、キャバレーを占領した元傭兵の日本人がいるって」
「あぁ、言ってたな」
「筋の悪い和製ギャングよ。今は土地持ちだが、どんな素性だか知れたもんじゃない」
「へぇ……」
「その天々座一味のトレードマークが、兎の入れ墨でね。今はまぁ、ご時世柄、暴れちゃいないだろうが。昔はこの街の居酒屋で兎の入れ墨を見たら相手をするなって言われてたもんなんだぜ」
「詳しいんだな」
「不動産関係やってると、どうもな。そういう筋のやつらのことには詳しくなるのさ」
「ついでに、聞いていいか?」
「あぁ」
「甘兎庵。あれの横に小さな土地があるだろう」
「小さな土地……あのボロ家のことかな」
「そう。それ。あれは、誰の土地だ?」
「ちょっと待ってくれよ」
電話口にがさごそという音が聞こえた。
今まさに、資料をめくっているらしい。
「そこも、天々座だな」
「やっぱりか」
「やっぱり? 普通はこんな小さな土地を区切らないんだがな。わざわざ中途半端に店を小さくする必要はないはずだ。お前、何か心当たりがあるのか?」
「まぁな」
私は礼を述べて電話を切った。