メルヒェンには、まだ遠い   作:忍者小僧

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3 アンダーカヴァー

「あの、こちらへどうぞ……。日当たりの良い、広いお席です」

 

チノが申し訳なさそうに私を、窓際のテーブルに案内する。

どうやら、怪しまれてはいないようだ。

先ほどのココアという少女、よほど普段からそそっかしくて、失敗を繰り返しているのだろうか。

チノはココアのフォローをするのに慣れているようにも見える。

 

「お客さん、ちょっと待っていてくれよ。今、特製のラテ・アートを作るからな!」

 

カウンターの向こうで、凛としたツインテール――リゼが私に言った。

そして、すばやい動作で珈琲カップにミルクを注いでいく。

芝居じみた動作でアートピックを手に取ると、

 

「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 

いかめしい掛け声とともに、猛烈な勢いでカップの水面にピックを突き立てていく。

 

「完成だぁ!!」

「おぉぉ! これは!!」

 

硝煙立ち込める10式戦車が緻密な筆致で描かれている。

す、すごい……。

とうか、人間業と思えないレベルだ。

ラテ・アートってこんなに細かい絵が描けるものだったのか。

私が驚いていると、先ほどのココアという女の子が走って戻ってきた。

と思ったら。

 

「遅くなってごめんなさい。絆創膏がなかなか見つからなくて……っきゃん」

 

何もないところで転んでいた……。

なんつードジっ子だ。

絆創膏が必要なのは君のほうでは?

 

「あぁぁ、気をつけてください、ココアさん」

 

チノが走りよっていく。

 

「ごめんね〜、チノちゃん」

 

私はそんな様子をほほえましく見つめた。

少々頼りない雰囲気だが、みんな和気藹々と働いている。

いい感じの喫茶店じゃないか。

Yから聞いた噂話のせいで身構えていたが、いい意味で予想を裏切られた。

 

たいした傷でもないから別にいいと言ったのだが、無理やり額に絆創膏を張られてしまった。

どうにも小恥ずかしい気分で、窓際の席でくつろぐことにする。

見事なラテ・アートが描かれたカフェ・ラテは飲むのが惜しい気がしたが、一口、口に含むと、そのおいしさにどんどんと飲んでしまう。

 

――こうなったら、この機会を利用するしかない。

 

私は、店内を観察することにした。

 

まず、見渡すと、店全体の雰囲気は実に重厚だ。

木材をふんだんに使用した温かみのある調度品類がいかにも純喫茶らしい印象をかもし出している。

が、いわゆる純喫茶と言えば、薄暗く狭い店舗も多いのだが、ラビットハウスは広い。

それはやはり、元がキャバレーとして設計された建築物だからだろう。

天井が高いことも、音響効果を狙っていたものなのかもしれない。

私は鶯谷にある古いキャバレーを改築したライブハウスを思い出した。

そこは独特の雰囲気がウケて、大いに繁盛していたものだ。

一方、ここラビットハウスにはさほど客はいない。

というか、現時点では私一人ではないだろうか?

 

「やはりこのお店は落ち着きます〜」

 

あ、もう一人いた。

優雅な動作で珈琲を啜っているきれいな女性だ。

品があって、でもどこか自由人っぽくて。

常連さんだろうか?

白紙の作文用紙のようなものを広げているが、何をしているのだろう。

 

それにしても……。

お客といい、店員といい、可愛い女の子ばかりだ。

口コミさえ広がれば、男どもが大挙して常連になりそうなのだが。

 

私は、ふんわかとした笑顔をたたえて突っ立っている女の子を見た。

ココア。

先ほど勝手口で出会った少女だ。

基本的にあまり仕事はできないようだな。

いまも何も考えていなさそうな顔でぼんやりとしている。

私を無理やり店内に連れてきたように、思い込みで突っ走る癖がありそうだ。

が、思慮が深くない分、口も軽い可能性がある。

こういう人間からは情報収集がしやすい。

勿論、話半分に聞いておく必要はあるが……。

 

お次は、リゼ。

たたずまいの凛とした、きりっとした美少女だ。

この子が、マヤの憧れている少女だな。

確かに、その気持ちはわからなくはない。

年下から見れば実に気品があって格好良く見えるのだろう。

しかし、私から見れば、むしろどこか子供っぽい部分が透けて見える。

調子に乗りやすいというか。

先ほどの器用なラテ・アートもそうだが、妙に努力家でもありそうだ。

 

そして、チノ。

華奢な、小さな女の子だ。

この子がマヤの同級生か。

ということは、中学二年生になるのだろうが、この子もマヤ同様、11歳ぐらいにしか見えない。

いったいどうなっているんだ。

しゃべり方を聴いていると、いかにもおとなしい女の子だ。

顔立ちは非常に美しいのだが、どこか無表情。

感情表現が苦手なのだろうか。

 

そんなことを考えていると、いつの間にかカップが空になっていた。

私は、カウンターの奥に並べられたサイフォンに目をやる。

なし崩し的にカフェ・ラテを飲むことになったが、本来はブラック・コーヒーが好きだ。

もう一杯いただこうか。

手を挙げると、チノがこちらに気付き、小さくうなづいた(ココアはぼんやりと窓の外を見ていた)。

てってって、と、お盆を抱えてこちらにやってくる。

 

「コーヒー貰えるかな?」

 

私の言葉に、チノが少し驚いた表情をした。

 

「え?」

「もう一杯欲しいんだ。すごくおいしかったから」

「ほ、本当ですか?」

 

あまり感情表現が豊かではない印象だったが、「おいしかった」という一言に表情が変わったのが分かる。

 

「あぁ。本当さ。丁寧に淹れられたコーヒーだ。自宅じゃこういうのは飲めない。一杯と言わず、3杯欲しいぐらいだよ」

「ふ、ふふふ」

 

チノが笑った。

 

「どうしたの?」

「いえ。ちょっと昔を思い出してしまって」

「昔?」

「はい。ココアさんが初めてこのお店に来た時のことです。最初から3杯も頼んだんですよ」

 

チノが目を閉じる。

その時のことを思い浮かべているようだ。

私も、見ていないはずのその光景を想像した。

ココアは最初、お客さんだったのか。

それが今はこの喫茶店の仲間。

運命というのは不思議なものだな。

 

「それじゃ、ココアちゃんはこのお店のコーヒーのファンだったのかい?」

「いえ、それが違うんです」

「違うの?」

「はい。ココアさんは、ウサギを探してやってきたんですよ」

「ウサギ……」

 

不思議の国のアリスかよ。

しかし、路地裏でもウサギの餌付けしていたしな。

ウサギが好きなのか。

 

チノの、ココアのことを話すときの表情は、実に楽しそうだ。

ドジなココアのことを敬遠しているのかと思ったが、意外に二人は仲がいいのかもしれないな。

 

私との会話を終え、チノがカウンターに戻っていく。

豆を小さなミルに入れて、挽いていく。

一回一回、注文ごとに手作業で挽いているのだと大変な作業だ。

細かく惹かれた豆を、サイフォンに投入。

コーヒーが出来上がっていく様子を、じっと見つめている。

そんなチノの様子から、彼女のコーヒーへの愛が伝わってきた。

小さな体で、お仕事を頑張っている様子は実に可愛らしい。

頭をなでて褒めてあげたくなったが、事案発生と言われそうなので、止めておく。

 

やがて、新しいコーヒーが出来上がり、カップに注がれる。

リゼがそれを持って来てくれた(ココアは相変わらずぼんやりと窓の外を見ていた)。

 

「おじさん、コーヒーが好きなのか?」

 

にっこりほほ笑み、問いかけられる。

 

「そうだな。好きだよ。自宅でもよく淹れている。でも、ここのは少し格が違う。さすが歴史がある喫茶店だね」

「そう言ってもらえると嬉しいよ。チノはさ、将来は立派なバリスタになりたいって頑張ってるんだ」

 

さりげなく、会話の中に≪歴史のある≫という単語を入れてみたのだが、特段返答はなかった。

そこで、会話の方向性を変えることにした。

 

「へぇ。バリスタか。そういうと、この店は大人はいないのかい?」

「あぁ。その……」

 

リゼがばつが悪そうに流し目をした。

 

「この時間帯は私たちだけなんだ。夜はチノのお父さんが出てるんだけど」

「へぇ。チノちゃんは、親子でここで働いているのか」

「うん。というか、お店の子なんだよ」

「だから子供なのに働いているのか。偉いな」

 

ここまでは、すでにマヤから聞いて知っていることだ。

もう少し情報が欲しい。

 

「夜ってのも興味があるな。全然雰囲気が変わるのかい?」

「そうだな。夜はバーなんだ。私たちは、お酒が飲める年齢じゃないからあまり詳しくは知らないけれど」

 

そこで会話が途切れてしまった。

 

「コーヒー、冷えないうちに飲んでくれよな」

 

そう言って、リゼはカウンターへ戻ってしまった。

私は小さく舌打ちした。

カウンターのリゼを眼で追っていると、先ほどのサイフォンを触っているチノが視界に入った。

私の一杯だけでは余ってしまったのだろう。

のこりのコーヒーをしばし見つめたのち、それをマグカップに注ぐ。

なるほど。

店によっては、次に来た客の分として使う場合もあるが、酸化して味が落ちる。

作りすぎた分は破棄するか店員が飲んでしまうかする主義か?

チノは、マグカップにミルクを注ぐと、アートピックを取り出した。

慣れた手つきで水面に突き立てていく。

 

「弛まぬ練習が技術を向上させる也、ってところかねぇ」

 

私はぼんやりとその様子を見つめた。

先ほどのリゼの絵は素晴らしかった。

チノも素早い動作でピックを操っている。

巧みな動きだ。

二人とも、機会を見てはこうして練習をしているのだろう。

コーヒーの淹れ方といい、ラテ・アートといい、レベルが高いな。

 

ちなみにココアは……。

あ。

テーブルに突っ伏して寝てる。

フリーダムだな、おい。

だがそのフリーダムさは多少うらやましくもあった。

私は、自由や理想の自分を求めてサラリーマンを辞めたが、結局こうして仕事をして飯を食っていく以上、しがらみや不自由さからは逃れられていない。

ココアにもココアなりの悩みがあるのかもしれないが、少なくとも私よりも、楽しげな毎日を送っているように感じられた。

安らいだ顔で居眠りしているココアを見ていると、自然に笑みがこぼれてくる。

 

――ちりん、ちりん

 

その時、鈴の音を響かせて入り口の扉が開いた。

 

「おーいチノっ。遊びに来たぜー!」

「こんにちわー」

 

やってきたのは仲のよさげな二人の少女……っていうか、片方はマヤじゃないか!

私と目が合うと、マヤが「あー!!」と大声を上げた。

私はため息をついた。

知り合いだとバレるだろうが。

大急ぎで、指でバッテンをつくる。

意味が通じたらしく、マヤが「しまった」という表情になった。

案の定、一緒に入ってきた女の子が問いかけている。

 

「急に大声出してどうしたの? びっくりしちゃったよー」

「あ、あはは。何でもないんだ。ほら、あれ!」

 

マヤが取り繕うように、さぼって居眠りしているココアを指さした。

 

「居眠りしてるの発見!」

「あー、ココアちゃん、寝てるー」

「またリゼに怒られるぞー!」

「ココアちゃん、起きてー」

「起きて、起きてー」

 

可愛らしい二重奏にココアがぴくりと反応する。

 

「んー、むにゃむにゃ、妹たちが私を呼んでいるようだね」

 

寝ぼけ眼をこすりながら起き上がった。

 

「もう。ココアさん、呼ばれなくても起きていてください……」

 

トレーを手に通りがかったチノが苦言を呈する。

 

「あはは。ごめんごめん」

 

反省しているのかしていないのかよくわからない感じでココアが頭をかいた。

私は立ち上がった。

マヤがボロを出すといけない。

長居すべきではない。

 

「お会計」

「はいっ。少々お待ちくださいませ」

 

チノのすぐそばで何かを語りかけていたリゼがさっと立ち上がった。

颯爽としたしぐさでレジに向かう。

手際よく計算して、私に値段を告げた。

 

「ありがとう。おいしかった」

「おじさん、また来てくれよなっ」

「もちろんだよ」

 

私はほほ笑んだ。

リゼがぺこりとお辞儀をして、またチノの元に戻っていく。

マグカップを両手で握ったチノに、何かを話しかけた。

私はその様子をしばらく見つめ、やがて店を出た。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

ラビットハウスを出ると、もう夕暮れだった。

宵闇が迫っている。

私はほんのわずかの肌寒さを感じた。

それは川沿いに吹いてくる冷たい風の為だった。

この街には、川が多い。

きれいに舗装された川沿いの道は、歩いていると心地よいものだ。

情緒のあるデザインの街灯がうっすらと灯りをともし始めていた。

私は口笛で、古いジャズ・ソングを吹いた。

川辺の柳に、失恋の顛末を語りかける歌だ。

川沿いの道を見ると、いつもこの歌を思い出す。

長年の癖のようなものだ。

 

――ぱしゃっ。

 

どこかから、水を打つ音が聞こえた。

思わずそちらに視線を動かす。

腰の曲がった和服姿の老婆が、路面に向かって水を撒いていた。

打ち水だ。

懐かしい。

今ではあまり見ることがなくなったが、昔は夕刻になるとよく見かけたものだった。

私の祖父も、もう死んでしまったが、夕暮れ時に軒先に必ず水を撒いていたものだ。

 

「精が出るね」

 

私はついつい、老婆に声をかけた。

老婆が、ぎょろりと見開いた瞳で私をにらんだ。

 

「精が出るとは何だい。目上を相手に失礼な男だね」

「それは悪かった。打ち水、大変だねと言いたかったんだ」

「ふん、これは日課さ。ずっと続けているんだ、大変もへったくれもないよ」

 

私は苦笑した。

気が強い老婆だ。

 

「店をやっているのか?」

 

見上げると、軒先に大きな木製の看板が上がっている。

 

≪甘兎庵≫

 

やれやれ、また兎か。

今日はつくづく兎に縁があるらしい。

 

「そうだよ。悪いかい? 大正時代から続いている由緒正しい店なんだ」

「悪くなんてないさ。ただ、さっき別の喫茶店にいたんだ。そこも名前に兎がついていた。そのことがおかしかっただけさ」

「ラビットハウスにいたのかい」

「知っているのか?」

「知っているさ。つまらない店だよ」

 

老婆の物言いに棘があった。

私は面白みを感じた。

単純にライバル店を悪く言っているだけには思えなかったからだ。

 

「つまらないってのはどういう意味だい?」

「そのまんまの意味さ。つまらない爺が作ったつまらない店だからそう言ったんだ」

「爺? さっき私が行った時には、若い娘さんしかいなかったようだが?」

「爺は死んだんだよ」

「へぇ」

「つまらない男がつまらない死に方をしたんだ」

 

私はため息をついた。

何かが得られそうで得られない会話だった。

老婆の言葉は、閉じられていて、それ以上の発展性がない。

 

「その爺さんが残した店があれってことか。店で働いているのは、娘さんかい?」

「孫だよ。小さな子供ばっかりだっただろう? 青い髪の子が孫で、あとはその友達さ」

「父親は?」

「あんた、なんだね。根掘り葉掘り聞いて」

「いや、他意はないよ。むしろ婆さん、あんたがあれこれ教えてくれたんだろ。爺がやってたって。それで興味がわいただけさ」

「ふん」

 

老婆が鼻を鳴らした。

 

「父親は夜に働いてるんだよ。バーをやっているんだ」

「同じ場所で?」

「そうだよ」

 

また、バーの話題が出てきた。

私の頭の中に、Yから聞いた言葉が思い出された。

 

≪ラビットハウスはもともとはキャバレーだった場所だ≫

 

夜の時間帯のバー営業。

キャバレーからの繋がりが感じられた。

 

ラビットハウスは、昼の喫茶は客入りがほとんどない。

バーのほうでやりくりしているのだろうか。

だとすると、わざわざ昼の喫茶営業を維持する必要はどこにある?

それも、あんな子供たちだけでやらせて。

 

その時、後ろから少女がやってきた。

 

「おばあちゃん、ただいま。あら? お客様?」

 

サラサラの黒いストレートヘアーの美少女だ。

 

苦虫を噛み潰したような老婆とは似ても似つかない。

 

「残念ながら、ただの通りすがりだよ」

 

私は会釈して、その場を去った。

少女の隣に、もう一人女の子がいた。

友達だろうか。

珍しい、金色の髪をした少女だった。

 

 


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