ヒュドラの毒牙 作:蛇好き
不穏な雲が天蓋を覆う。
まもなく雷鳴が轟き、波が舟を呑み込む。
ダイナは必死に舟にしがみつき、海に投げ出されるのを防いでいたが、今にでも舟が転覆してもおかしくない。
辛うじて、持ちこたえている、というような状態。
転覆するのも、最早時間の問題だ。
「とうちゃん、どうしよう?」
「余計な心配をするな。絶対助かる」
強い言葉で断言する。
そんな中、一際大きな波がやってきた。
大波に揉まれて、舟が跳ねる。
水が舟の中に入ったので、急いでかきだす間にも、風と雨がひしひしと強くなっていることがわかった。
絶えず波が押し寄せ、舟が揺れ続ける。
考えろ、考えろ。ダイナは自分に言い聞かせる。
自分の知識を総動員しろ、知恵を働かせろ。そして生きろ。
――転生して数年で力尽きるのは御免だ。
そんな思いが彼を突き動かす。
――俺は海に出る、成し遂げなければ死ねない。
決意が、ダイナの感覚を鋭く。脳をより動かす。
今はすべてにおいての能力が一段階高まっている。
見ろ、見ろ。
――今の天気の状況はどうだ、今、自分が助かるにはどうするべきか。
自問自答を繰り返し、的確に答えを紡ぎ出す。
それはさながらジグソーパズルをすらすらと完成させていく様。
最後の一片がピタリ、と収まってもなお、ダイナは不安を抱かずにはいられない。
――これで本当に合ってるのか、もしかしたらこれは最悪のシナリオを描くだけでは。
まさに、負のスパイラルに陥ったところで、前世の記憶を思い出す。
『やらねぇで死ぬよりもやって死んだ方が、後悔は無ぇだろ』
いつそれを聞いたかもう忘れたが、それだけは明瞭に覚えている。
――どうせ死ぬならやって死のう。
その結論を得るまで、さほど時間を要する事はなかった。
「とうちゃん、こっち」
現在、進んでいる航路の港に戻るコースから東に逸れるように、指を差した。
「今日のラッキーボーイはお前だからな。よし! 賭けてみっか!」
精一杯、面舵にきって、急転換。
揉まれる波の強さも、高さも変わらないが、助かる公算があるだけまだマシに思えてくる。
一体、どれだけ進んだのだろうか。
本当は全く進んでいなくて、結局なにもしていない様にも、順調過ぎるくらいに進んでいたのかもしれない。
島の影も見えない、だだっ広い海上では確かめる術がない。
今は、自分の計算を信じてひたすら進むしか道は残されていなかった。
俄かに雨が弱くなる。風も止んで来て、雨で霞んでいた視界もクリアになった。
そして、雷鳴の回数も減り、やがて、消えた。
空が晴れわたるのに比例して、彼らの顔も晴れていく。
「おい! ここ俺らの住んでる島の隣だ!」
父親の顔がぱっと明るく咲いた。
しかし、ダイナの住んでいる島は、まだ荒れ狂う嵐で覗く事が出来ない。
「とりあえず、嵐が止むまでこの島で休憩だな」
ゆっくりと島に向かい、砂浜で大の字に寝そべる。
「あは、あははは!」
意味もないのに笑える。
助かった事への安堵なのか、と自らの心中を模索するが、そうではなかった。
安心、達成感。考えうる感情のいずれにも当てはまらない。
そのうち、もうひとつの笑い声が重なる。
「よくやったよ、お前」
頭をぐしゃぐしゃと撫でられ、照れるダイナ。
「とうちゃん嵐が消えていく」
「ああ、もうすぐ帰れるな」
ふと、上を見ると、日が傾きかけていた。
「やべぇ! 急いで帰らねぇとかあちゃんに怒られる!」
母親に怒られる事をなによりも畏れ、嫌う父親のことだ。
きっとすぐに帰れる。命からがらの目に遭遇しても、いつもと変わらない父親の姿を見て、ある種の安心を覚えた。
今回「い抜き言葉」と「い」が付いている言葉がありますが、誤字ではありません。
あえて、キャラクターの言葉は崩してあります。