年齢や外聞などそんなくだらないものを飛び越えて、いつのまにか抱いていた想いに気がついた時にはもう遅かった。
言葉にできない想いは胸の中で育ち続ける。
* * * * *
帝国を取り巻く情勢が悪化した。
連合王国艦艇の撃沈に端を発したそれはラインを更なる地獄へと変えていった。
そして、先のアレーヌ市街戦。
私は間違いなくそれに恐怖した。
一人の帝国軍人として、それは必要であったと言わざるを得ない。選択肢は他になく、そうしなければ戦線は崩壊し帝国の危機を招いていたはずだ。
しかし一人の男としてみれば、彼女に悪逆を持って歴史に名を刻ませてしまったと嘆くしかない。たとえあの作戦の下になる論文が彼女の手によるものだとしてもだ。
正直言えばあの論文を見た時、戦慄した。その解釈を為せる彼女の才と、感性に。
先日見たあの微笑みの持ち主がそれを考えるなど信じられなかった。
だが、書かれた時期は軍大学時代。彼女がようやく軍上層部に上る端緒を掴んだ頃であり、他より自分は優秀であると示すためならば、あの論文が有効なのもまた理解している。
問題はそれを実行させてしまった我々帝国参謀なのだ。
それを為せるほど自らを律せる彼女の前に生贄を差し出してしまった。
従うほかない軍人に、与えたのは我々。
だから。
私は、その罪を彼女と共に背負おう。
一刻も早く戦争が終結できるよう知略を尽くそう。
そんな彼の後悔と誓いも知らぬというように、神は運命を指し示す。
より彼女を追い詰めるように。
ターニャ・フォン・デグレチャフが首都に帰還した。
レルゲンはその報を知り、安堵に胸を撫で下ろす。何はともあれ無事に帰って来てくれたことを喜べない彼ではない。
何故彼女が今回帰還したかを知っているだけに心苦しいのも確かだが。
そんなことを考えながら参謀本部の廊下を歩いていると、早速彼女と出会う。
「ご無沙汰しております、レルゲン中佐殿」
「先のアレーヌはご苦労だった、デグレチャフ少佐」
挨拶を交わすと二人は同じ方向へ歩き出す。どうせ向かう場所は同じだ。
「隊の士気はどうかね」
参謀として心配するのはまずそこだ。士気が下がった部隊にこれから協議する予定の物を任せられるほど生易しい世界ではない。
「副隊長の離脱は痛いですが、隊全体としては存外悪くはありません。今回の休養で立ち直れない者はそれまででしょうが」
「心当たりはどのくらいいる?」
「一人危ない者がおります」
レルゲンは隣を歩くターニャの顔をまじまじと見る。平然と言っているが、指揮をしながらもそれぞれをよく見ているからこその言葉だ。そしてそんな未だ彼女が切り捨てないのだ、その一人は立ち上がれるのだろう。
補充枠の関係でも頭を悩ませていたが、ひとまずどうにかなりそうだ。
「そうか。今後も頼むぞ」
「はっ。ありがとうございます」
彼らが揃って執務室に到着すると、下士官はすぐに二人を取り次ぐ。
執務室では様々な資料に囲まれたゼートゥーアが待ちかまえていた。
「アレーヌはご苦労だったな、少佐」
「はっ、命令に従ったまでであります。閣下」
「その件で今回は来てもらった」
ターニャは身構える。首都までの道中、ウーガから秘密裏に話を聞いていたものの、実際に聞いてみればそれは確かに予測困難で、この戦況を打開できる作戦に聞こえた。
「何か聞きたいことはあるかね?」
「いいえ」
彼女がそう答えると、ゼートゥーアはレルゲンとターニャ以外を退出させる。
何事かと彼女が思っている内に、彼は無言でターニャを手招きした。そして彼女が横に立つと、今回の作戦の実態を耳打ちする。その内容に彼女は驚愕を見せる。
「なんと。そんな作戦であったとは。考えもしませんでした」
「ほう。『白銀』がそう言うのなら成功率も上がろうというものだ」
にやっとゼートゥーアがレルゲンを見る。
「過分な評価であります」
普段の冷徹さを崩さないままそう答える彼に更に驚くターニャ。
参謀本部の若き俊英と聞いてはいたが、その能力を目の当たりにするのは初めてだった。なるほど、この准将閣下が重用するはずである。
「今回の件では貴官率いる第203航空魔導大隊にも甚大な被害が予想される。指揮系統の混乱が無いよう十分留意せよ」
「であれば、その後の補充についても滞りないと考えてよろしいのでしょうか」
「無論だ。それを打開するための武器開発も工廠に指示している。安心したまえ」
「承知いたしました」
それが203に代わるものでないといい、とターニャは内心で呟く。それが代替となるものであれば、今回の作戦でアレーヌの口封じとして使い捨てられる可能性すらでてきてしまう。
これから赴く戦場の劣悪さに暗澹たる思いを抱えながら協議を続けていたターニャ。ようやくそれが終わり退出しようとする間際で呼びとめられる。
「ああ、少佐。もうひとつ言い忘れていた」
「はっ!なんなりと」
「貴官ら、今夜二人で食事にでも行ってきたまえ」
二人は呆気にとられてしまった。至極真面目な顔で次はどんな難題を課せられるだろうと聞いていたのに、肩透かしを食らった気分だ。こんな状況でさえなければ軍務でお疲れなのだろうと軽く流してしまうところだ。いや、正しくお疲れなのだとは思うのだが。
「まさか貴官ら、揃って例の特命事項を忘れていたわけではなかろうな」
普段は閉じられたままのゼートゥーアの目が薄く開かれる。あ、これは本気だ。
「いいえ、閣下。とんでもないことであります」
「しかし、この状況で、でありますか」
「だからこそだろう。最前線に向かう婚約者がいるのに何もない方が訝しがられる」
言いたいことはわかるが、それは時と場合によると思うのだ。表向きは大規模攻勢と銘打っているのに、参謀本部の将校が時間をもてあましているわけがないだろう。
「閣下、私にはまだ作戦準備が残っております」
レルゲンが言い募るがゼートゥーアはそれを鼻で笑ってあしらう。
「副官にでもやらせておけ。抜けるための理由ならでっちあげてやる。どうしてもということだけ肩代わりしてやろう」
ゼートゥーアの言葉にレルゲンが顔を引きつらせる。さすがのターニャも同情の視線を送らざるを得ない。
「これも軍務だ。従いたまえ」
諦めたように顔を引き締め敬礼する二人。
その顔がどうにも似て見えて、ゼートゥーアは思わず目を疑ってしまった。
協議の後、二人してゼートゥーアの執務室を辞すると、彼らは揃ってため息をつく。
「閣下には困ったものだが……」
「ええ。命令されれば従うのが軍人ですので」
彼らは視線を交差させ、職務まっとうのため計画を立てる。
「私は副官に指示をしてくる。しばらくかかるが構わないか」
「もちろんです、中佐殿。私もその間に根回しを行おうと思います」
「よろしい。では、1800に参謀本部正門前で落ち合おう」
「了解いたしました」
そうして彼らは正反対の方向に、颯爽と歩いていった。
約束の18時。
時間通り、軍務に片をつけて待ち合わせられるのだから、さすが優秀である。
「では、行こうか」
レルゲンにエスコートされ、下士官の運転する車へ乗り込むターニャ。
彼に連れられて入ったのは参謀本部からそれほど離れていない高級店だ。
ウェイターはレルゲンの顔を見てすぐに奥へと案内する。彼も慣れたようにそれに続き、座るとすぐに「いつものを」と注文していく。
「最前線が長かった分、こういった食事は恋しいだろう」
「そうですね。航空魔導士は優遇していただけているので、戦地ではとても愚痴など申せませんが」
その後も軍用チョコレートや代用コーヒー、常在戦場食堂の愚痴などを交えながら談笑していると、次々と食事が運ばれてきた。
その見た目の豪華さもさることながら、その味にターニャは感嘆する。
「首都ではまだこれほどの物が食べられるのですね」
とんでもない、とレルゲンは苦笑する。彼だっていつぶりだろうかという味だ。
「料理人の腕だな。この状況でも味を維持できるのだから素晴らしいという他ない」
「良い店に連れてきていただけました」
聞けば、将校御用達の店なのだという。予約も無く入ったにも関わらず、個室へ通されことにも納得だ。
「この食事をすることも軍務とは。部下たちに知られれば恨まれてしまいますな」
「なに、諜報用の裏経費だ。気にせず存分に食べたまえ」
その一言に、もしやゼートゥーアは最後の晩餐の機会を与えたつもりだろうかと勘繰ってしまったのも責められないだろう。それほどの味だったのである。
食事を終えた後、彼らはしばらく情報交換をしていたが、レルゲンはふと口を閉ざした。
ゼートゥーアが立案し、彼がさらに提案したものを加味した結果できた今回の作戦は、彼女と彼女率いる大隊に死んでこいと言うも同然のことを命じている。帝国の為にはこの作戦が最善であると考えている。軍人としては迷いなくそう言いきれるし、その為に命じたことも間違っているとは欠片も思っていない。
だが、それが許されるかといえば別の問題だ。恨まれても仕方がない。
だから一言だけ、ひとりの人として彼女に言いたかった。
「ターニャ」
そんな思いだったからだろう。つい彼女の名前が口をついて出た。
「あんなこと立案しておいて、と思うかもしれないが……私はきみに生きていてほしいと思っている」
らしくない物言いに彼女は眉を上げ、わざとらしく驚いたようにしてみせる。
「てっきりアレーヌの口封じかと思っておりました」
自嘲するように嗤うターニャに慌てて否定する。
そんなわけないではないか、と。
同時に胸が苦しくなる。やはり彼女はあの一件の残虐性、そしてそれを立案したことそのものに対する責任を正しく理解しているのだ。
そのうち言葉が出てこなくなってしまったレルゲンに、彼女は呆れたように笑う。
動揺の具合で、自身の不安に対する真贋を確認したかったのだが、何てありさまだ。普段の冷徹さはどこへ行ったのやら。彼のこんなところを見ることになるとは思わなかった。
「ご安心を、レルゲン中佐。私はまだ死にたくなどありませんので」
たとえその先に困難があろうとも私には生きてすることがあるのだ。
ターニャは不敵な笑みで彼の心配を一蹴して見せる。
「生きて帰って御覧に入れましょう」
「と、言ったものの……くそっ存在Xめっっ!!!」
砲弾が降るラインの上空でターニャは激しく罵る。
ターニャの育て上げた大隊ですら半数近くが脱落していく恐るべき戦場。エレニウム95式を多用しなければ彼女も生き残れはしない。よりにもよって帝国の殿軍とは随分と評価されたものだ。彼女の隊員も彼女自身の魔力も底なしではない。この戦場だけで何度命の危機を感じたかわからない。
だが、その度にレルゲンの生真面目な顔が頭を過るのだ。
ここまで精神汚染が進んでいるのかとゾッとする。
私は男だ。こんな体に引きずられてどうするのだと声を涸らして叫びたい。
だのに、思い浮かぶのが彼の顔だということに悪い思いがしないのだ。なんて度し難い。本当に、まったくもって腹立たしい。やはり存在Xには私自身で死の鉄槌を食らわしてやらねば気が済まない。
「お前などに負けるものかっ!絶っっっ対に生きて帰ってやるっ!」
誤り無きよう申しておきますが、
筆者は心からデグ閣下の幸せを願っております。