彼女は何があって化け物となったのか。
レルゲンはそれを知るべく、ターニャ縁の場所へ赴くことを決めた。
* * * * *
ベルン郊外の教会付き孤児院。畑の中にぽつんと佇むそこでターニャ・デグレチャフは育ったらしい。
孤児院に向け車を進めながら、以前読んだ報告書をレルゲンは思い出していた。
ターニャ・フォン・デグレチャフの資金流用疑惑。
内偵の過程で偶然浮上したそれは、定期的に彼女の預金から引き出される大金の行方を追ったものだった。引きだされる度に増えるその異常な額と、孤児院で育ったというスパイを疑える出自の余地に、敵国への資金流出を考えたという。
結果はもちろん、白。
当時のレルゲンは、あの化け物がそんなわかりやすいミスをするものかと情報部に冷めた視線を送ると同時に、ターニャ本人が知れば担当官の二階級特進もあるだろうと同情したものだ。
そんなことを考えていたものだから、車を止めドアを開けた瞬間聞こえてきた言葉に面食らってしまった。
「この『白銀』デグレチャフに続けぇぇ」
「おおおお!」
この孤児院の子どもたちがごっこ遊びでもしているようだった。わぁ、わぁと声を上げながら帝国側と敵国側に分かれて銃を撃つふりをしている。時折「衛生兵!衛生兵!」という救援の声まで聞こえるのにレルゲンは笑ってしまった。
レルゲンがしばらく様子を見ていると、敵国役の子らが全員負けたようだった。次はどうすると騒いでいる内に、子どもの一人がレルゲンに気がつく。
「あっ!知らないやつがいる!」
「なんだと!ターニャお姉ちゃんの敵だ突撃ぃ!」
レルゲンは目を瞬かせた。彼には甥っ子も姪っ子もいるが、しばらく会っていないため、こういったごっこ遊びの相手は慣れていない。どうしたものかと思案していると、その様子をどこからか観とめたシスターが慌てたように飛び出してきた。
「あなたたち!何をしているの!お客様に失礼でしょう!!」
子どもたちも戦略的撤退だぁ!逃げろーっ!と蜘蛛の子を散らしたように駆けていく。
シスターは汗を流しながらレルゲンの下へやってくると深々と頭を下げた。
「子どもたちが大変失礼致しました。」
「いや、構いません。子どもが元気なのは良いことです」
ところで、とレルゲンは続ける。
「先ほどの彼らが話していたのは?」
「今や『白銀』と呼ばれているターニャ・デグレチャフのことですよ。彼女はここの孤児院出身なんです」
どうやらこの老シスターは、ターニャの育ちを知っていそうだとレルゲンは世間話のように会話を続ける。
「なんと、あの、『白銀』ですか。詳しく話を聞かせていただいても?」
人の良さそうなシスターは快諾してくれる。その表情は孫を思い出すかのように優しく、どこか誇らしげだ。
「子どもたちのあの様子だと随分と慕われていたのですね」
「それはもう。周りをよく見て世話を焼く賢い子でした」
シスターに連れられ、教会の中を見て回らせてもらう。
室内から外を眺めれば、先ほどの子たちがまた軍人ごっこをして遊んでいた。一人の帝国軍人としては祖国を思う次の世代が育っていることに嬉しくもあるが、参謀として若者が命を散らす現状を知る身としては何とも言えない気分になる。
「かわいらしい子たちでしょう」
「あぁ、ファリア神父」
振り返ると老神父が教会の奥からこちらに向かって来ていた。
彼がこの教会と孤児院の代表者らしい。彼と挨拶を交わすと、入れ替わりにシスターが礼をして立ち去っていく。それを見送ると同時だった。
「あの子は元気にしておりますかな」
動揺を悟られぬようにレルゲンが神父の方を振り向くと、彼を射抜くような眼差しが向けられていた。
これは隠しきれない。
別段隠していたわけでもないのだが、思わずそう感じてしまうような鋭さだ。
「失礼いたしました、私は」
「あぁ、そういうことではないのです。教会は様々な方が来る、開かれた場所。それぞれに理由があり、こちらもまた、その方一人一人を探るようなことは致しません」
私は彼女の様子を知ることができれば良いだけなのです、と神父は続けた。
その言い草にレルゲンは確信する。
「なるほど、貴方のような方のもとで育ったのならば、彼女の聡明さも理解できます」
神父は口元に笑みを浮かべて否定した。
「とんでもない。私が何をするまでも無く彼女は優秀でした。私にできたのは書斎への入室を許可したことくらいです」
本人がそう言おうと、レルゲンにはそんな風には見えなかった。恵まれた環境に生まれ得なかったターニャにとってこの神父の一助は価値あるものだったことだろう。
「どうやらあなたはターニャをよく知っておいでのようだ」
「…そうですね、士官学校時代から知っております」
それだけ答えるのに一瞬間があったのは例の事件が過るからだ。
その間を隠すようにレルゲンは今の彼女の様子を伝える。神父はその話を何か考え込むようにじっと聞いていた。
「いくつか伺ってもよろしいですかな?」
もちろん、とレルゲンは答える。
「彼女が望んで着いた航空魔導士という兵科ですが…それは危険な兵科なのでしょうか?」
「……ええ、魔導士官の数ある兵科の中でも、最も弾丸から逃れられない兵科でしょう」
「そうですか。国からいただくお金もその分多いのでしょうな?」
「その通りです。人数が少ないこともあり他に比べれば高待遇で受け入れられています。その危険性に照らし合わせれば僅かではありますが、飛行手当や危険手当なども出ているはずです」
この知的な神父がいきなり金銭の話をし出したことにレルゲンは疑問がないわけではなかった。それでも真摯にありのままを伝えたのは、神父の表情が険しく、ともすれば泣きそうにも見えたからだ。
誠実に答えたレルゲンに神父もまたそれを返してくれた。彼女の幼少期を語ってくれたのだ。
物心ついた時には聡明であったという彼女。幼いころより物言いは厳しかったが、それでも周りの子らには慕われていた。その聡明さは勉学にも表れ、その片鱗に気付いた神父が早いうちから書斎の本を読む許可を出したらしい。時間があれば書斎にこもりっきりだったと聞けば、軍大学図書館に入り浸るという今と何ら変わりないようにも思う。
そして健康診断があった、あの日。
彼女は軍による魔導適性結果を見て笑ったのだ。あの鬼才が運命づけられてしまったその道を分らぬはずもないというのに。
もっと早く、その意味に気がつけばよかった。
神父もシスターも彼女を取り巻く誰もが気付かぬうちに、彼女は入隊してしまった。
「見ての通り、ここは決して裕福ではない孤児院です」
神父によればそれでもこの戦中においてよく現状維持している方なのだという。
これまではどうにか寄付を募りながらやりくりしてきたが、戦線拡大に伴い、その金額は減る一方だ。今ではターニャから時折送られてくる寄付が命綱であった。
戦線の拡大はつまり、それだけ離散する家族を増やし、孤児の受け入れ数も増やさざるを得ない状況を生み出している。彼女の寄付額が毎度増えていなければ孤児院の経営は回らなかった。もっと早いうちに薬や食料も間に合わなくなっていただろう。
「私は当時を思い出し後悔することがあります」
もしも、あの聡明さがなければ、彼女がそれに気づくことも無かったのか。
もしも、気づきさえしなければ、彼女は自ら軍に飛び込むことも無く、徴兵されるまでの猶予をもっと子供らしく生活することもできたのか。
もしも、その間に戦争が終われば、彼女が弾雨の中で泥を啜って生きることもなかったのだろうか。
様々な形で彼女の現在を知る度、ありとあらゆる「もしも」が積み重なるのだ。
神はなんと残酷な運命を与え給うたのかと考えてしまう夜がある。
「神父失格ですな」
幼き日のターニャを知る老神父は、そう自嘲した。
レルゲンは何も言うことができなかった。言えるはずもない。そんな境遇を持って戦場へ向かう彼女を「化け物」などと称してしまう自分には。
それでも1つだけ聞きたいことがあった。
「入隊後、彼女はここへは戻って来ていないのですか」
「私もシスターたちも、先ほど遊んでいた子どもたちも、当時彼女と寝食をした者は皆待っておりますよ。それは間違いなく。
ただ、戦争孤児が増えた今、血と硝煙の匂いが染みついてしまった彼女がここを訪れれば、戦場の記憶を思い出す子が必ず出てくるでしょう。それがわからないあの子ではありますまい」
それに気付き、その考えのままに行動できる聡明さを持つからこそ、彼女は今ここにはいないのだから。
「彼女はまるでアザミのようです」
その言葉は神父の包み込むような親愛の情と深い哀しみとに彩られていた。
「アザミ?連合国の逸話ですか」
意味を受け取り損ねたレルゲンの様子に、神父は苦笑する。
「あぁ、あなたは非常に聡明だが、根っからの軍人気質のようだ」
神父は幼子に語るように穏やかにそれを告げた。
「花言葉ですよ。まるで彼女を表すかのような、ね」
その意味は「独立」「人格の高潔さ」「厳格」
神父に礼を尽くして孤児院を立ち去ったレルゲンは深い思考に身を浸していた。
身寄りも無く、入隊してからは帰る家も失った。
前には銃弾飛び交う戦場が待ち受け、後ろには勝利を求め、命を預けてくる部下たち。さらに後方には守るべき孤児院の人々。
幼い彼女の両肩にどれだけの重責がのしかかっているのか。その足元がどれだけおぼつかないか。レルゲンはこの日初めて理解した。
そして思いを馳せる。それを為すために彼女がどんなことを考えたのか、を。
彼女は誰よりも軍人であらねばなかったに違いない。孤児院の人々を支えるためにも駆け足で出世をしなければならなかったことだろう。背筋の凍るあの技術も、あの狂気的な合理主義も、人を資源と言えるその頭脳も。それが無ければ彼女はここまで来られなかったのだ。
そうやって手に入れたのが今の『白銀』の地位なのだ。
なんということだろう。
もしかしたら、あの化け物は、虚勢を張り続ける幼女に過ぎないのかもしれない―――。
そのことに思い至った時、エーリッヒ・フォン・レルゲンはこれまでの生涯の何よりも強く後悔した。
ようやく好感度プラスのレルゲンさん。
ちなみに、本作の後世において伝えられるターニャ・フォン・デグレチャフの栄光は、合理的すぎる彼女の努力と多数の「勘違い」から生まれています。
次回はデート(?)回のはず…