アザミのような貴方へ【完】   作:きょうの

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この話以降、Web原作の後半を示唆する内容が含まれます。未読の方はご注意ください。





第11話

 手離したくないと願う心は間違いなく自分のもので、それはきっと永遠に胸の中でくすぶり続ける。

 それによっていつの日か後悔する日が来るかもしれない。

 それでも、そのために生を諦めるなどできはしないのだ。

 

 

 * * * * *

 

 

 

 オペーレーション・ディステルを受けてか連邦の動きが一時衰えた。帝国の諜報部隊によれば、白銀奪取が叶わなかったことで制裁が降りたらしい。

 帝国はその隙を逃すまいと、次の手に打ってでる。

 

「来てしまったな」

 

 ゼートゥーアがひとりごちる。とうとうその日が来てしまった。それを示唆されてから回避する方法を考え続けたが、どれだけ考えてもその未来が見えない。紫煙を燻らせながら感情を抑える彼の目の前で、ターニャはその決断を待っていた。

 

「どうかご決断を、閣下」

 

 ターニャの強い語気に促され、横で聞いていたルーデルドルフは一縷の望みがないかを探す。

 

「……もう覆せんかね?」

「その段階は過ぎたと確信いたします」

 

 彼女の言うとおりだ。わかっていて、それでもと願うのは愚かな感傷に過ぎない。

 

 だが、それにしても、なぜこの幼女はそれをこんなにも冷静に話せるのか。少しは躊躇いや悔しさを滲ませてくれれば人間味もあるのだが、彼女にそれを望むのは間違いなのだろう。

 

「我々は責務を果たせるかね」

「果たしましょう。我々に残された道はそこにしかありません」

 

 断言した彼女にゼートゥーアとルーデルドルフは視線を交わす。

 ゼートゥーアはもう決断をしたらしい。旧友の覚悟を見てとってルーデルドルフは最後に聞きたいことがあった。それは本来ならするべきでないが、この祖国を任せてもいいのかという故に出た質問だった。

 

「彼は知っているのか」

「閣下が決断されれば知ることになるでしょう」

「それでいいのか、貴様は」

「何を迷うことがありましょう。私は帝国軍人です」

 

 揺らぐことなく当然のようにのたまうターニャを見ればゼートゥーアやルーデルドルフですら恐怖を抱く。こんな彼女に、なぜレルゲンが沿う決心をしたのかが彼らには理解できなかった。この化け物と縁を結ばせたときに多少なりとも申し訳なさがあったはずだが、それが杞憂となって久しく、今や彼らは帝国の双璧ともいえる存在感を示している。

 サラマンダー戦闘団といい、レルゲン准将といい、この化け物に感化された者はみな狂気に飲まれてしまうらしい。

 

 そう思ってふたりは自嘲する。彼女を戦場に送り続ける自分たちが何を言うのだ。そうだ、狂わなければ生き残れない時代ではないか。ならば、狂気のこの作戦に乗るのも一興だろう。とうの昔に腹は括ってある。

 

「貴様の案でいこう、デグレチャフ中佐」

「貴様らになら後を任せられる」

 

 二人の決断に、ターニャはできる限りの礼を尽くした。

 

 

 

 

 

 その後、秘密裏に集められた会議にて、レルゲンはその案を初めて目にした。

 

 作戦への驚愕や懸念さまざまな思いが渦巻く中、いくつかの視線が彼を気遣わしげに伺っている。表面上は普段通りなのが余計に不安を煽った。

 その視線とは別に、レルゲンはただひたすらに作戦内容を精査していた。今ここにあるべきはライヒの未来を担う帝国軍人であって、彼女を想う男ではないのだ。なればこそ、僅かばかりの瑕疵も許さぬようにあらゆる状況を想定し他の手を模索し続ける。

 

 けれど、彼の目には瑕疵は見つからなかった。

 

 さすがは愛すべき化け物。この期に及んでミス一つもしようものがない。

 彼は会議の場であるにもかかわらず、口の端を釣り上げる。それを見た幾人かが動揺するのがわかった。対照的にゼートゥーアとルーデルドルフは誇らしさすら交えながら様子を見ている。

 

 作戦を見て笑う彼を見て、彼女が知らせなかったのがようやく理解できた。言わずとも己がなすべきを理解するならば彼女も安心して戦地へ立てるだろう。

 なるほど、自分たちが口にした「後を任せる」という言葉が身にしみる。何十年がかりとなるであろうライヒ再興を担える人物がここに揃っている。ならば、我々は後進の道を整え、あるべきところへ向かうのみ。

 

「諸君」

 

 ゼートゥーアの声に皆が姿勢を正し、注視する。

 これまでのライヒを支えてきた者の重みが、その声には宿っていた。

 

「諸君らがライヒを救うのだ。頼んだぞ」

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 要らないと言ったはずなのに、上官たちの計らいで作戦前に時間が与えられた。余計な感傷を得たくはなかったが、命じられては仕方がない。その時間を扱いあぐねた結果、ふたりはいつものようにコーヒーを飲むことにした。しかし普段ならテーブルを挟んで向い合せに座るはずが、今日ばかりは長椅子に横並びに腰かける。

 

 ヴィーシャの淹れたコーヒーを飲みながらターニャが懐かしい話を持ち出した。

 

「以前、あなたに潜入任務は向かないと言われたのですが…、覚えていらっしゃいますか」

 

 レルゲンは柳眉を寄せて考えるが思い出せない。

 

「いや、すまないが……」

「初めて二人で出かけた時のことです。言われた時は随分と腹を立てたものですよ」

 

 彼は驚いたように目を瞬かせた。

 

「湖畔の店に行ったときか?あの時のことを覚えていてくれたのか」

「あなたは私を何だと思っているのですか 」

 

 呆れたように責めるターニャにレルゲンは謝るしかない。作戦前に何て体たらくだ。

 

 軍人としての顔がすっかり抜け落ちた彼に肩を竦めて、ターニャは意地悪をしてみる。

 

「あの時そんな風に称された私が、潜入任務を任されるとは思いませんでしたよ」

「きみはいつだって私の想像を超えてくるからな」

 

 自分が立案したくせに冗談めかしてそう言うターニャに、レルゲンも口の端を吊り上げさせて同じように返す 。

 

「今回だって成し遂げて見せますよ」

 

 ターニャはいつもの自信に溢れた凶悪な笑みを見せる。脇目に彼女のその顔を見て、レルゲンは苦しそうな顔に変わり、絞り出すように本音を吐露する。

 

「……すまない。止めない私を許してくれ… 」

 

 それは命令を絶対とする帝国軍人としてであり、彼女を愛するひとりの男としての言葉だ。

 ターニャはその言葉を受けて、まっすぐと空を見たまま微笑む。

 

「いいのです。そんなあなたを私は愛しているのですから」

 

 常に冷静なはずの彼がその言葉に体を大きく震わせた。ぎこちない動きでターニャの方を向いたレルゲンは顔をくしゃくしゃにしながら泣き笑いをする。

 

「初めて、言ってくれたな」

 

 震える声でそう告げて彼は、細いターニャの体をかき抱く。

 

「タ、ーニャ…ターニャ、ターニャ、ターニャ…っ、愛している…愛している……っ!」

 

 切なる声が彼女の心に沁み込んでいく。なんと甘い声か。蜂蜜のようにとろける声に、せっかくの覚悟まで絆されてしまいそうだ。ターニャの声も普段の険がとれ、甘く濡れ出す。

 

「ええ、エーリッヒ。愛しています」

 

 この時が永遠であればいい。このふたりをしてそう思わせた。もう2度と離れたくない、と。

 

 しかし、無情にもドアを叩く音がした。この蜜時の終わりを告げられる。

 

「エーリッヒ」

 

 ゆっくりとそのわずかな隙間さえ惜しむように彼らはその腕を緩ませる。

 

「必ずあなたの下に戻りますよ。私は生きるために行くのですから」

 

 ターニャの誓いが胸を打つ。そう言いきられては、もう止める術はない。

 レルゲンは覚悟を決め、代わりに覚悟の証ともいえるものをひとつ差し出した。

 

「待っている」

 

 彼の掌の中で鈍く光るそれは、アザミ作戦のときに彼女が返したあの鍵だ。

 

 ターニャはこの段になってようやくその端正な顔をゆがませた。

 自身の内からそんなものは受け取るなと声が聞こえる。それは自分を縛る呪いだ、この関係は切り捨てて新たな地で生を望めと声高に騒ぎ立てる。

 以前の彼女ならそうしただろう。合理的に生きようと思えばそれは間違いなく正しい。

 

 しかし。

 

「……お預かりいたします」

 

 その感情を封殺して、彼女はその鍵を握りしめる。

 

 前世と合理性、その他様々な矛盾を殺して得たものを彼女はもう諦めようなどとは思っていなかった。前世に引きずられていない、この世に生を受けた『ターニャ・フォン・デグレチャフ』という一個人だから持ちうる感情。今となればむしろそれは心地がいい。

 

 

 

 そして、ふたりは全ての感情を拭い去って、軍人の仮面を被った。

 

「ターニャ・フォン・デグレチャフ中佐。任務の遂行を願う」

「はっ、行ってまいります」

 

「「ライヒに黄金の時代を」」

 

 

 

 

 かくして妖精は異国の地へ舞い降りる。

 


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