第1話
「皆さま、こんばんは。
今日皆様にお届けするのは、先の大戦の伝説、ターニャ・デグレチャフの新たな表情です。
先の大戦で、彼女は異例の幼さで少佐を拝命し優秀な航空魔導士として戦闘団を率いました。
彼女の勇ましくも悲劇的な生涯は多くの方がご存じかと思います。
このたび、そんな彼女の婚約証明書が発見されました」
そこには『白銀』の二つ名を持つ戦場の伝説ターニャ・フォン・デグレチャフと、恐るべきゼートゥーアの右腕として知られる若き先鋭エーリッヒ・フォン・レルゲンの名が並んでいた。
如何に戦時中とはいえ、如何にレルゲンがユンカーの血を汲むとはいえ、この年齢差の婚約は滅多なことでは組まれない。婚約証明書のレルゲンのサインが不要に揺れにじんでいるあたりに当人すら困惑していたのが見て取れる。
「当時何があったのか。そこに愛はあったのか。
戦後記念番組、今日はその謎を皆さんと共に追ってみようと思います」
* * * * *
その日、ターニャは首都に呼び出されていた。わざわざ呼び出すということはまたもや危ない作戦だろうかと頭を痛めながらも、呼び出した張本人の執務室へ向かう。
「第203航空魔導大隊少佐ターニャ・フォン・デグレチャフ、出頭いたしました」
入室許可が下り、中に入ると馴染みの顔が見えた。
「御苦労、デグレチャフ少佐」
「はっ、失礼いたします」
そう言って先客の隣に並ぶターニャ。ちらりとそちらを見ると、並び立つその人もこちらを見て渋い表情をしている。彼もターニャが呼ばれるとは思っていなかったようだ。
「さて、レルゲン中佐、デグレチャフ少佐。諸君らに頼みたいことがあってな」
その言い草にターニャは内心舌打ちをする。存在Xめ、どこまで私を追い詰めるつもりか!許されるなら今すぐ耳をふさいで立ち去りたい。
だが、そんなことは許されるはずもなく、ゼートゥーアは1枚の紙を差し出す。それをレルゲンが受け取った。
「……閣下、これは、いったい…」
内容を一瞥したレルゲンが思いっきり表情を強張らせる。知性と理性の人とも言われるレルゲンが上司の前ですることではない。が、確認したいターニャは背が届かず、背伸びまではせずともできるだけ体を伸ばして内容を見ようとする。
「レルゲン中佐、彼女にも見せてやりたまえ」
「…はっ」
渋々と、どうか冗談であってくれと言った気持ちが伝わる表情のまま、彼はターニャに紙を渡す。ターニャもまたそれを受け取り、ぴしっと固まった。
「婚約、証明書…?」
困惑しきった二人を、ゼートゥーアは満足げに眺めている。あの白銀が困惑しきった様を見るのはなかなか興味深い。ひとしきりそれを楽しむとゼートゥーアは表情を引き締める。
「突然のことで困惑したとは思うのだが、これは特命事項として受け取ってほしい」
その一言で余りの動揺に茫然としていたターニャとレルゲンも、普段の理性が戻ってくる。そんな二人の表情が険しくなる話をゼートゥーアの口から語られていった。
* * * * *
正式に帝国行政府から婚約の認定が下りるとレルゲンはこれまで以上の胃痛に苦しむようになっていた。胃薬だけでなく痛み止めも手放せない。
その報は彼が予想していたよりも遥かに早く、参謀本部を始めとして首都の各部署に広がったのだ。
それとあわせて様々な思惑を含んだ視線がレルゲンに向けられるようになった。困惑や忌避など視線から何故だか恨みがましい視線まで、彼には理解できないもの多数。あれは政略結婚だ、軍務だ、我慢だとわかっているにも関わらず、知性の人レルゲンをして耐えるのに精神を削っていた。そんな彼を知らぬまま、かの『白銀』は今日も最前線で戦っている。
「レルゲン中佐殿」
参謀本部で彼に声をかけたのは、ウーガ大尉だ。ターニャの同期であり、彼女の数少ない友人の一人としても知られる。彼の目に在らぬ思惑がないことに、心の内でレルゲンはほっとした。
「お忙しいところ申し訳ないのですが、勤務外でお時間をいただくことはできないでしょうか」
「なに?軍務とは関係ないのかね?」
「…はい、あくまで私事として受け取っていただければ」
一瞬言い淀んだがウーガはそう返答した。レルゲンはこの真面目で名が通るウーガがわざわざ勤務中に声をかけたことに疑問は覚えつつも、勤務終了後に会うことになった。
「お時間いただきありがとうございます、中佐殿」
勤務後、彼らはゾルゲ食堂に場所を移していた。二人の前にはそれぞれコーヒーが置かれている。
「構わない」
レルゲンはそう言うとコーヒーに口をつけた。
「旨いな」
「ええ。ここのは私も気に入っております」
さて、とウーガは一息置いた。
「ここからお話しするのはあくまで私事としてです。彼女の一友人としてお願いしたいのです」
その言葉でレルゲンは嫌な予感がした。彼女と言ったか。それは『白銀』を冠する彼女か。
「先日レルゲン中佐殿と、デグレチャフ少佐が婚約したと耳にしました」
やはりか。
レルゲンの表情が目に見えて強張る。今更になって、この真面目で名が通るウーガに呼び出されたことに内心恐怖すら感じていた。年齢だけでなく様々な問題を抱える婚約だ。まさか糾弾されるわけではなかろうか?
だが、彼は政略結婚だったとしても、と前置きをした。
「帝国の一軍人ではなく、マクシミリアン・ヨハン・フォン・ウーガという一個人として、あなたを見込んでお願いしたい。どうかどうか彼女をこの世へ繋ぎとめていただきたい」
「な、にを……」
思いもよらぬことにレルゲンは返答すら言い淀む。
私には彼女が生き急いでいるようにしか見えないのです、とウーガは続けた。
「……貴官はなぜそこまで?」
「彼女は苛烈な言動ばかり目に入りますが、それは愛国心のため。相手を思いやるがため。そのことを知っているからです」
そして彼は軍大学時代の話をレルゲンに聞かせた。
彼女がなぜ軍に入ったのか。彼女の語った生涯。
そして、娘が生まれた話を聞いて、ウーガに後方勤務を勧めたこと。
彼女の境遇についてはレルゲンも聞き及んでいた。というより、士官学校時代の一件があって調べさせたというのが正しい。
どうやら彼女は内に入った者に対しては彼女なりの愛情を示しているらしかった。
あれほど化け物や錆銀と呼ばれ大の大人すら恐怖する存在はいないというのに、その配下の者たちは彼女を敬愛し、彼女のためなら死をも厭わぬ精鋭と化している。
「しかし…恥を忍んで言うが、私は彼女の士官学校時代の行動が忘れられぬのだ」
レルゲンの告白を聞き、なぜかウーガは表情を和らげた。
「中佐殿ご存じですか。その時教育を受けた彼は、今、新人教導を志しているのですよ」
「…は?」
なんとウーガは先日彼と偶然会ったというのだ。視察に行った先で非常に規律正しい中尉に出会い、まるでかの大隊のようだと褒めたらしい。それが彼だったというのだ。
彼曰く。あの時は屈辱を通り越し、死の恐怖さえ感じた。だが、実際に現場に出て部下を率いる身になってみると、あれは苛烈ではあったが必要なことだったと実感した。あれは我々を思うが故のものだったのだ。悪化する戦況でも、どうにか生き延びられているのもあの教育を受けたおかげだ。今はただ、当時の自分を恥じる気持ちと彼女への感謝があるのみなのだ、と。
レルゲンは自分の耳を疑った。
なぜそうなる?まさか、ターニャ・フォン・デグレチャフの異常さを警戒し恐怖し、憎悪さえしているのは自分だけなのか…?
「中佐殿、彼女は愛情の示し方を知らないだけなのです」
正直、彼はその後どうやって帰途に就いたか覚えていない。それほどに衝撃が大きかったのだ。だが、感情こそ追いつかないものの、彼の理性は見極めねばならないと叫んでいた。