プリンセス・プリンシパル Blood Loyalty 作:悪役
プリンセスはベアトやアンジェと合流してほっとした時に窓硝子が割れる音で助かったという気持ちと助けられた、という気持ちも割られた。
そうだ、私がやったのは列車を止めただけ。
内部の闘争までが止まるわけでは無い。
まだ殺し合いは続いているのだ。
だから反射的に音が聞こえた方を見ると草原に転がりながら倒れ伏している姿を見──────誰か理解した瞬間
「アルフ!?」
と口が勝手に叫ぶ。
吹き飛んだ少年はふらついているのか、頭を片手で抑えながら立ち上がる。
体中に切り傷と流血をしている姿も相まって余りにも痛々しい姿に咄嗟に駆け寄ろうとする。
駆け寄ってきたアンジェが制止させようと口を開くのを見て、それでも止まれない、と足を踏み出そうとするのだが─────足が勝手に止まってしまった。
唐突に足が竦んだとか、理性が本能を押し止めたとかではない。
原因は一人の少年が、吹き飛ばされた少年を追うように現れたからだ。
勿論、それだけならば自分が足を止める理由にはならなかっただろう。
足を止めたのは少年が現れたからではなく、少年の雰囲気。
横顔だけだが、そこから見えた表情が余りにも
比喩表現等では無い。
少年の顔は死者よりも死者らし過ぎて、今、墓から出た後と言われても素直に納得する程に酷かった。
そう思うのは顔色の悪さや暗さだけではない。
目と瞳に映し出された酷く暗い闇のような憎悪が、アルフに対してお前も堕ちろ、と叫んでいるように見えるからだ
墓から出た亡者は生者を妬んで、同じ地獄に引きずり込もうとすると言うが正しくその類だ、とオカルトに対して否定も肯定もしていない自分が思わず納得するような怨念を感じ、思わず足が竦む。
竦むが…………その恐怖に捉われながらもプリンセスはやはり一歩を踏み出した。
プリンセスとて全ての人を救えるとは思ってはいない。
救うには己が救うだけの材料と技量に言葉など多様な物が必要であり、そして救われる側にも運や意思が必要だと知っている。
叶わない希望がある事を、よく知っている。
でも、だからこそプリンセスは走る事を止めなかった。
叶わない希望を、それでも掴みたいのだと願ったから今、ここにいるのだ、という自負と
アルフ…………!
大事な人が失われるかもしれない、という恐怖と秤にかけたら、どちらが重いかを比べたからだ。
いずなの精神は破綻したまま、朦朧とした意識を憎悪に委ねていた。
しかし、憎悪はどういう理屈か、何故か現在の仇敵よりも過去の暖かな記憶を
まず映ったのは餓死寸前の一人の少年が、道端で死ぬ寸前だった記憶。
無論、記憶である以上、自分の視界からの世界なのだが、少なくとも手足は骨と皮だけの最低限を更に切り詰めたような恰好。
当然、衣服なども最低限の物だ。
特別、珍しい事では無かった。
貧乏人の家系に力も体力も無い、ただ飯喰らいは置いては置けないというだけだ。
最初の数日は子供らしく泣きに泣いて戻りたいと叫んだものだが、数日もすれば過去の家族との記憶も、己の名さえ無価値になる飢餓に襲われた。
過去も名も無意味となった今、少年は…………確か、夏の時の日差しを浴びて朽ちていくだけだった。
別にそれで良かった、とか何も思わなかったと思う。
死ぬのも生きるのも今と変わらないと思っていたはずだったと思う。
ただ、良く分からないけど、何故か最後に上を見たと思う。
太陽とか空ではなく上を。
己ですら意味が分からない行動に、しかし一切の感情を揺るがさないまま、最後の力を出し切ったつもりで直ぐに脱力し、俯き、そのまま時間と共に朽ちるだけになる─────そう思った所で影が差したのだ。
特に気にするつもりは無かったのだが、俯いた視界に武骨な手が見えてくるとなると話は別となる。
意識ではなく無意識で顔を上げるとそこには武骨な手に似合うような武骨な顔をしている男の姿があった。
一目で侍だと分かったが、当時は余計に差し出された手の意味を理解出来なかった自分は暫く男を見上げていたのだが、数秒後、男の方が口を開いた。
───────絶望した屍ならともかく、涙を流すのならば捨て置けなかったのでな。
と、やはり意味が理解出来ない言葉を告げられた。
その後は気付いたら男に抱きかかえられていた記憶があるが、ただとても暖かかったという事だけは鮮明に覚えていた。
次の光景は酷くやつれた体を気力で支えた女性が自分を抱きしめている光景だった。
既に引き取られた時は病弱だった男の妻であった女性に家族総出で義母と面会した時の光景だった。
この頃には流石に多少はマシにはなっていたが、やはり自分が引き取られた下賤な存在であった為、己が大事な時にいるべきではないと思っていた時に義母が体を押して自分を抱きしめてくれたのだ。
─────貴方も、私の大事な子
短いが、将軍や神であっても否定させないと思わせるような─────愛情とはこういうものなのか、と感じながら、だからこそ行かないで、と思って泣いて抱きしめ返すしか出来なかった義母を、辛かっただろうに母は私を黙って抱きしめてくれた。
その後暫くして義母は亡くなり、その事を泣きじゃくる義理の妹達を見て、自分が守らなければ、と思いながらふと父が亡くなった時、空を見上げていたのを見た。
まるであの日の自分のように空を見上げていると思って、ようやく気付いた。
ああ、確かに、自分は泣いた覚えがないのに、あんな風にしていたら泣いていると思ってしまうな、と。
そして最後の光景は父が士道に背いてでも為すべき事をする、と一人、家を出ようとしていたのを
はっきり言おう。
自分には父が語る為すべき事、所謂、大義というのもそうだが、士道とかいうのも心底どうでも良かった。
ただこの人が自分達を捨てていくというのが地獄に落ちるよりも恐ろしい事であった。
父は構えていた。
いざという時は己を打倒してでも行くつもりであったのだろう。
それに気付く余裕も無く、自分の内面はここまでの記憶に焼かれていた。
捨て子であるにも関わらず義母は優しく迎えてくれた。
唐突に表れた自分に対して暖かく迎えてくれた二人の娘がいた。
それ以外にも当然、大事にしたい思いや人がいた。
だから、それらを思い出そうとして
─────自分に差し出された武骨な手が最後に思い出された。
気付いたら自分は付いて行く、と告げていた。
───────────もう、余り思い出せない記憶だ。
────────────きっと、今の俺には関係ない記憶なのだろう。
そう、壊れた感情が最後に苦笑なのか、笑みなのか、訳が分からない表情を浮かばせ─────全ての
一直線に突っ走ってアドルフに向かう敵を見てアンジェは支援をするつもりであった。
現在、鍔迫り合いをするように拳と刀で押し合っている二人に対してアンジェはプリンセスを追う形であった。
勿論、プリンセスを止める為であった。
アドルフを助けるつもりは有るが、それは出来る限りだ。
天秤の秤は常にプリンセスの方を大事と示している。
だから、まずはプリンセスを安全な所に避難させる。
その後はアドルフの応援だ。
一番が決まっているからと言って別に二番以降は何時死んでもいいというわけでは無いのだから。
だから、そういう意味では直ぐにプリンセスを止めて、支援をしようと思っていたのだが───────その思考を遮るように敵の少年から光る何かが投げられたのを動体視力で捉えた。
「───────プリンセス!!」
即座に飛びかかるように少女の腰に抱きついて、その勢いで押し倒す。
小さな悲鳴が上がるが今は気にしていられない。
何故なら押し倒した頭上を銀色の尖った凶器が勢い良く通り過ぎて行ったからだ。
針……………?
それだけだと余り緊張感が湧かない気もするが、それが勢い良くプリンセスの顔面に当たろうとしていたというならば別だ。
プリンセスを倒して抱えながら、犯人を見ると敵の少年はアドルフを蹴り飛ばしながら、こちらに翳すように上げていた右手を再び刀の柄に握り直している最中であった。
…………信じられない事にアドルフと殺し合いをしながら、背後にいるプリンセスの顔に向かって正確に投げて来たという事になる。
それはつまり、もしも私がこのまま邪魔に入るのならばその時はプリンセスが視界に入っているならば狙ってやるぞ、という意思表示でもあった。
脳内に天秤が浮かび上がる。
秤は当然二つ。
どちらが重いか。
どちらを取るか。
当然、それは今までと同じ方を向いた。
即座に押し倒しているプリンセスとこちらに向かって走ってきているベアトリスに手を伸ばし、掴んだ後にCボールを起動する。
ケイバーライトが体に灯る様に覆うのを見届けて飛ぶ。
重力から解放された様な感覚に、経験のあるベアトリスは流石に悲鳴を上げるが、プリンセスは無重力に唐突になっても
「─────アンジェ!?」
こちらを非難するような叫びを上げる。
顔はこちらに向いていたが、手だけはまるで地上にいる少年に差し出すように手を伸ばしているのを見るが、努めて無視する。
Cボールとはいえ流石に3人同時で且つ長距離は不可能なのでまずは列車の向こうに一度着陸する事になる。
最も、列車の向こうというのは二つ重なった先という事になるから、流石にあの敵の少年が手を出せる距離では無いのだが。
しかし、やはりと言うべきか。
着地した瞬間にプリンセスはこちらの手を振り払う。
少女の瞳には隠し切れない動揺があった。
どうして…………? と問うような瞳が、こちらの内面を軋ませるが、スパイにとってそんな瞳は見慣れたものだ。
己の心を即座に騙しきりながら、直ぐにプリンセスに手を差し出す。
その事に、プリンセスは泣きそうな顔になって
「───────まだアルフがいるのよ!?」
「─────そうね。貴女じゃないわ」
そんな回答は聞きたくなかった。と歪む顔に、私の心も似たように歪んでいくのを感じながら、しかし顔は無表情の顔を取り繕う。
全くもってスパイの鏡ね、と自分に内心で自嘲しながら、しかし少女を諦めさせる言葉を紡ぐ。
「言っとくけど私の独断だけじゃないわ。彼の願いでもあるわ」
「アルフが何を……………」
願ったの? と告げる前にこちらが疑問に対する解答を告げる。
「─────────いざという時があれば自分を切り捨て、プリンセスを守る事」
「───────────」
次に浮かべられた無表情こそが一番、見たくない顔であった。
でも、そうであってもやはり自分の仮面は崩れない事に安堵するべきか、哀しむべきかを片隅で思いながらアンジェは諦める為の現実を語った。
「プリンセス─────私達がしている事は綺麗事じゃないわ。誰かを騙しては蹴落とし、裏切っていく事なの。そして貴女の望みを叶える手段も私はこの方法でしか手伝えない─────何もかもに手を伸ばすのはスパイでも王女でも不可能よ」
本当ならば少女には理解して欲しくない理屈を語る。
何が親友だ、と内心の弱い心が告げる。
あわよくばここで現実を知った少女が苦難の道を諦めてくれないかとも誘導している人間が言える口か、と。
でも、真実の面もある以上、私はプリンセスの為になるのならば言わなければならない、と理論武装し口を開けようとし─────────次のプリンセスの言葉に
アドルフは敵の刃を拳で受け止めながら、押されていた。
「っ…………っう…………!!」
手袋の中にはナックルガードが入っているのだが、今にもそれをスルリと切り裂かれそうな感覚に苛まれながらも、押し返す事が出来ない。
先程まで同点であった相手にここまで押されるのは敵が唐突にここで強くなった─────とかそんなご都合主義ではない。
混乱した頭でも一つ理解する事はある。
先程から列車から何の音沙汰もなし、という事だ。
流石にその意味を理解出来ないはずがない。
つまり、今、この男の殺しの動機は復讐にすり替わったという事だ。
そして本来、この少年が戦うに適したモチベーションは感情的の方が合い─────そしてそれを取り違えたからここまで堕ちたのだろう。
無論、感情云々だけでどうにかなる程、同情するつもりは無いが、代わりにこの少年は生存本能とブレーキを失くした。
生に縋りつく本能が無くなったから躊躇いなく前に一歩踏み込み、体なんて無用だから壊れようがお構いなし。
究極の道連れ精神だ。
実にくそったれだ。
そう思っていると
「……………なぜ」
ポツリと怨念が目の前の死人から漏れる。
「なぜ? なぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜ─────────どうしてお前が、
努めて無視するのが一番だ。
こういった怨霊の言葉は聞いて返した時こそが呪われる切っ掛けとなるのだ。
相手が死人だろうか亡霊だろうが復讐鬼であっても姫様の害になるかもしれない以上、こちらからしたら処理する対象でしかない。
相手の都合など知ったら面倒なだけだ。
だから、即座に腹に力を籠め、息を止めて押されていた体を無理矢理押し返す。
刃事敵の上半身を万歳するように弾き返せたのを見て、即座にミドルキックを放つ。
狙いは見事に腹に突きこまれ、直撃。
取ったとまでは言えない手ごたえだが、確かなダメージを与えれたから、今までの戦闘思考も崩れているな、と考え─────即座に突き出していた足の激痛で思考が断絶した。
「ぐぅ……………!?」
見れば膝から下に何時の間にか、かち上げた腕の一つを無理矢理戻し、そこに飛針を握って刺していたのだ。
カウンター何て生易しいモノではない。
正しく死なば諸共。
理解しているくせに理解が甘かったことを痛感する。
しかし、流石に次に振り下ろされる刀を見逃すわけにはいかず、そのまま無理矢理足を取り戻して引く。
「…………っ」
片足をやられたのは余りにも痛い。
どんな武術であろうとも基点というものがある以上、その軸となる両足の負傷は深刻だ。
とりあえず邪魔になるから直ぐに針は抜いたが…………いざという時は痛みは無視出来るよう覚悟を決めれば多少の無茶は出来るだろうが、そんな付け焼刃がこのイカレにどこまで通じるか。
「……………酷いもんだ」
ポツリといずなだった少年から一言漏れる。
酷いもんだ、と。
今の自分の事か。
あの程度の攻撃も躱す気さえ起きなくなってしまった事か。
それともこの状況か。
全部な気もするが、同時にどの口が言いやがる、という気になってよせばいいのについ、口が出てしまった。
「酷いもんだ? お前の大事な父親が死んだ事が、か? ─────馬鹿らしい。死んで欲しくなかったなら最初から殺しに来るな。殺しに来ておいて殺されたら被害者面で復讐鬼アピールなんて悲劇でも何でもない。不幸自慢ならよそでやれ」
自分の言葉に心の底から同意する。
殺しに来ておいて殺されたら呪って狂う奴のどこに同情する価値がある。
殺されたくなかったら殺しに来るな。
そんな風に嘆くには、事故か病死のどちらかの理不尽にあった時にのみ権利があるのだ。
暗殺者がやり返されてやり返してやるなんて3流以下だ。
「……………ああ、正しい理屈だ」
その事に死んだような眼光のまま、こちらをにらむ様に見てくる少年の顔には生気の欠片も無い。
……………非常に苛立つ。
今までは実にどうでも良かったのだが、何故かあれ程狂った少年を見ると見苦しいのは当たり前だが、それ以上に苛立って殺したくなってくる。
そう思っているといずなはそんな死人のような顔で─────小さいが確かな哄笑と共に醜い理論を吐き出した。
「だけどお前─────────
「────────あ」
一瞬の
即座に首を捻って躱すが、頬から耳朶まで切れていく感覚とその間に迫っていた刀剣を防ぐだけで精いっぱいとなり弾かれた。
「俺は義父がいなければ立つ喜びも食事の喜びも剣の喜びも───涙の
弾かれ、大地という名の壁にぶつかり、脳が揺れるのを無視して即座に転ぶとそこに再び凶刃が振り下ろされるのを感覚で察知する。
「
世界なんてちっぽけな物程度では収まらない程度には、と付け加えれそうな言い方をしながら、そのまま刃を転がっている自分に突いてくるので再び転がり、その勢いで立ち上がろうとし─────そこで空いた腕で顎を狙われ脳が完全に縦揺れした。
「ぁ………………が………………」
揺れる世界。
空すら振動する中で聞きたくも無い呪いだけがぐらついた脳に刻まれる。
「あの人に少しでも返したい、あの人とあの人に連なる人達が幸福になる手伝いが出来れば、どれだけ俺の誇りとなってくれたか。どれだけ幸せだったか─────その為に俺の人生……………否、他人の人生だろうが何だろうが全て燃やし尽くしてやると思っていた」
そして蓋を開ければこの様だ、と倒れこんだ自分を覗き込むようにいずなは首を振った。
まるで人間の形をした人形のような滑稽ささえ感じながら────────鏡に映る自分のような物を見た気になって吐き気がした。
うるさい、黙れ、やかましい。
脳震盪さえ起きていなかったら即座に殺したい所なのに殺せないのが腹立たしい。
ああ、その気持ちは理解出来ないわけでも無いさ、と血を吐くような嫌悪感と共にそんな事を思う。
もしも、考えたくは無いが、姫様が目の前で死んだら──────この場にいる加害者全員ぶち殺して、あんな列車を用意したと思われるノルマンディー公をぶち殺しに突撃して……………そして死んでいるくらいを俺はするだろう。
姫様を殺したのだ。
当然、自殺をしたくなるが、その前に姫様を殺した世界が許せなくなるくらいは考えるだろう。
そして当然、その復讐に俺は理屈なんて求めない─────理屈なんて
そうさ。例えこっちが加害者だろうが被害者だろうが知った事か。
姫様が…………あの尊い人が殺されて律儀に理屈なんて守る余裕も心もあるものか。
それがコイツにとっては藤堂十兵衛であったという話なのだろう。
嗚呼、確かにその憎悪を馬鹿らしいと貶す事は出来ても、嗤う権利は俺には無いが…………
揺れる視界で泣き笑いのように刃をこちらの心臓目掛けて刺してくる
握った手の平から血と感覚が失せていくが知った事ではない。
揺れた脳を感情の熱で沸騰させ、無理矢理立ち上がり、そのまま鏡を割る様に少年に思いっきり頭突きをかます。
躱す意欲も無い少年はそのまま額にこちらの頭突きを受け入れ、血と衝撃に吹き飛ぶ。
「……………」
勢いが強過ぎたか。
こちらの額からも出血を流しながら、もう握れない左の手の平をぶらつかせ、刺された足に無理矢理力を込めながら両の足で立つ。
ああ、そうさ。俺は確かにこいつを非難する事も嗤う事も出来やしないが─────それとこいつにただ殺されるかについては別問題だ。
彼にはもう守る者がいないが─────俺にはまだ守りたい人がいるのだから。
だからここで立ち上がらないわけにはいかない。
だからここで拳を開く理由にはならない。
他の何かなら幾らでも差し出しても構わないが、俺が拳を握る理由だけは誰にも譲れないし、譲りたくない。
故に、この醜悪な鏡を──────
左は使い物にならないが、右さえあれば十分だ。
構えは典型的なテレフォンパンチ。
腕を深く構え、思いっきり突き出すだけの技も糞も無い故に一切の妥協も無い一撃。
狙いは心臓。
全身の力を込めて、その衝撃を伝え、破壊する為の攻撃を見舞う。
当然、幾ら相手が生きる気も無くなったとはいえ、こっちの分かり易い大振りを受けるとは思わない。
それにこっちは足も負傷しているのだ。
ならば狙うのは最早カウンターしかない。
失敗すればまず死ぬだけ。
等価交換としては丁度いいだろう。
こちらの構えと気にいずなもその気になったのか、もしくはもうどうでも良いと思っているのか。
少年は緩慢な動きで上段に構える。
あの精神では後の先を狙うとかは考えれまい─────つまりあっちの斬撃が先に到達するか、こちらのカウンターが上手く決まるかの勝負。
古臭い決闘スタイルだ、とこちらから持ちかけといて思う。
相手の心が死んでいて、且つこちらの足や手が動いていれば間違いなくこんな
運が良いのか悪いのか、と運命とやらに唾を吐く思いをしながら、意識と呼吸を合わせる。
カウンターはある種の共同作業だ。
己と敵が完全一致した瞬間に返す一撃が敵を破壊するのだ。
故にそうなるようにこちらは敵の事を思考し、理解し、先を行かなければいかない。
こんな壊れて、且つ先程とはまた違う意味で読み辛くなった相手にどこまで出来るかは分からないが、成さねば死ぬ。
死んだら、もしかしたらこいつは姫様に手を出すかもしれない。
なら、死ぬのならばせめてこいつを道連れに─────とそこまで思考して思わず笑ってしまう。
……………何だ。こいつみたいに自暴自棄にならなくても取る手段が結局はこいつと同じとは……………ああ、もう本当に─────
「馬鹿みたいだ……………」
そう小さく呟き風が吹くのを感じる。
草が視界にまで飛んでくるのを見て、ここがようやく草原地帯であった事に気付く。
だが、それ以上にいずなの呼吸や間合い、視線などを深く感じ取る。
間合いは互いに一歩踏み込めば十分に殺傷圏内。
狙いはこちらの左肩目掛けて振り下ろしてそのまま心臓を二つに割ろうとしている。
己の未来の死亡予想図を脳内に刷り込まされながら、こちらは相手に心臓が弾け飛ぶイメージを叩き込む。
そうして5秒。
合図があったわけでも無く、示し合わせたわけでも無く。
ただ、その瞬間に殺せるという確信が思考ではなく反射で同時に体を前に弾かせた。
その結果
「───────────あ」
アドルフ・アンダーソンは未来を視たとか、失敗したとかではなく計算式の答えを見つけたという感じで自分の死を知ってしまった。
色々と理由はあるのだろうけど、結果だけを言えばつまり俺の力量では藤堂いずな相手にはこれが必然の結果であっただけ。
こういう時、よく走馬燈が流れると言うけど、脳内に浮かぶのはやはりと言うべきか、少女の事だけであり、その後に未練や後悔が浮かび上がりそうになる直前
「アルフーーーーー……………!!」
という少女の声を少年は聞き
「
という少女の声を少年は聞いた。
聞いてしまった。
少女の声を聞いて迷いを捨てたのは少年で
滑稽な破裂音が響いた
まるで風船が割れるような呆気なさに反して、アドルフは腕に嫌な手応えを得て、立っていた。
周りから見たらまるで前から倒れこんできた少年を受け止めているように見えるような形。
相手が刀でこちらの左肩を致命では無いが押し付ける様に振り降ろさず、俺の右腕が彼の心臓の辺りを抉る様に殴っていなければそうとしか見えなかっただろう。
手応えは完璧だった。
心臓を破壊した経験などほぼ無いのだが、今のは完全に理解できた。
人体において脳に次ぐ重要な器官であった心臓を、完全完璧な形で成立したカウンターが心臓とついでに肋骨を砕いていた。
その代償に左肩を肉辺りまで裂かれていたが、随分と安い代償だ。
心の後を追うように肉まで死につつある少年はよろり、と背後に一歩後ずさる。
破裂した胸に手を当て、逆流した血液を口から流しながらも、少し呆然とした表情で─────自分ではなく列車の方に顔を向けた。
そこには少女と言うのに相応しい小柄な体と黒髪の少女が悲壮な顔でいずな、という少年を見ていた。
「─────────ああ」
その一言には理解の意味が込められていた。
そして浮かべるのは苦笑のような笑い。
─────────それなら仕方がない、と。
どうしようもなく笑っていた。
そして次にこちらを見る。
そんな笑みを、加害者である自分に向けながら、段々と光が消えていく目で、それでもしっかりと見て、綺麗に微笑みながら、少年は囁いた。
───────憎らしい
余りにも小さく、まるで祈りのような呪いを、自分は確かに受け取った。
流石に死人の恨み言を妨げる程、狭量でも無ければ加害者としての意識を持っていないわけでは無い。
そしてそれを理解しているのか。
くしゃり、と笑みを小さく歪みながら、何故か少年は空を見上げた。
否、空を見上げたというよりまるで本当にただ上を向いた、という感じだった。
勿論、空には何も無い。
あるとすれば太陽と雲くらい。
鳥もいない空だ。
だけど焦点が合わない瞳には俺達には見えない物が見えたのか。
最後に少年はこんな事を呟いた。
「あぁ…………なんだ……………そこに、い─────」
そうして、少年は空に飛ぶように沈んだ。
最後までどうしようもないまま、藤堂いずなは死に抱かれて死んだ。
当然、アドルフはそんな少年に同情も抱く気は無かった。
彼は徹頭徹尾姫様の敵であったし、どうでもいい人間であった。
自己嫌悪のような同族嫌悪が生まれようが、何だろうがその評価は変わらない。
だから、自分の口から漏れる言葉も数秒後には忘れ去る嫌味だった。
「………………馬鹿な奴。まだ大事な人がいた癖に気付かないなんて」
妹の声でようやくそれに気付いて人間に戻るなんて。
自分程壊れていない癖に勝手に思い込みで視野を狭くして、あったはずの選択肢を取りこぼしたのだ。
生きる理由が一つしか持てなかった
泣くべき時に泣いて甘えれば、そんな間違ったタイミングで泣かなくて済んだのに。
そんならしくない
それだけで、アドルフはこの少年の事を意識と思考から捨てた。
「……………っぅ」
視界が一瞬暗闇に包まれる。
直ぐに振り払うが、そうすると左半身の痛みが意識を奪おうとするがまだ駄目なのだ、と振り払う。
痛みや出血のせいで死ぬのかもしれないが、そんなのはどうでもいい。
ただ、自分は自分の名を呼んでくれた少女の所に行かなければ─────いや、本音を言えば少女の所に行きたいだけであった。
全身所か意識までもが燃えるような感覚の中、さっき声がした方に全ての力を使って振り向く。
するとそこにはやはり求めている少女がこちらに駆けつけている姿だった。
「────────」
それだけで良かった。
心配をかけたのは知っているが、それでも無事で生きている事だけで十分に報われたし、嬉しかった。
誰かの幸福を願える事がどれ程幸福か。
だから、つい、
駆け寄って、安否を確認しようとする姫様の手を力づく引っ張って抱きしめてしまった
「………………え?」
疑問の声を上げられても、実は少女の姿を確認した瞬間に
「 」
と勝手に吐き出して──────アドルフ・アンダーソンは予測通りに暗闇に落ちた。
ふぅ……ようやくちせの回が終わりましたよ……
いやーー実は今回、初めて自分が作ったオリジナルキャラを殺したんですよねぇ。
不覚にも虚淵さんやヨコオさんの気持ちを理解しそうで怖い。
もう6年以上書いてますけどこうして新しく楽しくなりそうで怖い事が見つかるから小説って面白いですねーー。
いずなのコンセプトはアドルフとは違った形の癖にかなり似ているけど決定的な部分が違うキャラって感じですね。
選択肢もそうですが、メンタルの強さもいずなは主人公って程強くなれなかったキャラクター。
でも決して幸せになれないわけでもなかったのに、最初を大事にし過ぎて経過をちゃんと見定めなかったのです。
途中で回想がありましたが、母の事を思い出してもちせ達を思い出さなかったのはわざと。
母とちせ達の違いはまだ生きていて、守る事が出来る大事な人という決定的な違い。
さて、次回はこれの入院ラブ…………入院回です。
今回に関しては色々と賛否両論があるかもしれませんが、作者の自分としては努力して挑戦したので悔いはありませぬ。
無論、嫌いのは読者さんの自由なのでそこはそこで。
感想・評価などよろしくお願い致します。
もっと人来てーーー!! 来なくなってしまった人もカムバックーーーー!!
いや、強制は出来ないのですが。
それにしてもまた12000字か……………!!