天の美禄   作:酒とっ!女ぁ!あと金ぇ!

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魅惑のラム

"Heaven's gift"

 

 

知る人ぞ知るその名は、とある国の片隅にひっそりと立つ小洒落たバーに与えられたものである。その名が何を意味しているかなど、バーの名を冠するこの店に訪れる者ならば、変に考えずとも認知する事は容易であろう。

 

その名に恥じぬ至福の空間を求める者が今宵、また一人呑み込まれていく。

 

 

 

 

 

 

レトルトカレーの権威・ハウビー食品のCOOである千俵おりえは、未だ釈然としない様子でその扉に手をかける。ハウビーのCEOにしておりえの双子の姉であるなつめが「微睡むように静かで、滾るように熱い夜」と、具体性に欠けるとも陰影に富んだ言葉をもってして、この店の存在を仄めかした。おりえと並び『カレーの女王様』と呼ばれる地位にいる彼女が、そんじょそこらの……ましてやこのような片田舎で営む小さなバーに傾倒するなどにわかに信じがたい事だが、あの高飛車ななつめが、甘美なるひと時を想起するかのような恍惚とした表情でこの店を語っていた事を鑑みるに『地元で有名』程度のネームバリューを背負っているわけではないはずだ。

 

期待と疑心のせめぎ合いをそのままに、おりえはHeaven's giftの扉を開く。openと書かれたプラカードが僅かに揺れ、慎ましいベルの音が彼女の入店を店内に知らせる。

 

その直後には、後悔の念がおりえを支配する。

 

シックで落ち着きのある内装とはまるでかけ離れた、品のカケラも無い喧騒が、おりえの耳朶を打つ。店主のこだわりが感じられる装飾やインテリアも、炭鉱夫と見紛うほどに薄汚れた男たちが酒を貪るその姿が全て台無しにしている。

 

姉の言葉を妄想の種に、おりえ描いていた理想郷が音を立てて瓦解していく。入店早々、彼女が顔を顰めるのも無理はない。

 

「……いらっしゃいませ。お一人様ですか?」

 

騒音の温床と称しても差し支えのないこの空間に、一際若い男の声が、鮮明かつ冷涼に響きわたる。喧しいざわつきは蓋を被せたかのようにピタリと止み、呑んだくれていた男たちの目線はおりえの元へと集中する。

 

無遠慮で、欲望に満ちた、なんとも下卑た目線ばかりである。決して自惚れではなく己の容姿とプロポーションに確かな自信があったおりえにとって、それは別段不快に思うわけでもない至って慣れたものであったが、彼女のそんな様子すらをも我が物にせんとするかの如く、より一層強い視線を感じた。

 

その視線の主はカウンターの向こう側……即ち、彼女の入店にいち早く気づいた店主だった。とても整ったアジア系の顔立ちで、手入れの行き届いた艶のある黒髪が特徴的だった。しかし彼は、おりえにとってあまりにも若すぎる、まだ成人を迎えてすらいないであろう青年であった。

 

(ちょっと、まだ子供じゃない……)

 

まさしく疑心暗鬼を生ず……と言ったところだろうか。

 

つい数刻前までは雰囲気の良い洒落たバーに見えていたのに、蓋を開けてみれば田舎者の小汚い溜まり場だ。あまつさえ、子供がシェイカーを振っていると来ている。世に言うセレブリティであるおりえに似つかわしくないどころか、あの姉がこんな場所に来ようものなら、語るに値しないほど酷評しそうなものである。

 

「ヒューッ!とんでもねぇ別嬪さんが来たぞ!」

 

「せっかくのヒビキの酒が、野郎だらけでクソまずく感じていた所だ。最高だな」

 

「うちのワイフが顔面を複雑骨折した駄馬に見えてくるぜ!」

 

訛りの強い英語でおりえに叩きつけられた男たちの歓声は、知性も品性も全く感じさせないもので、彼女が抱いていたこの店への期待を更なる失望の彼方へと追いやってしまう。

 

「……興醒めですわ。冷やかしでごめんなさいね」

 

完全に興味を失ったおりえは、踵を返して先程開けたばかりの扉へと向かおうとする。彼女はハウビー食品のCOO。彼女の一分一秒と常人呼ばれ者たちの一分一秒とは、重みに雲泥の差がある。価値が無いと分かった片田舎のバーで油を売っている時間などない。

 

が、華奢な彼女の腕をゴツゴツとした無骨な男の手が掴んで離さなかった。

 

「おいおい、美人がいれば酒も美味しくなるってんだ。姉ちゃんみたいな美人さんをおいそれと手放すわけにゃあいかんだろ」

 

かなり酒臭い吐息を吐き出しながら、一人の男がおりえを強引に引き止める。

 

「ちょっと、放して……」

 

「夜は長いんだからさ、そう急ぐ事ないだろ」

 

「俺たちゃ夜の楽しみ方を知ってんぜ?色んな意味で」

 

デリカシーもへったくれもない下ネタに冷ややかな待ったをかける者はおらず、完全に出来上がっている男衆はますます調子付いていく。

 

面倒な事になった……今の状況を嘆かわしく思わずにはいられないおりえは、藁にもすがる思いでカウンターへとSOSを目で訴える。しかし、カウンターに青年バーテンダーの姿は無かった。

 

「……お客様、他のお客様のご迷惑となる行為はご遠慮願います」

 

客の男たちのそれとはまるで対照的な、流暢な上流階級のイギリス英語がおりえの背後から聞こえた。彼女がすぐさま振り向けば、そこには至って事務的な笑みを貼り付けた青年店主の姿があった。

 

「おいおいヒビキ、まーた客の俺たちを差し置いて女かっさらってくつもりか?」

 

「これだけ良い女、ガキのお前にゃ勿体無い。乳臭いバーテンはすっこんで酒作ってろ」

 

店主の制止にまるで耳を貸さない男たちは、おりえを解放するつもりは微塵もないようだ。おりえの表情に焦燥の色が広がり始めたその刹那、終始乾いた笑みを浮かべていた青年店主が豹変した。

 

「おい。この店の中にいる全ては俺の客だ」

 

先ほどの精錬されたイギリス英語は何処へやら、訛りの強い英語で店主は男たちを真っ向から威圧する。

 

「お前らはもちろん、こちらの麗しき淑女も俺の客だ。俺はお前らに最高の酒を提供する。だから、お前らは俺の酒だけを求めてろ」

 

おりえの腕を掴んでいる男は、それなりに大柄でがっしりとした体つきをしている。喧嘩に強そうな見てくれをしているが、青年店主は臆する事なく男を睨みつけ、おりえを拘束している男の腕をギリギリと握る。

 

「……おうおう、客に対して随分な態度じゃねぇか。この姉ちゃんと楽しい時間を過ごすか否かの決定権は俺にあって、ヒビキにはねぇだろうがよ。いっつもいっつもお前はそうだ。横取りは感心しな……」

 

男が言い切るより先だった。

 

青年店主は、目にも止まらぬ速さで男の肘を強打した。短い悲鳴をあげた男は思わず掴んでいたおりえの腕を離す。その一瞬を逃す事なく青年店主が男の胸倉と腰元を掴み、足払いをかける。歴然の体格差を物ともせず、男はその場に引き倒される。全身を強打した痛みと衝撃に男が身を固めていると、容赦ない蹴りが男の顎を揺らす。

 

ものの一瞬で気絶してしまった男は、そのまま店の外へと蹴り出されてしまった。

 

「振り向かせたい淑女がいる時……お前は淑女の髪を引っ張って振り向かせるのか?もっかいママに淑女の扱い方を教わってこい、クソッタレ素人童貞が」

 

すでに何も聞こえていないであろう男に青年店主が罵詈雑言を投げると、険しい表情で残る男たちを睨みつける。

 

「Son of a bitch!結局ヒビキ劇場じゃねぇか!」

 

「綺麗な姉ちゃんが来ると絶対こうなるんだよなぁ……ふざけんじゃねぇ。おいヒビキ、今日は酒代払わねぇからな」

 

「アホくさ。おい皆、今日はお開きだ。スケコマシ店主やつ、常連の俺らより女をとりやがった」

 

「ヒビキの女誑しは今に始まった事じゃねぇだろ。はぁ、なんでヒビキばっかり……羨ましい……俺もジュードーとやらを習えば……」

 

男たちはそぞろに椅子から立ち上がり、ブツブツと呪詛のようになにかをつぶやきつつ、代金も払わず店を出て行ってしまった。

 

展開に脳が追いつかずフリーズしていたおりえは、男たちが散らかしていた酒瓶やつまみを手際良く片付けていく青年店主を、ぼけっと眺めている事しかできなかった。

 

恥ずかしい姿を晒していると、ようやくおりえが自覚を持つ頃には、店の中はすっかり様変わりしていた。それは、おりえがこの店に入る前まで抱いていた幻想そのものだった。

 

青や白などと言った煌びやかな電飾は少なく、暖かな電球の光だけが照らし出す内装は、味のあるウッドインテリアで構成されていた。先ほどまでの喧騒はどこへやら、バーテンダーが静かにグラスを拭く音と、ゆったりとしたピアノジャズのBGMが、動転していたおりえの心を瞬く間に落ち着かせる。

 

「改めて……千俵おりえさん、Heaven's giftへようこそ」

 

まるで迷い猫を抱き寄せるかのように甘く、優しい声で発せられたそれは淀みのない日本語だった。男たちに向けていた猛禽のような表情は嘘のようにその姿を消し、穏やかに微笑みかける日本人青年店主は粛々とお辞儀をした。

 

「へぇ……日本人だったの。私の事、知ってたんだ?」

 

「あの千俵姉妹を存ぜぬ者など、テレビを見た事が無いかレトルトカレーを食べた事が無いかのいずれかでしょう。知らない訳がございませんよ」

 

にべもなく店主が紡いだ言葉におべっかや誇張評価はなく、それほどになつめとおりえの双子姉妹は有名だった。90年代より発売されて以来、累計700億食を売り上げていると言われているハウビー食品のレトルトカレー『カレーのプリンセス』という商品のパッケージに印刷されている、なんとも可憐な女の子の写真が、若かりし頃のなつめとおりえであるという事実は、90年代を知らぬ子供たちでも知っているほどの常識だった。……現在の彼女たちの齢は各々で察して、どうぞ。

 

「私の姉もここに来たのでしょう?いったい何を注文したのかしら。私たち姉妹は、結構好みも似通っているから」

 

同じ物を……と、続けようとしたおりえを青年店主が指を振って遮る。

 

「貴女は千俵おりえさんであって、千俵なつめさんではない。なつめさんにはなつめさんのためだけのギフトがあるように、おりえさんにはおりえさんのためだけのギフトがあります。それができないようでは、恥ずかしくてバーテンダーを名乗れませんよ」

 

「よく回る口ね。あなた、モテるでしょう?」

 

「生憎と私の周りに集まって来るのは先ほどのような華のない男ばかりでして。お恥ずかしい事に、恋仲と呼べる間柄の女性はおりません」

 

苦み走った表情でタンブラーに酒を注いで行く青年店主の姿は、歳に似合わず妙に様になっていた。

 

「ふぅん……ねぇ、さっきの人たち、常連だったのでしょう?追い出すような形になってしまって良かったのかしら」

 

「うちの酒たちは店主に似たのか、お美しい淑女に目が無くてですね……彼らに飲まれるより、貴女に飲んでもらう方がずっと嬉しそうだ」

 

店主は『BACARDI』と銘打たれた酒瓶を掲げると、あどけなさの残る悪戯っぽい笑みを浮かべつつ、そんなキザったらしい事を恥ずかしげもなく言って見せるのだ。まるで大人に憧れる子供が精一杯背伸びをしているようで、おりえは吹き出しそうになる。同時に、そんな青年店主の健気さに、可愛らしさを感じずにはいられなかった。彼女の大人としての余裕が、そうさせてしまうのだろうか。

 

気づけば店主はすでにカクテルを作り終えていた。タンブラーグラスに注がれたそれはシェイカーを用いずステアされたカクテルで、透き通るような無色の液体で満たされていた。そして、氷の間を縫うかのように、ミントやライムのような物が点在している。

 

「モヒート?」

 

「はい。自家栽培のイエルバ・ブエナを使った、本場のキューバで作られる物により近い味わいとなっています」

 

カラン……と、小気味よい氷のぶつかる音を立てながら、おりえはグラスを傾ける。

 

「ッ!?」

 

おりえの体がビクンッと反応を示さずにはいられなかった。

 

まるで一糸纏わぬ姿で夏の涼風を受け止めているかのようなミントの爽やかさが、先行して全身の隅々へと行き渡る。ライムが追い打ちをかけるかのように、その清涼感をさらなる物へと仕立て上げる。五臓六腑から全てをリセットされ、すっかりと澄み渡った彼女へ染み込んで行くかの如く、ホワイトラムのほのかな甘みが広がり始める。

 

その爽やかな後味とは裏腹に、アルコール度数の高いラムがおりえを芯から温める。

 

モヒートの清涼感溢れる余韻に浸っていたおりえの鼻腔を、食指を動かす肉の芳ばしい香りがくすぐる。

 

「ラム酒にはラム肉が合います。……決してつまらない駄洒落を言っているわけではありませんよ?」

 

店主がおりえの目の前に置いた皿には、ラム肉の串焼きが数本並べられていた。

 

「料理もできるのね」

 

「酒は料理を引き立て、料理は酒を引き立てます。料理を知らずして、至高の酒を提供できませんからね。……そして、至高の酒は麗しい女性をより引き立てるものです」

 

「お上手ね。じゃああなたのお酒、台無しにしないようにしなきゃいけないわね」

 

おりえは努めて上品な所作でラムの串焼きを口にする。モヒートによってクリアな状態にあった彼女の口腔内が、癖のないラム肉の味わいに染め上げられる。

 

「ん〜っ!」

 

おりえの喉奥から思わず声が漏れる。美味い酒を飲み、美味い肉に食らいつく……この言葉にできぬ幸福感を噛み締めずにはいられまい。つい先ほどまで大人の余裕を見せていたおりえを唸らせるほどの、極上の至福。しかしながらそれは大人にのみ許され、大人のみぞ知る天の美禄。おりえは取り繕うことも無く、モヒートとラム肉を交互に堪能する。

 

恐ろしい事に、二十にも満たないであろうこの青年がこのギフトをおりえにもたらしたのだ。おりえの低くないプライドを刺激すると同時に、得も言われぬ火照った感情が彼女の奥底に灯される。

 

「……ねぇ、あなたの名前は?」

 

山崎(やまざき)(ひびき)と申します。響とお呼びください」

 

「響、私のモノにならない?」

 

おりえは妖しげに、そして艶やかに目を細める。彼女の泣きぼくろが遺憾無くその魅力を増幅させ、男を暴力的なまでに虜にするかのような女の色気を放っている。わざとらしく組まれた彼女の両腕が、これまたわざとらしく彼女の豊かな双丘を押し上げ、露骨すぎるほどに店主……(ひびき)の精神を掻き乱そうとする。

 

何の予備動作もなく、唐突に女の武器をぶっ放された響の視線は、悩ましげな谷間へと向けられずにはいられなかった。仕方のない事である。不可抗力である。見るなと言う方が無理な話である。見ない奴はホモか貧乳派のどちらかであろう。仕方のない事である。

 

「困りますね……おりえさんだけでなく、私には私の酒を楽しみにしてくれているヒトが他にも巨万(ごまん)といる」

 

おりえはニヤケそうになるのを抑えるので必死だった。あんな小恥ずかしい台詞で口説きにかかってきていたはずの響が、おりえが誘引した途端にそっぽを向いたのだ。挑戦的とも言えるあからさまな駆け引きを前にして、何も思わない彼女ではなかった。おりえに灯された火種が見る見るうちに燃え広がってゆき、彼女をひどく妖艶に上気させていく。

 

「強いお酒、貰える?」

 

氷とミントとライムだけが残ったタンブラーグラスを揺らすと、おりえは蠱惑的な笑みを浮かべる。

 

「ヘビーラムを、ロックでいかがですか?」

 

「響の酒は、私を引き立てる至高の酒なんでしょう?自信が無いのかしら?」

 

「まさか。このお酒は間違いなく最高傑作です。おりえさんよりを艶やかに開花させる事など、造作もありません」

 

「ふふっ……じゃあ、ラムのロックを()()

 

口を動かしつつも、響が手を止める事はない。アイスピックを器用に駆使し、氷を砕いていく。並んだ二つのロックグラスに、削り出された天然水晶のようなロックアイスが落とされる。間髪入れずに濃い琥珀色の液体がグラスを中程まで満たす。

 

「ロン・カルタビオ XO 18年です。由緒あるカルタビオ蒸留所の最高傑作を名乗るに相応しいラムです」

 

焦がしたような甘さが香りとしておりえを酔いへと誘う。酒の香りを満遍なく味わうのも、ストレートやロックに許された特権。暫しの間、香りを楽しんだおりえはようやくグラスに口をつける。

 

その仕草のなんと(なま)めかしい事か。まるでグラスの縁を包み込むような柔らかな唇に、響は釘付けだった。あの無粋な男たちに向けられた時こそ何も思わなかったのに、響の視線は今のおりえにとってどこまでも心地の良いものであった。

 

ヘビーラムでありながらも繊細な味わいが、優しくおりえを包み込む。そして、決して低くくないアルコール度数が、確実におりえの全身を火照らせてゆく。

 

すっかり上機嫌なおりえを、香りで、気分で、味で、アルコールで酔わせてゆく。全てが完璧なバランスで構成されていた。

 

色鮮やかに上気していく美女を肴に、店主の響も自分に与えられたグラスを傾ける。

 

「何故でしょう。すでに知り尽くしたはずのこの酒が、いつもより一段と美味しく感じてしまう」

 

「知り尽くした気になっていただけではなくて?響はまだ若いんだもの。……あなたが知らない事、まだまだ沢山あるでしょう?」

 

おりえはまたしても蠱惑的に目を細めると、人差し指でロックグラスをかき混ぜる。指に滴るロン・カルタビオを、彼女の官能的な口が飲めとっていく。10代やそこらの少女には決して演出する事のできないエロティシズムは、彼女が捕捉した男を着実に絡め取ってゆく。

 

「……響は細いと思ってたけど、結構筋肉質なのね」

 

カウンター越しに手を伸ばし、おりえは響の腕を無遠慮にペタペタと触る。それでいてどことなく遠慮気味でもあり、何ともいえぬいやらしい手つきで彼女の柔肌が響の腕をさする。

 

「ねぇ、もっとこっちに来て?」

 

おりえは切なげな表情とともに上目遣いで響を見つめる。ここまでくると、もはや駆け引きも何もない、おりえも響も、すでに蜜の沼に片足を突っ込んでいる。拒絶する理由もない響は、おりえの隣に腰掛ける。パーソナルスペースはとっくに侵されており、物理的にも精神的にも二人の距離は急速に近づいていく。

 

「さっきの響、とてもカッコ良かったわ。今の畏まった響よりも、ずっと野生的で男らしくて私は、好きよ?」

 

「……そうですか。みっともないところを見せてしまったと恥じていたのですが」

 

「何故恥じる必要があるの?あんなにも頼もしかったじゃない」

 

「おりえさんのような淑女は暴力を嫌うでしょう?あのような蛮行、貴女の目の前でするべきではないはずだ」

 

おりえはクスクスと小さく笑うと、蕩けるような表情で響にしなだれかかる。響もおりえの髪から漂う女の香りに、彼の色々を膨らませ、さりげなくおりえの腰に腕を回す。

 

 

この二人、完全に出来上がっている。

 

 

「……響は、女性を痛めつけるような事をするの?」

 

「とんでもない。男は殴って黙らせるものだが、女に手をあげる事は絶対に許されないし、許さない」

 

「そう………なら、女はどうやって黙らせるの?余計な事を聞いてしまうイケナイこの口を……どうやって黙らせる?」

 

おりえの試すような双眸は、あからさまにもほどがある意思表示と期待の表れだった。

 

響はおもむろにロン・カルタビオを口に含むと、そのままおりえと唇を重ねた。

 

「んっ!?」

 

おりえは驚愕に目を見開くと、響を両腕で掴んで身をよじる。が、その動きは緩慢としており、とても弱々しい。天の美禄にすっかり毒されたおりえは、()()()()()()すらまともにできなくなっていた。

 

そんなおりえの様子などお構いなしに、響は彼女の後頭部をしっかりと掴んで、口腔内の酒を彼女へと流し込む。次第におりえは身じろぎをやめ、打って変わって響に体をすり寄せる始末だ。完全に火がついた彼女は、受け取った酒を己の唾液とともに響へと返す。互いの口にある酒を貪るように……乃至は、もっと別の何かを求めるように、二人は舌を絡ませる。

 

BGMのジャズピアノは、情熱的なアドリブに差し掛かる。無作法で趣ある旋律に、ピチャピチャと水の打つ音と衣摺れの音が混ざり込む。

 

どちらともなく唇を離し、互いの口に残されたブレンデッド・ラムを、喉を鳴らして飲み下す。おりえは酸素を求めるように熱い吐息を吐き出し、濡れた瞳で響を見つめる。(たが)など、とっくに外れている。

 

()()()、俺はストレートよりもロックの方が好だ」

 

もはや敬語どころか、敬称すらもかなぐり捨てた響。しかし、おりえはそれを拒みなどしないし、自分がそうさせたのだ。恍惚と表情で全てを受け止める。

 

「ロックは氷が溶けるにつれ、絶えず味を変化させる。口にする度、味が変わる。何度でも楽しめるし、何度口にしても飽きる事がない」

 

「私はロックかストレート……どっちなのか確かめてみない?」

 

おりえの細い指が響の唇をじっくりとなぞる。

 

「私の事も、好きになって?」

 

響は再びおりえの唇を奪う。当然、今度は酒を含まず。

 

欲望にまみれた二人はただひたすらにお互いを求める。両者の腕は、相手を固く抱きしめて離さない。

 

 

 

酒は天の美禄なり。

 

 

 

神の贈り物であるそれは、百薬の長にして百毒の長。確実に人を恍惚へと誘い、間違いなく人を狂わせる。

 

 

蕩けるような甘さと戒めるような苦さを併せ持つギフトは、そのどちらともを味わえる大人にだけ許された、至福のひと時であった。




『BACARDI』
バカルディ。多分一番有名なラム。

『ロン・カルタビオ XO 18年』
ペルー産の熟成ラム。貧乏性の作者は封を切ってからちょっとしか飲んでない。

『モヒート』
ミントを使うのが特徴的な、ラムベースのカクテル。キューバ発祥の結構有名なカクテルだと思う。

『千俵おりえ』
おっとりとした即ハボお姉さん。好き。

『千俵なつめ』
ツンツンした即ハボお姉さん。好き。


酒は二十歳になってから!(様式美)

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