あたし、一ノ瀬志希は天才だ。小、中、高と勉強に苦労した事はない。そんなあたしは今はアイドルをしているわけだが、実は中学3年の時、一度だけ敗北を味わっている。しかも、得意分野の勉強で、だ。
高校入試前の模試での話。確か、季節は6月だったかな?それまでの模試では、あたしはずっと全国一位を取り続けていた。
しかし、中3の6月であたしは初めて1位を逃した。2位に落ちている。正直、この時は偶然だと思っていた。だって、今までは一位を取り続けていたし、あたしよりできる中学生がいるとは思っていなかったから。
だが、さらに7月、8月、9月と2位が続き、流石に悔しかった。久し振りに勉強して臨んだ10月、11月でも敵わなかった。非常に悔しく思い、それと共にあたしより頭の良い中学生が非常に気になり、あたしのあらゆるツテを使ってその人を調べた。
当然、時間はかかったけど、顔と名前だけ把握することが出来た。まぁ、把握した所であたしは前々から声をかけられていた海外に行かなければならなくなったんだけど。
まぁ、なんだかんだあってあたしは日本に戻って来た。正直、あの中学生……いや、今は高3かな?その人と会うのは諦めていた。でも、あの時の悔しさは未だに拭えていない。
………もし、もしまた会えたら、その時はまた勝負したい。そう思いながら、とりあえず今はアイドルの仕事を一生懸命している。
確か、その中学生の名前は………、
「じ、潤さんっ……!お弁当、とても美味しかった、です……。これ、お弁当箱です……」
「ありがとうございます。奏はいつも美味しいしか言わないから、他の人にウケるか不安だったんですよ」
「ちょっと兄さん。それどういう意味?」
………あっさり事務所に現れた。しかも、アイドルとプロデューサーを連れて。あの顔、そして奏ちゃんの兄、つまり苗字は「速水」。文香ちゃんは「潤」と呼んでいた。本名は速水潤。
その思考に繋がった直後、思わず声を漏らした。
「あっ、ああああ〜!」
あたしが速水潤を指差して大声を上げると、全員があたしの方を見た。気にせずにニヤリと好戦的に微笑んで、男の方に歩いて向かった。
「やっと見つけた!速水潤、だよねっ?」
「えっ、はい。速水潤です。あなたは……一ノ瀬志希さん、ですね?」
「にゃはは、あたしのこと知ってるんだ?」
「テレビでいつも拝見させていただいてます」
「………あたしについて知ってるのはそれだけ?」
「はい」
………そっかー。あたしのこと、眼中にすらなかったかー。ふーん。
いや、確かに中学の時はこちらが勝手にライバル意識持ってただけかもしれないけど。
少しイラっとしてると、奏ちゃんが口を挟んで来た。
「ち、ちょっと志希。あなた兄さんと知り合いなの?」
「ん?全然?」
「はっ?」
そう、別に知り合いじゃない。あたしが一方的に知ってるだけだ。
だが、奏ちゃんと、何故か文香ちゃんまで納得いってなさそうな顔で速水潤を見ていた。
「……兄さんは?」
「俺は初対面だよ。テレビで見たことあるだけ」
「………本当ですか?」
「本当ですよ」
………ふーん?速水潤……潤ちゃんって、呼ぼうかな。モテるんだ?まぁ、イケメンさんだしあたしより頭良いし、スペックは十分に高そうだ。
「ね、潤ちゃん」
「なんでしょうか?」
「あっ、あたし同い年だから敬語じゃなくても良いよ?むしろ、敬語じゃない方が良いかな?」
「……わかったよ。俺に、何か用かな?」
「あたしと勝負しない?」
「………はっ?」
潤ちゃんと話してたら、何故か奏ちゃんが反応した。
「あなた、何言ってるの?」
「んー、ちょっとね。実はさ、あたし奏ちゃんのお兄さんに負けてるんだよね。6回」
「………どういうこと?」
「中学の時の全国模試の順位。だからさ、要はそのリベンジがしたいなーって」
「ただの逆恨みじゃない!」
「ていうか、なんで俺の順位知ってんの?」
「恨んでないよ?ただ、リベンジしたいなーって」
チラッと潤ちゃんを睨んだ。
すると、奏ちゃんが自分の後ろを見た。
「ち、ちょっと、プロデューサーも何とか………あれ?プロデューサー?」
「………プロデューサーさんなら、先程何処かへ行かれましたよ」
あっ、めんどくさくなりそうな空気を悟って逃げたな。ま、あたしとしてはその方が都合が良いけど。
すると、潤ちゃんは微笑みながら答えた。
「良いですよ」
「ちょっ、兄さん⁉︎」
「じ、潤さん⁉︎」
奏ちゃんと文香ちゃんが潤ちゃんに一斉に振り返った。それでも、潤ちゃんは慌てた様子なく微笑みながら答えた。
「大丈夫だよ。別に何か賭けてるわけじゃないし、断る理由もないでしょ?」
「お、良いねぇ。何か賭ける?」
「えっ」
その方が潤ちゃんも気合入るだろうしね。それに、その方が周りの二人が面白そうだし。
「あたしが勝ったら、あたしと付き合ってくれるー?」
「「はぁっ⁉︎」」
ほら、面白い。
「ち、ちょっと志希!あなたそれはダメよ⁉︎許さないわよそんなの!」
「そっ、そうです!そんなの絶対にダメです!」
「え?なんで二人が止めるの?」
聞くと、二人は悔しそうな表情を浮かべて黙り込んだ。二人が百面相をしてるというのに、潤ちゃんは微笑みを一切崩す事なく、あたしに質問した。
「俺が勝った場合は?」
「んー、じゃあ潤ちゃんが勝ったらあたしの作った香水をあげるよ」
「いや、俺がそんなものもらってもなぁ」
「あたしが作ったものだから、世界で唯一無二の香水だよ?まぁ、いらなかったら奏ちゃんと文香ちゃんにあげなよ」
「………ま、いっか。良いよ。それで、何で勝負するの?勉強?」
「正解。今月の模試は受かるでしょ?お互いに高3だし」
「ああ、そのつもりだけど」
「その時の点数で決めよう。それで良い?」
「分かった」
「じゃ、またね?」
あたしはそれだけ言うと、手を小さく振って事務所から出て行った。さて、久々に本気出しちゃおうかな♪
ー/ー
「ちょっとどうする気なの⁉︎」
家に帰って来て、私と文香は兄さんを問い詰めた。現在は食事中で、食卓には何故かイタリア料理が並んでいる。兄さんって本当なんなの?
「何が?」
「志希との勝負よ!どうしてあんな勝負受けたのよ!」
「そ、そうです!負けたら……つっ、付き合う、なんて……!」
私と文香がまくし立てても、兄さんは気にした様子なくピザを齧った。にゅーっとチーズを伸ばしながら咀嚼し、ごくっと飲み込むと、一息ついてから兄さんはようやく口を開いた。
「……まぁ、今回は俺の件だけだし、別に良いかなって」
「「良くないわよ(ありません)!」」
声を揃えて言われて、流石に兄さんの表情に動揺が見えた。少し困った顔で文香を見ながら兄さんは首を傾げた。
「……あの、何でですか?」
「そっ、それは……!」
聞かれて、顔を赤くして俯く文香。まぁ、言えないわよね。貴方のことが好きだからです、なんて。
「それより奏。一ノ瀬さんってどんな人なの?」
「何?気になるの?」
自分の彼女になるかもしれない人だから?
「そりゃいきなり現れていきなり宣戦布告して来たからなぁ。どういう子なのか気になるよ」
「ああ、そういう……」
そうよね。兄さん、あまり女性に興味を持つタイプじゃないし。
「でも、聞かれても難しいわよ。ここに来る前までは海の向こうにいたらしいし、趣味は失踪だの観察だの科学実験だの……とにかく不思議な子よ」
「……なるほど。面白い人だね」
初見で彼女をそう判断できるのは兄さんだけだろうなぁ。変人だと思うのが普通だと思うんだけど………。
「そんな人なら、負けて付き合ってみるのも面白そ」
「「絶対に勝たなきゃダメ‼︎」」
「う、うん。鷺沢さんまでダメだって言うの……?」
「当たり前です!だって私は………!」
「………? 私は?」
「っ……!な、なんでもないです………」
危なかったわね、文香。危うく胸の内を全て吐き出すところだった。まぁ、それはそれで私は面白いから良いんだけど。
「それよりさ、兄さん」
「? 何?」
「とにかく、勝たなきゃダメだからね。絶対に負けないで」
「……………」
強く念を押すと、兄さんは何か考え込むように顎に手を当てた。やがて、「あっ」と何かを察したように声を上げた。
「もしかして、香水欲しいの?」
「…………」
うん、まぁ、そういうことで良いわ。
………でも、相手は志希だし……。少し不安ね。万が一にも負けたら、兄さんは志希のもの……。正直、志希に取られるくらいなら文香に取られた方が良い。
そんな私の心配を見透かしてか、兄さんは立ち上がりながら私の頭を撫でた。
「大丈夫、ちゃんと勝つから。ご馳走様」
食べ終えた兄さんは食器を重ねて流しに戻した。今の仕草はいかにもカッコよかったけど、香水目当てだと思われてるので何も感じなかった。
「鷺沢さん、家まで送りますよ。それとも今日も泊まっていきますか?」
「いっ、いえっ……明日は、学校ですし……」
学校じゃなかったら泊まる気だったの?と思ったけど少し意地悪な気がしたので黙っておいた。
文香も食べ終えて、食器を流しに戻した。
「で、では、奏さん。また明日」
「あら、私は明日仕事ないわよ」
「……そうですか。では、また後日」
「ええ、またね」
言いながら、兄さんと文香は車に向かった。
………兄さんと志希が勝負、か。兄さん、勝てると良いな。でも、実際の所厳しい気もする。今は家事も何もかもやってくれてるし、そこに志希に勝つ程の勉強が加わると負担も大きくなるだろう。
「…………」
そういえば、この前は私が朝食作ったりしたっけ。結局、兄さんにお弁当を作ってもらったからあまり兄さんの苦労は変わらなかったけど、ありがとうとお礼を言ってくれたよね。
………よし、決めた。せめて兄さんの模試が終わるまでは、私が家事を手伝おう。ドラマの撮影もあって大変だけど、兄さんの負担を少しでも減らせるようにしよう。
そう決めて、とりあえずご飯を食べ終えて、使い終わった食器を洗い始めた。