「そういえば、この前さ。工藤に会ったぞ」
「うっわ……絶対小言を言ってたでしょ」
「まあな。面倒くさいから直接言ってこいって言ったんだが、直接だと加蓮ちゃんは受け流すから駄目って」
「基本的に話半分で聞いてるのがバレてるなぁ」
いつものサボり場である喫茶店にて、プロデューサーと加蓮はほんの少しだけ真面目な話をしている。
普段なら毒にも薬にもならない雑談で時間をつぶすが、今回に限ってはトーンが重い。
表情に軽さはなく、どことなく苦々しげだ。
呻き声を切れ切れにあげながら頭を抱える加蓮の姿は貴重である。
「一応、お前ら付き合い長いだろ」
「まあ、スカウト当初からの付き合いだしね。腐れ縁っていう言葉が一番合ってる気がする」
「しかも、今度一緒の仕事だろ。一緒のステージでライブバトル」
「うっわ、気合入れなきゃ駄目じゃん。今回ばかりは気が抜けないなぁ。本気で倒しにいかないと、どやされるよ」
加蓮の口から意欲を感じさせる言葉が出るのは稀だ。
そんな言葉を使わなくとも、彼女は仕事をしっかりとやり遂げるし、やる気は行動で示す。
当然、今の彼女が仕事をおざなりにするとは思っていない。
昔ならともかく、自ら気合を入れると言う加蓮はどこからどう見てもやる気充分のアイドルである。
「お前が気合を入れるって言葉にするなんて珍しいな」
「そりゃ、まあ……ね」
「何かあるんだな。それならそれでいいさ。適度に頑張れ」
歯切れが悪い返答を返す加蓮にいつものゆるさはなかった。
何かを懐かしむような、そして後悔しているような。
形容し難い想いを抱えている風にプロデューサーからは見える。
ただ、それを突くのは良くないことだ。
いくら、自分が好かれているプロデューサーとはいえ、彼女の領域にずかずかと足を踏み入れるのはデリカシーがない。
人間誰にだって触れられたくない事象はあるし、それはプロデューサーやありすも同じである。
結局はぎりぎりのラインで踏みとどまるしかないのだ。
けれど、それが原因で起こした失敗もある。コミュニケーションとはなんと難しいことか。
曖昧に誤魔化して、距離を測る。そうして、取り返しのない失敗をしてしまった。
――破綻はいつだって突然やってくるんだ。
かつての過去。何でもやれると思えた、誰も彼も導けると信じた自分は最悪の形で破綻した。
それでも、未だにこの場所であがいているのはきっと、拭いきれない悔恨と希望があるからだ。
ある程度仕事ができるなんて理由もあるが、内面の理由は彼女達がいるから。
自分優先で辛い仕事からも逃げ、妥協を覚えた今でも、助けてという声を聞いてしまったら、きっと――。
もっとも、自分のような半端者が動くなんて大抵はありえない。あってはいけないのだ、もう。
今の緩やかな毎日が大好きだからこそ、自ら積極的に動くことは決してしない。
「……深く聞かないんだね」
「聞いて欲しいのか」
「んー、どっちかというと聞いてほしいかな。これが万能イケメンプロデューサーなら言わずとも理解できたのになーっ」
「バーカ。んなことできる訳ねぇだろ。エスパーじゃねぇんだ、言葉にしなきゃ伝わらねぇよ。聞いてほしいならちゃんと言え」
「そだね。それじゃ、ちょっと聞いてよ。私と忍について」
何にせよ、聞くだけならタダだ。これで厄介事が混ざっているなら改めて、面倒事を避けるようにしたらいい。
それに、自分は担当アイドルの全てを知っている訳ではないのだ。
あの頃――何でもできると信じていた頃はただがむしゃらに前だけを見て、彼女の内面にまで手を伸ばしてはいなかったから。
話したがっている今こそ、色々と楽に聞き出せるチャンスであろう。
北条加蓮がまだ、輝きを見いだせなかった過去。
世界を灰色と称していた彼女の過去。
△
差し伸べられた手を握ったその時から。彼女を取り巻いていた世界はきっと、生まれ変わったのだろう。
北条加蓮という少女がスカウトされた日。プロデューサーという青年がスカウトした日。形になっていなかった泡沫の道は、確かな導として彼女達の前にかかった。
その導を掴む覚悟。今まで過ごしてきた場所から一歩踏み出すという強さ。輝きの舞台で舞い踊る夢への思い。
それらを持っているのかと考え直すと、素直に頷けはしない。病院のベッドからの景色しか情報が得られなかった頃はあまり思い出したくない。
もちろん、一介の小娘であるという自覚はある。改めて記憶の海に浸り、過去を掘り起こしても答えは一つだ。
そんな難しいことは考えていなかった。ちょっとした気まぐれの範疇を越えるものではない。
(もしかしたら変わるかも、なんて。ありえないことを思ったからか。あの時伸ばされた手を取っちゃったんだよね、全く)
ただ、一言言うならば。自分という存在を求めた彼に、興味を持ったから。
ああ、本当に、“そんなこと”程度の理由であった。
別にどうだっていい。理由を幾ら詰めようとも、この不自由な身体は一生ついて回るし、熟成された諦観はちょっとの希望では砕かれない。
明日、この世界が壊れようとも何も変わらない。北条加蓮は表情一つ変えずに、ルーチンワークをこなすだろう。
仕方ない、と。笑いもせずに退屈を顔に貼り付けて、茫洋と過ごすのだ。
(――下らない。何を期待したんだろうね、私は。諦めて投げ出して、見限って生きた方が楽なのに)
北条加蓮という少女はあらゆる物事に冷めている。夢を見ることに対して、斜に構えている。
それは、アイドルを目指す事になっても変わらなかった諦観。人間、いきなりは変われない。
夢を追い、憧れであった輝きの向こう側へと踏み出すチャンスが舞い込んできても、だ。
第一、成り行きで動いたようなものなんだから、本気になれるはずもない。
「…………バカみたい」
レッスンを終え、ロビーでだらりと姿勢を崩している加蓮の表情に溌剌さはなく、溜息だけが吐き出される。
弾力性のない皮の座椅子は加蓮の凝り固まった諦観のようで、益々気分が悪い。
座っている椅子の固さに文句を吐き出しつつ、表情を薄く曇らせる。
面白くもない夢への道。一握の希望なんて少し力を込めたらすぐに粉々に砕け散ってしまう。
ルーチンワークをこなすだけの何の彩りもない日々は加蓮を変えることはない。
どうして、今もまだ北条加蓮は此処にいる?
自問自答を繰り返しても、答えは何となく。逃げようが立ち向かおうが灰色の世界に色は根付かない。
「どうせ、変わらないし変えられない」
御伽噺のシンデレラのように、魔法使いに誘われたって。世界も、自分も、いつも通りを突きつける。
ただ、ちょっとしたきっかけで、もしかしたら。好きなジャンクフードが新登場するかなぁというレベルの希望で。
変われるんじゃないか、と。夢が現実に降りてくることを想起した。
だから、北条加蓮はあの日、アイドルをやってみようかと決めた。駄目だったらすぐに諦めてしまえばいい。
今までと同じように、これからもそうやって諦めを重ねて生きていけばいい。
小さな声で吐き捨てた諦観には絶望が混ざっている。この灰色の日々は彩りがない分、怯えなくていいのだ。
変わらないままでいられる。下手に夢を見て、きらきらとした煌めきに魅せられずにすむ。
輝きの向こう側なんて、いらない。そんな光の舞台は今の加蓮には眩しすぎた。
今までと同じように、期待は必ず裏切られる。だから、これ以上苦しまなくてもいいように目を閉じた。
ぬか喜びは御免なのだ。そんなものに踊らされてキャラでもない努力をするのは、もうたくさんだ。
――――やめちゃえばいいのに、なんでまだ、私はいるんだろう。
けれど。けれど、と。未だにこの胸に灯っている灯は、叫んでいる。夢の残骸が、北条加蓮を掴んで離してくれないのだ。
最後の諦めを越えようとする自分を縫い止める理想は、自分らしくもない希望だった。
願っても意味なんてないのに。諦めたら叶う夢でもないのに。
希望という二文字は、幼い頃の自分に巣食っていた病魔と同じく、蝕み続けている。
蓋をするべき夢の箱はほんの少し中身を見せて開いていた。
泡沫のような希望を、いつまで見せてくれるのか。頑強とはいえない身体はいつか、再びベッドへと戻るのではないか。
何もかもが不確かで、確証は自分の諦めの強さだけ。この世界は結果が出せない少女には厳しい。
タイムリミットはそう長くはない。このままだと北条加蓮は何にもなれぬまま、朽ち果てていくだろう。
真綿で首を締められるかのように、徐々に息苦しくなっていく。そして、夢を自らの手で破り捨て、去る未来はそう遠くはない。
(例え、魔法使いでも、変えられない)
北条加蓮が大成する可能性はない。自分でわかっているのだ、あのスカウトは偶然でしかないことに。
目を背け続けた夢の世界、端女に過ぎない自分がのうのうといていい場所ではない。
才能がないと思え。諦めてしまえと願え。そうしなくては、自分はこれ以上先へと進みたくなってしまう。
信じたいし、貫きたい。諦めなんて捨ててしまいたい。
けれど、簡単に踏み出せない。
もしも、自分の身体が突如限界を迎えたら。それまでの努力が全て水の泡になったら。
輝きの向こう側へと踏み入れた瞬間、夢が終わったら――自分はその時耐えられるだろうか。
初めから無理だと諦めていたらまだ耐えられる。しかし、溢れんばかりの希望を抱えて失敗した時のことを考えたら怖くて怖くてたまらない。
なんて、醜い。結局は、傷つきたくないだけなのだろう。期待して裏切られたくない。人一倍怖がりで、かといってその悩みを言い出せる程素直ではなくて。
改めて、北条加蓮という少女は面倒くさい。我ながら、失笑ものである。
気泡が水中から浮かび上がり、水面で弾けるように。それは、自然で、必然的で、普遍的で。仄かな自嘲を含んだ笑みだった。
「死にたいな」
浮かべようとした笑みの形は不格好で、到底人様に見せられるものではなかった。
笑顔すらまともにできないアイドルなんて、成功する訳がないのだ。
自然に浮かべられる世の少女達が羨ましい。
身体にのしかかる夢の重みに押し潰されそうなのに。
ありとあらゆる全てが地面に貼りつくようにして、埋もれるようにして。
前へと踏み出す一歩を阻んでいる。そうして、加蓮の脚から頭まで染み込んでいく。
いつだって、諦めはこの身体に纏わりついている。そして、その諦めの抵抗を、加蓮はいつも引きずっていた。
「……どうしようもないなぁ」
「へー、何がどうしようもないって?」
「なんだ、忍か」
「なんだとは失礼な。加蓮ちゃんは相変わらず愛想がないね。一応アイドルみたいなものなんだから、笑顔笑顔」
「ほっといて。私だって愛想をふりまく時はきっちりやるし…………たぶん」
「その範疇にアタシが入ってないのがすごく引っかかるんだけど」
「忍に愛想を振りまいてもなぁ。私に何の得があるんだか」
「ひどっ、一応同期でしょ、アタシ達!?」
事務的な口調。感情が抑圧された、硬質的な空気。
まるで鉄の塊だ。何の温かみもない声で加蓮は言葉を返す。
わかってはいるが、苦手な人物相手だと顔の曇り具合も増すというものだ。
はぁ、と軽い溜息を吐きつつ、横に座ってきた少女の顔を再確認、加蓮の表情は三倍増しに愛想がなくなった。
「同期が突然現れて動悸がどっきどき」
「楓さんじゃないんだからそういうダジャレはどうかと思うよ」
「あまりのつまらなさに立ち去ってくれないかなぁって」
「アタシのこと嫌いすぎじゃない!?」
これ以上関わり続けると確実に面倒なことになる。
あくまで自然な動きで、するすると身体を横にずらしてそのまま立ち去ろうと思い、即実行。
しかし、当然、そんな適当な逃亡が許されるはずもなく、がっしりと腕を掴まれてあえなく御用である。
「また、いつものアレ? 万年五月病っていうのはさすがにどうかと思うな、アタシは」
「万年どころか死ぬまで五月病貫きたいよ。あー、無理無理。生きるの、辛い。む~りぃ~」
「アイドルの口癖をパクれるなら、まだ余裕あるね。はいはい、レッスン戻ろうね~」
「休憩中、アイアム休憩中」
「とっくに休憩は終わってるでしょ、もう」
工藤忍という少女を言葉で表すなら、自分とは正反対。力強くかつ真っ直ぐな少女で、加蓮からすると鬱陶しいったらありはしない。
熱血とか不屈とか、そういうものはお呼びではないのだ。
田舎からアイドルを目指して単身で都会へと乗り込んできた少女は、加蓮とは違い熱意で満ち溢れている。
そもそもの話、夢を追う以上誰しもが必死だ。
忍だけではなく、本気でアイドルになりたいと願う少女達は真摯に努力をしている。
改めて、加蓮はこの世界に自分が向いていないことを悟った。
他のアイドル候補の少女達を圧倒するだけの才能もない、不屈の努力を続けるだけの根性もない。自分には何もない。
それでも、何一つ持ち合わせていない少女は、今も諦めることができずにいる。
夢を見捨てられず宙ぶらり、かといって忍のように努力に浸ることもしない。
彼女からすると、中途半端に生きている自分のことを嫌うだろうに、どうして自分にこうも構ってくるのだろう。
鬱陶しいと思うことはある。お節介を焼きたがる忍を見て、溜息が数倍に増えるぐらいにはめんどくさい。
めんどくさいのに、完全に仲を遮断しないのは、心のどこかで工藤忍に対して好感を持っているからだ。
こうなりたい、なれたらよかったと思う憧れだから。振り解けない輝きだから。
(まあ、忍は別格だしね。迷わない、振り向かない、へこたれない。……正直、憧れちゃうなあ。
私もあんな風に強かったら、なーんて。こうなりたいってアイドルの理想像を貫ける忍が羨ましいよ。
本人には恥ずかしいから絶対言わないけど)
そんな彼女に感化されたのか、自分はまだこの世界で足掻いている。
本来ならば、早々に夢に見切りをつけて平凡に生きようなんて諦めで満ちた決断を下してもおかしくはないのに。
事実は何も変わらない。何をしたって、どれだけ努力をしても、病弱な身体は絶対に剥がれ落ちない。
アイドルを続けられる体力なんてつきっこない。そうやって、ごまかすことでしか、北条加蓮という少女は維持できないのだから。
努力は嘘をつく。信じられるのは、諦観だけ。
夢の煌めきに手を伸ばしても、掴めないとわかっているからこそ、笑わない。
灰色の日々で笑顔を浮かべられる程、加蓮は強くない。
現実は理想通りにはいかない。この灰色の世界は現実的手段でしか変えられない。
それを理解していながらも動けない自分の弱さが、嫌いだった。
上下構成なのでいつものキャラ紹介は後編で挿入します。